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MG ミゼットのイグニッションキーについて [ MG ミジェット ボディ & トリム]
MG ミゼットは国内未登録の状態で手放すと決めた物の、自分で使う事を前提に「あれをしよう,これをしよう」と思っていた事があり、その一つにイグニッションのキーを2個にする事でした。
(ニュージーランドから購入した時のイグニッションキーは1個しか付いていません。)
そこで、今車に付いているキーのスペアーを作れないかと近所の鍵屋さん聞いたり、ネット検索をしましたが、何分にも古いキーである事、今車に付いているキーが「イタリアのスペアーキーメーカー」の物だった事などが判明した物のスペアーキーを作る事は出来ませんでした。
しかし、「キーを何処かに置き忘れてしまったり」と言う事がよくあり、やっぱり「安心の為にもキーは最低2個必要だよなァ~」との思いは捨てられませんでした。
そこで、ジャガーE-タイプのスペアーとして購入してあったイグニッションキー(下写真の左側)の配線が同じだった事もあり、これを組付けて見る事に!
ジャガー E-タイプ用を結線し作動チェックをしてみました。 問題なく機能しました。
しかし、ジャガー用をインストに組み付けてみると、キーシリンダーとナットとの間に段差が出来てしまいました。 原因はジャガー用はキーシリンダーのネジが短かった事で、MGの従来品はネジが長く六角ナットで組み付け位置が調整できる様になっていました。
(MGに組み付いていたキーも多分市販のキーで純正部品とか新車時から付いていたキーではないと思います。)
段差が付いたままでも機能上は問題ないのですが、やはり見てくれや何より「あッ! このキー、何かの流用品だ!」と思われるのがなんとも嫌で、やはりジャガー用のスペアーとして購入してあったキーバレルを、MGの車に付いていた従来品キーに組み付ける事に。
従来品キーを分解しました。
ごめん!
写真を掲載して見ましたが、世の旧車の安全の為にキー内部の構造が分かる様な写真は削除しました。
(今回のブログの焦点だったんでしょうけどね!)
ジャガー用スペアーのキーバレルをMGのキーシリンダーに組み付けました。
そして再度インストに組み付けて見ました。
勿論六角ナットでインストパネルからの高さ調整もおこないました。
MGでやりたいと思っていた事はこれでほぼ全てだと思います。
又、何かあったら記事にします。
もし、この車を購入し気に入って頂いたら、私の趣味はサイコー! 幸せ一杯かな!
滋賀県の琵琶湖疏水と三井寺見学 その2 三井寺 [ 旅行 関西以西]
2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、次回で終了です。
で、東海道五十三次が終わるとなかなか琵琶湖周辺には来られないかもと思い、東海道歩きはそこそこに彦根城の他、題記琵琶湖疏水と三井寺も見てきました。
1日目は、彦根城を見学し、東海道五十三次を大津宿本陣跡からJR 山科駅迄歩きました。
2日目は前回のブログの様に早めにホテルを出て「琵琶湖疏水第1トンネル東口」迄を見学。
「琵琶湖疏水第1トンネル東口」の上はT字路の様な道で、左に行っても三井寺の「観音堂」に行けますが、私は右に行き「三尾神社の山門を迂回する様に進み「総門」から入り、入山料600円を払い、左側の階段を上がり「三井寺の観音堂」に向かいました。
総門から入り、
階段を昇って行くともみじの紅葉も終盤、真っ赤な紅葉と落ち葉が晩秋を感じさせます。
所で三井寺は、正式名称を「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい天台寺門宗の総本山です。
平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚により、天台別院として中興されました。 千二百年以上の歴史の中で、源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、智証大師への信仰に支えられ、苦難を乗り越え今日まで続いています。
長い趣のある階段を登りきると、観音堂に到着です。
観音堂は、西国三十三所観音霊場の第14番札所です。 後三条天皇(1034~73年)の病気平癒を祈願して延久4年(1072)に創建されたと伝えられ、その後、文明年間(1469~86年)に現在地に移されたが、貞享3年(1686)に焼失し、元禄2年(1689)に再建されました。
本尊は如意輪観音像(重要文化財)で、33年に一度に開帳される秘仏との事。
快晴の空の青が凄かった!
気候変動が激しいから冬でも「紺碧の空」と言っていいのですかね?
左が観月舞台で、観音堂前の広場からは大津市内が一望できます。
観音堂の参拝を終え、衆宝観音の前を通って「本家力餅」に。
ここの力持ちは三井寺内でしか買えないとかで、今回のお土産はここで「弁慶の力餅」を購入しました。(写真はレンズにゴミが付いた様です。)
(このお餅、黄な粉は青大豆と抹茶を混ぜた物の様で苦みがあり、餅は甘めで黄な粉との相性が良く本当に美味しかった。)
お土産も買ったし、
微妙寺の前を右に曲がり、金堂の方に約100m程進むと少し崩れかかった石橋の「村雲橋」を渡ります。
そして、村雲橋のすぐ先の左側の敷石の参道を進むと、4脚門を通って「唐院潅頂堂」や「三重塔」奥には「大師堂」を見る事が出来ました。
唐院は三井寺の開祖・智証大師の御廟として三井寺の中でも最も清浄な聖域だそうです。
又、三重塔は慶長6年(1601年)徳川家康が三井寺に寄進した仏塔だそうです。 もとは奈良県吉野の比蘇寺(現在の世尊寺)の東塔だったそうです。
三重塔等の前を通り、「一切経蔵」の前を通て、「弁慶の引き摺り鐘」に向かいます。
一切経蔵は三井寺唯一の禅宋様建築で、山口県国清寺(現在の洞春寺)の経蔵を、慶長7年(1602年)に毛利輝元によって移築されたとの事。
「弁慶の引き摺り鐘」を祀った「霊鐘堂」に到着です。
ここには弁慶が三井寺から奪って、比叡山に引き摺り上げたとの伝承の鐘と、弁慶の汁鍋が保管されています。
鐘は、「延暦寺と園城寺両門の争い」の頃に弁慶が延暦寺へ奪っていったが、撞いた所「イノーイノー(関西弁で帰りたい)」と響いた為弁慶は怒って谷底へ投げ捨て、園城寺に戻ったとの事。
霊鐘堂の裏を回り込む様に金堂の方に向かうと「閼伽井屋(あかいや)」がありました。
閼伽(あか)とは水のことで、仏に供える水や花を用意する施設が閼伽井屋との事。
閼伽井屋内に湧き出る霊泉は天智・天武・持統の三天皇の産湯に用いられたと伝えられ「三井寺」と言う名称の由来ともなったそうです。 建物は慶長5年(1600年)、建物正面上部の龍は左甚五郎の作。
閼伽井屋と金堂の間を通って金堂の前に出ました。
金堂にお参りし、更に金堂内の仏様の周りを一周する様に拝観、円空さんの粗削り仏像等を見る事が出来ました。
又、金堂の前には「三井の晩鐘」で有名な鐘楼がありました。
三井の晩鐘は1602年の再建で、宇治の平等院,高雄の神護寺と共に日本三銘鍾に数えられ、荘厳な音色は有名だそう。 この鐘は「弁慶の引き摺り鐘」の後継ぎとして豊臣家により鋳造されました。
鐘撞堂の隣に事務省の様な所があり。拝観料とは別に800円を払うと撞くことが出来ます。
(中国人の様な家族が鐘を撞いていました。)
で、金堂から仁王門に行こうとしましたが、閼伽井屋と金堂の間を通て金堂前に出た為に、仁王門の方に行く階段が見つからず、村雲橋の方迄戻ったりでうろうろしてしまいました。
金堂の東側に回ると大きな階段が見つかりました。
真っ赤なもみじすごいでしょ!!!
釈迦堂の前を通って仁王門へ。 釈迦堂の前では何故か手を合わせ一礼。
で、道に迷った挙句やっとの事「仁王門」に到着しました。
で、三井寺の見学も終え、最後の一枚を撮って京阪電車で京都のホテルに行こうと思ったが!
その最後の一枚がなんとカメラの電池切れ?! 充分に充電しておいたのに!!!
で、カメラのスイッチを切り、少し待ち再度スイッチON!
最後の一枚が、こちらです。
園城寺交差点から三井寺正門の「仁王門」を見た所です。
次回は京都三条大橋まで歩き、その前後に京都観光を計画しています。
次回は電池不足にならない様充電し、携帯用バッテリー等を持って、
・・・・ 春になったら行こう。
2024年 新年の挨拶 [日記]
滋賀県の琵琶湖疏水と三井寺見学 その1(琵琶湖疏水) [ 旅行 関西以西]
2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、次回で終了です。
で、東海道五十三次が終わってしまうとなかなか琵琶湖周辺には来られないかもと思い、東海道歩きはそこそこにして、今回彦根城の他題記琵琶湖疏水と三井寺を見てきました。
前日、彦根城を見学し、東海道五十三次を大津宿本陣跡からJR 山科駅迄歩き、約26000歩。
結構疲れたもののホテルでしっかり休む事が出来、元気に2日目の観光に入りました。
(まさに東海道五十三次ではなく、観光旅行の様相を呈して来ました。)
朝8時半頃にホテルを出て、京阪電車の「びわこ浜大津駅」から1つ先の駅「三井寺駅」に向かいます。(ホテルから琵琶湖疏水迄は充分に歩ける距離だったのかも!)
びわこ浜大津駅手前では路面電車の様な京阪電車に遭遇。
びわこ浜大津駅は橋上駅で、2階に上がると改札口の北東側に県道18号線をまたぐ様に歩道橋が伸びていました。 で、歩道橋の最先端迄行き、琵琶湖とその奥の山々を観光。
夏に観光した「伊吹山」は琵琶湖のズ~~ッと奥の方との事。琵琶湖の大きさを改めて実感。
伊吹山観光のページは右記; https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-08-08
京阪電車で三井寺駅に向いましたが、途中迄は路面電車の様に道路中央を走り、途中からは道路から離れ走行。 写真の先の方が三井寺駅。
三井寺駅は無人駅で、駅を出てまっすぐに琵琶湖疏水の最も琵琶湖側の取水場所に向かいました。 写真の奥は琵琶湖です。
琵琶湖疏水は、琵琶湖の水を滋賀県大津市から京都市へ流す為、明治時代に作られた水路(疏水,運河)です。 第1疏水は1890年に完成し、第2疏水は1912年に完成。
第1疏水は全長約20kmで、第二疏水は第1疏水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4kmで、両疏水を合わせ23.65m3/s(昭和61年値)を滋賀県大津市で取水しています。
着工当時多くの大規模工事は外国人技術者が関与していましたが、この琵琶湖疏水は設計から施工まですべての工程を日本人の手で担った、最初の事例となりました。
詳細は右記のページを参照願います; https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/story/
又、ウィキペディアのページは;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E7%96%8F%E6%B0%B4
下写真が琵琶湖疏水の「琵琶湖第一疏水揚水機場」です。 ここから京都に水を送ります。
所で最近、琵琶湖の水位が通常より約70㎝程下がっているとの事。 黄色矢印の水の跡がその証拠でしょうかね。
揚水機場を通った水は疏水の水道を流れていきます。
ちょうど紅葉(こうよう)の終盤で、紅葉(もみじ)の紅葉(こうよう)がすごかった。
青矢印先は京阪電車です。
ここ琵琶湖第一疏水の両岸は桜並木となっており、開花時期はさぞ賑わうのでしょう。
更に上流には琵琶湖第一疏水の遊覧船も停泊していました。
(遊覧船の運行はすでに終了し、来春運航再開との事でホームページを見て欲しいとの事。)
乗船予約のページは右記; https://biwakososui.jp/biwakososui/
で、第一疏水揚水機場からまっすぐに500mで「琵琶湖疏水第1トンネル東口」に到着。
ここからの琵琶湖第一疏水は山科迄(厳密には大津市と京都の境界付近)トンネルとなります。
琵琶湖疏水第1トンネル東口のすぐ上は変形のT字路になっており、三井寺の観音堂は琵琶湖疏水第1トンネルの真上の様で、T字路を右に行っても左に行っても観音堂に行ける様です。
私は右側に行き、三尾神社の鳥居を迂回して三井寺の総門から観音堂に向かいました。
大分長くなりますので、三井寺は「その2」とします。
とッ 書きつつもう一言だけ、
日本最古の水道は1545年以前に北条氏康が作った物の様で、小田原の早川から取水し小田原城下に送水した水道だそうです。 取水口付近は今でも見る事が出来ます。
「小田原早川上水」のウイキペディアのページは下記;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%97%A9%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%B0%B4
私も東海道五十三次歩きの時に見てきました。
その時の東海道歩きのページは右記;https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2010-10-17
滋賀県彦根市の彦根城 [ 旅行 関西以西]
2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、限りなく終盤に近く「もう終わってしまうのか! なんか寂しい様な!」と思い滋賀や京都の観光地を観光し、東海道はちょとしか歩かずに「東海道五十三次の終了」を先延ばしにしている様な!
そんな心理の中、今回は3か所もの名所旧跡を観光、その1つが「彦根城」の見学です。
彦根城は、井伊直継によって現在の滋賀県彦根市金亀町の彦根山に、井伊氏の拠点として元和8年(1622年)に築かれた平山城(標高50m)で、多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城です。
明治時代に入り廃城令で多くのお城が壊されたが彦根城は破却を免れ、天守と附櫓(つけやぐら)、多聞櫓(たもんやぐら)が国宝に指定されている他、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。
彦根城はJR彦根駅西側からも望め、西口広場には井伊直政の銅像もあります。
彦根駅西口から約600m、10分程でお堀ぞいの松並木「彦根城のいろは松」が右に見えます。 更に松並木を進み、「 彦根城 二の丸佐和口多聞櫓」わきを回り込むように進み、「彦根城 馬屋」の前をお堀ぞいに左に進むと「彦根城 表門橋」に出ます。
JR彦根駅から
彦根城のいろは松 二の丸佐和口多聞櫓
左写真の左側の橋が彦根城 表門橋。
彦根城にはお堀巡りの屋形船遊覧もある様です。 お堀の背後の建物は彦根城博物館と思う。
屋形船のホームページ https://www.yakatabune.info/
表門橋を渡り、発券所で入場券(800円)を購入し、城内に入って行きます。
確か120段と言われていたと思う緩めの階段を昇って行くと、次第にきつくなり立派な石垣が見え、「彦根城 廊下橋(落とし橋)」も見えて来ました。
「彦根城 廊下橋(落とし橋)」の下をくぐり、石垣を回り込むようにして廊下橋を渡り、「彦根城 天秤櫓」を通ります。
天秤櫓を通ってさらに上ると曲がり角左に「彦根城 時報鐘」があります。
この鐘は12代藩主井伊直亮が弘化元年(1844年)に鋳造した物で、当初城下北隅にあった為鐘の音がとどかず、現在地に移したとの事。 鐘は午前6時、9時、正午、3時、9時に付かれたとの事。
鐘の所を右に曲がって行き「彦根城 太鼓門櫓」を通って進むと天守閣の前庭に出ます。
天守前広場で、通り掛かりの方にひこにゃんを背後に記念写真を撮って頂きました。
次に天守閣内に入ります。
何処のお城もそうですが、階段は非常に急です。 金網越しに城下も見る事が出来ます。
で、天守閣内の職員の方に伺った所、何度もメンテをを行っているので、本当に建築当初の部材は3割位だろうとの事。
天守内の写真はひどいピンボケ・シャッターブレでした。 ごめん!
天守閣を出て名残惜しく振り返り、カシャ!
確か天秤櫓の下で天守閣に登った時の道と別れ、「彦根城 大手門橋」方向に下り、彦根城見学は終了です。
彦根城見学は、彦根駅を出発し、駅に戻る迄で約三時間でした。 その内約30分ほど昼食を取りましたので実質2時間半かも。
彦根駅に戻り改めて井伊直弼の銅像を見学、今回の東海道五十三次の出発地大津に向かいます。
で、ここで、彦根駅からの最初の写真に戻って頂きます。
空模様が大きく違います。 最初駅を降りた時は快晴に近い晴れ!
彦根城見学が終え駅に戻った時は今にも大雨になりそうな空模様。 風も冷たく!
でも大丈夫、kotobuki は心がけがいいから。 お天道様を信じます。
ブログの https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-12-11-1 を見てください!
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