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新居宿から白須賀宿経由二川宿, その3 愛知県の二川宿(ふたがわじゅく) [ 東海道五十三次]

  
 前回、新居宿から白須賀宿迄をレポートしましたが、今回は静岡県の白須賀宿から愛知県の二川宿迄をレポートします。

 全国で現存する本陣は2ヶ所、この二川宿と草津宿(滋賀県)です。
 毎日新聞の2015年7月の記事によると、草津宿交流館がネットなどを使い行った東海道五十三次プラス京街道(大坂街道)の人気投票で 二川宿が 「1位」 でした。
http://mainichi.jp/articles/20150729/ddl/k25/040/484000c


 静岡県最後の宿場 白須賀宿の境宿です。
 写真の「夢舞台 東海道」 の石の道標(緑矢印)はこの先にはなく、これが最後らしい。
地図を頼りに歩いてきましたが、道が正しいかどうかの確認に役立ち大変お世話になった道標です。

blogDSCN9596_edited-1のコピー.jpg


 白須賀宿の境宿から5分強で割合大きな交差点に出て、すぐに小さな川 「境川」 に到着。

 静岡県と愛知県の県境です。
白いフェンスの下に小さな 「境川」 が流れており、上の道路標識には「愛知県豊橋市」と!

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 こんな小さな川が 静岡県と愛知県の境界!!!
 静岡県を歩き始めたのが2013年7月。 約3年間静岡県を歩き、富士川や安倍川に大井川そして天竜川等日本を代表する大きな川を渡ってきたので
 「えッ!  これが県ざかいの川? 静岡県の終わりィ!・・・」 と言う感じです。

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 で、歌川広重の二川宿の絵は ”二川,小松原の「猿ヶ馬場」との事で、先人の調査ではこの境川付近の様です。
Tokaido33_Futagawa[1].jpg



 境川からは登り坂で坂を上りきると、国道1号線との合流「一里山東」交差点に出て、1号線を少し歩くと 「一里山」 の交差点です。 ここからは二川宿の新幹線のガード下迄1号線を歩きます。

「一里山」 の交差点から約100m,白須賀宿の境宿から15分強で 「一里山一里塚」です。

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 この豊橋から岡崎付近までは春キャベツや玉ねぎの産地。
で、春キャベツの収穫の終わった畑(黄色い花はキャベツの花)やもうじき収穫の玉ねぎ畑の中を、ヒバリのさえずりを聞きながら歩きます。 一見のどかでしょ!

キャベツの花が風になびいています。
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玉ねぎ畑
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 30m位先のヒバリ(緑矢印の先)を小さなカメラのズームを一杯に伸ばしやっと撮れました。
ヒバリの保護色で良く分りませんが、私にとっては初めてヒバリを撮った貴重な写真です。
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 等と書きますと 「のどかな畑の中を楽しんで歩いている様な感じ」 ですが、
実は砂ほこりが顔に当ると痛い程の強風で、目に埃が入り、帽子も飛ばされ、ヒバリのさえずりも風の音でかき消される程の状態。 そんな中を約3.5km 1時間半近くかけて歩きました。
しかも、新居宿を出発し、白須賀宿を経て来たので疲れもかさなってきつかった。


 で、やっとの事、国道1号線から右に曲がり新幹線のガードをくぐり、梅田川の橋を渡り、東海道線の踏切を渡り、左側に行くとすぐ目の前に古い建物の 「二川宿案内所」。 そしてその前には小さな一里塚の石碑が立っていました。
 強風に吹かれ埃まみれの様な気分の私、家の中で休息を取らせて頂きました。
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 休息後、古い家並みが続く中、約300m進むと 商家 「駒屋」です。
 駒屋は田村家の経営で、元禄4年(1691年)医者として遠州から二川宿に移転し、明和5年(1768年)頃棒手振りとして創業し、2年後に現在の地に店を構えて米穀の小売りを始めました。
(棒手振りとは、江戸時代、商品を下げた天秤棒をかついで行商する商人を特に棒手振りと言った。)
安永3年(1774年)土蔵を新築し質屋も始め、規模を拡大して行きました。
又、問屋役や名主等宿村役人も務めました。

旧街道から見た駒屋さん 
 豊橋市から有形文化財の指定もされており、平成24~26年に改修復元工事を行いました。 屋根は勿論 「三州瓦」です。
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敷地内部  主屋や離れ座敷、4棟の倉等8棟からなっています。
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街道に面した主屋の内部  すごく頑丈な作りです。
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 駒屋でもゆっくり休息兼見学をさせて頂き、更に300m程進むと立派な本陣と旅籠がありました。

 二川宿本陣は、文化4年(1807年)より明治3年(1870年)の本陣廃止まで本陣職を勤めた馬場家の建物で、馬場家が本陣を務めていた60年の間に増改築を行い、安政2年(1855年)には233坪となり本陣としてよく整備された状態になりました。
二川宿本陣資料館のページ
  http://www.net-plaza.org/KANKO/toyohashi/siryokan/honjin/index.html

手前が旅籠「清明屋」 棟続きの様に見える右の建物が本陣
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東海道人気No.1なだけに大きな駐車場、奥には二川本陣資料館もあり観光地となっていました。
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本陣の内部
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そして隣接の旅籠の清明屋の内部です。
清明屋は文化14年(1817年)に建てられ、主屋,つぎの間,奥座敷を備えた旅籠の建築様式を良く残している建物です。 
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 尚、本陣の向いには「駒屋」さんの分家 「西駒屋」さんがありました。
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 下写真は高札場の跡ですが、旧街道沿いは少しずつ古い家の割合が減って行き、
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 本陣資料館から約1km、二川駅に到着です。
 二川宿の案内所に着いた時にはどっと疲れが出てしまいましたが、その後 ゆっくり休みやすみ 「昔の家や街並」 を見学させて頂き元気を取り戻し、ホテルに一泊、リフレッシュして翌日帰宅しました。

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 これからは暑くなるので、6・7.8月歩けるかなァ~~~

 取り合えず、7月友人と観光がてら舞坂宿から新居宿迄、浜名湖を渡ってみよう。 



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