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東海道五十三次,新居宿から白須賀宿 経由 ニ川宿 その2 「白須賀宿」 [ 東海道五十三次]

 
 前回も書きましたが新居宿から二川宿は大きく海側に回る為近くに駅も宿泊施設もなく、東海道五十三次を歩かれた先人達の中には気温や疲労で苦労した方もいる様でした。

 そんなこともあり、私は体力温存も考えて、前日新居宿を少し過ぎた高師山公民館迄歩き距離を稼いで、当日はJR新居町駅からタクシーで高師山公民館迄行き、そこから歩き始めました。

 公民館の所からは海側の歩道にかなり大きな松の並木が1km以上続いていました。
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 松並木が途切れたすぐ先に 「立場跡」 の立札と石碑がありました。
この立場は旅人や駕籠かき等が休息する場所で、新居宿と白須賀宿の間にもうけられ、代々加藤家がつとめられていました。 
立場ではお茶等を勧めた為、ある殿様は 「水飲め飲めと鮒や金魚じゃあるまいに」 だったそうです。
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「立場跡」を過ぎたあたりから 「潮見坂下」迄の長い距離所々に古い家が有り、趣がありました。

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 こんな立派な長屋門も
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 何よりこの辺りの家並を引き立てているのは素晴しい色の屋根瓦。 「三州瓦」です。
三州瓦の詳細は下記を参照願います。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B7%9E%E7%93%A6

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 火鎮(ほずめ)神社の前に立っていた観光マップです。
火鎮神社は、”火を鎮めるはず” の神社ですが、火災にあい神社の歴史や由来を焼失してしまいました。
      画像をクリックすると大きな画像になります。
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 「潮見坂」 の下に到着しました。
 ここで 「あれ! 一里塚は?」。  どうやら 上の長屋門の家あたりだった様ですが見逃した様です。 

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 で、潮見坂の登りはと言うと、前日舞坂近くの春日大社で、自転車で京都から東京に向って東海道を走っておられる方に伺った所 「かなりきつかった。 登りは相当大変だと思います。」 との事。 
 実際に歩いてみると、急な所もありましたがきつくはありませんでした。 金谷宿から日坂宿や箱根と比べたらほんのちょっとの坂道でです。
 金谷-日坂の記事 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2015-09-26
              http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2015-10-01
潮見坂の途中の写真です。
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坂を登り切り、新道との交差点でふりかえると遠州灘の海が見え、強風で白波が立っていました。
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 歌川広重の白須賀宿の絵はこの 「潮見坂」 です。
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この日は風が猛烈にきつく、旧道との交差点から10m位の所でふりかえった所、鯉のぼりが真横に吹かれ、暴れまくっていました。
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 潮見坂を過ぎると 「おんやど白須賀宿」 の前を通り、石碑群へ。
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石碑群の説明
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 その後、小・中学校を過ぎたあたりで、ジャガイモ畑越しに熱海方向の雲を見ながら熱海の友人に電話をすると 「ただいま大雨」 との事。 晴れ男 「kotobuki1946」の天気はご覧の通り!!!
とは言え、風は猛烈に強く帽子や地図は飛ばされました。 奥の竹林もしなっています。
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 白須賀宿の 「曲尺手(かねんて)」 です。 やっと白須賀の宿場に入りました。
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 「曲尺手」 の説明板です。
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 風に吹かれ吹かれて、白須賀宿の本陣(下左の写真)に到着です。
白須賀の本陣は大村庄左衛門がつとめており、元治元年(1864年)の記録では、建坪183坪 畳敷き231畳 板敷き51畳だったそうです。

 県道173号線と県道332号線との交差点 「白須賀駐在前」の東側には脇本陣、そして 「夢舞台 東海道」 も立っておりました。 新居宿から6.2km,二川宿迄6.7kmとの事。 もっともっとそしてもっとあった様な気がします。

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 交差点から少し行くと 「白須賀宿の火防」 と言う立て看板を見つけました。
 立て看板で私が気になったのは 「白須賀の宿は、津波の難を恐れ、宝永五年(1708年)潮見坂の下から、坂上へ宿替えをした。」 とありました。 初めの頃に書きました 「古い家並みが多い」 等は旧白須賀宿だったからかも。 新居の関所でも津波で移転とありましたが、江戸時代はそんなに津波が多かったのだろうか?
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 で、 「白須賀駐在前」から15分、 「境宿」 と書かれた 「夢舞台 東海道」 の道標に到着。
ここが白須賀宿の西木戸にあたるのだろう。

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 あとほんのちょっとで 「愛知県」 ですよォォォォ~~~~~

 と同時に先人たちの話では 「夢舞台 東海道」 の道標はこれが最後だそうです!!!



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