サウンド オブ ミュージックのトラップファミリーの次女が亡くなられた [アメリカ旅行]
最近ほとんど読まれていなかった下記の記事が2月22日・23日に突然読まれていました。
アレ っと思いながらもさして気にもとめていませんでした。
http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2009-02-05
所が、昨日トラップファミリーロッジにいっしょに行った娘が、「トラップファミリーの次女(マリーア・フランツィスカ・トラップ)が亡くなったよ」 と言いながら下記の記事を見せてくれた。
http://www.asahi.com/articles/ASG2Q5RHPG2QUHBI01W.html
99歳との事で大往生と言って良いのでしょう。
「ドレミの歌」等を残してくれた家族が1人もいなくなったと思うとちょっとさみしい。
トラップファミリーの方々は第一次大戦・第二次大戦の中、波乱の人生を送られた方々で、確か、私達がロッジを訪れた時に既に次女のマリーアさん1人だった様に記憶している。
他の家族も含めてご冥福をお祈り致します。
ファミリーのロッジは下写真の様にオーストリア風の素敵なロッジです。
今考えてもやっぱり 「ロッジに泊っておきたかったなあ~~~」
で、こんなページも見つけた。 ロッジのポリシーに 「要3泊」 の文言が無いので、今は1泊でもいいのだろうか??? 今もバッファローのステーキが食べられるのだろうか?
http://www.booking.com/hotel/us/trapp-family-lodge.ja.html
何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
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2001年9月16日、シカゴ発の2ndフライトで帰国、 そして平和は? [アメリカ旅行]
アメリカの9・11テロで、2001年9月11日以降数週間にわたりアメリカ国内のフライトは飛行場の閉鎖が断続的に続き、非常に不安定な状況でした。
そんな中、9月12日に一時帰国を予定していた私は、2001年9月16日 8年前の今日、下の娘と一時帰国出来ました。
9月16日のシカゴ発 成田行きは9月15日の臨時便に続き2番目の飛行機でした。
フライト迄の経過は下記のブログで、
http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2008-09-11
このテロ以降、アメリカのブッシュ前大統領はアフガニスタン,イラク戦争に突き進んでいきました。
しかし、
武力では人々を打ちのめす事は出来ても、心はつかめませんでした。
アフガニスタン人の心をしっかりつかんだ日本人もいます。
NPO法人 ペシャワール会の故伊藤和也さんです。
当時の模様は下のページに記載されています。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=103949&servcode=A00§code=A00
平和は ”いっしょにがんばろうよ” から生まれてくるものだと思います。
今日、鳩山政権が誕生します。 鳩山さん、オバマさんと共に地球のかじ取りもしっかりお願いしますよ!
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サウンド オブ ミュージック の トラップ ファミリー ロッジ [アメリカ旅行]
と言う事で、今回も過去の出来事です。
アメリカ赴任中の6年位前のお盆休みに長女がアメリカに来たついでに何処かにと考え、ニューヨーク州の北部を通って、バーモント州からカナダに入りモントリオール,オッタワ,トロントを回ってきました。
この行程は非常にハードなドライブで、ドライバー1人では無理かと思い会社の同僚一人を誘い、3人での珍道中となりました。 当然、各目的地では見学場所を一つと決めての旅行です。
この時の目玉はバーモント州のストーにあるトラップ ファミリー ロッジです。
トラップ ファミリーは皆さんもご存知と思いますが、サウンド オブ ミュージック等で有名になった聖歌を歌って各国各地をツアーした家族です。
オーストリア生まれのゲオルク フォン トラップ,2番目の妻,マリアと子供達でトラップ ファミリー合唱団を結成し、ヨーロッパ各地を公演しましたが、ナチス ドイツをきらい、アメリカに亡命。
1950年、バーモント州 ストーに 27部屋の ロッジをオープンし、今では200室以上の大きなロッジになっています。
この時の旅行で是非泊まりたいと思い交渉しましたが、当時は3泊以上でなければ、受け付けないとの事で、泊る事は出来ませんでした。
ロッジです。 外観はオーストリア風です。
ランチは別棟のレストランで下写真のガーデンを見ながら食事をし、ホテル内の売店でメープルシロップを沢山買い込み、ロッジを後にしました。
(当時は予約しておけばディナーに 「バッファローのステーキ」も食べられました。 私達は先を急ぐのでランチでしたので、バッファローにありつけられませんでした。)
場所は
トラップファミリーのお父さん ゲオルク フォン トラップ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97
母 マリア フォン トラップ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97
トラップ ファミリー ロッジ のホームページは下記。
http://www.trappfamily.com/stowe_vermont_lodging/
以前、南房総 野島崎で出会った七福神の1神 大黒天です。
大黒天はヒンズー教のシヴァ神の化身 マハーカーラ(暗黒大王)のことだそうです。
大黒天の解説は下記のページ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BB%92%E5%A4%A9
自動車史上 最高級車の博物館 その2 (オーバーン コード デュセンバーグ ミュージアム) [アメリカ旅行]
実は自動車史上 最高級車のミュージアムと書いたのは、デュセンバーグが展示されていたからだけでは無かったんです。
デュセンバーグと並びアメリカ自動車史上 最高級車とされるもう一方のパッカードもあり、又、ベントレー,ベンツやロールスロイスのクラシックカーも所狭しと元工場や事務所に展示されておりました。
パッカード
キャでラック
他
約10年前にブログをやるとわかっていればもう少し多くの写真を撮っておけばよかった と後悔しています。
特に、工場の車両置き場の様な クラシックカーの展示場を。 多分読者の皆さんの好きな車が含まれていたと思います。
パッカードに関する記事
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=7113
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89
このミュージアムでただ一つ残念な事は、日本車が一台もありませんでした。
自動車史上 最高級車の博物館 (オーバーン コード デューセンバーグ ミュージアム) [アメリカ旅行]
多分、自動車史上最も高級で、最も高価な車と言える一台と思います。
この車を作ったデューセンバーグ社とその兄弟会社のオーバーン社・コード社 3社のミュージアムが、アメリカ インディアナ州北部のオーバーンと言う小さな町(最下段 地図参照)にあります。
1900~1924年頃、オーバーンの街にオーバーン自動車会社と言う自動車製造工場があり、この工場が閉鎖し、工場やショールームが当時のままミュージアムになっています。
私も幾つかのクラシックカー ミュージアムを見てきましたが、閉鎖された工場がそのままミュージアムになっているのは初めてでした。
デザイン室には、閉鎖当時の書きかけの図面なども製図台の上に乗っていました。
又、工場内は、さすがに機械は無く、製作中の車を乗せる台車用のレール等一部残っていました。
工場内には無数のクラシックカーが並べられ、展示と言うよりはびっしり並べられた車両置き場です。
デューセンバーグと同年代の車も数え切れず。 ロールスロイスも工場内で、非常に程度はいい物の埃をかぶっていました。 デューセンバーグに比べればロールスロイスも高級車では無いと言う事でしょう。
そんな当時の会社のショールームの車を見て下さい。
ショールームの状態からすると今にも、
奥から綺麗な品のいい金髪のセールスウーマンが出てきて、
いらっしゃいませ。 コード車になさいますか? それともデューセンバーグになさいますか?
デューセンバーグは、エンジンとフレーム・シャシーで 十万ドル程です。
ボディはどちらで架装されますか? それともこちらで架装を手配致しましょうか?
架装はニューヨークの・・・・で行う様に手配してありますからそちらの方に運んでください。
と言う様な会話が今にも聞こえてきそうななショールームの雰囲気でした。
そんないい夢の世界を、私が娘と見たのは約10年前の事でした。
オーバーン コード デューセンバーグ ミュージアムのホームページ(英語)
http://www.acdmuseum.org/index.html
ミュージアムの外観 建物正面の一階がショールーム
デューセンバーグの記事
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
大変申し訳ございませんが、前回お約束した犬吠埼の7福神は、あまりにも本記事とかけ離れており、今回と次回はお休みとします。
---- のっけから休みかよォ~~~
ごめんなさい。
昨日はマーチン ルーサー キングス ディ, そして沖縄からは春と夏の便りも [アメリカ旅行]
くしくも昨日は、黒人のマーチン ルーサー キング牧師が1929年1月15日に誕生し、その日に最も近い月曜日がキングス ディとして アメリカのナショナルホリディの日でもありました。
キング牧師は公民権運動として、黒人の差別撤廃を訴え続けた方で、1963年にキング牧師がワシントンで I have a dream から始まる演説をしたのは有名です。
公民権運動の功績で、1964年にノーベル平和賞も受賞しています。
1968年4月4日テネシー州のメンヒスで凶弾に倒れ亡くなりました。
(メンヒスはエルビスプレスリーの邸宅兼ミュージアム兼お墓のあるグレイスランドが有名ですが、キング牧師が凶弾に倒れた地でもあります。 グレイスランドは小泉元首相がブッシュ大統領夫妻と訪れ、プレスリーのマネをした所。)
キング牧師のミュージアム兼お墓はアトランタにあります。
この様なキング牧師の業績をたたえ、アメリカでは1月をマイノリティ(少数民族)の月と定め、有線放送などローカルテレビを中心にアメリカインディアンや黒人を主人公又はそれに準じた役柄の映画が盛んに放送されます。
I have a dream から46年、 今日はキング牧師の夢が最高にかなう日かも!!!!!
マーチン ルーサー キング牧師の記事は下記
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E7%89%A7%E5%B8%AB
I have a dream の演説の和訳分は下記
http://dreamer1.hp.infoseek.co.jp/dream.html
話は全く変わって、
先週と今週 沖縄の友人から 春の便り と 夏の便りが届きました。
そう、テレビでも放映されていた ”さくら” と ”ひまわり” です。
まずは春の便り。
沖縄本島、本部八重岳の ”緋寒桜” です。
この緋寒桜はソメイヨシノ等とは異なり、花びら一枚一枚散るのではなく、散る時は椿の様に一つの花全体がポタっと落ちるのだそうです。
さくらと芭蕉です。
さくらの背景にはシダも
いきなり、 真夏です。
沖縄本島、北中城村の ”ひまわり” です。 今年は3ヶ月以上も早く咲いている様です。
中にはつぼみも
寒さが身にしみるこの頃、沖縄は真夏の様で羨ましい限り。
駅で行われた アメリカのクラシックカーショー [アメリカ旅行]
アメリカでは小さな町でも年に1・2回クラシックカーショーを行っております。 その為自分の町のショーを盛り上げようと、各町毎に思考を凝らし、特徴付けを行っています。
今回紹介するフランクフォートは、小さな田舎町ですが、州都である事から ”キャピタルシティ クラシックカーショー” と銘打って、貨物列車の駅と街全体がクラシックカーショーの会場になります。
そのメイン会場は、旧州議会議事堂の前の現在も使われている貨物列車の駅そのものです。
写真中央が貨物の線路で、両脇のプラットフォームに車を並べ展示します。
ショー当日の朝8時頃には貨車が一両通りました。 尚、この路線には客車は運行されていません。
写真は早朝の開場直後に取ったもので、街の人ごみは写っていませんが、昼ごろはごった返しでした。
当日はダッジバイパーのスペシャルショーでもあり、古くもないバイパーが隊列を組んでいました。
こちらは、コルベット軍団です。
そして、張り合うおうとしているのは マスタング軍団です。
で、町中ではスポーツカーに押し出された ”これぞ6・70年代のアメ車” が並んでいます。
(前の赤い車がフォード フェアレーン、 後ろが ポインテアック 2台とも綺麗だったァ~~~。)
奥の方に人ごみとステーキを焼く煙が。
この車もオリジナルのレストア済車で1930年代(?)の車。 キットカーやレプリカではありません。
私はと言うと、朝8時頃に会場に到着したものの、貨物列車に阻まれ、長時間踏切待ち。
(アメリカの貨車は100両位では少ない方で、しかもガタコトガタコト とゆっくり走ります。)
貨車が通過した所で、ショーの案内人の方の配慮で、かろうじてメイン会場の線路脇のはずれの方に割り込まして頂きました。 左端の車が私のSRL311です。
ショーでは、ショー全体のトップ1台と、ビックスリーのGM,フォード,クライスラーから各1台と、それ以外(ヨーロッパ車と日本車(私の1台))から1台の計5台がウィナーとしてトロフィーを貰る事が出来ます。
ショーの全参加車の審査が終わり少ししてから、私を案内してくれた方(実はこの方も審査員でした)が来て、”エンジンルームとトランクを開けておく様に” との事。
私が見ても ”いいなァ~” と思う車を、10人位の審査員が大挙して順次見て回っていました。 表彰式で分かったのですが、これが上記5台の車を選ぶ最終審査だったのです。
(アメリカではエコひいきが蔓延していますが、この審査方法なら納得です。)
で、私はビックスリー以外のトップとして トロフィーをゲット。
トロフィーの建物は現在のケンタッキー州 州議会議事堂です。
この私の67年型 フェアレディ(SRL311)は日本に帰国後、昨年群馬の方に転売してしまいました。
その後の様子は下記の記事を。
http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/archive/c15385011-1
アメリカの大家さんから 仔馬が生まれたとの便り [アメリカ旅行]
私が4年前にアメリカから帰国する頃、ケンタッキーの田舎でも ”ローンで家を買って、しばらくしたら売ってワンステップ上の家に住むんだ” という話を何度か聞きました。
この時のローンがサブプライムローンかどうかは分かりませんが、日本でバブル経済を見、その崩壊を見てきた私には ”何とも危なっかしい話しだな” と思っていました。
私のアパートの大家さんも、5年位前に近くに家を買いました(買う契約のみだったかも)。
が、一月もしない内に大雨で、床上浸水となり、新築の家の購入契約を破棄したそうです。
大家さんも住宅バブルに毒されかかっていて、大雨と言う水をかけられ踏みとどまった様です。
この大家さんは3度目の大家さんで、アラスカの大家さんは2度目の大家さんです。
アラスカの大家さんのアパートにはガレージが無く、フェアレディ (SRL311)のボディのレストアが完成し戻ってきた事と、パイロットのご主人がアンカレッジ-成田間を飛ぶ事になり、アパートを転売した事を機に、歩いて2分のこの大家さんに転居しました。
そうそう、ひょっとしたら読者さんの中にはアラスカの大家さんの飛行機に乗った方がおられるかも。
アラスカの大家さんとの交流記事は。 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2008-07-28
そんな大家さんから仔馬が生れたとの便りが!
メールの内容からすると、”現在のアパートの住民が転居し部屋が空くので、アメリカに住まないか” との内容です。 いくらなんでも急にアメリカに転居する事は無理でしょう。 第一ビザがとれない。 と言う事で断りました。
娘さん、帰国時は2歳だったのに! ハローインにはよちよち歩きで、濃紺の魔女の姿をし、かわいい声で「Trick or Treat」だって。 こんなに大きくなったんだ と感心しし。
服装からすると夏の写真の様です。
母馬にはおっかなびっくり
仔馬には堂々と餌をやり。 げんきんなもんだ。
で、ケンタッキー州のリッチモンドはどんな所かと言うと。
下航空写真の(-)をクリックして頂きますと分かります様に、あたり一面肉牛の牧場です。 写真では見えませんが所々にたばこ畑も。 ケンタッキーは全米一のたばこの産地です。
上の航空写真の中には私の居たアパート2軒とも映っています。 下写真の車の後ろの家がアパートで、右半分の1・2階を使っていました。 小さく見えますが、私の使っていた分だけで100㎡弱と思います。
馬と言えば、ケンタッキーダービーに象徴される様にケンタッキーは有名な馬の産地で、私の住んでいた町の隣、レキシントンは正月に大きな馬のセリ市が開かれ、日本からも買い付けに行かれる方もおります。
アメリカ イエローストーン公園 その3(出会った動物) [アメリカ旅行]
イエローストーン公園の野生動物と言えば、アメリカ最大の野生動物 バッファローです。
一時は絶滅も危惧されていたそうですが、今では3000頭強だそうです。
一枚目は私の車の横を通り過ぎた大きなバッワローで、怖くなり、すぐ娘に窓を閉めさせました。
私の一番気に入っている写真です。
続いては、鹿です。
鹿は種類が多く、今もって何と言う名前の種類か分からない鹿もいます。
まずはムース(ヘラジカ)の雄です。 大きかった。 このシカは角袋がとれる時期かと思われ、さかんに木に角をこすり、袋を取っていました。 最も近づいた時はやく5mです。
次はエルク(赤鹿)と思います。 多分公園に入って最初に出会った鹿がこの種の雌と思います。
角が立派で、”オォー これが鹿ダー” と声が出そうでした。
プロングホーンです。
この他、ケンタッキー等、ほぼアメリカ全土に生息する ”ホワイトテール” 等にも出会いました。
前回ちょっと触れました鷲です。 300mmのレンズではここまででが限界でした。
鷲の巣立ちの様子は、
まず、親鳥が巣から飛び立ち、少しの間上空を飛び、かなり離れた木に止ってしまい、ヒナがいくら鳴いても、巣には戻りません。
その内、ヒナが巣で、羽ばたきをしはじめ、何度目かに飛び立ちました。 すると親鳥が初めて、ヒナを褒めているのか呼んでいるかの様な鳴き方で、鳴きました。
所が、ヒナは親鳥の近くの木に止まろうとしましたが、ずっこけ、とまれず、何度か旋回風の飛び方をした後、対岸の地面につんのめる様に不時着でした。
で、私たちは次の観光地に向かってしまいました。
私たちが ”ヤッター, 見たぞ” というのがこの写真。
黒い点が2つ。 これで3匹です。 ビデオの倍率を最大にしてこれだけです。 300mmの望遠では全く点にもなりませんでした。 これ狼の家族です。
大きな望遠鏡を持ってこられていた方に ”狼の家族(多分5匹)の様子をじっくり見せて頂きました。
小さい子供を持つ犬の家族と全く同じ様にじゃれあっていて、本当に微笑ましい、嬉しくなる光景でした。
ちなみにコヨーテはホテルの周りをうろついていて、野良犬と間違えてしまいました。
娘が西出口の動物園で撮ってきた狼です。
これは、野生のモルモットです。 ペット用に比べ、2倍くらいの大きさで、ネズミと同じ様なかわいいしぐさでした。
その他、リス等は3種類見ましたが、写真は見当たりません。
参考までに、アメリカのリスは狂犬病菌を持っているものがいるそうで、近くに寄ったり、触ったりしない様に!!!
イエローストーン公園内では、行く先々で、野生動物にあう事ができます。 動物好きの方には是非お勧めの所です。
又、何のへんてつもない山道で、何台かの車が止まっていたら ”そこには何か動物がいる” と思われますので、そこにおられる方に小声で確認するといいですよ。 私達が出会った方々は皆親切に小声で指をさし教えてくれました。
ヘラジカも狼も人だかりしているので、いる事を知り見る事ができました。
アメリカ, イエローストーン公園 その2(主な観光地) [アメリカ旅行]
前回に続き2001年に行ったイエローストーン国立公園です。
今回は、私たち親子が行った主な観光地です。 記事が長くなるので動物は次回にします。
イエローストーンの観光地と言えば、何と言ってもまずこの写真からだと思います。
(前回の冒頭の写真も同じところです。)
キャニオン(Canyon)地区のロワーフォールズです。 ここの見学場所は ”Art Point" と言い、絵の様に美しい場所と言う様な意味でしょう。 滝の落差は約94m。
川の両岸壁が黄色みがかった岩で、これが ”イエローストーン”の名前になっています。
そして次はここオールドフェイシフルの間欠泉だと思います。
最大の間欠泉はオールド フェイシフル ガイザー(Old Faithful Geyser) で、55~95分おきに高さ約50m噴出するのだそうです。 現地に行くと ”今日の噴出予定時刻” が貼り出されています。
ともかく噴出量,高さともすごかった。
ここの地区はこの他、無数のと言っていいほど間欠泉や温泉の湧き出している所があり、早朝娘が ”端から端迄” と思い歩いたそうですが、行きに1時間かけても反対側の端迄行きつかず、帰路の不安(迷子)に駆られ帰ってきたそうです。
オールド フェイシフルの丘から見た間欠泉群
丘から見たオールド フェイシフル ガイザー 多くの人が間欠泉を取り巻く様に見物しています。
観客席から見たオールド フェイシフル ガイザー 風上から見ると噴出孔も見えます。
その他の間欠泉等
ここの温泉は緑がかった濃いブルーの熱湯で、温度の低い所の底は濃い茶色になっています。
下右の温泉は”モーニングフラワー(朝顔)”と名がついていて、イエローストーンの温泉の例によく出てきます。 娘は是非見たいと言っていましたが小さめでがっかり。 朝顔の名誉の為に、 これほど ”形よく青と茶が配色” されていたのは他には見当たりません。
次はここマンモス ホット スプリング地区です。 この地区だけ(イエローストーン公園だけ?)のバクテリアがいて上の ”朝顔” 同様温泉の底がきれいな赤茶色に変色するのだそうです。 大きなテラス状の温泉地区で、白や赤茶色の大きなテラスを伝わって温泉が流れています。
案内図他
タワー地区です。
ここは川の岸壁が雄大で、偶然、鷲の巣立ちを遠めながら見る事が出来ました。
イエローストーン公園はその他数多くの観光地があり、又、スケールも大きく、”アメリカ映画の自然” ってこんななんだという事が目の前に広がり、実感できます。
アトラクションやツアーも色々あり、私達は幌馬車ツアーに参加しました。 有料で、キャンプ場でステーキ食べ放題の昼食付き。
写真がこの時乗った幌馬車で、プロングホーン(鹿の一種)やコヨーテを見ながら約1.5時間。
キャンプ場ではスタッフが火を起こし、昼食のステーキを焼き、カントリーミュージックの演奏あり、楽しい時間を過ごしました。 (こうゆう時のアメリカ人のノリはすごく、しかも自然で、何時も最初は唖然とし、その内ノセられている自分がいる事になります。)
前回も少し書きましたが、このあたりは山火事が多い地区で、イエローストーン公園内には至る所で山火事の跡を見る事ができます。
セコイアナショナルパークでも説明を受けましたが、山火事は決して悪いものではなく、細菌などに侵され、老朽化した大地を焼き、よみがえらせる自然の営みだそうです。 ですから特に危険でない時は燃えるがままにする事が多いそうです。
今回のイエローストーン公園でも山火事が3日間燃えており、消火する気配はありませんでした。
奥は山火事で、バッファロー(手前の黒い点々)は草を食べ、遊んでいました。
次回は出会った動物達です。
アメリカ, イエローストーン 公園 その1(アムトラック) [アメリカ旅行]
そんな事で、200回を記念して何を書こうか考えましたが、2001年に下の娘と行った イエローストーン ナショナルパーク(国立公園)を書く事にしました。 理由を上げるときりがありませんが
”心に残る時間” となったからです。
イエローストーン公園は、世界で一番最初に出来た国立公園で、山梨県の約2倍の大きさ。
大陸横断鉄道 アムトラック で行きました。
下写真の黄色みがかった岩肌が公園の名称になりました。
イエローストーン公園の記事
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E5%85%AC%E5%9C%92
http://www.bigskyjapan.com/travel/yellowstone.html
アムトラックの紹介ページは右記 http://www.amtraktowns.com/
ケンタッキーのリッチモンドからオハイオのシンシナティ迄車で行き、シンシナティ 夜12時発の列車に乗り、早朝シカゴに到着。 シカゴ駅の大きさや低いホームで ”異国の駅” を実感。
朝8時、ニューヨークから来たアムトラックで、シアトルとサンフランシスコ行き(途中で南と北に分かれる)に乗り出発です。 (アムトラックのホームページ見ましたが、今ではこの列車はない様です。)
シカゴ駅の外観 待合室は飛行場と同じでホーム近くに行き先毎にある。 駅内部のホームと列車
写真はhttp://usarail.hmc5.com/amtrak_jp.htm から転載させて頂きました。
シカゴからしばらくは北東アメリカの緑あり川ありが続き、ミシシッピー川も見る事ができます。
ミネアポリスを過ぎると、延々とトウモロコシ・大豆・ひまわりと牧場の繰り返しが続き日が暮れ、翌朝起きてもマッタイラで何も変わりません。
最後の写真が展望車 古いビデオカメラからの転写で映りが悪くすいません。
若干地形が変化し、大きな起伏が始まった所で、私たちの降りる モンタナ州のハーバーです。
アパートを出てここ迄約45時間。 飛行機だったら7・8時間でしょうが、待望の ”大陸横断鉄道” に乗り、見ず知らずの人との交流、下の娘は一人で展望車等でアメリカ人と話し、車内食堂でゆっくり食事。 列車は50マイルで走っていると言うのに、車内の時間はゆっくりゆっくり、何物にも代えがたい
いい時間の流れでした。
写真はhttp://usarail.hmc5.com/amtrak_jp.htm から転載させて頂きました。
レンタカーを借りて、途中一泊し、一路イエローストーン公園へ。
ノースエントランスの街、ガーディナーでは山火事のお出迎え。 ヘリコプターでの消火活動中でした。
古いビデオカメラからの転写で映りが悪くすいません。
ノースエントランス(北入口)から イエローストーン公園に入場です。
ノースエントランスから西回りでロッジに行く予定でしたが、崖くすれで通行できず、遠回りの東周りでロッジに向かいます。
入って約30分、最初に出会った鹿に興奮。 すぐ目の前で、鹿が食事中。
さらに進むと遠くのバッファローに大興奮。 さらに5分も進むと山火事をバックにすぐ近くで、バッファローの大群。 親子二人 ”来てよかったね” 連発です。
そして、ロッジです。 ロッジは オールド フェイシフル スノーロッジ です。
ロッジはなんとテレビもラジオもなく、新聞(勿論英語)がロビーにあるだけです。
イエローストーン公園内は世間の雑事から解放し、大自然を満喫し、地球の息吹を実感する所でした。
ロッジ外観
ここがロッジの玄関だったと思う
ロビー 廊下
古いビデオカメラからの転写で映りが悪くすいません。
私たちは4泊5日です。
2日目は周遊道路を回りながら、公園内の各地を観光。
3日目は幌馬車に乗ってのツアー。 帰りにはイエローストーンの滝 ロアーホールス等を観光。
(現地の各ロッジやビジターセンターにはいろいろなツアー案内があり、殆どのロッジから翌日分から予約でします。 例えば早朝野生生物見学ツアーやイエローストーン湖の遊覧等)
4日目は再度周遊道路を回りながら各地を見学。
この日は名残惜しくならない様に、再度バッファローを見て、ヒグマを探しに行きましたが見る事が出来なかったものの、自然の狼の家族を見ることができました。
5日目はホテルを出て、公園の西出口のイエローストーン公園内に住む動物の動物園に娘が1人で見学。
途中一泊し、モンタナのハーバーに戻り、アムトラックでシカゴ経由シンシナティで下車。 車でアパートに戻りました。
夏休み9日+1日はあっという間の休みでした。
次回はイエローストーンで観光した主な場所と出会った動物達です。
ニューメキシコ州の白い砂漠 と アリゾナ州のサボテン [アメリカ旅行]
「kotobuki この夏はどこにいく?」
私が答えて 「カクタス(サボテン)を見に行く。」
アメリカ人が首をひねりながら 「何でカクタス????」 「家にもあるよ。」
どうも米人には ”メキシカン西部劇に出てくるあの柱状のサボテンを一度でいいから見てみたい” と言う私の気持ちは理解できなかったようです。
そして彼は、 「カッパーヘッドに気を付けて」 との事
私は、かなりビビりながら 「サンキュー」
カッパーヘッド(スネーク),(銅の頭の蛇の意味)とはガラガラヘビの事で、テキサス,ニューメキシコ,アリゾナはガラガラヘビのセリ市等が盛んに行われている程の危険地帯です。
カッパーヘッドスネーク」が頭をよぎりながらも、ダラス経由でニューメキシコ州のエルパソに到着。
翌日、白い砂漠 「ホワイトサンド ナショナル モニュメント」に向かいました。
砂漠と言ってもただの砂漠ではありません。 石膏の結晶だけで出来た真っ白な砂漠です。
骨折した時等にはめるギブスの材料の石膏と同じ成分で出来ています。
しかも並はずれた大きさで、日本一大きい琵琶湖よりも少し大きい,東京23区よりも大きい。
私のブログを毎回見て頂いている いとおさん の地図の航空写真ですが、(-)をクリックしてその大きさを感じて下さい。 いとおさんすいません無断借用になってしまいました。
と言う事で、写真を見て下さい。 若干茶色っぽいのですが実際は”雪の白さ”と同じ位真っ白です。
雪景色の映画撮影を行っても大半の方は何の違和感もなく ”ワァー 真っ白な雪” と思うでしょう。
風紋もしっかり見えます。
中央にスクールバスが見えますが、学校の課外事業も行われていました。
下記がホワイトサンドの説明ですが、ここは広島と長崎に原爆を落とす前の実験場でもありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BA%E5%9B%BD%E5%AE%9A%E8%A8%98%E5%BF%B5%E7%89%A9
白銀の世界、ホワイトサンド ナショナルモニュメントを後にして、いよいよアリゾナの柱状のサボテンを見に向かいます。
所が、途中綺麗なお花畑に遭遇。 このお花畑は個人の果樹園の様ですが、多くの通りがりの人が見学記念撮影をしていました。 持主は果樹の面倒は見ずに花を人々に見せているという感じです。
そして到着したのが柱状のサボテンの群生地。 サワロ カクタス(Saguaro Cactus)と言うそうです。
今回見た最大のサボテンです。 目測では高さ10m強 直径70~80cm位です。
サボテンはスズメにとっても貴重な巣の様です。
背の低いいっぱい生えているのがオルガンパイプ カクタスと言うそうです。
もちろん丸いサボテン等色々なサボテンもありました。
アラスカの氷河上空を飛ぶ [アメリカ旅行]
ケンタッキーに住んでいた時の2軒目のアパートのオーナーがノースウエストのパイロットで、1999年にアンカレッジ-成田間を飛ぶ事になり、アンカレッジに転居。 そんな事で2002年にアラスカ旅行となりました。
アラスカ旅行の概要は、アンカレッジをバスツアー,アラスカ中部のデナリ公園ツアー,オヒョウ釣りに今回のセスナツアーです。
オヒョウ釣りの記事は右記を参照。 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2007-06-13
アンカレッジのホテルからオーナー宅に電話すると奥さんが ”すぐ迎えに行きます”との事。
奥さんの車に乗り、彼女の自宅に。 私たちは車の中で10分位待機。 ???何が起きるの???
奥さんが何やら荷物を持ってきて車に積み、 ”行きましょう”。 私たちは何処へ??
そして、着いた所が小型飛行機の飛行場です。 っで、オーナーの奥さんが飛行の準備をされて初めて何が始まるのかやっとわかりました。
アンカレッジ上空を遊覧飛行です。 それもオーナーの2人乗り飛行機で、パイロットはプロの旦那さんではなく、奥さんです。 自宅から持ってきた荷物は折り畳み式の3人目の補助椅子でした。
(実は奥さん、旦那さんもこぼす程の大変なせっかち、英語の苦手な私との話はまだりっこしい様です。 又、旦那さんはあいにく成田に滞在中。)
これがそのセスナ。
妻は怖かったそうですが、私は ”やったアー 初めての超小型機!!!”
そして、フライト開始。
下に見えるのが飛行場で、中央が「砂利道」の滑走路です。
アンカレッジ郊外の住宅地
一見、高級別荘地の様に緑が豊かです。 このあたりでの散歩は、ヒグマと遭遇した時の備えに犬を連れ、ピストルを持って行くのが普通で、一人での散歩は禁物だそうです。
氷河の河口に到着
河口は氷が崩れ散乱している所や、まったく崩れていない所がありました。
アラスカの氷河は中央に筋があります。
氷河の氷が周辺の岩を削り、その土砂が氷河の支流どうしの合流で、合流の中央に土砂が集まったものです。
夏の氷河の上面はこんなにでこぼこでした。
氷河の最上流部を更に上流から見たところです。
帰りは、上空からヒグマ等の大型動物を探しましたが、残念ながらヘラジカの雌一頭のみでした。
観光用の遊覧飛行は決められたコースを決められた時間飛ぶのですが、この時の飛行はオーナーの奥さんの気の向くまま右や左、上や下にと、約2時間、妻にとっては最高に怖い時間だったそうですが、私にとっては最高の飛行で、「アラスカ」を実感できた時間でした。
このアラスカ旅行で涙が出そうになった感動が一つ。
デナリ公園に向う途中の昼食時間に、バスから降りようとした時、同じツアーのアメリカ人から、
Are you Japanese?
Yes I am.
Do you Know Naomi?
Yes, I know, Mr. Uemura.
アラスカに行くにあたって、冒険家の植村直己さんの事を考えた事もなかったし、何処かの冒険中に行方不明になった事は知っていたのですが、突然アメリカ人から声をかけられびっくり。 そして、私が「植村さん」と とっさに答えられた事に自分でもびっくり。
!!!何よりも、アメリカ人が植村直己さんを知っていて、デナリ公園内のマッキンレーで行方不明になり、未だ発見されていない事をアメリカ人が話してくれた事に同じ日本人として嬉しかった!!! 一人だったらハンカチが必要だったかも。
アメリカ人が持参した地図を見ながら、民家を改造した小さな 「直己ミュージアム」を案内してくれました。
で、今回の庭の花はヤマユリです。
4年前に5個の球根を千葉の田舎の裏庭からいただいてきたのですが、毎年一つ減り、又一つ減りとなくなってしまい、ついに今年はこの一つになってしまいました。 野生植物は難しい。
何としても生き残ってほしいと念じています。
アメリカ、ケンタッキー [アメリカ旅行]
ケンタッキーは、8年と7.5ケ月の出張と言う長い間住んで、本当に色々な事があり、色々な写真を撮りましたが、だらしのない私は写真やフイルムの山になり、たまたま開けた保管箱から出てきた写真が ”オー 話題性あり” と思い掲載して見ました。
まずはこの3連続写真 ----- レディス スナイパーへの道。
ケンタッキーの友人の家に伺い、友人のピストルを撃たしてもらっている娘たちです。
そして、3枚目はその結果です。 この程度ではスナイパーにはなれません。
このピストルは友人の持っている物の中では一番口径の小さいものです。 大きいものは娘には無理で、肩を脱臼するそうです。
銃社会のアメリカでは非常に多くの家庭で銃を持っており、大体はご主人がきちんと管理しています。
ケンタッキーは田舎ですので、この写真の様に自宅の空き地(この方の空き地は約6000坪以上)で、たまに打つ練習をしています。 練習をしておかないとむしろうまく扱えず、危険だからの様です。
中には地下室に射撃練習場を持っている家もあります。
2つ目は偉人の家です。
リンカーン大統領が生まれた家(キャビン)が写真の大理石の建物の中に保管管理されています。
残念ながら、内部は撮影できませんでしたが、内部には下の家と同じ形で若干小さい家があるだけです。 相当貧しかった様です。
リンカーン大統領の生家の小さなキャビンをこの大理石の建物で覆い保護している状態は、いかにアメリカ人がリンカーン大統領をしたい、尊敬しているかを現わしていると思います。
この家(キャビン)はリンカーン大統領の ”ボーイズホーム”と言われている家の複製です。
大統領は子供の頃この家で両親と過ごしました(確か5人家族?)。 内部は土間にベットを置いただけの質素なもので、生活していくのがやっとの家庭だった様です。
リンカーン大統領には色々な立身伝がありますが、私が一番重要だと思った事は、
このボーイズホームの前が昔のメイン道路で、南部で買われた「多くの奴隷」がリンカーン少年の目の前を通って北に運ばれて行く姿を見て育ったと言う事です。 ( ”連れられて” と言う言葉では状況を正しく伝えられないので。)
その後インデアナ州に引っ越し、勉強し、社会を変えようと立ち上がったのです。
そして最後の写真は ”エ~~~~ 今でも!!!” と言う写真です。
ケンタッキーリバー(ミシシッピー川の支流)の渡し船です。
この船は外輪船で、川を渡る時に流されない様に ”赤い丸印”のロープで支えられ、ロープ沿いに川を横切り対岸まで自動車と人を渡します。 船の大きさは写真の様に小さく、車は3台しか載りません。
渡し船は私がケンタッキーに行った直後は25セント(約25円位)でしたが、その後無料になりました。
”エッ 無料ですか?”と質問した時の答え。 ”この船は州道(日本の県道相当)ですから” ですって。
以上、ケンタッキーの4年前までの古情報でした。
で、最後の最後は沖縄に友人からの写真。 バナナも既にしっかり実を付けています。
この状態は植物学者に言わせると”実” ではなく ”花の一部” と言うかも。
ヨセミテ、セコイア、ディスバレー その3 (日本人収容所とディスバレー) [アメリカ旅行]
セコイア ナショナルパークを後に、途中一泊して、翌日もディスバレーに向かいます。
その途中で、突然バスガイドが、 ”右側が第二次大戦中の日本人収容所です” とアナウンス。
あまりにも突然、しかもその場に来て、バスの速度も変えず、細かい説明も有りませんでした。
慌てて写真を撮りましたが、言われた所から200か300m通過してしまいました。
アメリカへは1900年の前後10年位に多くの日本人が西海岸に移民として入りました。 そして、人種差別や生活習慣の違い等と戦いながら、生活基盤を固めていきました。
しかし、1941年12月に開戦。
1942年2月 ルーズベルト大統領は、「軍が必要のある場合に強制的に『外国人』を隔離する」ことを承認しました。
これにより、12万人の日系人が全米11箇所に強制収容されました。 収容は通告の後、直ぐに実施された為、築いた財産の処分もままならず、ほとんどの方は着の身着のまま、手荷物1つでした。
尚、ドイツ系やイタリア系移民も強制収容の対象でしたが、ほとんど実行されていません。
何故日本人だけ!!!!!
写真はその1つ マンザナール収容所付近。 道路から見た収容所は何もなくこの景色その物です。
長年頑張った成果を開戦によって一瞬にして失い、鉄条網の中で軍に見張られ、家族単位の食事も出来ず、さぞ悔しい思いだったろうと想像します。
強制収容所については多くの方がレポートしていますので、その内の2つを紹介します。
(下記を選んだのは、比較的読みやすいかな と思った為で、特に意図する所はありません。)
http://explorer.road.jp/us/ca/easternsierra/manzanar.shtml
ディスバレー到着直前の谷では、米軍の ”谷間飛行訓練” に遭遇する等のハプニングもあり、ディスバレーに到着しました。
ディスバレーは ”死の谷” と言うだけに暑く、真水はなく、水分を含んだ塩の湖と言った所で、海抜はマイナス85.5mです。
私たちが到着した時は 46℃との事でした。
ストーブの直ぐ前ではストーブの側だけ体がカッカと温まってきますが、それが全身を襲うと言う感じで、散歩コースを歩かず、早々にバスに戻る方が多かった様に思います。
ディスバレーは、新車を開発する時に ”耐熱走行テスト(高温時のオーバーヒートやオイルの軟化による不具合等を確認)”を行いますが、この場所としても有名です。
7月の旅行でしたが、この時も ”なんだこの車。見たこと無い” と思ったら 9月に クライスラーのクロスファイアー(Crossfire)が発売されました。 多分耐熱性の最終確認だったのでしょう。
Crossfireの初回記事 http://www.chrysler-japan.com/crossfire/performance.html
このツアーでは途中砂漠で休息(見学)した後、ラスベガスに到着 解散しました。
ラスベガスでは カジノ?
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夫婦2人で15ドル。
ラスベガスに何しに行ったの? って
ホテル ベラージオの向いのホテルに泊り、ベラージオの噴水をゆっくり見させていただきました。
ベラージオのホームページ
http://www.ne.jp/asahi/tohyama/muneto/lasvegas/hotel/bellagio.html