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東海道五十三次 草津宿から大津宿 その1(草津宿~瀬田の唐橋) [ 東海道五十三次]

 
 5月の暑い中、東海道五十三次の内 草津宿から瀬田川の唐橋を経由して大津宿迄歩いてきました。 途中、紫式部の源氏物語に関するのぼり旗が多数立っており、源氏物語を書いた場所のある石山寺にも寄り道して来ました。

 寄り道が多い私は、掲載写真も多く多分3回に分けてのレポートになると思います。
(又、車のレストアや野良仕事等もありブログを書く事が遅れ遅れになってしまっています。 「タイミング外れ」と思われる方も多いと思いますが、ご容赦下さい。)


 前回草津宿に到着したのが2022年9月26日月曜日で、草津の本陣は閉館日で内部を見学する事が出来ませんでした。 で、今回は草津宿本陣が開館日の水曜日(2023年5月24日)を選んで出発しました。 実は久しぶりの新幹線でワクワク気分でもありました。
前回の東海道歩きの記事は下記です。
 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2022-10-14
 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2022-10-17


小田原から新幹線で米原迄行き、米原から東海道線で草津駅に到着です。 
下写真は草津駅前の橋上歩道です。
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 駅から南に200m程歩き、右折し商店街の様な道を西に向かって歩き始めました。
この道が既に旧中山道でもあります。 立派な中山道の掲示板もありました。
                    (写真をクリックすると拡大写真になります。)                   
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 で、中山道を400m程歩き、前回歩いた東海道と中山道の合流地点に戻ってきました。
下写真は前回の物で京都側から東海道(緑矢印)と中山道(青矢印)の合流地点を見た所です。

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 この合流点の上は元草津川の跡地で、「de 愛ひろば (Deai Hiroba)」があり、階段を上がって行って見てみました。 下写真の様に予想をはるかに上回る広さでした。
しかも「街道を歩く私の頭の上に川の跡地ある」この不思議な感覚伝わるかなァ~~~

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 東海道と中山道合流点から80m程歩きで草津本陣に到着です。
江戸末期の草津宿には本陣が2軒、脇本陣が2軒、旅籠が72軒あったそうで、当時の宿場としては大きい方で大変賑わっていたとの事。
又、旧東海道で江戸時代の本陣が残っているのは二川宿とこの草津宿の2軒のみです。
二川宿の記事は右記 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2016-05-31

 草津宿の「田中七左衛門家」は寛永12年(1635年)から明治 3年(1870年)迄の約235年間本陣職を務めました。 田中七左衛門家本陣は 大名・幕府役人・勅使などの休憩宿泊施設として機能して来ており、今も江戸時代の姿を残している 貴重な国指定史跡でもあります。


 前回の草津宿はしっかりと門を閉ざしていましたが、
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今回は門が開いていて、既に先客もおられました。
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 早速内部を見学です。
写真は細かな資料の撮影は禁止で、部屋の雰囲気等だけにして欲しいとの事!
                      下右写真は正面玄関です。
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下左写真は正面玄関から鉤の手に曲がった所の廊下で、両側に幾つもの部屋の入り口が見える。
下右は廊下の奥の方にあった「上段の間」で、お殿様等身分の高い方が泊られるお部屋です。
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下左写真は、廊下から右手に入った所の「かまどが5つもある大きな台所」です。
台所からは中庭や蔵のある場所に出ます。「田中七左衛門家」は材木商でもあった。
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 本陣を一通り見学した後、8ヶ月ぶりの東海道歩き! やっと再開です!
 150m程歩くと「エフエム 草津」前に出ました。 で、チョット寄った所、休息所の様な部屋の壁に下右の様な写真が掛けられていました。

 下右写真の青い花は「青花 (アオバナ)」と言い草津市の市の花で、江戸時代から栽培されていました。 今は化学染料等に押され存続が難しい物の再興を目指す活動もある様です。 
(このアオバナは「つゆ草」の栽培用変種でつゆ草よりも大型で「オオボウシバナ」と言われる物です。 この花弁は京友禅の下絵を描く染料になる青花紙(あおばながみ)の原料として用いられ、草津市を中心にしたこの地域で栽培されています。)
                     (写真をクリックすると拡大写真になります。)
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 街道に戻り200m程歩くと「道灌蔵」と言うのれんのかかった「太田酒造株式会社」さんに着きました。 道灌さんには近親間もあり、中に入り伺った所「太田家は道灌から5代目の時に草津に移り住み「問屋場の役人」も務めていた様で、酒作りは明治初期に始めた」との事。
太田酒造さんのホームページ ; https://www.ohta-shuzou.co.jp/

(私の田舎に「矢の橋;(戦の弓矢で橋が架かった程の意)」と言う地名があり、その近くの城が太田道灌初の城との噂がたった事があった。 そんなことから道灌さんには近親感があると共に、「道灌初のお城」の真偽を知りたいが、今もって手がかりすら見つかっていない。)

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その後「立木神社」の前を通り、黒門跡でその由来を確認、そして現在の「草津川」の矢倉橋を渡りました。

黒門の跡の説明板               (写真をクリックすると拡大します。)
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現在の矢倉橋と橋から見た現在の草津川です。
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 草津宿本陣から1.2km、寄り道の多い私は45分かかって「瓢泉堂」さんに着きました。
 ここが広重の草津宿の絵の場所「矢倉立場」跡だそうで、広重の絵にあるお店は「乳母が餅」を売るお店だそうです。(この店は今はオーナーさんが変わり国道1号線の方に移転、今も乳母が餅を販売しているとの事。)
 又、浮世絵と同じ様に店に向かって右側に「やばせ道道標」の石柱(下写真空色矢印)も立っていました。 店の右側の道「やばせ道(青矢印)」を行くと「矢橋の港」から琵琶湖を渡り、大津宿に行きます。 店の前の道をまっすぐに行くと琵琶湖の南端を回り「瀬田の唐橋」を通って大津宿に向かいます。

 矢橋の港からの舟旅は距離も短く短時間で行く事が出来るが、比叡山からの吹きおろしの風で欠航も多く、「 やばせの舟は 早くとも 急がば回れ 瀬田の長橋」と詠われた様です。 ここから、ことわざの「急がば回れ」が生まれました。

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 やばせ道の道標(瓢泉堂)から650m「野路の一里塚」に到着しました。
(野路は平安朝から鎌倉時代にかけては東海道の宿駅として栄えた場所との事。) 
 ここは「上北池公園」と言う公園で、作業員服を着た方々が東屋で食事をしていました。 私が一里塚の写真を撮っていると若い女性の作業服を着た方が「撮りましょうか」と言われ「お願いします」と言ってしまいました。 (東海道歩きで初の小さな顔出し記念写真です。)

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 野路の一里塚から約900mの所の「野路 萩の玉川跡」の前を通って、一里塚から1.3㎞の弁天池に出ました。 島の中の弁天神社にお参りし、小田原駅で非常用にと買っておいたおにぎりと菓子パンを昼食代わりにと食べました。

 昼食時ゆっくり休めたので体力は回復、歩きを再開。 野路の一里塚から2.7㎞程歩いた所で月輪池に出ました。 ここの池は昔は月が湖面に映り綺麗だったようですが、今は水もほぼ枯れてしまっています。 立場跡を示す石柱だけがメンテされていてなんとなく違和感が!

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 現在のグーグルの地図では野路の一里塚から3.4㎞、一里(4㎞)に満たないが「月輪一里塚跡」に着きました。
 昔はこの位の誤差があったのだろうか? それとも時代と共に道路や一里塚跡の位置が移されてしまったのだろうか? それにしても600mの誤差大きくない???

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 月輪一里塚から900m 大江4丁目の所で直角に左折し、更に歩き一里塚から1.3㎞の大江6丁目で直角に右折、道なりに600m(一里塚から1.9㎞)歩くと広い道に出でました。 左折してこの広い道を歩くとすぐに高橋川を渡る赤い橋がありました。

 地図を見るとこの赤い橋から川沿い(北西方向)に進むと約600mで瀬田川です。 「琵琶湖迄もう少し,京都も直ぐそこ」を実感!!!


 で、私は広い道を南西方向にまっすぐ500m程歩き、石屋さんの所で左側路地に入り100m位県道16号線に出ます。ここを右折し一直線 300m、 瀬田川の橋 「瀬田の唐橋」です。

 つい15分前に高橋川の橋から 600mで琵琶湖と感動していましたが、たった15分歩いただけで瀬田川に付いた! 私にとっては「やった~! ヤッター! ヤッターマン」です。

橋は直ぐそこ!!!
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琵琶湖からの川、瀬田川の唐橋です。
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こんな大きな橋です。 「急がば回ってきた橋」です。
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次回は瀬田川・瀬田の唐橋、そして来年の大河ドラマに関する石山寺です。


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MG ミゼット ボディサイドのモールとボンネットのモールの組付け [ MG ミジェット ボディ & トリム]

  
 MG ミゼットのボディサイドのモールは、ボディ本体に取付用クリップをポップリベットで固定し、モールをクリップに強く押し付けパチンと嵌めこむ方法です。


 まず、ボディにあいた穴の所に、ポップリベットでクリップを固定します。

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          レストア前の分解時の写真で、モールが汚れておます。
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 手持ちのポップリベットはステンレス製で硬く、ポップリベットの軸が千切れる時の反動でリベッターが跳ねボディを傷つける恐れがあったのでウレタンのシートを作り保護シートとしました。
 リベット止めの時は水平になる様に気を付けました。 クリップが斜めだとモールが嵌らなくなります。

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 で、ドアーにモールを組付けました。


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 同じ様にフロントフェンダー、リアーフェンダーにもモールを組付けました。
尚、フロントフェンダー・ドアー・リアーフェンダーの各モールには一ヶ所ネジ付きスタットプレートで締め付け、前後方向の位置を決める様になっていました。

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 又、フロントピラー下の小さなモールは、フロントフェンダーのモールとドアーのモールとの高さ方向のずれが目立つ為、正規の組付けでなく、ほんの少し斜めにしてテープでの貼り付けとしました。
 (ごまかしだよねェ~~~ ごめん 私だって下手に見られたくないもん! 私の前に板金塗装した方はモールを取付ける穴をパテで埋めて取付け穴隠しして、テープ止めにしていました。前任者は私より作為的?)


 ボンネットのモールディングはモールを綺麗にワックスをかけて、ボンネット単体の時に5個のスタットプレートをモールに組み付け、ボンネットの穴にセットし組付けました。
何分にも細いネジで、しかもモールが直接塗装面にあたるのでネジの締め過ぎには注意を払いました。

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MG ミゼット ドアーに付くサイドウインドーのメンテと組付け [ MG ミジェット ボディ & トリム]

   
 私のMG ミゼットは、「マークーⅠ」と言われる 1098cc,GAN2型で1964年製の車です。
 マークⅠの1964年製右ハンドル輸出車(イギリスからの)は10台しか生産されず、その内の1台でかなりレアーな車です。

 MG ミゼットのマークⅠとオースチィン ヒーレー スプライトの同年式の車はドアーにウインドー ガラスが設置されていません。
で、走行中の雨や風除けは別部品のサイドウインドー(青矢印)が設定されており、下写真黄色矢印の様にブラケットとボルトでドアーに固定して使います。

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 車が届いた時には、上写真の黄色矢印の所のボルトは左右のドアーで4本必要でしたが、3本しか組付けられておらず、室内に短いボルトが1本落ちていました。
 この落ちていたボルトは短すぎてドアーのナットまで届かず使用不可でした。 そこで、イギリスから取り寄せてみるとやはり短いボルトで使用不可でした。

 で、きちんと使用できるボルトを測定・図面化して、近所の機械加工屋さんにボルト2本を製作して頂きました。 本来は1本でも良かったのですが、従来品,新規製作品各々をドアー1枚毎にセットで使おうとの考えでした。 同じ様に製作してもらうとは言え微妙に違うだろうから、例えば右ドアーに従来品2個,左に新規製作品2個と言う様に。

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 下写真は従来品ボルトと新たに製作して頂いたボルトをドアーに組み付けた時の状況です。 新・旧の見てくれの差はほとんどなく、うまくいった様に思います。

従来ボルト                 新規製作のボルト
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 続いてウインドー本体のメンテです。

 まず、アクリル製のウインドーの清掃はアメリカに居た時に購入した3点セットのポリッシュの中の一番粒子の細かい塗装面用ポリッシュ(ピンクの箱)を使い清掃しました。
(もっと時間をかけて磨けばもっと綺麗になるのにと思いつつ、「これでいいや!」だって。)
 尚、外周のフレームはアルミにアルマイト加工されており十分には綺麗になりませんが、写真のポリッシュの空色(金属面用の細かい方)を使って磨きました。

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 ウインドーメンテの外周のシールは新規に購入した物に交換、フロントピラー側は接着剤で接着。(きちんと接着する様にと、接着剤使用後テープで丸一日固定ししておきました。)

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 で、出来上がったウインドーを車に組み付けました。

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やっと車らしくなってきました!

ホロを外せば オープンの スポーツカー です!


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