二条城の見学と嵯峨野のトロッコ列車 [ 旅行 関西以西]
東海道五十三次歩きも今回が最後と思い、東海道を歩く他に、思い切って京都に数日滞在し「京都御所」や「二条城」等を見学させて頂きました。
二条城は京都滞在3日目でなんと大雨! 雨降る中傘をさして10時頃ホテルを出て、地下鉄烏丸線で烏丸御池駅に行き、地下鉄東西線に乗り換え二条城前駅で降り、堀川沿いに少し歩き「二条城の東大手門」の前に到着。 券売所で入場券を購入し東大手門から入場しました。
東大手門から入って右手が番所、左手に総合案内所があり、私はこの案内所で日本語のガイドツアーを申し込みました。 英語のツアーもある様です。
入場料は二の丸御殿の見学も含め1300円、更に日本語ガイドツアー料1500円の追加でした。
二条城のホームページは右記です。 https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/
下記ページは割合分かりやすく二条城を説明しています。
https://www.travel.co.jp/guide/article/22984/
二条城前駅を降りた所で、二条城の「東南隅櫓」が見えます。

「東大手門」、二条城の正門にあたります。

下写真は東大手門を内側から見た所で、現存の門は寛文2年(1662年)頃の建築と考えられています。 築城当時は現在の様に櫓門(2階建て)でしたが、天皇の二条城行幸時(寛永)には天皇を2階から見下ろさない様にとの配慮から一重の門に建て替えられたとの事です。
左の建物は寛文3年(1663年)に建てられた「番所」で、普段は幕府から派遣された「二条在番」と呼ばれる武士達が宿直・警護しております。 この番所はその詰め所の1つで、現存する城郭の番所としては全国的にも少なく貴重な建物だそうです。

下写真中央は「東南隅櫓」を内側から見た所で、白いテントの左側が総合案内所、ここで日本語ガイドツアーを申し込みました。 ツアーは9時30分,11時30分出発の2回で、私は11時30分を申し込み。 出発10分前位にこの申し込み場所に集合しました。 今回は大雨の為か5人のツアーでした。

ガイドさんはこの番所前広場で、雨の中二条城の由来や歴史を説明されていましたが、参加者は雨と寒さの為早く次に進みたい様な雰囲気でした。
二条城は世界遺産で、1603年(慶長8年)に徳川家康が上洛した際の宿泊所として築城され、徳川家康が征夷大将軍に任命された際の重臣や公家衆等を招いての祝賀の儀を行った事も。
3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸の為に城内は大規模な改修が行われ、二の丸御殿にも狩野探幽の障壁画などが数多く加えられました。
又、徳川幕府の大政奉還がここ二条城で表明されました。 江戸時代の始まりから終りにあたっての大事な場所だった訳です。
下写真が「唐門」で「二の丸御殿」の正門にあたります。
2013年に修復工事が行われたとの事で本当に綺麗な門でした。 写真の白い縦線は雨です!!
この門には菊の御紋が多く使われていますが、家光の時代に天皇が行幸された際の御紋の変更、更には明治中期に二条城が離宮となった際葵の紋から菊の紋に変えられたようで、2013年の修復時菊の紋の下から葵の紋が出て来た所もあったとの事。


外側から見た唐門の彫り物で、松竹梅に鶴や龍が描かれ素晴らしかったが、冷たい雨の中での説明でうわの空で聞いてしまいました。

内側から見た「唐門」です。 黄色いジャケットの方がツアーガイドです。

内側からの唐門の彫り物です。 外側の彫り物とは鶴や蝶等が微妙に異なっています。

で、やってきました!!!
2004年にアメリカから帰って来て、何時かは行ってみたいとズ~~ッと思っていた所です。
二条城の「二の丸御殿」御殿で、多くの人がおられる所が「車寄」です。
下記二条城のホームページでは下記の様に説明されていました。
https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/introduction/highlights/overview/
「東南から北西にかけて、遠侍(とおざむらい)、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が雁行形に立ち並ぶ御殿です。部屋数33室、800畳余りもある内部は、代表的な「松鷹図」をはじめ、将軍の威厳を示す虎や豹、桜や四季折々の花を描いた狩野派の障壁画(模写画)で装飾されています。」
二の丸御殿には車寄の右側から入りますが、二の丸御殿の内部は撮影禁止でした。

で、二の丸御殿に入り4・50分かけて、狩野派による障壁画や欄間の彫刻、大政奉還を協議,発表した部屋等の説明を受けながら見学いたしました。
二条城内部を見学した後、ガイドツアー特別見学として「御清処」・「台所」を外から見学。
最後に「二の丸庭園」に回り見学しました。
庭園側から見た二の丸御殿です。


二の丸庭園です。
3代将軍家光の上洛以降、14代将軍家茂が上洛する迄の、229年間将軍不在のまま幕末を迎え、庭園は荒れ、15代将軍慶喜の上洛時には樹木はほとんどなく、池は枯渇して枯山水風の庭園景観の様で荒廃していました。 大政奉還後二条城は転々と所管が変わり、宮内省に所管されてからは5回以上改修が行なわれ、特に離宮時代に行われた植栽工事は、幕末の庭園景が変貌する程の大規模な改修工事で、今日に至る基本的な景観が完成したと考えられているそうです。



残念ながら本丸御殿は修理中で見る事は出来ませんでした。
また見るチャンスが来るかなァ~~~???!!!
で、名残惜しく最後の記念撮影をして二条城を離れ、

雨も小降りから止みましたので嵯峨野のトロッコ列車にも乗って来ました。
嵯峨野のトロッコ列車は、保津川沿いをゆっくり走るトロッコ列車で、JR山陰線の複線化によって使われなくなった線路の観光利用を目的として、平成2年(1990年)社長以下9名のスタッフがで発足(嵯峨野観光鉄道株式会社)した鉄道です。
私は、始発駅のトロッコ嵯峨駅から乗り、終点のトロッコ亀岡駅で引き返す往復乗車。 保津川の渓谷を楽しむ事が出来ました。 ちょっと寒かったけどね!



下写真はトロッコ保津峡駅、昭和初期から使われていたJR保津峡駅の旧駅舎を利用しているそうです。 この存在感から第2回近畿の駅百選にも選ばれたそうです。
(ここで降りて散策すれば良かったと反省中!)

トロッコ亀岡駅近くの保津川と亀岡市街

今回の東海道五十三次は、京都観光の様相を呈してしまいましたが、楽しく、寒い冷たい雨もいい思い出になりました。
京都御所を見学 [ 旅行 関西以西]
東海道五十三次歩きも今回が最後と思い、東海道を歩く他に、思い切って京都に数日滞在し「京都御所」や「二条城」等を見学させて頂きました。
尚、京都御所は昨年「京都迎賓館」を見学にした時御所の外周を一周し見学させて頂きました。
京都御所の外周の見学をした時の記事は下記です。
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-03-04
京都御所は一般公開されており、見学の申込みや予約は必要なく、現地に行くだけで見学できます。しかも、自由参観のほか職員による日本語や英語・中国語による無料案内も行っております。 詳細は下記の宮内庁のページを参照願います。
https://sankan.kunaicho.go.jp/multilingual/information.html
私は地下鉄烏丸線の「今出川駅」で下車。 少し大きめのバックを今出川駅のコインロッカーに預け、必要最小限の手荷物で京都御所の「清所門」から入門。
門には警察官がおりましたが「お早うございます」程度の挨拶で、門を入ると係員による手荷物検査が行われ、それがすむと清所門の右側の待合室に入りました。 自由見学される方は待合室に入らずそのまま自由に見学も出来ます。
尚、待合室にも少しですが鍵付きロッカーがあり、自由に使用出来る様です。
下写真は昨年2月に御所の外周を見学した時の「清所門」で、今回はここから入場です。

日本語ガイドの案内開始時間は 9:30,10:30,13:30,14:30 の4回行われ、開始時刻になるとガイドの方が待合室に来られ、少しの注意事項を説明され、「これから日本語によるガイドを行います。ついて来て下さい。」の様な事を言われついていきます。
(本当にフランクなツアーで、同行の方々も節度を守りつつフランクに見学されていました。)
ガイドの方の案内で、最初に訪れたのは「宜秋門(ぎしゅうもん)」です。

次に「御車寄(おくるまよせ)」
昔は御所に参内(皇居に参上すること)する人は牛車を使って、上の宜秋門から入り、この御車寄で牛車を降りて、内裏の中に入ったとの事。(レンズにゴミが付いていた!)

次は「諸大夫の間(しょだいぶのま)」
参内した大名等が案内されるのを待つ部屋で、虎の間、鶴の間、桜の間があり、身分に応じてそれぞれの部屋に通されました。 虎の間が一番身分の高い部屋なのだそうです。

「新御車寄(しんみくるまよせ)」です。
明治維新以降は参内の際に馬車や自動車を使う様になり、新しく御車寄を作る必要がありました。 即位の礼のために、京都におられた大正天皇用にと作られたのがこの新御車寄(しんみくるまよせ)です。

建礼門(けんれいもん)
御所の一番南側の門が下写真の建礼門で、御所の正門にあたります。 正門というだけあって、その荘厳さは格別。 ほかの門とは、雰囲気も違うように感じます。

2023年2月20日の時に御所の外から見学した建礼門

承明門(じょめいもん)とその周りの回廊(かいろう)

紫宸殿(ししんでん)
左右対称の大きな美しい造りの建物で、ここは即位の礼等を行ってきた場所だそうです。 広い前庭には白砂が敷き詰められています。 中に入る事はできないが、門の外から眺めるだけでも立派な歴史を感じる建物です。
紫宸殿の前には「左近の桜」と「右近の橘(たちばな)」が植えられています。 左近の桜はもともとは梅だったが乾枯したのを機に仁明天皇の時に桜に植え替えられたとの事。
また、紫宸殿には天皇の即位の際に使用される高御座(たかみくら ※天皇の玉座)が保管されています。


紫宸殿の裏側です。 (裏側と言えども壮観です。 奥の建物は清涼殿です。)

春興殿(しゅんこうでん)
春興殿は,大正天皇の即位の礼に際し,神鏡を奉安して儀式を行うために建てられた御殿です。 昭和天皇の即位の礼でも使用されました。 その後老朽化が進み、平成 29 年から 31 年にかけて修復が行われ,造営当時の外観を取り戻しました。

清涼殿(せいりょうでん)
平安時代中期(10世紀中頃)以降天皇の日常のお住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われていました。 天翔18年(1590年)御常御殿(おつねごてん)にお住まいが移ってからは、主に儀式の際に使用されました。 伝統的な儀式を行う為に平安中期の建築空間や調度が古制に則って伝えられているとの事。


小御所(こごしょ)
室町時代、将軍参内のとき、休息したり装束を改めたりする為に設けられた所であり、 江戸時代には天皇が諸種の儀式や将軍・大名・幕府の使者等を謁見及び皇太子の元服などの儀式に用いられた建物との事。 明治維新の慶応3年(1868年1月)に徳川慶喜の処置を決める為のいわゆる「小御所会議」が開かれた場所でもあります。 安政度造営の小御所は1954年(昭和29年)8月16日に鴨川の花火で全焼し、現在の子御所はその4年後に安政度子御所を忠実に再現、再建されたものです。

子御所の前の「御池庭(おいけにわ)」

「御学問所(おがくもんじょ)」とその前庭が「蹴鞠の庭(けまりのにわ)」
御学問所は、内部・外観ともに書院造で、徳川家康による慶長度の造営時に初めて設けられた建物で、講書始などの行事が行われたほか、学問ばかりでなく遊興の場や天皇が公家らと対面する場としても用いられた。

蹴鞠は、約1,400年前に中国から伝えられた球戯の一種で、勝敗を争うのではなく、いかに蹴りやすい鞠を相手に渡すかという球戯です。鞠装束姿の人々が鹿革製の鞠を蹴り上げる様子は、歴史的な伝統と文化を感じます。

御常御殿(おつねごてん)
御常御殿は天皇の日常生活の場として用いられた。当御殿では孝明天皇と明治天皇が東幸するまでの住まいだった。またここから先は明治維新期まで奥向きの御殿とされ男子は稚児と老侍以外は男子禁制とされお付きの女官や女御など女性や女子のみしか立ち入りを許されなかった。

御常御殿の前の「御内庭(ごないてい)・錦台(きんたい)」

迎春(こうしゅん)・御涼所(おすずみしょ)・聴雪(ちょうせつ)
迎春は孝明天皇が書見(勉強)の場として建てた。
御涼所は迎春の北に接続する入母屋造、檜皮葺、東西棟の建物で、京都の暑い夏を快適に過ごすことを主眼とした建物。
聴雪は他の建物よりやや遅れて安政4年(1857年)に孝明天皇の好みで建てられたもので、寄棟造、杮葺の数寄屋造建築です。

御三間(おみま)
御常御殿の隣の小さな建物で、上段、中段、下段の3室からなり、涅槃会、茅輪、七夕、盂蘭盆などの行事がここで行われた。

で、名残惜しみながら京都御所内を後にし、清所門から外に。
