SSブログ
 旅行 関西以西 ブログトップ
前の15件 | -

滋賀県の琵琶湖疏水と三井寺見学 その2 三井寺 [ 旅行 関西以西]

  
 2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、次回で終了です。
で、東海道五十三次が終わるとなかなか琵琶湖周辺には来られないかもと思い、東海道歩きはそこそこに彦根城の他、題記琵琶湖疏水と三井寺も見てきました。

 1日目は、彦根城を見学し、東海道五十三次を大津宿本陣跡からJR 山科駅迄歩きました。
2日目は前回のブログの様に早めにホテルを出て「琵琶湖疏水第1トンネル東口」迄を見学。

 「琵琶湖疏水第1トンネル東口」の上はT字路の様な道で、左に行っても三井寺の「観音堂」に行けますが、私は右に行き「三尾神社の山門を迂回する様に進み「総門」から入り、入山料600円を払い、左側の階段を上がり「三井寺の観音堂」に向かいました。

総門から入り、
blogDSCN8437.jpg

階段を昇って行くともみじの紅葉も終盤、真っ赤な紅葉と落ち葉が晩秋を感じさせます。
blogDSCN8439.jpg blogDSCN8440.jpg


 所で三井寺は、正式名称を「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい天台寺門宗の総本山です。
平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚により、天台別院として中興されました。 千二百年以上の歴史の中で、源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、智証大師への信仰に支えられ、苦難を乗り越え今日まで続いています。


 長い趣のある階段を登りきると、観音堂に到着です。
観音堂は、西国三十三所観音霊場の第14番札所です。 後三条天皇(1034~73年)の病気平癒を祈願して延久4年(1072)に創建されたと伝えられ、その後、文明年間(1469~86年)に現在地に移されたが、貞享3年(1686)に焼失し、元禄2年(1689)に再建されました。
本尊は如意輪観音像(重要文化財)で、33年に一度に開帳される秘仏との事。

快晴の空の青が凄かった!
気候変動が激しいから冬でも「紺碧の空」と言っていいのですかね?
blogDSCN8448.jpg

左が観月舞台で、観音堂前の広場からは大津市内が一望できます。
blogDSCN8447.jpg


観音堂の参拝を終え、衆宝観音の前を通って「本家力餅」に。
ここの力持ちは三井寺内でしか買えないとかで、今回のお土産はここで「弁慶の力餅」を購入しました。(写真はレンズにゴミが付いた様です。)
(このお餅、黄な粉は青大豆と抹茶を混ぜた物の様で苦みがあり、餅は甘めで黄な粉との相性が良く本当に美味しかった。)
blogDSCN8452.jpg


お土産も買ったし、
微妙寺の前を右に曲がり、金堂の方に約100m程進むと少し崩れかかった石橋の「村雲橋」を渡ります。
blogDSCN8454.jpg


 そして、村雲橋のすぐ先の左側の敷石の参道を進むと、4脚門を通って「唐院潅頂堂」や「三重塔」奥には「大師堂」を見る事が出来ました。
 唐院は三井寺の開祖・智証大師の御廟として三井寺の中でも最も清浄な聖域だそうです。
又、三重塔は慶長6年(1601年)徳川家康が三井寺に寄進した仏塔だそうです。 もとは奈良県吉野の比蘇寺(現在の世尊寺)の東塔だったそうです。

blogDSCN8455.jpg blogDSCN8457.jpg

blogDSCN8459.jpg


 三重塔等の前を通り、「一切経蔵」の前を通て、「弁慶の引き摺り鐘」に向かいます。
一切経蔵は三井寺唯一の禅宋様建築で、山口県国清寺(現在の洞春寺)の経蔵を、慶長7年(1602年)に毛利輝元によって移築されたとの事。
blogDSCN8468.jpg



「弁慶の引き摺り鐘」を祀った「霊鐘堂」に到着です。
ここには弁慶が三井寺から奪って、比叡山に引き摺り上げたとの伝承の鐘と、弁慶の汁鍋が保管されています。
 鐘は、「延暦寺と園城寺両門の争い」の頃に弁慶が延暦寺へ奪っていったが、撞いた所「イノーイノー(関西弁で帰りたい)」と響いた為弁慶は怒って谷底へ投げ捨て、園城寺に戻ったとの事。

blogDSCN8472.jpg

blogDSCN8474.jpg blogDSCN8476.jpg



 霊鐘堂の裏を回り込む様に金堂の方に向かうと「閼伽井屋(あかいや)」がありました。
閼伽(あか)とは水のことで、仏に供える水や花を用意する施設が閼伽井屋との事。
 閼伽井屋内に湧き出る霊泉は天智・天武・持統の三天皇の産湯に用いられたと伝えられ「三井寺」と言う名称の由来ともなったそうです。 建物は慶長5年(1600年)、建物正面上部の龍は左甚五郎の作。
blogDSCN8481.jpg


 閼伽井屋と金堂の間を通って金堂の前に出ました。
金堂にお参りし、更に金堂内の仏様の周りを一周する様に拝観、円空さんの粗削り仏像等を見る事が出来ました。

blogDSCN8483.jpg



 又、金堂の前には「三井の晩鐘」で有名な鐘楼がありました。
三井の晩鐘は1602年の再建で、宇治の平等院,高雄の神護寺と共に日本三銘鍾に数えられ、荘厳な音色は有名だそう。 この鐘は「弁慶の引き摺り鐘」の後継ぎとして豊臣家により鋳造されました。
 鐘撞堂の隣に事務省の様な所があり。拝観料とは別に800円を払うと撞くことが出来ます。
(中国人の様な家族が鐘を撞いていました。)

bloggDSCN8488.jpg


 で、金堂から仁王門に行こうとしましたが、閼伽井屋と金堂の間を通て金堂前に出た為に、仁王門の方に行く階段が見つからず、村雲橋の方迄戻ったりでうろうろしてしまいました。
金堂の東側に回ると大きな階段が見つかりました。

真っ赤なもみじすごいでしょ!!! 
blogDSCN8500.jpg


釈迦堂の前を通って仁王門へ。 釈迦堂の前では何故か手を合わせ一礼。
blogDSCN8505.jpg



で、道に迷った挙句やっとの事「仁王門」に到着しました。
blogDSCN8508.jpg



 で、三井寺の見学も終え、最後の一枚を撮って京阪電車で京都のホテルに行こうと思ったが!
その最後の一枚がなんとカメラの電池切れ?!  充分に充電しておいたのに!!!

 で、カメラのスイッチを切り、少し待ち再度スイッチON!

 最後の一枚が、こちらです。
園城寺交差点から三井寺正門の「仁王門」を見た所です。 

blogDSCN8509.jpg


 次回は京都三条大橋まで歩き、その前後に京都観光を計画しています。
次回は電池不足にならない様充電し、携帯用バッテリー等を持って、 

  ・・・・ 春になったら行こう。


nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

滋賀県の琵琶湖疏水と三井寺見学 その1(琵琶湖疏水) [ 旅行 関西以西]

   
 2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、次回で終了です。
で、東海道五十三次が終わってしまうとなかなか琵琶湖周辺には来られないかもと思い、東海道歩きはそこそこにして、今回彦根城の他題記琵琶湖疏水と三井寺を見てきました。

 前日、彦根城を見学し、東海道五十三次を大津宿本陣跡からJR 山科駅迄歩き、約26000歩。
結構疲れたもののホテルでしっかり休む事が出来、元気に2日目の観光に入りました。
(まさに東海道五十三次ではなく、観光旅行の様相を呈して来ました。)


 朝8時半頃にホテルを出て、京阪電車の「びわこ浜大津駅」から1つ先の駅「三井寺駅」に向かいます。(ホテルから琵琶湖疏水迄は充分に歩ける距離だったのかも!)

びわこ浜大津駅手前では路面電車の様な京阪電車に遭遇。
blogDSCN8390.jpg

 びわこ浜大津駅は橋上駅で、2階に上がると改札口の北東側に県道18号線をまたぐ様に歩道橋が伸びていました。 で、歩道橋の最先端迄行き、琵琶湖とその奥の山々を観光。
 夏に観光した「伊吹山」は琵琶湖のズ~~ッと奥の方との事。琵琶湖の大きさを改めて実感。 
 伊吹山観光のページは右記; https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-08-08

blogDSCN8398.jpg


 京阪電車で三井寺駅に向いましたが、途中迄は路面電車の様に道路中央を走り、途中からは道路から離れ走行。 写真の先の方が三井寺駅。
blogDSCN8403.jpg 


 三井寺駅は無人駅で、駅を出てまっすぐに琵琶湖疏水の最も琵琶湖側の取水場所に向かいました。 写真の奥は琵琶湖です。

 琵琶湖疏水は、琵琶湖の水を滋賀県大津市から京都市へ流す為、明治時代に作られた水路(疏水,運河)です。 第1疏水は1890年に完成し、第2疏水は1912年に完成。
 第1疏水は全長約20kmで、第二疏水は第1疏水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4kmで、両疏水を合わせ23.65m3/s(昭和61年値)を滋賀県大津市で取水しています。
着工当時多くの大規模工事は外国人技術者が関与していましたが、この琵琶湖疏水は設計から施工まですべての工程を日本人の手で担った、最初の事例となりました。
 詳細は右記のページを参照願います; https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/story/
 又、ウィキペディアのページは;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E7%96%8F%E6%B0%B4

blogDSCN8418.jpg


 下写真が琵琶湖疏水の「琵琶湖第一疏水揚水機場」です。 ここから京都に水を送ります。
blogDSCN8417.jpg


 所で最近、琵琶湖の水位が通常より約70㎝程下がっているとの事。 黄色矢印の水の跡がその証拠でしょうかね。
bloggDSCN8417.jpg



 揚水機場を通った水は疏水の水道を流れていきます。
ちょうど紅葉(こうよう)の終盤で、紅葉(もみじ)の紅葉(こうよう)がすごかった。
青矢印先は京阪電車です。
blogDSCN8413.jpg

ここ琵琶湖第一疏水の両岸は桜並木となっており、開花時期はさぞ賑わうのでしょう。
blogDSCN8431.jpg

 更に上流には琵琶湖第一疏水の遊覧船も停泊していました。
(遊覧船の運行はすでに終了し、来春運航再開との事でホームページを見て欲しいとの事。)
 乗船予約のページは右記; https://biwakososui.jp/biwakososui/
blogDSCN8432.jpg

 で、第一疏水揚水機場からまっすぐに500mで「琵琶湖疏水第1トンネル東口」に到着。
ここからの琵琶湖第一疏水は山科迄(厳密には大津市と京都の境界付近)トンネルとなります。
blogDSCN8436.jpg


 琵琶湖疏水第1トンネル東口のすぐ上は変形のT字路になっており、三井寺の観音堂は琵琶湖疏水第1トンネルの真上の様で、T字路を右に行っても左に行っても観音堂に行ける様です。
私は右側に行き、三尾神社の鳥居を迂回して三井寺の総門から観音堂に向かいました。

 大分長くなりますので、三井寺は「その2」とします。

 とッ 書きつつもう一言だけ、
  日本最古の水道は1545年以前に北条氏康が作った物の様で、小田原の早川から取水し小田原城下に送水した水道だそうです。 取水口付近は今でも見る事が出来ます。
「小田原早川上水」のウイキペディアのページは下記;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%97%A9%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%B0%B4

私も東海道五十三次歩きの時に見てきました。
 その時の東海道歩きのページは右記;https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2010-10-17

nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

滋賀県彦根市の彦根城 [ 旅行 関西以西]

  
 2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、限りなく終盤に近く「もう終わってしまうのか! なんか寂しい様な!」と思い滋賀や京都の観光地を観光し、東海道はちょとしか歩かずに「東海道五十三次の終了」を先延ばしにしている様な! 

 そんな心理の中、今回は3か所もの名所旧跡を観光、その1つが「彦根城」の見学です。

 彦根城は、井伊直継によって現在の滋賀県彦根市金亀町の彦根山に、井伊氏の拠点として元和8年(1622年)に築かれた平山城(標高50m)で、多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城です。
 明治時代に入り廃城令で多くのお城が壊されたが彦根城は破却を免れ、天守と附櫓(つけやぐら)、多聞櫓(たもんやぐら)が国宝に指定されている他、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。


 彦根城はJR彦根駅西側からも望め、西口広場には井伊直政の銅像もあります。
 彦根駅西口から約600m、10分程でお堀ぞいの松並木「彦根城のいろは松」が右に見えます。 更に松並木を進み、「 彦根城 二の丸佐和口多聞櫓」わきを回り込むように進み、「彦根城 馬屋」の前をお堀ぞいに左に進むと「彦根城 表門橋」に出ます。

JR彦根駅から
blogDSCN8228.jpg

彦根城のいろは松              二の丸佐和口多聞櫓
blogDSCN8237.jpg blogDSCN8239.jpg 


左写真の左側の橋が彦根城 表門橋。
彦根城にはお堀巡りの屋形船遊覧もある様です。 お堀の背後の建物は彦根城博物館と思う。
 屋形船のホームページ https://www.yakatabune.info/

blogDSCN8242.jpg blogDSCN8243.jpg


 表門橋を渡り、発券所で入場券(800円)を購入し、城内に入って行きます。
確か120段と言われていたと思う緩めの階段を昇って行くと、次第にきつくなり立派な石垣が見え、「彦根城 廊下橋(落とし橋)」も見えて来ました。

blogDSCN8245.jpg

blogDSCN8246.jpg


「彦根城 廊下橋(落とし橋)」の下をくぐり、石垣を回り込むようにして廊下橋を渡り、「彦根城 天秤櫓」を通ります。

blogDSCN8249.jpg

blogDSCN8253.jpg


 天秤櫓を通ってさらに上ると曲がり角左に「彦根城 時報鐘」があります。
この鐘は12代藩主井伊直亮が弘化元年(1844年)に鋳造した物で、当初城下北隅にあった為鐘の音がとどかず、現在地に移したとの事。 鐘は午前6時、9時、正午、3時、9時に付かれたとの事。

blogDSCN8258.jpg


鐘の所を右に曲がって行き「彦根城 太鼓門櫓」を通って進むと天守閣の前庭に出ます。

blogDSCN8260.jpg

blogDSCN8262.jpg



天守前広場で、通り掛かりの方にひこにゃんを背後に記念写真を撮って頂きました。

blogDSCN8267.jpg


 次に天守閣内に入ります。
何処のお城もそうですが、階段は非常に急です。 金網越しに城下も見る事が出来ます。
で、天守閣内の職員の方に伺った所、何度もメンテをを行っているので、本当に建築当初の部材は3割位だろうとの事。

blogDSCN8268.jpg blogDSCN8270.jpg

天守内の写真はひどいピンボケ・シャッターブレでした。 ごめん!
blogDSCN8272.jpg


天守閣を出て名残惜しく振り返り、カシャ!
blogDSCN8280.jpg


 確か天秤櫓の下で天守閣に登った時の道と別れ、「彦根城 大手門橋」方向に下り、彦根城見学は終了です。
 彦根城見学は、彦根駅を出発し、駅に戻る迄で約三時間でした。 その内約30分ほど昼食を取りましたので実質2時間半かも。

blogDSCN8284.jpg



彦根駅に戻り改めて井伊直弼の銅像を見学、今回の東海道五十三次の出発地大津に向かいます。
bloggDSCN8294.jpg



 で、ここで、彦根駅からの最初の写真に戻って頂きます。

空模様が大きく違います。 最初駅を降りた時は快晴に近い晴れ!
彦根城見学が終え駅に戻った時は今にも大雨になりそうな空模様。 風も冷たく!

でも大丈夫、kotobuki は心がけがいいから。 お天道様を信じます。

ブログの https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-12-11-1 を見てください!


nice!(9)  コメント(3) 
共通テーマ:旅行

JTBの京都迎賓館の貸し切り見学ツアーに参加。 その3 [ 旅行 関西以西]

       
 JTBの「京都迎賓館特別貸切参観と冬の古都」と言うツアーの3日目のレポートです。

 このツアーは、当初応募が多くキャンセル待ちになっていましたが、1月末に参加可能との連絡があり、先日参加して来ました。
 一日目の「知恩院と清水寺」の参観は前々回のレポートの様で、
 二日目は京都御所周辺を散策、そして京都迎賓館・仁和寺を参観し、 前回のレポートの通り 。

 3日目は9時半にホテルを出て、ホテル近くの西本願寺に参拝です。


 朝起きてホテルの窓から外を見ると京都の屋根と言う屋根は真っ白に変わっていました。
前日夜の予報で、もしかして雪かもと思ってはいましたが本当に雪になってしまいました。

blogDSCN6491.jpg


 この日がツアーの最終日の為、ホテルのチェックアウトを済ませ、9時半にロビーに集合。 旅行の荷物をバスに預けて、集団で西本願寺迄歩いて行きました。


 西本願寺へは北側駐車場の門から入り、阿弥陀堂,御影堂の前を通って龍虎殿(寺の受付や待合室に相当)に入り、寺の中を案内してくれる方が来るのを待まちました。

阿弥陀堂や御影堂の屋根は雪でうっすらと白くなっています。
blogDSCN6492.jpg

 で、お寺の方に西本願寺の内部を説明しながら案内して頂き、また確か御影堂でだったと思いますが20分近く寺の歴史などを説明して頂きました。 寒かった~~~


下は阿弥陀堂門から見た御影堂です。
 丁度この時は雪がボタン雪が激しく降り、雪がカメラに付き、写真には大小の白い点が一杯写っていました。
blogDSCN6501.jpg

下は阿弥陀堂門から見た阿弥陀堂です。
 天候はめまぐるしく変わり青空も見えます。
blogDSCN6499.jpg

阿弥陀堂から見た阿弥陀堂門です。
修学旅行の学生が一杯です。 私も59年前に修学旅行で伊勢志摩・京都・奈良に来ました。
blogDSCN6498.jpg


御影堂前の「逆さ銀杏」です。
 銀杏は一般的には、上に上にとまっすぐに伸びますが、この銀杏は木の根の様に横に広がっているので「逆さ(上が根の様)銀杏」と言われているそうです。 また本願寺に火災があった時にはこの銀杏から水が噴き出し火を消したとの言い伝えから「水吹き銀杏」とも言われているそうです。
DSCN6497.JPG


 又、御影堂の廊下からは飛雲閣も望む事が出来ました。
blogDSCN6496.jpg



 西本願寺は東本願寺と共に世界的にも有名な大きい木造建築だそうで、西本願寺の方は「御影堂や阿弥陀堂の太い柱が大きな庇(ひさし)を支えており、この太い柱が建物が長持ちしている要因」と仰っていました。 確かに柱は太く本数も多かった。

 で、西本願寺の見学が終わり、駐車場からバスに乗り京都駅に。
京都駅では自由行動で、私は昼食に「ビュッヘスタイルで京都の漬物が食べられる和食御膳」を頂き、後はウインドーショッピングでした。


 で、新幹線で横浜に帰り、久しぶりに楽しく勉強になった旅行の余韻を感じつつ、旅行疲れを取ろうと新横浜に一泊して帰宅となりました。


 JTBのスタッフの方々、その他関係者の方々、お世話になり本当に有難うございました。

 今年中には私の「東海道五十三次」も完歩となる予定で、その時はまたゆっくり京都見学をさせて頂きます。



nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

JTBの京都迎賓館の貸し切り見学ツアーに参加。 その2 [ 旅行 関西以西]

       
 JTBの「京都迎賓館特別貸切参観と冬の古都」と言うツアーの2日目ついてのレポートです。

 このツアーは、当初応募が多くキャンセル待ちになっていましたが、1月末に参加可能との連絡があり、先日参加して来ました。
 一日目の「知恩院と清水寺」の参観は前回のレポートの様で、
 二日目は京都御所周辺を散策、そして京都迎賓館に。 その後仁和寺に移動し参観。
  更に伝統工芸士の下出祐太郎先生の蒔絵や螺鈿細工の特別公演がありました。


 で、2日目は9時にホテルを出て、京都御所の駐車場に到着。
 御所周辺を散策しました。 残念ながら御所には入れません。

下写真は京都御所の南西角です。
blogDSCN6390.jpg

南側の建礼門です。
blogDSCN6393.jpg

東側の建春門です。
blogDSCN6399.jpg

京都御所の北東角、猿ヶ辻です。
 この角は御所の表鬼門にあたり、塀も直角に交差せず変形して作られていました。
blogDSCN6405.jpg

 又、この角には烏帽子をかぶった猿(黄色矢印先)が彫られております。 その猿は「御所の鬼門を守る日吉山王神社の使者だそうですが、夜になると付近をうろつきいたずらをした為、金網をはって閉じ込められた」と言われています。
blogDSCN6404.jpg

北側の朔平門です。
blogDSCN6408.jpg

西側の宜秋門です。
blogDSCN6417.jpg

 京都御所は広く一周するだけで30分以上かかりってしまいました。
今回は塀の外から中を想像するだけで、次回は塀の中を見学したいと思います。



 次は私にとっての大本命、「京都迎賓館の参観」です。

 京都迎賓館は、
 平成14年(2002年)3月 京都御苑内に建設工事開始, 平成17年(2005年)4月 開館,
 平成28年7月からは迎賓館を通年公開
 京都迎賓館のホームページ ; https://www.geihinkan.go.jp/kyoto/


 京都迎賓館は御所の隣ですが公園内の為か一旦バスに乗り街中に出てグルっと回って、迎賓館の正門から中に入りました。
迎賓館の入り口(中央の黒い扉)を内側から見た所です。

blogDSCN6419.jpg


 バスから降り15名ずつの班に分かれ、セキュリティチェックを受け、上履きに履き替え、迎賓館の職員の方の説明を聞きながら各所各部屋を案内して頂きました。

正面玄関の扉を開けて頂きました。 さァ! 念願の京都迎賓館です。
玄関は日本らしく引き戸で、樹齢700年の福井県産欅の一枚板を使用しています。
又、引手は銅製で、京都の組紐をモチーフにして絆の意を込めたシンプルなデザインの「有線七宝(ゆうせんしっぽう)」が施されています。

blogDSCN6420.jpg

blogDSCN6422.jpg


 玄関を入って、ゲストの控室等に使われる「聚楽の間」を通り、最初の大きな部屋は
「夕映の間」です。
 東西の壁面を飾る織物は「日本画家の箱崎睦昌(むつまさ)の下絵を基に「綴織り」という技法で織った物です。

 絵の内容は、
「比叡月映」は京都の東にそびえる比叡山を月が照らす様を、
blogDSCN6427.jpg

「愛宕夕照」は京都の西に連なる愛宕山に夕日が沈む様を描いているとの事。
blogDSCN6428.jpg

夕映の間の中から見た庭園です。
池にはネビキグサを植えて水田を模しており、奥の橋は東西の建物をつなぐ橋です。

blogDSCN6431.jpg



次の部屋は「藤の間」で、京都迎賓館の中では最も大きな部屋だそうです。
 (藤の花言葉は歓迎で、迎賓館に相応しい部屋の名です。)
 壁面絵は、日本画家の鹿見喜陌(しかみ きよみち)の「麗花」という作品を基に綴織りの技法で織った織物で、39種類の草花が織り込まれ、床の緞通は壁面装飾に描かれた「藤の花」が舞い散った様子を表現しているとの事。
 又、天井の照明は、本美濃紙と京指物の伝統的技能で作られた格子光天井になっており、連凧の様な3段の笠は高さが 15種類ものパターンに調節出来るそうです。
他にも舞台装置等伝統技法で製作された施設が色々ありました。

blogDSCN6435.jpg

blogDSCN6433.jpg


次の部屋は「桐の間」です。
桐の間は、随所に「五七の桐」を配した和食を提供する「和の晩餐室」です。 
「五七の桐」は、昔は皇室の裏紋として使用されていましたが、現在は、日本国政府の紋章として使用されています。
 テーブルは全長12メートルの漆の一枚仕上げで鏡の様に庭の緑や天井を写します。
又、漆塗りの座椅子の背には「五七の桐」の蒔絵が施され、桐の葉の色は微妙に異なり同じ模様の椅子は一つもないとの事。 更に正座に慣れないお客様の為に掘り炬燵式となっています。
(掘りごたつの様な部屋の使い方と言うか施設は日本独特のアイデアだと思います。)

blogDSCN6445.jpg

blogDSCN6447.jpg


桐の間に置かれていた螺鈿細工等が施された素晴らしい鏡台で、私は感動しました。
bloggDSCN6441.jpg


 次は、東西の建物をつなぐ、開放感のある廊橋です。
下写真は夕映えの間から庭園で、奥中央に見えるのが廊橋です。
blogDSCN6429.jpg

廊橋の天井は、船底を逆さにしたような形で、中央部が高く、両端が低くなった「船底天井」で、吉野杉を使用し、四隅には昆虫の透かし彫りが施されています。
blogDSCN6455.jpg bloggDSCN6457.jpg

廊橋から見た、廊橋北側の池です。
blogDSCN6454.jpg

海外からの賓客に、和舟に乗って池を散策、日本の文化「舟遊び」も楽しむ事が出来ます。
blogDSCN6463.jpg


他に水をテーマにしたお部屋がありましたが、ここは撮影禁止との事で詳細は記しません。


上写真の和舟を見た後は正面玄関に戻り建物の外に出ました。
外では京都迎賓館の参観記念のグッツも販売もされていました。
blogDSCN6464.jpg


今回のツアーで最も期待していた迎賓館参観は終了してしまいました。
なんといっても今も息づく和の伝統技法に圧倒されました
 外国から来られた多くの賓客がきらびやか(キンキラキン)では無く、一見質素に見えるしっかりした作りの日本の伝統技法の凄さを解って欲しい。


 参観を終わった時にはお昼の時間に限りなく近いが、再度バスに乗り仁和寺に向かいます。

 仁和寺には駐車場の関係か東門から入りましたが、まずは表門にあたる「二王門」から。
 知恩院では門を「三門」と言いましたが、ここは「二王門」言うそうで、とも角ここも大きな門で京都3大門の一つとの事。
blogDSCN6484.jpg


 寺には「本坊表門」から入り、南庭に出ると瓦屋根の「仁和寺白書院」檜皮葺きの「宸殿」の前に出ます。
blogDSCN6473.jpg


 又、南庭では本坊表門の外から見えていた「勅使門」を内側からも見る事が出来ました。

外からの勅使門                内側からの勅使門
blogDSCN6468.jpg blogDSCN6472.jpg


で、今回仁和寺で「特別公開されたのは 御殿・庭園」、下写真は宸殿から見た庭園です。
blogDSCN6474.jpg


さらに奥に進み「霊明殿」も見学させていただきました。
blogDSCN6479.jpg


 所で、藤井聡太さんの第35期竜王戦はここ仁和寺の宸殿でも行われました。
blogDSCN6476.jpg


で、御所の見学を早めに終え、速足で奥の五重の塔も見学させていただきました。
この塔も大きな建物で、なんとなく奈良 興福寺の五重塔を思い出しながら見学させて頂きました。
blogDSCN6489.jpg


 で、仁和寺の見学を終え、仁和寺の門前にある「佐近」さんで遅い昼食となりました。
 遅い昼食とはいえ、京都御所や迎賓館等素晴らしい施設を見学させて頂いた結果遅くなったもので、気分は満腹 お腹がすいたと言う感覚は無かった。
それだけ素晴らしい施設を見学させて頂いた証拠で、JTBをはじめスタッフの皆さんに感謝です。


 佐近さんで昼食後、バスに乗り京都ガーデンパレスで、他のツアーさん方と共に「下出佑太郎先生の特別公演」を聞きました。
 公演は世界の漆の分布に始まり、各国の漆の使い方や日本の螺鈿細工,蒔絵等多義にわたる講話でした。


 で、二日目の夕食は「和食」でしたが、これが美味しかった。
一日目の食事も美味しかったのですが、それを上回り美味しく贅沢な気分にさせて頂きました。

 JTBのスタッフの方々、他関係した方々本当に有難うございます。


nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

JTBの京都迎賓館の貸し切り見学ツアーに参加しました。 その1 [ 旅行 関西以西]

 
 JTBの「京都迎賓館特別貸切参観と冬の古都」と言うツアーに参加してきました。

 このツアーは、昨年リーフレットが郵送されて来た後1週間位の内に申し込みましたが、既に多くの方がキャンセル待ちになっていますとの事でした。 従ってほとんどあきらめながらも一応キャンセル待ちを選択。
 で、1月末にJTBから「参加出来る様になりました」との連絡で「ヤッタ! やったァー!」の心境で参加を申し込み、先日行ってきました。

 新横浜から新幹線で京都へ、
 一日目は知恩院と清水寺を参観
 二日目は京都御所周辺を散策、そして京都迎賓館に。 
  京都迎賓館では15名ずつのグループに分かれセキュリティチェックの後、職員の方が
  グループ毎に迎賓館の内部を説明・案内して頂きました。 その後仁和寺に移動し参観。
  更に、伝統工芸士の下出祐太郎先生の蒔絵や螺鈿細工の特別公演がありました。
 三日目は雪降る中で西本願寺を参観



 で、新幹線に乗って京都に出発進行!(東海道五十三次のゴールを先にしたかったのだが!)

blogDSCN6353.jpg



 で、一日目の知恩院。  知恩院のホームぺ―ジ ; https://www.chion-in.or.jp/

 ともかく大きな門で、一般的に寺院の門を「山門」と書くが知恩院では「三門」と書き、三解脱門(空門・無相門・無作門)の意味を持つとの事。 この三門は二代将軍徳川秀忠公の寄進で(1621年)建てられ、桁行(基礎の幅相当)26.6m,高さ23.8m。
blogDSCN6355.jpg

下写真は「御影堂」です。
blogDSCN6359.jpg

御影堂の奥の特別公開されている大方丈・小方丈・方丈庭園も見学させて頂きました。
blogDSCN6361.jpg



 続いて清水寺を参拝。 何年振りだろうか? いや何十年ぶりに来ました。

 仁王門から入り、特別公開中の成就院と庭園を案内人の説明を聞きながら見学。
 成就院の庭は小さいながら「月の庭」と呼ばれ有名だそうです。 残念ながら写真を撮ってなかったので清水寺の下記ページを参照願います。
   https://www.kiyomizudera.or.jp/event/jojuin.php

 で、舞台のある清水寺の方に移動。
 下写真の背景に見える「阿弥陀堂(空色矢印)」の状況からも分かる様に、有名観光地だった事もありごった返す程の混雑でした。 又、聞きしに勝る外国人の多さでもありました。
bblogDSCN6371.jpg

blogDSCN6379.jpg

 見学時間はそれほどなかったのですが、足早に拝観ルートを一周し、音羽の滝も見学させて頂きました。 音羽の滝は以前から見学したいと思っていた所で、清水寺発祥の地だそうで、滝を流れる清水がまさに「清水寺」という名前の由来ともなっているそうです。
 (尚、写真を撮りはぐれたのですが、清水の舞台から阿弥陀堂を過ぎ100m弱の所に「清水の舞台と三重の塔」が一枚の写真に入る場所があり、何とか映えする景色かと思います。)
blogDSCN6382.jpg



 で、一日目の見学は終了。
 ホテルでの夕食は洋風で本当においしかった。
 ただ白ご飯が軟らかく私には合わず、ちょっと減点かな。

 続けて京都御所や京都迎賓館を書き始めたら「表現力のない私」は延々と記事が続いてしまいそうで、取合えず日ごとに区切り3回のレポートにする事にします。


nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

滋賀県湖南市の「うつくし松」 [ 旅行 関西以西]

 
 2022年9月25・26日に旧東海道を歩いた時に滋賀県湖南市平松の「うつくし松自生地」を見学させて頂きました。

 場所は滋賀県のJR甲西(こうせい)駅南口から南西方向に道なりに歩き、約1.2kmの所に有ります。
 下写真は県道4号線の家棟川(やむねがわ)に架かる橋から「うつくし松自生地」方向を見た所で、うつくし松の自生地は手前の山(空色の矢印)と奥の山(黄色矢印)の間で緑矢印付近に有るそうです。

blogDSCN5258.jpg


 で、JR甲西駅から約300mで旧東海道と家棟川とが交差しますが、東海道の橋の三雲側袂には下の様な掲示板があり、

blogDSCN5184.jpg


 新しい道を山の方向に歩き橋を渡った左手(うつくし松の掲示板から約100m)には「うつくし松自生地」の白い案内板(下左写真)があり、小さなうつくし松が植えられていました。 更に道なりに進むと右手には「うつくし松育成事業」との看板(下右写真)がありました。
(うつくし松自生地の掲示板には実生(種から育てる)で育てているとの説明がありました。)

DSCN5188.JPG DSCN5189.JPG


 更に進むとゴルフ練習場の脇を通り大きく右に曲がると左手に南照寺と松尾神社前に出ます。
下写真は松尾神社の境内の模様で、下の掲示板「民話 うつくし松の伝説」に出てくる神社です。

blogDSCN5192.jpg


 更に道なりに大きく左に曲がりながら坂を上って行くと右に池があり、駅から約1.0kmで左に戸建ての団地脇に出ます。
 坂を上る途中の山肌には私は初めて見るシダが生えており、また、池の奥には株立ちの「うつくし松」が生えていました。
blogDSCN5194.jpg blogDSCN5195.jpg



 団地から約200mで右に野球場が出来る程の大きな広場があり、この広場の奥が「うつくし松」の自生地です。

blogDSCN5196.jpg


 上写真の様にこの地に関する多くの掲示板が掲示されており、その幾つかを紹介します。
  (写真をクリックすると拡大表示されます)

うつくし松の概要
blogDSCN5201.jpg

うつくし松自生地の概要と保護活動
blogDSCN5206.jpg

民話 うつくし松の伝説
blogDSCN5202.jpg


 で、私の撮った「うつくし松」です。
                        「うつくし松」の株立ちの様子
blogDSCN5214.jpg blogDSCN5217.jpg

 奥の方の山肌には小さな「うつくし松」が植えられています。
blogDSCN5211.jpg blogDSCN5209.jpg


 掲示板等やネット上の説明では、最近は下写真の様に「株立ちでない一般的な赤松(黄色矢印)」が増え「株立ちのうつくし松」が脅かされており、一般的な赤松を減らし「うつくし松の苗木」を植えているそうです。

blohSCN5200.jpg


 この地区の山肌に、下の様な立派な「うつくし松」が生い茂る事を願っています。

 地元の保存に尽力されている皆さん、本当にご苦労様です。

 素敵な松を見させて頂き、本当に有難う御座いました。

blogDSCN5198.jpg

===================================================================

何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ           にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ          にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ
 

nice!(19)  コメント(2) 
共通テーマ:旅行

お城や芭蕉の生家等々, 伊賀市上野のサイクリングツアー その2 [ 旅行 関西以西]

  
 10月初め、東海道五十三次の関宿から坂下宿まで歩き、翌日は鈴鹿峠越えをと思っていましたが、天気予報では鈴鹿峠付近は雨との事。 やむおえず東海道歩きを断念!

 鈴鹿峠が雨の場合にはと事前に準備しておいた伊賀市の上野地区を観光する事にし、前回のブログの様に伊賀上野城や松尾芭蕉の生家等を見学しました。 今回は自転車で回った「伊賀国分寺跡」や「仇討の鍵屋辻」・「旧小田小学校本館」等を見学、レポートします。


 松尾芭蕉の生家から南東方向に自転車をこぎ約3km、「伊賀国分寺」入り口に到着。

 国分寺は、8世紀の奈良時代に国家安泰や疫病の退散を願って、律令体制下の各国に建てられた寺院で、国分僧寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)の2寺を指します。
 伊賀国分寺は伊賀国に建てられた寺で、東西220m,南北240mの土塁状遺構に囲まれ、中心伽藍である中門・金堂・講堂は南北に一直線に並んで建てられていました。
又、伊賀国分寺跡の東方数百メートルには国分尼寺跡と推定される長楽山廃寺跡も有ります。

伊賀国分寺跡入り口
blogDSCN9080.jpg

内部は雑草生い茂る原っぱの様でしたが、寺院跡の周囲には舗装された周回路があり、主な建物跡には建物の名称が表示されていました。
blogDSCN9082.jpg blogDSCN9086.jpg

 寺院の中心部だけは入る事が出来る様に草が刈られ、大正時代に建てられたと思われる「内務省」と書かれた石碑,そのわきには「講堂跡」の立札が有りました。
blogDSCN9089.jpg



 磐田市の遠江国分寺跡や鈴鹿市の伊勢国分寺跡は雑草を刈り、きちんと手入れされていた事からも、がっかりしながら次の「鍵屋辻」に向かいました。 
鍵屋辻は伊賀上野地区の西の端小田町にあり、南東端の国分寺跡からは街を横断し約4km。

 「鍵屋辻」は、曾我兄弟の仇討ち、赤穂浪士の討ち入りと並んで、日本三大仇討ちに数えられ、荒木又右衛門と渡辺数馬が仇である河合又五郎を討ち取った所で、「荒木又右衛門 鍵屋辻の決闘」として小説や映画,ドラマの舞台となりました。
伊賀越資料館では、鍵屋辻の決闘に関する様々な資料が保管されている様ですが、休館となっていました。

黄緑矢印の先には「数馬茶屋」、黄色矢印の先には「伊賀越資料館(休館中)」が有りました。
blogDSCN9096.jpg



 で、最後の目的地は「旧小田小学校本館」です。

 旧小田小学校本館は、明治14年(1881年)に建てられ、現存する小学校校舎としては三重県で最も古い建物です。
 木造洋風二階建てで、寄棟造り、屋根は桟瓦葺、延べ274m²あり、昭和50年に三重県の有形文化財に指定され、平成2年から5ヶ年の解体調査及び復元保存工事も行われた。
 正面ポーチはエンタシス風の柱(下部又は中央部から上が細くなった柱)を用い、玄関入り口上部には龍の彫刻がはめ込まれています。 見学は大人100円です。

blogDSCN9105.jpg

blogDSCN9107.jpg


 伊賀市上野地区には多くの名所旧跡があり、今回はレンタル自転車を借りその幾つかを見学をさせて頂きました。
1つの街や地域内の複数の観光地を回るには自転車は便利グッツナンバーワンでした。

===================================================================

何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ           にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ          にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ



nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

お城や芭蕉の生家等々 伊賀市上野のサイクリングツアー その1 [ 旅行 関西以西]

    
 10月初めの事、東海道五十三次の関宿から坂下宿まで歩き、翌日は鈴鹿峠を越えて「土山宿」と思っていましたが、当日朝迄の天気予報では坂下宿や土山宿付近の昼間は雨との事。
 やむおえず東海道歩きを断念、雨の場合にはと事前に準備していた伊賀市の上野地区を観光する事にしました。


 朝8時3分に亀山駅から関西本線で伊賀上野駅まで行き、伊賀上野駅から伊賀線に乗り上野市駅に9時2分到着。 亀山からの距離の割に時間がかかった。 しかも電車の本数が少ないので乗り遅れると確実に予定変更を迫られる。

blogDSCN8987.jpg blogDSCN8991.jpg


 とは言え当初計画の通りに上野市駅に到着、駅前の地面は濡れていた物の雨は降っておらず、駅前の「石井サイクル」により電動アシストのレンタル自転車を予約しました。
 石田サイクルさんのホームページ http://ishidacycle.com/index.php?FrontPage


 最初は歩いて伊賀上野城や忍者館のある上野公園を見学。
上野市駅前から北側に歩き「だんじり会館」前の交差点から左の上野公園に入って行きます。

 観光案内所の前を通って最初に「芭蕉翁記念館」に寄り、時間の関係で入り口を覗くだけ。 下写真右が芭蕉の歩いた軌跡で芭蕉は本当に多くの地を回ったんだ と感心です。
blogDSCN9001.jpg blogDSCN8997.jpg


 芭蕉翁記念館から「伊賀流忍者博物館」によって見ました。 ここも時間の都合から、職員の方と少しお話をして、外観のみの見学としました。
blogDSCN9002.jpg


 伊賀流忍者博物館の隣は「俳聖殿」です。
俳聖殿は、1942年に松尾芭蕉生誕300年を記念して建設された木造建築物で、殿内に伊賀焼の芭蕉座像が安置されており、国重要文化財に指定されているとの事。

俳聖殿の入り口です。            
雨上がりで、苔の緑が綺麗でした。      俳聖殿です。
blogDSCN9010.jpg blogDSCN9011.jpg


次は伊賀上野城です。

 伊賀上野城は、三重県伊賀市にある平山城。白鳳城とも言われている。
平清盛が建て伊賀天正の乱で焼失した平楽寺跡に、天正9年 (1581)織田信雄の家臣滝川雄利が築いた城砦が始まりで、城主は脇坂安治,筒井定次と代わり城も修理され近世的城郭となった。

 家康は豊臣との対立が激しくなり大阪城包囲網の前線として、慶長 13年 (1608)家康の命を受け藤堂高虎の持ち城となり、二の丸や五層の天守築城等改築を進めた。 天守は落成目前の慶長 17年台風によって倒壊。 その後豊臣氏は滅亡し上野城を堅固な城塞にする必要がなくなり、藩制時代の再建はなかった。

 現在の城は、昭和10年(1935)に衆議院議員の川崎克が私財を投じて模擬天守(大天守・小天守)を建設した。 この建物は元の天守を正確に復元した天守ではなく、正式には「伊賀文化産業城」と言うとの事。 昭和の最後の木造の城でもあります。


 お城の裏から見学していましたので、「伊賀上野城の 高石垣」からの見学となりました。
藤堂高虎が築いた高さ30mの石垣です。
blogDSCN9017.jpg

 高石垣を見た後、坂を上って南側に回ってお城を見学。
昭和10年、衆議院議員の川崎克が建設したお城
blogDSCN9027.jpg

blogDSCN9034.jpg 

内部は木造で、ふんだんに木が使われていました。
blogDSCN9046.jpg blogDSCN9053.jpg


天守最上階からの伊賀上野の街並み
bloggDSCN9057.jpg


 お城を出て、お城の前の道路を西に200m程歩いた所に「旧崇廣堂」が有りました。
崇廣堂は、1821年藤堂藩十代藩主藤堂髙兌(たかさわ)が、伊賀と大和山城の領地に住む藩士の子弟を教育する為に津の藩校「有造館」の支校として建てた物です。
blogDSCN9092.jpg



 伊賀市の上野公園を出て上野市駅前に戻り、石田サイクルで「電動アシスト自転車」をレンタルし市内観光です。

 まず最初に向かったのが「芭蕉の生家」です。

 松尾芭蕉は正保元年(1644年)ここで誕生しました。 父は与左衛門,母は藤堂宮内の移封で伊予国宇和島から名張に随従してきたむすめと伝えられている。 与左衛門夫婦の子は三男四女で、次男が後の芭蕉翁、幼名を金作、長じて宗房と名乗った。
 俳諧好きの芭蕉翁は藤堂新七郎家の文芸サロンにも名を連ねめきめき頭角を現し、「貝おほひ」を版行。 寛文12年(1672年)に江戸へと赴いた。

blogDSCN9071.jpg blogDSCN9076.jpg

blogDSCN9078.jpg


 長くなりますので、伊賀国分寺跡,鍵屋辻(荒木又右衛門と 渡辺数馬の敵討ち),旧小田小学校本館は次回にレポートします。

尚、旧東海道「関宿から坂下宿」のレポートは下記
  https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-10-15
  https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-10-22
 鈴鹿峠越えの「坂下宿から土山宿」のレポートは下記
  https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-11-02
  https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-11-18

===================================================================

何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ           にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ          にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ


nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

ツアーで中国地方に旅行 その3 津和野と宮島(厳島神社) [ 旅行 関西以西]

  
 9月16日からJTBのツアーで中国地方の旅行に行ってきました。
 ツアーの添乗員さんもおっしゃっていましたがまさに"弾丸ツアー"でした。

 旅行日程は 岡山まで新幹線で行き、倉敷美観地区、そして姫路城を見学、大山地区に宿泊。 翌日は足立美術館,出雲大社,萩に移動し偉人宅跡や松陰神社(松下村塾)を見学,萩に宿泊。 3日目は津和野を見学し、宮島で厳島神社を見学し岡山から帰路に!!!


 ツアー1日目・2日目は前回前々回のブログの通りで、3日目は7時50分頃に津和野に向け出発し、1時間半弱で到着したと思います。

 津和野の町は、1282年(鎌倉時代)御家人の吉見頼行が着任し、頼行,頼直の親子二代で三本松城(津和野城)を築城。 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いまで吉見家が治めていたが、西軍が敗れ、吉見氏に変わって東軍の坂崎直盛が3万石で入城。
 しかし、坂崎氏は大阪城落城の際の千姫の救出とその後を巡る「千姫事件」で改易。 元和3年(1617年)因幡国鹿野藩より亀井政矩が入城し、明治維新迄亀石家が治めました。 尚、津和野城は貞享3年(1686年)落雷により天守が焼失、以後再建されなかった。


 歴史のある街で、山陰の小京都とも言われている津和野の街を小1時間散策。

鷺舞モニュメント広場からの津和野の街並み
blogDSCN6036.jpg

広場には鷺舞のモニュメントが。 津和野の鷺舞は国の重要無形民俗文化財。
blogDSCN6028.jpg

大岡家老門
blogDSCN6024.jpg

カトリック津和野協会
blogDSCN6017.jpg

協会内部はステンドグラス等が綺麗でした。
blogDSCN6020.jpg



 津和野を小一時間見学し、宮島に向かいます。
2時間強で広島県廿日市市の宮島口に到着、フェリーで宮島に向かいます。


フェリーに乗り約10分で宮島の桟橋に到着。
blogDSCN6046.jpg


フェリーを下り、5分程歩き厳島神社入り口の石鳥居に到着
blogDSCN6050.jpg


海に浮かぶ鳥居も近くに見えて、
blogDSCN6051.jpg


 少し歩き左に曲がると、何時かはもう一度行ってみたいと思い続けてきた厳島神社が目の前に!!!!!   (画像をクリックすると大きく鮮明な画像になります。)
bblogDSCN6055.jpg


神社の内部を見学させていただきます。
blogDSCN6056.jpg



中央の丸い池、鏡池と言ったかな? 背景の五重塔は厳島神社の北側にある「豊国神社」の塔です。
blogDSCN6058.jpg


神社の社の間から鳥居を見る事も出来ました。
blogDSCN6059.jpg


5重の塔の脇の大きな瓦拭きの建物は「豊国神社(千畳閣)」です。
blogDSCN6063.jpg


斜め横から見た能舞台
blogDSCN6068.jpg


頑張って写真を撮りながら目を凝らして見学してきた神社も終わり、大願寺前に出ました。

左の松は9本立ちの「大願寺の9本松」です。
blogDSCN6069.jpg



厳島神社の社内は一方通行ですので、社の裏手を通って、
blogDSCN6078.jpg


豊国神社(千畳閣)の下を通って帰路に
blogDSCN6085.jpg




宮島からフェリーに乗り宮島口に、そして、バスで岡山まで戻り、
新幹線で帰宅の途に。


 何時かは行ってみたいと思っていた「姫路城」や「出雲大社」、「厳島神社」。
なかなかチャンスが無く、駆け足見学とは言えやっと行く事が出来満足しています!

でももう一度行ってみたい。
厳島神社の近くに住まわれている方が恨めしい!
 

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

ツアーで中国地方に旅行 その2 足立美術館と出雲大社 [ 旅行 関西以西]

  
 9月16日からJTBのツアーで中国地方の旅行に行ってきました。
 ツアーの添乗員さんもおっしゃっていましたがまさに"弾丸ツアー"でした。

 旅行日程は 岡山まで新幹線で行き、倉敷美観地区、そして姫路城を見学、大山地区に宿泊。 翌日は足立美術館,出雲大社,萩に移動し偉人宅跡や松陰神社(松下村塾)を見学,萩に宿泊。 3日目は津和野を見学し、宮島で厳島神社を見学し岡山から帰路に!!!


 ツアー1日目は前回のブログの通りで、2日目は7時40分頃に足立美術館に向け出発。
 
 足立美術館は、足立全康さんが昭和45年 71歳の時全康さんが生まれた地に創設しました。
 全康さんは、両親の農業を手伝い始めたが、身を粉にして働いても報われない両親を見て商売の道に進もうと決意。 14歳の時に炭の運搬や販売を始め、戦後は繊維問屋や不動作業で財を成し、71歳の時郷土の文化発展の一助にと「財団法人足立美術館」を設立。 
特に昭和54年、元北沢コレクションだった横山大観の絵画を一括購入、展示しています。


 足立美術館には8時30分頃に到着。 美術館は通常9時開園ですが30分早く開園して頂いたそうです。(JTBの腕力か?)
blogDSCN5897.jpg


開園前に入場出来た為「園内のお掃除」風景も見る事が出来ました。
blogDSC_0016.jpg



 日本庭園の好きな私は、ただただ感嘆しながら順路に従って庭を見て、写真を撮ってと言う感じでした。 本来なら横山大観の作品など見る機会が少ないのでじっくり見るべきでしょうが、庭園の美しさに圧倒され、絵画を見る余裕がありませんでした。
尚、美術館内の絵画等の作品は撮影禁止でした。

綺麗な庭の始まりです。
blog00110001.jpg

赤松が綺麗で、幻想的な庭園です。
blogDSCN5905.jpg

上の場所を、窓枠を「絵画の額」に見立てて写真を撮って見ました。
blogDSCN5904.jpg


庭園のほぼ真ん中です。
blogDSCN5911.jpg

下写真は上写真中央の松です。 木1本いっぽんを高価な盆栽の様に形は整えられ、丁寧に手入れされていました。
blogDSCN5915.jpg

上の写真はみな水のない「枯山水」ですが、下は水のある「池庭」です。
blogDSCN5923.jpg


足立美術館のパンフレットにも載っている場所です。
blogDSCN5932.jpg


人気の場所ではツアーの皆さんが集まって写真に熱中!
blogDSCN5926.jpg


 で、午前10時過ぎ、見学を終了。 見学終了間際霧雨が降ってきました。
 多分、霧雨で庭園の苔は綺麗な緑になるだろうなあ~~ っと恨めしかった!!!
 恨めしい気持ちを持ちながら、出雲大社に向かいます。



 山陰自動車道等を1時間強走り、雨の出雲大社に到着。

出雲大社は、
「大きな袋を肩にかけ 大黒様が来かかると そこに因幡の白うさぎ 皮を剥かれて赤はだか。大黒様の言う通り きれいな水で身を洗い 蒲の穂綿にくるまれば うさぎはもとの白うさぎ。大黒様は誰だろう 大国主のみこととて 国を開きて世の人を 助けなされた神さまよ」と、童謡にも歌われ親しまれ、昔より縁結びの神、福の神などと慕われている大社です。

その兎と大黒様の像が「御慈愛の御神像」として本殿近くの参道脇に設置されていました。
blogDSCN5938.jpg


ムスビの御神像などを見て、拝殿前に移動し、お参り。
blogDSCN5944.jpg


 拝殿脇の掲示板(下写真)によると、2000年に鎌倉時代の本殿の巨大な柱「心御柱(しんのみはしら)」(国重要文化財)が見つかり、出雲大社の宝物殿にて公開されているとの事。
 出雲大社の宮司家に伝わる図面によると、中世の本殿は高さ約48メートルとされ、心御柱は高層本殿の中心の柱。3本の大木を束ねて1組の柱にしていた。展示しているのは杉3本の根元部分(直径最大1.4メートル)。年代は13世紀中頃とされるとの事。

blogDSCN5948.jpg


発掘された「心御柱」 (写真はウイキペディアより)
blog1280px-Izumooyashiro84.jpg
  

下写真の床にある3個一組の赤い丸が「心御柱」のあった位置だそうです。
blogDSCN5950.jpg


本殿の西側「御神座正面」に移動し、お参りを致しました。
blogDSCN5954.jpg


お参り後、「神楽殿」の内部を見学。 4トンものしめ縄を内側から見させて頂きました。
blogDSCN5957.jpg

表からの神楽殿
blogDSCN5964.jpg


 出雲大社の見学は1時間強の予定でしたが、境内を案内された方がお土産屋さんの方で、約40分の駆け足見学にされ、早々にお土産屋さんに連れていかれてしまいました。
お土産を買う気等なかったので、大社に走って戻り2・3枚の写真を撮ってきました。

もっと見たかったァ~~~  ゆっくりお参りしたかったァ~~~



 で、バスは萩市の中心街に向け出発。
萩市の駐車場に午後4時頃に到着し、「菊屋横丁」近辺を散策。
伊藤博文や高杉晋作,木戸孝允,田中儀一等明治維新等に関係する方々ゆかりの地を見学。

blogDSCN5974.jpg

菊屋横丁はなまこ壁が綺麗でした。
blogDSCN5978.jpg

木戸孝允誕生の地
blogDSCN5970.jpg


 菊屋横丁付近を散策後、松陰神社にバスで移動。 10分もしないうちに到着。

blogDSCN5994.jpg


参道の途中には「松下村塾」がありました。
blogDSCN5998.jpg

建物の内部には松下村塾で学ばれた方々の写真も飾られていました。
blogDSCN6000.jpg
 
松陰神社でお参り。
blogDSCN6008.jpg



で、2日目の駆け足ツアーは終了。
ホテルに到着し、お風呂に入り、ツアーの方々と夕食。
夕食は山口県ですのでフグ(フク)ずくし。
(これが材料の無駄使いと思う様な調理・盛り付けでした。-----こんな事もたまにはあります!!!)
 
nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

中国地方にツアー旅行 その1 倉敷美観地区と姫路城  [ 旅行 関西以西]

 
 9月16日からJTBのツアーで中国地方の旅行に行ってきました。
 ツアーの添乗員さんもおっしゃっていましたがまさに"弾丸ツアー"でした。

 旅行日程は 岡山まで新幹線で行き、倉敷美観地区、そして姫路城を見学、大山地区に宿泊。 翌日は足立美術館,出雲大社そして萩に移動し多くの偉人宅跡や松陰神社(松下村塾)を見学,萩に宿泊。 3日目は津和野を見学し、宮島で厳島神社を見学し岡山に戻り新幹線で帰路に!!!

 下地図に行程を書いてみましたが、とにかくすごい弾丸で、中国地方で行ってみたい所ほとんどに行った様な気分になりました。
blog中国地方旅行.jpg



 で、今回のブログでは倉敷と姫路城をレポートします。


 ツアーの出発は東海道新幹線東京6時50分発の列車で、私は朝5時過ぎに家を出て新横浜に。 友人の中にはローカル線始発で新幹線駅に来た者も。 私も友人達も乗り遅れないかとひやひやしながら移動、何とか無事全員ツアーに合流。


 岡山に着き、直ぐにバスに乗り倉敷美観地区に!
 美観地区の入り口「今橋」は、大正15年摂政宮殿下(のちの昭和天皇)が訪れるのを記念して菊の御門(矢印先)を描き作られました。
blogDSCN5826.jpg

美観地区の景観
blogDSCN5831.jpg

大原美術館
 もう昔の事ですが、お客様の都合で自動車の点検・調査を深夜に行い、空き時間の昼間にここに来て入館、展示品を拝見した事がありました。 今回は外観のみの見学です。
blogDSCN5842.jpg

大原美術館の新館
blogDSCN5845.jpg


この他、高砂橋近くのデニムストリートには「児島ジーンズ」さんもありました。
児島ジーンズさんのホームページ http://eshop.kojima-genes.com/



 倉敷美観地区を一回りした所で、バスに乗り「姫路城」に移動。


 姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っています。
 戦国時代後期から安土桃山時代にかけて黒田重隆や羽柴秀吉が城代となったのち、関ヶ原の戦い後に城主となった池田輝政によって更に大きな城郭へ拡張されました。
 姫路城の天守は、江戸時代又はそれ以前に建設された現存12天守(弘前城,松本城等々)の1つでもあります。 12城の紹介記事;https://ja.wikipedia.org/wiki/現存天守
昭和に入ると2度の空爆被害もありましたが、焼失を免れ、4年前には漆喰の修理を終えて真っ白な「しろすぎ城」が公開されました。


観光バスで約2時間、西の丸側の駐車場に到着し、桜門橋から城内に入って行きます。
blogDSCN5848.jpg



そして、ひろ~い三の丸広場の脇を歩いて行くと、入場券売り場と入場ゲートです。
入場し直ぐに左に曲がると「菱の門」でした。
blogDSCN5850.jpg



案内板に従って進み「ろの門」の手前で天守方向を見ると石垣がそびえたっています。
blogDSCN5886.jpg


 更に進み、天守に近ずくに従い門や通路の幅も狭くなり「にの門」,『水の二門」でも下写真の様に狭くなっています。
blogDSCN5859.jpg

blogDSCN5861.jpg


天守の最初に入った所は地階で、各階には下写真の様な解説図面が掲示されていました。
blogDSCN5864.jpg 


江戸時代以前そのままの内部は、薄暗く階段は急ですが、太い柱や梁は重厚そのものでした。
blogDSCN5867.jpg

壁一面に槍が並んでいたであろう武器の棚もありました。
blogDSCN5878.jpg


で、天守からの風景は、姫路の街を一望する物でした。
姫路駅方向
blogDSCN5873.jpg

西の丸から男山方向
blogDSCN5869.jpg


天守からの帰路は「備前丸」から「お菊井戸」を通って、三の丸跡方向に出てバスの駐車場に!
姫路城の駆け足見学は時間的にここ迄でした。 もう少し見たかったなァ~~~


で、すぐに山陰の「ロイヤルホテル大山」に直行。
このホテル、食事が美味しかったですよ。
blogDSCN5891.jpg


nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

奈良への旅行, 興福寺と柿の葉すし [ 旅行 関西以西]

 先月、友人を誘って奈良に行ってきました。
 最大の目的は国立博物館の正倉院展を見る事でしたが、奈良への旅行は50年前の高校の修学旅行以来。 と言う事で、奈良公園内を右往左往しながら色々な所を見学しました。

 で、10月29日の早朝家を出て、在来線や新幹線を乗り継ぎJR奈良駅には昼頃に到着。

 奈良駅前の奈良市観光案内所
blogDSCN7429.jpg



 駅から三条通をゆっくり散策しながらホテル迄15分位の所を1時間半以上もかけて、奈良ずけ屋さんやらお菓子屋さんを見たりして猿沢の池近くで、 「ええ!こんな所にも!!!」
予想だにしていなかった所で江戸時代の高札所を発見。
 下右写真は静岡県日坂宿の高札所で周囲の環境は違いますが高札その物はそっくりです。

奈良の高札所                             静岡、日坂宿の高札所
blogDSCN7447.jpgblogDSCN7025.jpg

 ホテルに荷物を預け、奈良公園に。
ホテルからの途中荒池越しに見た興福寺の五重の塔。 緑矢印は金堂再建(?)の覆い屋根。
blogDSCN7472.jpg



 国立博物館前のバス通りを散策しながら、東大寺前の 「夢ひろば」 と言う所 でゆっくりと昼食。
(実は事前に 「釜めしの志津香」 を調べて置いたのですが、平日でもナガーイ行列であきらめ!)
 夢広場のページ http://www.yume-kaze.com/shop/

 昼食後興福寺へ。 
   興福寺のホームページ http://www.kohfukuji.com/
 興福寺での私の目的は?
勿論、2009年に東京で開かれた展覧会では大人気をはくし、ごった返しの行列だった仏像。
2009年の東京展覧会の案内ページ http://www.guidenet.jp/spresent.php?id=143
その時のポスターはこれ  「春の東京 3つの顔に会いに行く」
東京阿修羅展 ポスター.jpg
 

 で、真っ先に 「国宝館」 へ行き入場。
乾漆十大弟子像等を含め館内をゆっくり一周見学。
その後、再度阿修羅像の前に。 10分?  右から見たり左から見たり 15分?
ともかくゆっくり見てしまいました。

 国宝館外観 奈良時代の興福寺創建時の食堂(じきどう)を復元した建物だそうです。
blogDSCN7489.jpg

 興福寺、国宝館内 阿修羅像の展示状態 http://www.dalahast.jp/2013/07/01/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA%E5%9B%BD%E5%AE%9D%E9%A4%A8%E9%98%BF%E4%BF%AE%E7%BE%85%E5%83%8F%E3%81%A8%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%82%81%E3%81%82%E3%81%88%E3%82%8B%E8%B4%85%E6%B2%A2%E3%81%AA%E7%A9%BA%E9%96%93/


 その後、東金堂や五重塔を見て。  五重の塔は大きく、迫力満点でした。 

blogDSCN7492.jpg


 興福寺の目的を果たした後はもう1つの目的、奈良の名物をと、三条通とやすらぎの道の交差点まで戻り、
中谷本舗の柿の葉寿司を購入。
blogDSCN7440.jpg

 とは言え、昼食が遅かったせいもありお腹は空かず、ホテルでの夜食代わりに食べました。
このお寿司はお酢がきつく(?)、お酢のきいた食べ物があまり好みでない私にはあいませんでした。

丁寧に柿の葉で包んであり、            開封するとお寿司が
blogDSCN7535.jpg blogDSCN7538.jpg



何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ                               にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ                                   にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ


nice!(16)  コメント(2) 
共通テーマ:旅行

奈良への旅行, 東大寺 [ 旅行 関西以西]

 先月、友人を誘って奈良に行ってきました。
 最大の目的は国立博物館で行われた正倉院展を見る事でしたが、奈良への旅行は高校の修学旅行以来。 と言う事で、奈良公園内をあっちに行ったりこっちに行ったりと右往左往しながら色々な所を見学しました。

 で、11月9日の記事の様に依水園で食事をし、歩いて 正倉院を見学した後東大寺の大仏殿を少しゆっくり見学させて頂きました。


 正倉院は、高校の時に見た 「こんなだったよなァ~」 というイメージを持っていましたが、今回見て見ると全く違っていました。 ともかく大きくて、がっしりた迫力満点、威圧感さえ感じる立派な建物でした。
 (写真は夕方の逆光、よく撮れませんでした。)

blogDSCN7615.jpg


 夕方の正倉院迫力満点でしたが、写真は上手く撮れずガッカリしながら東大寺の大仏殿に。
東大寺には北側から東側をまわって南側の見学用の通用門から入りました。
 東大寺の詳細は下記 ウィキぺディア 参照願います。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA

東廻廊の外側  廻廊は大仏殿を囲み、塀も長く大きかった。

blogDSCN7623.jpg


で、突然東廻廊の上写真右側の扉が開き、そして直ぐにしめられました。 何故開いたの?
めずらしい事なのかなァ? 入口からの突き当りが大仏殿です。

blogDSCN7625.jpg


で、南側の入場口通路を通って、広い境内に入ると迫力満点の大きな大仏殿が。

blogDSCN7633.jpg

大きいだけでなく、細密で美しく作られています。
blogDSCN7643.jpg



中に入ると更に迫力満点の巨大な大仏様が。
blogDSCN7647.jpg

blogDSCN7651.jpg



 で、大仏の裏側には大仏殿の焼失と再建経過を説明されていました。
(下写真の緑矢印の小さな縦線が人の大きさです。)

blogDSCN7662.jpg

blogDSCN7662_edited-2.jpg


大仏殿の中では、大仏様の御利益を得ようと、こんな事をする方も。
bblogDSCN7658.jpg

 柱の穴の大きさは大仏様の鼻の穴の大きさだそうで、御利益はと言うと 「無病息災」だそうです。
これは柱が大仏殿の北東方向、「鬼門」に当たり、鬼門方向の柱に穴を開ける事で邪気を逃がしているとの事。 この穴をくぐる事で大仏殿の邪気と共に厄払いが出来るのだそうです。



 で、裏門方向から東大寺にきましたので、帰りだけでもと思い山門をくぐってホテルへの帰路に。

blogDSCN7664.jpg



何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ                               にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ                                   にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ



nice!(20)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

奈良の依水園で昼食 [ 旅行 関西以西]

 10月末、奈良の正倉院展を見学した後、ちょっと遅めの昼食を国立博物館から少し離れた依水園で取る事に。


 国立博物館の正面入り口側から表通りというか観光客の多い通りに出て、奈良駅方向に歩き、右側の最初の細い路地を入って東大寺方向に向かって歩きました。

 表通りは、大げさに言えば観光客でごった返ししているのに、この路地は人も少なく「この方向でいいのかな?」と不安を抱きながら150m位歩き、

blogDSCN7568.jpg

突き当りのT字路を右に曲がると正面に 「依水園」 の入口が見えてきました。
依水園のホームページ  http://www.isuien.or.jp/index.html
このページのヘディングラインの「お食事」をクリックすると 「三秀亭」が表示されます。

blogDSCN7575_edited-1.jpg


入口を入ると右手に 「三秀亭」 の入口が見えてきました。

blogDSCN7578_edited-2.jpg

中に入ると外観同様純和風のお座敷です。
写真ではお客さんが映っていませんが、私達が入室した時は10人程度おり、その約半数は外国の方でした。 勿論がやがや騒ぐようなお客さんは一人もおらず、落ち着いて食事も出来、外国の方との交流も可能かも。

blogDSCN7597.jpg

で、私達が注文したのは 「うなとろ御膳」。 

blogDSCN7589.jpg



 食事も美味しかったのですが、ここでの食事は座敷に座り食事をしながらお庭の風景を楽しめる事です。
私達の食事をした所からは下写真の様に見え、

blogDSCN7588.jpg


そして別の部屋からは下写真の様な景色が。
とは言っても上の部屋の写真の様に食事をする部屋にはテーブル等区切る物は無く、食後は少し移動してお茶を飲みながら好きな角度からゆっくり景色を見る事ができます。

blogDSCN7596_edited-1.jpg






何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ                               にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ                                   にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ

  
nice!(12)  コメント(3) 
共通テーマ:旅行
前の15件 | -  旅行 関西以西 ブログトップ