旧車(クラシック カー)のレストア日記 と 国内旅行
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/
7年間かけた ジャガー Eタイプ のレストアやメンテを紹介。2020年6月にはMG ミゼットを購入、メンテ状況も紹介中です。2009年12月から始めた東海道五十三次も紹介中です。
kotobuki1946
2024-01-20T09:29:24+09:00
ja
-
MG ミゼットのイグニッションキーについて
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-01-20
MG ミゼットは国内未登録の状態で手放すと決めた物の、自分で使う事を前提に「あれをしよう,これをしよう」と思っていた事があり、その一つにイグニッションのキーを2個にする事でした。(ニュージーランドから購入した時のイグニッションキーは1個しか付いていません。) そこで、今車に付いているキーのスペアーを作れないかと近所の鍵屋さん聞いたり、ネット検索をしましたが、何分にも古いキーである事、今車に付いているキーが「イタリアのスペアーキーメーカー」の物だった事などが判明した物のスペアーキーを作る事は出来ませんでした。 しかし、「キーを何処かに置き忘れてしまったり」と言う事がよくあり、やっぱり「安心の為にもキーは最低2個必要だよなァ~」との思いは捨てられませんでした。 そこで、ジャガーE-タイプのスペアーとして購入してあったイグニッションキー(下写真の左側)の配線が同じだった事もあり、これを組付けて見る事に! ジャガー E-タイプ用を結線し作動チェックをしてみました。 問題なく機能しました。 しかし、ジャガー用をインストに組み付けてみると、キーシリンダーとナットとの間に段差が出来てしまいました。 原因はジャガー用はキーシリンダーのネジが短かった事で、MGの従来品はネジが長く六角ナットで組み付け位置が調整できる様になっていました。(MGに組み付いていたキーも多分市販のキーで純正部品とか新車時から付いていたキーではないと思います。) 段差が付いたままでも機能上は問題ないのですが、やはり見てくれや何より「あッ! このキー、何かの流用品だ!」と思われるのがなんとも嫌で、やはりジャガー用のスペアーとして購入してあったキーバレルを、MGの車に付いていた従来品キーに組み付ける事に。従来品キーを分解しました。 ごめん! 写真を掲載して見ましたが、世の旧車の安全の為にキー内部の構造が分かる様な写真は削除しました。 (今回のブログの焦点だったんでしょうけどね!)ジャガー用スペアーのキーバレルをMGのキーシリンダーに組み付けました。 そして再度インストに組み付けて見ました。勿論六角ナットでインストパネルからの高さ調整もおこないました。 MGでやりたいと思っていた事はこれでほぼ全てだと思います。 又、何かあったら記事にします。 もし、この車を購入し気に入って頂いたら、私の趣味はサイコー! 幸せ一杯かな!
MG ミジェット ボディ & トリム
kotobuki1946
2024-01-20T09:29:24+09:00
MG ミゼットは国内未登録の状態で手放すと決めた物の、自分で使う事を前提に「あれをしよう,これをしよう」と思っていた事があり、その一つにイグニッションのキーを2個にする事でした。
(ニュージーランドから購入した時のイグニッションキーは1個しか付いていません。)
そこで、今車に付いているキーのスペアーを作れないかと近所の鍵屋さん聞いたり、ネット検索をしましたが、何分にも古いキーである事、今車に付いているキーが「イタリアのスペアーキーメーカー」の物だった事などが判明した物のスペアーキーを作る事は出来ませんでした。
しかし、「キーを何処かに置き忘れてしまったり」と言う事がよくあり、やっぱり「安心の為にもキーは最低2個必要だよなァ~」との思いは捨てられませんでした。
そこで、ジャガーE-タイプのスペアーとして購入してあったイグニッションキー(下写真の左側)の配線が同じだった事もあり、これを組付けて見る事に!
ジャガー E-タイプ用を結線し作動チェックをしてみました。 問題なく機能しました。
しかし、ジャガー用をインストに組み付けてみると、キーシリンダーとナットとの間に段差が出来てしまいました。 原因はジャガー用はキーシリンダーのネジが短かった事で、MGの従来品はネジが長く六角ナットで組み付け位置が調整できる様になっていました。
(MGに組み付いていたキーも多分市販のキーで純正部品とか新車時から付いていたキーではないと思います。)
段差が付いたままでも機能上は問題ないのですが、やはり見てくれや何より「あッ! このキー、何かの流用品だ!」と思われるのがなんとも嫌で、やはりジャガー用のスペアーとして購入してあったキーバレルを、MGの車に付いていた従来品キーに組み付ける事に。
従来品キーを分解しました。
ごめん!
写真を掲載して見ましたが、世の旧車の安全の為にキー内部の構造が分かる様な写真は削除しました。
(今回のブログの焦点だったんでしょうけどね!)
ジャガー用スペアーのキーバレルをMGのキーシリンダーに組み付けました。
そして再度インストに組み付けて見ました。
勿論六角ナットでインストパネルからの高さ調整もおこないました。
MGでやりたいと思っていた事はこれでほぼ全てだと思います。
又、何かあったら記事にします。
もし、この車を購入し気に入って頂いたら、私の趣味はサイコー! 幸せ一杯かな!
]]>
-
滋賀県の琵琶湖疏水と三井寺見学 その2 三井寺
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2024-01-05
2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、次回で終了です。で、東海道五十三次が終わるとなかなか琵琶湖周辺には来られないかもと思い、東海道歩きはそこそこに彦根城の他、題記琵琶湖疏水と三井寺も見てきました。 1日目は、彦根城を見学し、東海道五十三次を大津宿本陣跡からJR 山科駅迄歩きました。2日目は前回のブログの様に早めにホテルを出て「琵琶湖疏水第1トンネル東口」迄を見学。 「琵琶湖疏水第1トンネル東口」の上はT字路の様な道で、左に行っても三井寺の「観音堂」に行けますが、私は右に行き「三尾神社の山門を迂回する様に進み「総門」から入り、入山料600円を払い、左側の階段を上がり「三井寺の観音堂」に向かいました。総門から入り、階段を昇って行くともみじの紅葉も終盤、真っ赤な紅葉と落ち葉が晩秋を感じさせます。 所で三井寺は、正式名称を「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい天台寺門宗の総本山です。平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚により、天台別院として中興されました。 千二百年以上の歴史の中で、源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、智証大師への信仰に支えられ、苦難を乗り越え今日まで続いています。 長い趣のある階段を登りきると、観音堂に到着です。観音堂は、西国三十三所観音霊場の第14番札所です。 後三条天皇(1034~73年)の病気平癒を祈願して延久4年(1072)に創建されたと伝えられ、その後、文明年間(1469~86年)に現在地に移されたが、貞享3年(1686)に焼失し、元禄2年(1689)に再建されました。本尊は如意輪観音像(重要文化財)で、33年に一度に開帳される秘仏との事。快晴の空の青が凄かった!気候変動が激しいから冬でも「紺碧の空」と言っていいのですかね?左が観月舞台で、観音堂前の広場からは大津市内が一望できます。観音堂の参拝を終え、衆宝観音の前を通って「本家力餅」に。ここの力持ちは三井寺内でしか買えないとかで、今回のお土産はここで「弁慶の力餅」を購入しました。(写真はレンズにゴミが付いた様です。)(このお餅、黄な粉は青大豆と抹茶を混ぜた物の様で苦みがあり、餅は甘めで黄な粉との相性が良く本当に美味しかった。)お土産も買ったし、微妙寺の前を右に曲がり、金堂の方に約100m程進むと少し崩れかかった石橋の「村雲橋」を渡ります。 そして、村雲橋のすぐ先の左側の敷石の参..
旅行 関西以西
kotobuki1946
2024-01-05T07:54:59+09:00
2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、次回で終了です。
で、東海道五十三次が終わるとなかなか琵琶湖周辺には来られないかもと思い、東海道歩きはそこそこに彦根城の他、題記琵琶湖疏水と三井寺も見てきました。
1日目は、彦根城を見学し、東海道五十三次を大津宿本陣跡からJR 山科駅迄歩きました。
2日目は前回のブログの様に早めにホテルを出て「琵琶湖疏水第1トンネル東口」迄を見学。
「琵琶湖疏水第1トンネル東口」の上はT字路の様な道で、左に行っても三井寺の「観音堂」に行けますが、私は右に行き「三尾神社の山門を迂回する様に進み「総門」から入り、入山料600円を払い、左側の階段を上がり「三井寺の観音堂」に向かいました。
総門から入り、
階段を昇って行くともみじの紅葉も終盤、真っ赤な紅葉と落ち葉が晩秋を感じさせます。
所で三井寺は、正式名称を「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい天台寺門宗の総本山です。
平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚により、天台別院として中興されました。 千二百年以上の歴史の中で、源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、智証大師への信仰に支えられ、苦難を乗り越え今日まで続いています。
長い趣のある階段を登りきると、観音堂に到着です。
観音堂は、西国三十三所観音霊場の第14番札所です。 後三条天皇(1034~73年)の病気平癒を祈願して延久4年(1072)に創建されたと伝えられ、その後、文明年間(1469~86年)に現在地に移されたが、貞享3年(1686)に焼失し、元禄2年(1689)に再建されました。
本尊は如意輪観音像(重要文化財)で、33年に一度に開帳される秘仏との事。
快晴の空の青が凄かった!
気候変動が激しいから冬でも「紺碧の空」と言っていいのですかね?
左が観月舞台で、観音堂前の広場からは大津市内が一望できます。
観音堂の参拝を終え、衆宝観音の前を通って「本家力餅」に。
ここの力持ちは三井寺内でしか買えないとかで、今回のお土産はここで「弁慶の力餅」を購入しました。(写真はレンズにゴミが付いた様です。)
(このお餅、黄な粉は青大豆と抹茶を混ぜた物の様で苦みがあり、餅は甘めで黄な粉との相性が良く本当に美味しかった。)
お土産も買ったし、
微妙寺の前を右に曲がり、金堂の方に約100m程進むと少し崩れかかった石橋の「村雲橋」を渡ります。
そして、村雲橋のすぐ先の左側の敷石の参道を進むと、4脚門を通って「唐院潅頂堂」や「三重塔」奥には「大師堂」を見る事が出来ました。
唐院は三井寺の開祖・智証大師の御廟として三井寺の中でも最も清浄な聖域だそうです。
又、三重塔は慶長6年(1601年)徳川家康が三井寺に寄進した仏塔だそうです。 もとは奈良県吉野の比蘇寺(現在の世尊寺)の東塔だったそうです。
三重塔等の前を通り、「一切経蔵」の前を通て、「弁慶の引き摺り鐘」に向かいます。
一切経蔵は三井寺唯一の禅宋様建築で、山口県国清寺(現在の洞春寺)の経蔵を、慶長7年(1602年)に毛利輝元によって移築されたとの事。
「弁慶の引き摺り鐘」を祀った「霊鐘堂」に到着です。
ここには弁慶が三井寺から奪って、比叡山に引き摺り上げたとの伝承の鐘と、弁慶の汁鍋が保管されています。
鐘は、「延暦寺と園城寺両門の争い」の頃に弁慶が延暦寺へ奪っていったが、撞いた所「イノーイノー(関西弁で帰りたい)」と響いた為弁慶は怒って谷底へ投げ捨て、園城寺に戻ったとの事。
霊鐘堂の裏を回り込む様に金堂の方に向かうと「閼伽井屋(あかいや)」がありました。
閼伽(あか)とは水のことで、仏に供える水や花を用意する施設が閼伽井屋との事。
閼伽井屋内に湧き出る霊泉は天智・天武・持統の三天皇の産湯に用いられたと伝えられ「三井寺」と言う名称の由来ともなったそうです。 建物は慶長5年(1600年)、建物正面上部の龍は左甚五郎の作。
閼伽井屋と金堂の間を通って金堂の前に出ました。
金堂にお参りし、更に金堂内の仏様の周りを一周する様に拝観、円空さんの粗削り仏像等を見る事が出来ました。
又、金堂の前には「三井の晩鐘」で有名な鐘楼がありました。
三井の晩鐘は1602年の再建で、宇治の平等院,高雄の神護寺と共に日本三銘鍾に数えられ、荘厳な音色は有名だそう。 この鐘は「弁慶の引き摺り鐘」の後継ぎとして豊臣家により鋳造されました。
鐘撞堂の隣に事務省の様な所があり。拝観料とは別に800円を払うと撞くことが出来ます。
(中国人の様な家族が鐘を撞いていました。)
で、金堂から仁王門に行こうとしましたが、閼伽井屋と金堂の間を通て金堂前に出た為に、仁王門の方に行く階段が見つからず、村雲橋の方迄戻ったりでうろうろしてしまいました。
金堂の東側に回ると大きな階段が見つかりました。
真っ赤なもみじすごいでしょ!!!
釈迦堂の前を通って仁王門へ。 釈迦堂の前では何故か手を合わせ一礼。
で、道に迷った挙句やっとの事「仁王門」に到着しました。
で、三井寺の見学も終え、最後の一枚を撮って京阪電車で京都のホテルに行こうと思ったが!
その最後の一枚がなんとカメラの電池切れ?! 充分に充電しておいたのに!!!
で、カメラのスイッチを切り、少し待ち再度スイッチON!
最後の一枚が、こちらです。
園城寺交差点から三井寺正門の「仁王門」を見た所です。
次回は京都三条大橋まで歩き、その前後に京都観光を計画しています。
次回は電池不足にならない様充電し、携帯用バッテリー等を持って、
・・・・ 春になったら行こう。
]]>
-
2024年 新年の挨拶
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2024-01-01
明けまして おめでとうございます。 皆様のご健康とご多幸をお祈りします。 今年もよろしくお願い致します。 Happy New Year I wish you all good health and happiness. Thank you for your continued support this year. 令和6年 元旦
日記
kotobuki1946
2024-01-01T08:41:12+09:00
明けまして
おめでとうございます。
皆様のご健康とご多幸をお祈りします。
今年もよろしくお願い致します。
Happy New Year
I wish you all good health and happiness.
Thank you for your continued support this year.
令和6年 元旦
]]>
-
滋賀県の琵琶湖疏水と三井寺見学 その1(琵琶湖疏水)
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-12-31
2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、次回で終了です。で、東海道五十三次が終わってしまうとなかなか琵琶湖周辺には来られないかもと思い、東海道歩きはそこそこにして、今回彦根城の他題記琵琶湖疏水と三井寺を見てきました。 前日、彦根城を見学し、東海道五十三次を大津宿本陣跡からJR 山科駅迄歩き、約26000歩。結構疲れたもののホテルでしっかり休む事が出来、元気に2日目の観光に入りました。(まさに東海道五十三次ではなく、観光旅行の様相を呈して来ました。) 朝8時半頃にホテルを出て、京阪電車の「びわこ浜大津駅」から1つ先の駅「三井寺駅」に向かいます。(ホテルから琵琶湖疏水迄は充分に歩ける距離だったのかも!)びわこ浜大津駅手前では路面電車の様な京阪電車に遭遇。 びわこ浜大津駅は橋上駅で、2階に上がると改札口の北東側に県道18号線をまたぐ様に歩道橋が伸びていました。 で、歩道橋の最先端迄行き、琵琶湖とその奥の山々を観光。 夏に観光した「伊吹山」は琵琶湖のズ~~ッと奥の方との事。琵琶湖の大きさを改めて実感。 伊吹山観光のページは右記; https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-08-08 京阪電車で三井寺駅に向いましたが、途中迄は路面電車の様に道路中央を走り、途中からは道路から離れ走行。 写真の先の方が三井寺駅。 三井寺駅は無人駅で、駅を出てまっすぐに琵琶湖疏水の最も琵琶湖側の取水場所に向かいました。 写真の奥は琵琶湖です。 琵琶湖疏水は、琵琶湖の水を滋賀県大津市から京都市へ流す為、明治時代に作られた水路(疏水,運河)です。 第1疏水は1890年に完成し、第2疏水は1912年に完成。 第1疏水は全長約20kmで、第二疏水は第1疏水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4kmで、両疏水を合わせ23.65m3/s(昭和61年値)を滋賀県大津市で取水しています。着工当時多くの大規模工事は外国人技術者が関与していましたが、この琵琶湖疏水は設計から施工まですべての工程を日本人の手で担った、最初の事例となりました。 詳細は右記のページを参照願います; https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/story/ 又、ウィキペディアのページは;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9..
旅行 関西以西
kotobuki1946
2023-12-31T08:36:44+09:00
2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、次回で終了です。
で、東海道五十三次が終わってしまうとなかなか琵琶湖周辺には来られないかもと思い、東海道歩きはそこそこにして、今回彦根城の他題記琵琶湖疏水と三井寺を見てきました。
前日、彦根城を見学し、東海道五十三次を大津宿本陣跡からJR 山科駅迄歩き、約26000歩。
結構疲れたもののホテルでしっかり休む事が出来、元気に2日目の観光に入りました。
(まさに東海道五十三次ではなく、観光旅行の様相を呈して来ました。)
朝8時半頃にホテルを出て、京阪電車の「びわこ浜大津駅」から1つ先の駅「三井寺駅」に向かいます。(ホテルから琵琶湖疏水迄は充分に歩ける距離だったのかも!)
びわこ浜大津駅手前では路面電車の様な京阪電車に遭遇。
びわこ浜大津駅は橋上駅で、2階に上がると改札口の北東側に県道18号線をまたぐ様に歩道橋が伸びていました。 で、歩道橋の最先端迄行き、琵琶湖とその奥の山々を観光。
夏に観光した「伊吹山」は琵琶湖のズ~~ッと奥の方との事。琵琶湖の大きさを改めて実感。
伊吹山観光のページは右記; https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-08-08
京阪電車で三井寺駅に向いましたが、途中迄は路面電車の様に道路中央を走り、途中からは道路から離れ走行。 写真の先の方が三井寺駅。
三井寺駅は無人駅で、駅を出てまっすぐに琵琶湖疏水の最も琵琶湖側の取水場所に向かいました。 写真の奥は琵琶湖です。
琵琶湖疏水は、琵琶湖の水を滋賀県大津市から京都市へ流す為、明治時代に作られた水路(疏水,運河)です。 第1疏水は1890年に完成し、第2疏水は1912年に完成。
第1疏水は全長約20kmで、第二疏水は第1疏水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4kmで、両疏水を合わせ23.65m3/s(昭和61年値)を滋賀県大津市で取水しています。
着工当時多くの大規模工事は外国人技術者が関与していましたが、この琵琶湖疏水は設計から施工まですべての工程を日本人の手で担った、最初の事例となりました。
詳細は右記のページを参照願います; https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/story/
又、ウィキペディアのページは;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E7%96%8F%E6%B0%B4
下写真が琵琶湖疏水の「琵琶湖第一疏水揚水機場」です。 ここから京都に水を送ります。
所で最近、琵琶湖の水位が通常より約70㎝程下がっているとの事。 黄色矢印の水の跡がその証拠でしょうかね。
揚水機場を通った水は疏水の水道を流れていきます。
ちょうど紅葉(こうよう)の終盤で、紅葉(もみじ)の紅葉(こうよう)がすごかった。
青矢印先は京阪電車です。
ここ琵琶湖第一疏水の両岸は桜並木となっており、開花時期はさぞ賑わうのでしょう。
更に上流には琵琶湖第一疏水の遊覧船も停泊していました。
(遊覧船の運行はすでに終了し、来春運航再開との事でホームページを見て欲しいとの事。)
乗船予約のページは右記; https://biwakososui.jp/biwakososui/
で、第一疏水揚水機場からまっすぐに500mで「琵琶湖疏水第1トンネル東口」に到着。
ここからの琵琶湖第一疏水は山科迄(厳密には大津市と京都の境界付近)トンネルとなります。
琵琶湖疏水第1トンネル東口のすぐ上は変形のT字路になっており、三井寺の観音堂は琵琶湖疏水第1トンネルの真上の様で、T字路を右に行っても左に行っても観音堂に行ける様です。
私は右側に行き、三尾神社の鳥居を迂回して三井寺の総門から観音堂に向かいました。
大分長くなりますので、三井寺は「その2」とします。
とッ 書きつつもう一言だけ、
日本最古の水道は1545年以前に北条氏康が作った物の様で、小田原の早川から取水し小田原城下に送水した水道だそうです。 取水口付近は今でも見る事が出来ます。
「小田原早川上水」のウイキペディアのページは下記;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%97%A9%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%B0%B4
私も東海道五十三次歩きの時に見てきました。
その時の東海道歩きのページは右記;https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2010-10-17
]]>
-
滋賀県彦根市の彦根城
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-12-20
2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、限りなく終盤に近く「もう終わってしまうのか! なんか寂しい様な!」と思い滋賀や京都の観光地を観光し、東海道はちょとしか歩かずに「東海道五十三次の終了」を先延ばしにしている様な! そんな心理の中、今回は3か所もの名所旧跡を観光、その1つが「彦根城」の見学です。 彦根城は、井伊直継によって現在の滋賀県彦根市金亀町の彦根山に、井伊氏の拠点として元和8年(1622年)に築かれた平山城(標高50m)で、多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城です。 明治時代に入り廃城令で多くのお城が壊されたが彦根城は破却を免れ、天守と附櫓(つけやぐら)、多聞櫓(たもんやぐら)が国宝に指定されている他、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。 彦根城はJR彦根駅西側からも望め、西口広場には井伊直政の銅像もあります。 彦根駅西口から約600m、10分程でお堀ぞいの松並木「彦根城のいろは松」が右に見えます。 更に松並木を進み、「 彦根城 二の丸佐和口多聞櫓」わきを回り込むように進み、「彦根城 馬屋」の前をお堀ぞいに左に進むと「彦根城 表門橋」に出ます。JR彦根駅から彦根城のいろは松 二の丸佐和口多聞櫓 左写真の左側の橋が彦根城 表門橋。彦根城にはお堀巡りの屋形船遊覧もある様です。 お堀の背後の建物は彦根城博物館と思う。 屋形船のホームページ https://www.yakatabune.info/ 表門橋を渡り、発券所で入場券(800円)を購入し、城内に入って行きます。確か120段と言われていたと思う緩めの階段を昇って行くと、次第にきつくなり立派な石垣が見え、「彦根城 廊下橋(落とし橋)」も見えて来ました。「彦根城 廊下橋(落とし橋)」の下をくぐり、石垣を回り込むようにして廊下橋を渡り、「彦根城 天秤櫓」を通ります。 天秤櫓を通ってさらに上ると曲がり角左に「彦根城 時報鐘」があります。この鐘は12代藩主井伊直亮が弘化元年(1844年)に鋳造した物で、当初城下北隅にあった為鐘の音がとどかず、現在地に移したとの事。 鐘は午前6時、9時、正午、3時、9時に付かれたとの事。鐘の所を右に曲がって行き「彦根城 太鼓門櫓」を通って進むと天守閣の前庭に出ます。天守前広場で、通り掛かりの方にひこにゃんを背後に記念写真を..
旅行 関西以西
kotobuki1946
2023-12-20T10:14:48+09:00
2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、限りなく終盤に近く「もう終わってしまうのか! なんか寂しい様な!」と思い滋賀や京都の観光地を観光し、東海道はちょとしか歩かずに「東海道五十三次の終了」を先延ばしにしている様な!
そんな心理の中、今回は3か所もの名所旧跡を観光、その1つが「彦根城」の見学です。
彦根城は、井伊直継によって現在の滋賀県彦根市金亀町の彦根山に、井伊氏の拠点として元和8年(1622年)に築かれた平山城(標高50m)で、多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城です。
明治時代に入り廃城令で多くのお城が壊されたが彦根城は破却を免れ、天守と附櫓(つけやぐら)、多聞櫓(たもんやぐら)が国宝に指定されている他、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。
彦根城はJR彦根駅西側からも望め、西口広場には井伊直政の銅像もあります。
彦根駅西口から約600m、10分程でお堀ぞいの松並木「彦根城のいろは松」が右に見えます。 更に松並木を進み、「 彦根城 二の丸佐和口多聞櫓」わきを回り込むように進み、「彦根城 馬屋」の前をお堀ぞいに左に進むと「彦根城 表門橋」に出ます。
JR彦根駅から
彦根城のいろは松 二の丸佐和口多聞櫓
左写真の左側の橋が彦根城 表門橋。
彦根城にはお堀巡りの屋形船遊覧もある様です。 お堀の背後の建物は彦根城博物館と思う。
屋形船のホームページ https://www.yakatabune.info/
表門橋を渡り、発券所で入場券(800円)を購入し、城内に入って行きます。
確か120段と言われていたと思う緩めの階段を昇って行くと、次第にきつくなり立派な石垣が見え、「彦根城 廊下橋(落とし橋)」も見えて来ました。
「彦根城 廊下橋(落とし橋)」の下をくぐり、石垣を回り込むようにして廊下橋を渡り、「彦根城 天秤櫓」を通ります。
天秤櫓を通ってさらに上ると曲がり角左に「彦根城 時報鐘」があります。
この鐘は12代藩主井伊直亮が弘化元年(1844年)に鋳造した物で、当初城下北隅にあった為鐘の音がとどかず、現在地に移したとの事。 鐘は午前6時、9時、正午、3時、9時に付かれたとの事。
鐘の所を右に曲がって行き「彦根城 太鼓門櫓」を通って進むと天守閣の前庭に出ます。
天守前広場で、通り掛かりの方にひこにゃんを背後に記念写真を撮って頂きました。
次に天守閣内に入ります。
何処のお城もそうですが、階段は非常に急です。 金網越しに城下も見る事が出来ます。
で、天守閣内の職員の方に伺った所、何度もメンテをを行っているので、本当に建築当初の部材は3割位だろうとの事。
天守内の写真はひどいピンボケ・シャッターブレでした。 ごめん!
天守閣を出て名残惜しく振り返り、カシャ!
確か天秤櫓の下で天守閣に登った時の道と別れ、「彦根城 大手門橋」方向に下り、彦根城見学は終了です。
彦根城見学は、彦根駅を出発し、駅に戻る迄で約三時間でした。 その内約30分ほど昼食を取りましたので実質2時間半かも。
彦根駅に戻り改めて井伊直弼の銅像を見学、今回の東海道五十三次の出発地大津に向かいます。
で、ここで、彦根駅からの最初の写真に戻って頂きます。
空模様が大きく違います。 最初駅を降りた時は快晴に近い晴れ!
彦根城見学が終え駅に戻った時は今にも大雨になりそうな空模様。 風も冷たく!
でも大丈夫、kotobuki は心がけがいいから。 お天道様を信じます。
ブログの https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-12-11-1 を見てください!
]]>
-
MG ミゼットのレストア経過を一冊のファイルにしました。
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-12-16
MGミゼット(Midget)をニュージーランドから輸入し、3年かけてレストアして来ました。そのレストアの状況を出来る限り細かくと心がけてブログに掲載して来ました。その結果、ミゼットのブログ記事は2023年11月末で 121回になりました。 しかも、この車が私の手から離れると言う事で、私の記念にもと思いブログをエクセルに落とし込み、印刷し1冊のファイルにしてみました。 A4のファイルは、440ページ、裏表印刷で約 5cm(0.2mm厚の紙)の厚みになりました。で、出来上がったファイルは下写真の様です。ファイルの表紙を開けると約 5cm厚の印刷物が始まります。最初の記載は全体の目次や各カテゴリーの目次となっています。(隙間があれば写真を添付してみたが、ゴテゴテしすぎの様です。)今回の MG Midget は、現地での現車確認や購入、船積み、輸入通関等の経過もブログで記事にしてありましたので、印刷してファイリングしました。下写真の時に初めて MG Midget の実車を見ました。ジャガーとは同じ年式のクラシックカーですが、全くイメージの異なる車です。 エンジンのページは下記の様で、サスペンション、ボディ&トリム、他にパワートレインやエレクトリック等2023年11月迄の MG Midget に関するブログは全て印刷し、ファイリングしました。 まだ MG Midget に関しての記事を書くと思いますが、ここ迄のブログ内容をでよければ、ご希望の方にはUSBメモリー(メモリーは実費)でお譲りできます。印刷してのファイルは工数や費用が掛かりすぎますのでUSBメモリーのみとします。
MG ミジェット 購入手続き・その他
kotobuki1946
2023-12-16T07:34:07+09:00
MGミゼット(Midget)をニュージーランドから輸入し、3年かけてレストアして来ました。
そのレストアの状況を出来る限り細かくと心がけてブログに掲載して来ました。
その結果、ミゼットのブログ記事は2023年11月末で 121回になりました。
しかも、この車が私の手から離れると言う事で、私の記念にもと思いブログをエクセルに落とし込み、印刷し1冊のファイルにしてみました。
A4のファイルは、440ページ、裏表印刷で約 5cm(0.2mm厚の紙)の厚みになりました。
で、出来上がったファイルは下写真の様です。
ファイルの表紙を開けると約 5cm厚の印刷物が始まります。
最初の記載は全体の目次や各カテゴリーの目次となっています。
(隙間があれば写真を添付してみたが、ゴテゴテしすぎの様です。)
今回の MG Midget は、現地での現車確認や購入、船積み、輸入通関等の経過もブログで記事にしてありましたので、印刷してファイリングしました。
下写真の時に初めて MG Midget の実車を見ました。
ジャガーとは同じ年式のクラシックカーですが、全くイメージの異なる車です。
エンジンのページは下記の様で、
サスペンション、
ボディ&トリム、
他にパワートレインやエレクトリック等2023年11月迄の MG Midget に関するブログは全て印刷し、ファイリングしました。
まだ MG Midget に関しての記事を書くと思いますが、
ここ迄のブログ内容をでよければ、ご希望の方にはUSBメモリー(メモリーは実費)で
お譲りできます。
印刷してのファイルは工数や費用が掛かりすぎますのでUSBメモリーのみとします。
]]>
-
MG ミゼットにオートゲージ(Autogeuge) の電圧計と時計を組付けました。
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-12-14
既に国内未登録車として販売する事を決めている「MG Midget」(ミゼット)ではありますが、自分で乗る為に約1年半前に購入しておいた「電圧計」と「時計」を組付けてみました。(国内未登録車の場合は新車と同じ扱いで国内登録できます。)「MG Midget」(ミゼット)を手放す事にした経過等は下記ページを参照願います。 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-10-05下写真が購入した電圧計と時計です。で、ダッシュボードに組み付ける為にアルミ材と鉄板でブラケット製作しました。 ダッシュボードに使用した黒の本皮をブラケットに貼り、電圧計と時計を組み付けた結果は下写真の様です。 ダッシュボードに組み付けた感じは下の様です。下写真はイグニッション OFFの状態で、メーターのライトが消えている。イグニッション ONにするとメーターのライトが点灯し、メーターも作動し始めます。 マイナスアース化した配線を基に、電圧計と時計の配線は下記の様に行いました。(今回の様にメーター等の他ETCやナビ等市販のアクセサリーを組み付けるには、電気関係をマイナスアース化する事が必須ではないかと思います。) 配線図をクリックすると拡大表示され鮮明化します。 で、走行してみるとミッションのシフトレバーとメーターが近く、問題なくシフトは出来るものの、ローギアーのシフト時メーターに手がこする程度になってしまいました。 そこで、ブラケットの皮を剥し、ブラケットの裏表を反対にし、再度皮を貼りメーターを組み付けて見ました。 車への組み付けもブラケットを裏表反対にした事で、メーターの表示面が約20mm強奥に移動しており、走行テストではローギアーシフト時もサードシフト時も手がメーターにあたる事はありませんでした。メーターは下の様に見えます。(もし、この車を購入した方が不要と言うのであればすぐに取り外し可能です!) この「MG Midget」(ミゼット)に興味ある方はこのページにコメントか、エンスーの杜にお問い合わせを。 現車は何時でも見る事げ出来ます。
MG ミジェット エレクトリカル
kotobuki1946
2023-12-14T09:13:12+09:00
既に国内未登録車として販売する事を決めている「MG Midget」(ミゼット)ではありますが、自分で乗る為に約1年半前に購入しておいた「電圧計」と「時計」を組付けてみました。
(国内未登録車の場合は新車と同じ扱いで国内登録できます。)
「MG Midget」(ミゼット)を手放す事にした経過等は下記ページを参照願います。
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-10-05
下写真が購入した電圧計と時計です。
で、ダッシュボードに組み付ける為にアルミ材と鉄板でブラケット製作しました。
ダッシュボードに使用した黒の本皮をブラケットに貼り、電圧計と時計を組み付けた結果は下写真の様です。
ダッシュボードに組み付けた感じは下の様です。
下写真はイグニッション OFFの状態で、メーターのライトが消えている。
イグニッション ONにするとメーターのライトが点灯し、メーターも作動し始めます。
マイナスアース化した配線を基に、電圧計と時計の配線は下記の様に行いました。
(今回の様にメーター等の他ETCやナビ等市販のアクセサリーを組み付けるには、電気関係をマイナスアース化する事が必須ではないかと思います。)
配線図をクリックすると拡大表示され鮮明化します。
で、走行してみるとミッションのシフトレバーとメーターが近く、問題なくシフトは出来るものの、ローギアーのシフト時メーターに手がこする程度になってしまいました。
そこで、ブラケットの皮を剥し、ブラケットの裏表を反対にし、再度皮を貼りメーターを組み付けて見ました。
車への組み付けもブラケットを裏表反対にした事で、メーターの表示面が約20mm強奥に移動しており、走行テストではローギアーシフト時もサードシフト時も手がメーターにあたる事はありませんでした。
メーターは下の様に見えます。
(もし、この車を購入した方が不要と言うのであればすぐに取り外し可能です!)
この「MG Midget」(ミゼット)に興味ある方はこのページにコメントか、エンスーの杜にお問い合わせを。 現車は何時でも見る事げ出来ます。
]]>
-
東海道五十三次 大津宿から京都三条大橋 その1(大津から山科)
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-12-11-1
先日、久しぶりに東海道五十三次を歩いてきました。 今回は「大津宿大塚本陣跡」から京都市山科迄と短距離として、むしろ「琵琶湖疏水」等琵琶湖周辺の観光が主となってしまいました。 で、観光部分は別途レポートするとして、今回は大津宿から山科迄をレポートします。 12月3日朝、新幹線で米原迄行き東海道本線に乗り換え彦根で「彦根城」を見学、そして再度東海道本線に乗り大津駅に着いたのは午後2時頃。 前回(2023.5.25)の終点大津宿大塚本陣跡迄行き、東海道歩きを始めました。 大塚本陣から350mでJR線の蝉丸跨線橋 (上関寺トンネル)に出ました。 この辺の東海道線は複々線になおり、南側の2線はレンガ造り、北側の2線はコンクリート造り。 「蝉丸跨線橋」(表示プレートには「上関寺」とあった)と言われ、レンガ造りの方は大正10年に竣工したそうです。 下写真の様に大正10年のトンネルが今でも現役です。 JRのトンネルから400m程歩くと街道から京阪線を挟んで「関蝉丸神社下社」がありました。「琵琶の名手蝉丸をまつる神社で、この神社は下社にあたる。 平家物語、謡曲「蝉丸」などにも、その名が見え古くから歌舞音曲の神として知られる」との事。 大塚本陣跡から約600m、京阪電車の踏切を超え「安養寺」前に出ます。 ここには下写真の様に「逢坂(おうさか)」の説明石柱(空色矢印)等が立っていました。 石柱には下記のような説明が。 「「日本書紀」によれば、神功(しんぐう)皇后の将軍・武内宿禰(たけのうち すくね)がこの地で忍熊王(おしくまおう)とぱったりと出会ったことに由来すると伝えられています。この地は、京都と近江を結ぶ交通の要衝で、平安時代には逢坂関が設けられ、関を守る関蝉丸神社や関寺も建立され和歌などに詠まれる名所として知られました。」 更に進み「安養寺」から約100m、街道の右側に「旧逢坂山隧道東口跡地」があります。 この隧道は、日本人技術者のみで完成した日本最初のトンネルで、1878(明治11)年10月に起工、1880(明治13)年6月28日竣工。 東海道本線大津~京都間の旧線のトンネルで、馬場駅(現在の膳所駅(ぜぜ駅))~大谷駅(大正10年8月1日廃止)の間のトンネルとして使われていましたが、大正10(1921)年8月1日に東海道本線の短絡新線(現在の東海道本線)が出来た事で使用廃止となりました。 (上記蝉丸跨線橋 の所のトン..
東海道五十三次
kotobuki1946
2023-12-11T08:28:54+09:00
先日、久しぶりに東海道五十三次を歩いてきました。
今回は「大津宿大塚本陣跡」から京都市山科迄と短距離として、むしろ「琵琶湖疏水」等琵琶湖周辺の観光が主となってしまいました。 で、観光部分は別途レポートするとして、今回は大津宿から山科迄をレポートします。
12月3日朝、新幹線で米原迄行き東海道本線に乗り換え彦根で「彦根城」を見学、そして再度東海道本線に乗り大津駅に着いたのは午後2時頃。 前回(2023.5.25)の終点大津宿大塚本陣跡迄行き、東海道歩きを始めました。
大塚本陣から350mでJR線の蝉丸跨線橋 (上関寺トンネル)に出ました。
この辺の東海道線は複々線になおり、南側の2線はレンガ造り、北側の2線はコンクリート造り。 「蝉丸跨線橋」(表示プレートには「上関寺」とあった)と言われ、レンガ造りの方は大正10年に竣工したそうです。
下写真の様に大正10年のトンネルが今でも現役です。
JRのトンネルから400m程歩くと街道から京阪線を挟んで「関蝉丸神社下社」がありました。
「琵琶の名手蝉丸をまつる神社で、この神社は下社にあたる。 平家物語、謡曲「蝉丸」などにも、その名が見え古くから歌舞音曲の神として知られる」との事。
大塚本陣跡から約600m、京阪電車の踏切を超え「安養寺」前に出ます。 ここには下写真の様に「逢坂(おうさか)」の説明石柱(空色矢印)等が立っていました。 石柱には下記のような説明が。
「「日本書紀」によれば、神功(しんぐう)皇后の将軍・武内宿禰(たけのうち すくね)がこの地で忍熊王(おしくまおう)とぱったりと出会ったことに由来すると伝えられています。この地は、京都と近江を結ぶ交通の要衝で、平安時代には逢坂関が設けられ、関を守る関蝉丸神社や関寺も建立され和歌などに詠まれる名所として知られました。」
更に進み「安養寺」から約100m、街道の右側に「旧逢坂山隧道東口跡地」があります。
この隧道は、日本人技術者のみで完成した日本最初のトンネルで、1878(明治11)年10月に起工、1880(明治13)年6月28日竣工。
東海道本線大津~京都間の旧線のトンネルで、馬場駅(現在の膳所駅(ぜぜ駅))~大谷駅(大正10年8月1日廃止)の間のトンネルとして使われていましたが、大正10(1921)年8月1日に東海道本線の短絡新線(現在の東海道本線)が出来た事で使用廃止となりました。 (上記蝉丸跨線橋 の所のトンネルが使われる様になり下写真のトンネルは廃止となった。)
「安養寺」から450mで高速道路の下に、国道1号線は東京日本橋から486kmとの表示でした。
高速道路下から約100mで「関蝉丸神社上社」に到着。 下社からは約800mだった。
更に高速道路下からで200m程歩くと「弘法大師堂」がありました。
紅葉は終盤でしたが趣のある風情でした。
弘法大師堂を過ぎると街道は大きく曲がり、登り坂も急になり、しかも人家はほとんどなく、日陰の寒さや彦根城観光の疲れとも重なり、なんとなく寂しい様な気分になりかけたが、「もうすぐ京都! もうすぐ京都!」 と奮い立たせて坂を上り切りました。
下写真は坂の途中から大津方面に振り返って撮影。
弘法大師堂から約270m、「東海自然歩道 逢坂山歩道橋」を通過するとすぐ右側に「逢坂の関」がありました。 今回の東海道歩きではこの「逢坂の関の石碑」を見る事が1つの目標でしたので目標を1つ達成。 しかもこの関跡が峠の頂上の様でこれからは下りだけと思うと気が楽になりました。
この逢坂の関跡には上写真の様に石碑と逢坂常夜燈があり、その隣には下写真の様に休息所があり、逢坂の関の説明やこの付近の歴史的な事柄を書いた掲示板がありました。
掲示板の中には「逢坂の関」も下写真の様に説明されており、他には逢坂越えの「車石(後に詳細説明あり)」、日本国内算盤発祥の地「大津算盤(1612年に中国からの算盤を改良した物)」、17世紀前期から旅行者の土産用としての販売された「大津絵」等が記されていました。
関跡を過ぎたと所で国道1号と分かれ、右側のうなぎ屋さんが並ぶ通りに入って行きます。
うなぎ屋さんの通りを300m程歩くと再び国道1号に出ます。 そこで歩道橋を渡り更に400m程歩くと「月心寺」に出ますが、その手前のお宅の前に「車石と車輪が置かれ、大津算盤に関する石柱」も立っていました。
車石とについては上記の関跡の休息所の掲示板に下記の様に細かく説明されていました。
写真をクリックすると拡大表示され、石柱には「算盤の始祖片岡庄兵衛」さんに関する説明が書かれており、その文書も読めます。
月心寺の西角には「右一里丁 左大谷町」と読むだろう石碑があり、この石碑から京都寄り付近が「一里町」と呼ばれ「大谷の一里塚」があったと思われるが塚は見つからなかった。
月心寺から800m程歩くと国道1号線は右にカーブし高速道路の下をくぐり、旧東海道は1号線と別れ大津警察署藤尾交番の左側に入っていきます。 で、月心寺から1.2㎞で「髭茶屋追分」に出ました。 中央の石柱には「みきハ京ミち」と書かれていて、もう一つには「蓮如上人御塚」と書かれており、最近補修した様です。
で、下右の写真は東海道を歩いておられた先人「東海道のんびり旅」のレポートの写真をお借りしましたが、この方の2006年12月23日の時点の写真では道路に半分埋まっていた様です。
勿論私は江戸時代の道しるべに従って交差点の右側の道を進みます。
髭茶屋追分の交差点から約100m、「閑栖寺」にも車石の展示と説明がありました。 ここの境内には車石の模様が再現されている様ですが門が締まっており、先に進む事に。
さらに進み、髭茶屋追分から450mの所に国道1号線を横切る歩道橋がありましたが、なんと歩道橋は使用禁止! 一瞬パニックになりましたが、掲示板を見て1号線の歩道を大津方面に戻り、地下道をくぐり何とか街道筋にでました。
歩道橋から約100m戻った所の地下道入り口 地下道を出て旧東海道に戻って
髭茶屋追分から約700mの所に「三井寺観音道」と記された石柱がありました。
この道標が「小関越道標」であり、ここを右折し道標通りに北の方に入り、小関越えをして大津市小関町3丁目にある「小関越道標」に出て道標の交差点を左折し三井寺の観音堂に行く事が出きます。 この小関道を歩いてみたい様な誘惑がヒシヒシと! でも今は無理 我慢我慢。
所でこの「小関」とは、古代に関所があった逢坂の関を大関として、この三井寺観音堂道は裏道にあたり小関と呼ばれていた様です。
実は「大津警察署藤尾交番」を過ぎたあたりから「マダカ マダカ」とず~~~ッと探し求めていた標識 がやっと見つかりました。 それが下写真に写っています。
そう! 「京都市」の道路標識です。
やりました。日本橋を2009年12月15日に出発して実に14年かけてやっと京都に到着しました。
多くの街道歩きをされておられる方からすると「遅い」 の一言でしょうが、色々あってやっとここまで来ました。 だが感賞するのはまだ早い!
気を取り直して歩くと京都市の標識から450m、立派なお寺風の建物があり、思わずカメラをパチリ! (何時もの私でしたら見学するのですがパチリのみ。 実は午前中は彦根城を見学させて頂き、大津に移動、逢坂を上がって来た疲れで(26000歩を越えていた)ヘトヘト,足はパンパンだったのです。)
このお寺さんは徳倫庵(山科地蔵)と言われ、本尊に地蔵菩薩様を祀る臨済宗南禅寺派の寺院です。
で、お地蔵様を通りお地蔵さまから歩く事400m、京阪電車の「京阪山科駅」・「JR山科駅」前の交差点に到着。
本日の目標達成,今回の東海道歩きは終了。
次回の東海道歩きで「完歩」となります。 寂しくなるかもなア~~~???
]]>
-
MG ミゼット レポート忘れ(トノカバーの折り畳み用クリップ)
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-11-25
MG ミゼットのレストアが終り、国内未登録車として手放す事に致しました。詳細は下記ULRを参照願います。 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-10-05 しかしながらまだ「ブログによるレポート忘れ」や「もう少し玉成したい」等があり、時々思い出したり作業を行った時には引き続きレポートをしようと思っています。 で、今回はソフトトップ関係で、下写真の様にトノカバーを組み付け、トノカバーを折りたたむ時に使用するクリップを組み付けましたのでその時のレポートです。トノカバーは運転席のみ開けて使用する事も出来、キャビン全体を覆う事も出来、防犯にも役立つと思います。勿論、運転席と助手席を開ける事も出来ます。 当初、ソフトトップのクリップを組み付けていた時は何に使うかわからず「使途不明」で片付けてしまいました。ソフトトップのクルップ組み付け時の記事 ; https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-04-15 しかし、レストアを進めて行く内になんとなく使い方が分かって来て、又、「SPRITE & MIDGET」の解説本にもその使い方が掲載されており、車を分解した時から部品を大事に取って置いた事もあってなんとしても組付けようと! で、ボディ側の組み付けネジ穴を探す為に、分解時の写真を見ながら、縫い針でコツコツと針の通る所(ネジ穴)を探し組み付けました。車分解時のトノカバー用クリップで、根気よくカーペットのネジ穴探しをして組み付けました。 「SPRITE & MIDGET」の解説本によるとトノカバーを折りたたむ時に下写真の様に使うのでしょうが、実際に折りたたみ用クリップを使用して見ると、一つ下の写真の様にタルミがひどく「これで良いのかなァ~」と言う感じ! と同時に解説本の写真ではトノカバーは長さが足らずダッシュボード迄はとどかないはず!解説本の写真私の車の運転席側助手席側 とりあえず、使い方が分かず随分長い間部品を保管していた部分が片付き、ほっと一息!!! でも、こんなにタルミが残って良いのかなァ~~~??? 次回のクラシックカーショーで先輩方々の誰かに教わってみよう! この車に興味のある方は下のコメント欄に記入するか、下記 facebook のアドレスにコメントもしくはメッセージをお願いします。 facebook のアドレス; https:/..
MG ミジェット ボディ & トリム
kotobuki1946
2023-11-25T07:55:14+09:00
MG ミゼットのレストアが終り、国内未登録車として手放す事に致しました。
詳細は下記ULRを参照願います。
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-10-05
しかしながらまだ「ブログによるレポート忘れ」や「もう少し玉成したい」等があり、時々思い出したり作業を行った時には引き続きレポートをしようと思っています。
で、今回はソフトトップ関係で、下写真の様にトノカバーを組み付け、トノカバーを折りたたむ時に使用するクリップを組み付けましたのでその時のレポートです。
トノカバーは運転席のみ開けて使用する事も出来、
キャビン全体を覆う事も出来、防犯にも役立つと思います。
勿論、運転席と助手席を開ける事も出来ます。
当初、ソフトトップのクリップを組み付けていた時は何に使うかわからず「使途不明」 で片付けてしまいました。
ソフトトップのクルップ組み付け時の記事 ; https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-04-15
しかし、レストアを進めて行く内になんとなく使い方が分かって来て、又、「SPRITE & MIDGET」の解説本にもその使い方が掲載されており、車を分解した時から部品を大事に取って置いた事もあってなんとしても組付けようと!
で、ボディ側の組み付けネジ穴を探す為に、分解時の写真を見ながら、縫い針でコツコツと針の通る所(ネジ穴)を探し組み付けました。
車分解時のトノカバー用クリップ
で、根気よくカーペットのネジ穴探しをして組み付けました。
「SPRITE & MIDGET」の解説本によるとトノカバーを折りたたむ時に下写真の様に使うのでしょうが、実際に折りたたみ用クリップを使用して見ると、一つ下の写真の様にタルミがひどく「これで良いのかなァ~」と言う感じ! と同時に解説本の写真ではトノカバーは長さが足らずダッシュボード迄はとどかないはず!
解説本の写真
私の車の運転席側
助手席側
とりあえず、使い方が分かず随分長い間部品を保管していた部分が片付き、ほっと一息!!!
でも、こんなにタルミが残って良いのかなァ~~~???
次回のクラシックカーショーで先輩方々の誰かに教わってみよう!
この車に興味のある方は下のコメント欄に記入するか、下記 facebook のアドレスにコメントもしくはメッセージをお願いします。
facebook のアドレス; https://www.facebook.com/hisashi.itabashi.779
]]>
-
横浜 赤レンガ倉庫での 横浜ヒストリックカーディ(2023) にジャガーEタイプで参加
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-11-12
11月11日に行われた 横浜ヒストリックカーディにジャガーEタイプで参加して来ました。 11日は今シーズン一番の寒さの様な感じで、7時過ぎに自宅を出た物の、いったん戻って厚手のダウンコートを持って7時30分位に再出発となりました。 例年よりはるかに遅い出発でしたが、8時15分頃の到着とちょうどいい時間の到着となり、スタッフの方の案内で所定の位置に止めさせて頂きました。 寒さのせいか10時近くになってもお客様は閑散としています。例年ですと開場の前にも近くのホテルの多くのお客様が、散歩がてら見に来られるのですが。 それでも、車好きの方はエンジンルームをのぞき込んで見てくれていました。 本当に寒く閑散とした中、多くの参加者の素敵な車を見させて頂きました。特に日産車の参加が多く、しかも魅力的なスポーツカーが一杯展示されていました。他にも楽しい車が一杯。今年は多くの戦前の車も展示されていました。 寒い中とは言え、午後には何とか多くのお客様がお見えになりました。私の車の周りにもお客様が増えてきました。 それにしてもやっぱり日産車が多かった。 以前の日産は本当に魅力的な車を作っていたんだなア~と思います。 又、日産のこの30年はその前の「借金し放題の旧経営陣」のしりぬぐいをされていたとも思う。 早くルノーの影響を少なくし、日産本来の元気な車作りをして欲しい。 世界の自動車を見ると日本は「トヨタが作り上げたハイブリットと言うガラパゴス化した動力体系」から脱却する必要がある。 リーフや eーPower車等早くから電動車を作っている日産にはその力があるはず!日産の電動車は本当にパワフルなんですよ!
クラシックカーショー 神奈川県
kotobuki1946
2023-11-12T07:51:55+09:00
11日は今シーズン一番の寒さの様な感じで、7時過ぎに自宅を出た物の、いったん戻って厚手のダウンコートを持って7時30分位に再出発となりました。
例年よりはるかに遅い出発でしたが、8時15分頃の到着とちょうどいい時間の到着となり、スタッフの方の案内で所定の位置に止めさせて頂きました。
寒さのせいか10時近くになってもお客様は閑散としています。
例年ですと開場の前にも近くのホテルの多くのお客様が、散歩がてら見に来られるのですが。
それでも、車好きの方はエンジンルームをのぞき込んで見てくれていました。
本当に寒く閑散とした中、多くの参加者の素敵な車を見させて頂きました。
特に日産車の参加が多く、しかも魅力的なスポーツカーが一杯展示されていました。
他にも楽しい車が一杯。
今年は多くの戦前の車も展示されていました。
寒い中とは言え、午後には何とか多くのお客様がお見えになりました。
私の車の周りにもお客様が増えてきました。
それにしてもやっぱり日産車が多かった。 以前の日産は本当に魅力的な車を作っていたんだなア~と思います。 又、日産のこの30年はその前の「借金し放題の旧経営陣」のしりぬぐいをされていたとも思う。 早くルノーの影響を少なくし、日産本来の元気な車作りをして欲しい。
世界の自動車を見ると日本は「トヨタが作り上げたハイブリットと言うガラパゴス化した動力体系」から脱却する必要がある。 リーフや eーPower車等早くから電動車を作っている日産にはその力があるはず!
日産の電動車は本当にパワフルなんですよ!
]]>
-
小田原の市役所で行われたクラシックカーショーに参加して来ました。
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-11-07
11月5日は小田原の市役所で行われた「あしがらクラシックカークラブ」主催のクラシックカーショーに参加して来ました。 今回は参加者が割合少なく、主催者の役員側から多くの方が参加する様働きかけるとの話がありました。 今後はさらに盛大になると思います。奇数月の第一日曜日の様ですので、お近くの方で古い車を持っておられる方はぜひ参加して頂ければと思います。
クラシックカーショー 神奈川県
kotobuki1946
2023-11-07T07:53:20+09:00
11月5日は小田原の市役所で行われた「あしがらクラシックカークラブ」主催のクラシックカーショーに参加して来ました。
今回は参加者が割合少なく、主催者の役員側から多くの方が参加する様働きかけるとの話がありました。 今後はさらに盛大になると思います。
奇数月の第一日曜日の様ですので、お近くの方で古い車を持っておられる方はぜひ参加して頂ければと思います。
]]>
-
ジャガー E-タイプのタイヤ交換
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-10-31
先日、ジャガーEータイプのタイヤを交換しました。 私のタイヤは2011年にブリジストンのレグノ 205-70R15を装着しました。しかし、最近タイヤの肩の部分の小さなクラックが目立つ様になってきました。 随分前に私の友人が、「長年使っていたタイヤでバーストした事がある」と言う話をうかがった事を思い出し、小さなクラックとは言え気になりだし、また、タイヤ表面の硬さも気になりだしました。 気になると心配になり、先日ついにタイヤを交換する事にしました。 実は以前からタイヤの劣化について気になっており、昨年の車検時にはスピードメーターの誤差を記録してもらっていました。 その時のタイヤはレグノの205-70-15で、メータ誤差は「5%程メーターの表示が遅く出る」と言う物でした。 (実速度よりメーター表示の速度が早く出るのが一般的と思う。) と言う事から今回はレグノの195-65R-15 を入れる事にしました。 タイヤ仕様から見ると随分小さくなった様に思いますが、計算上では従来より6%程外径が小さくメーター表示は1%位メーターが早く表示される様です。 と言う事はベストマッチかな?12年使用したタイヤの肩のクラック、タイヤ表面の硬化も。 ブリジストンさんのお店での交換作業。古いタイヤを外し、 新しいタイヤを組付け、バランスを取って、タイヤ交換完了。で、私が自宅でタイヤ装着です。 E-Typeはセンターロックですので、タイヤ組み付け部のハブ(黄色矢印)を清掃し、新しいグリースを塗布し、組み付けます。 勿論、毎年8月か9月に行うホイールの清掃と磨きを今年も行い、その後のタイヤ装着となりました。
Eタイプ シャシー修理
kotobuki1946
2023-10-31T08:08:54+09:00
先日、ジャガーEータイプのタイヤを交換しました。
私のタイヤは2011年にブリジストンのレグノ 205-70R15を装着しました。
しかし、最近タイヤの肩の部分の小さなクラックが目立つ様になってきました。
随分前に私の友人が、「長年使っていたタイヤでバーストした事がある」と言う話をうかがった事を思い出し、小さなクラックとは言え気になりだし、また、タイヤ表面の硬さも気になりだしました。
気になると心配になり、先日ついにタイヤを交換する事にしました。
実は以前からタイヤの劣化について気になっており、昨年の車検時にはスピードメーターの誤差を記録してもらっていました。
その時のタイヤはレグノの205-70-15で、メータ誤差は「5%程メーターの表示が遅く出る」と言う物でした。 (実速度よりメーター表示の速度が早く出るのが一般的と思う。)
と言う事から今回はレグノの195-65R-15 を入れる事にしました。
タイヤ仕様から見ると随分小さくなった様に思いますが、計算上では従来より6%程外径が小さくメーター表示は1%位メーターが早く表示される様です。 と言う事はベストマッチかな?
12年使用したタイヤの肩のクラック、タイヤ表面の硬化も。
ブリジストンさんのお店での交換作業。
古いタイヤを外し、
新しいタイヤを組付け、バランスを取って、タイヤ交換完了。
で、私が自宅でタイヤ装着です。
E-Typeはセンターロックですので、タイヤ組み付け部のハブ(黄色矢印)を清掃し、新しいグリースを塗布し、組み付けます。
勿論、毎年8月か9月に行うホイールの清掃と磨きを今年も行い、その後のタイヤ装着となりました。
]]>
-
MG ミゼットを手放す事に!
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-10-05
ジャガーEタイプのレストアとその後のメンテもほぼ終り、数年前からはクラシックカーをいじる機会が少なくなり、手持無沙汰な感じで過ごす事がふえてきた。 2019年頃には 「もう一度旧車をいじりたい」との思いが強いもののすでに70歳半ば、ジャガーの時の様な馬力も根気もないのではとの不安も! そこで、「これぞ昔のライト ウエイト スポーツの様な形をした小型のMG Midget 」を購入し、いじり、そしてまたいじくり、乗ってはまたいじりで行こうと! 国内外の旧車サイトで、右ハンドルのレストアベース車を探した所、ニュージーランドで 1964年型の Midget を見つけ「ニュージーランドクラシック社」さんに取扱いをお願いし2020年5月に購入。 2020年6月30日に自宅に到着しました。 車を見た所汚れがひどくがっかりでしたが、レストアが終わった今考えると、ボディ関係の錆は無く、部品やその組み立て方もほぼオリジナル状態でレストアするには最高の素材でした。 「ニュージーランドクラシック社」のホームページ https://www.nz-classic.com/ この3年間、 旧車のレストアが趣味の私は、満足のいく、たのしい、 楽しい時間でした。 で、車検をと思いましたが、リタイヤ生活の私には、維持費を考えると車検を取って乗り回すのは難しく、今回車検を取らずに「国内未登録車」として手放す事にしました。「国内未登録車」の最大のメリットは、登録時国内での新車購入と同様に3年車検になり、最初の登録者となります。 そこで、私のMG Midget( ミジェット? )を「エンスーの杜」さんに掲載して頂きました。 「エンスーの杜」さんに掲載の 私のMG ミゼット https://enthuno-mori.com/mg/20230907mg/ 私が初めて車を購入した時、兄から「見えない所程手をかけ、丁寧に清掃すると本当に綺麗に見えるよ」と言われました。 今回のMGも見えない所程丁寧に清掃・メンテし、新しい部品を投入したつもり。 車は神奈川県中部にありますので、コメント欄に記入を頂ければ何時でも見る事が出来ますので、是非私がレストアした車を見てやって下さい。 下写真は近くの運動公園駐車場の物で、当日は超快晴の為、私のカメラ技術では車体色が正しく出ませんでした。 ================================..
MG ミジェット 購入手続き・その他
kotobuki1946
2023-10-05T07:14:53+09:00
ジャガーEタイプのレストアとその後のメンテもほぼ終り、数年前からはクラシックカーをいじる機会が少なくなり、手持無沙汰な感じで過ごす事がふえてきた。
2019年頃には 「もう一度旧車をいじりたい」 との思いが強いもののすでに70歳半ば、ジャガーの時の様な馬力も根気もないのではとの不安も!
そこで、「これぞ昔のライト ウエイト スポーツの様な形をした小型のMG Midget 」 を購入し、いじり、そしてまたいじくり、乗ってはまたいじりで行こうと!
国内外の旧車サイトで、右ハンドルのレストアベース車を探した所、ニュージーランドで 1964年型の Midget を見つけ「ニュージーランドクラシック社」さんに取扱いをお願いし2020年5月に購入。 2020年6月30日に自宅に到着しました。
車を見た所汚れがひどくがっかりでしたが、レストアが終わった今考えると、ボディ関係の錆は無く、部品やその組み立て方もほぼオリジナル状態でレストアするには最高の素材でした。
「ニュージーランドクラシック社」のホームページ https://www.nz-classic.com/
この3年間、
旧車のレストアが趣味の私は、満足のいく、たのしい、 楽しい時間でした。
で、車検をと思いましたが、リタイヤ生活の私には、維持費を考えると車検を取って乗り回すのは難しく、今回車検を取らずに「国内未登録車」として手放す事にしました。
「国内未登録車」の最大のメリットは、登録時国内での新車購入と同様に3年車検になり、最初の登録者となります。
そこで、私のMG Midget( ミジェット? )を「エンスーの杜」さんに掲載して頂きました。
「エンスーの杜」さんに掲載の 私のMG ミゼット
https://enthuno-mori.com/mg/20230907mg/
私が初めて車を購入した時、兄から「見えない所程手をかけ、丁寧に清掃すると本当に綺麗に見えるよ」 と言われました。 今回のMGも見えない所程丁寧に清掃・メンテし、新しい部品を投入したつもり。
車は神奈川県中部にありますので、コメント欄に記入を頂ければ何時でも見る事が出来ますので、是非私がレストアした車を見てやって下さい。
下写真は近くの運動公園駐車場の物で、当日は超快晴の為、私のカメラ技術では車体色が正しく出ませんでした。
===================================================================
何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。
名車・クラシックカーのランキングへ
「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ
]]>
-
ジャガーEタイプのオルタネーターが壊れた。
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-09-24
先日、2012年から使ってきたジャガーEタイプのオルタネーターが発電したり、しなかったりと不安定になってしまった。 そして1ヶ月程前、ついにIGNのモニターランプが点灯したままとなり、電圧計もちょうど12ボルト。 エンジンをふかしても変わらず、12ボルトはバッテリーの電圧のみなのだろう。下写真は2012年オルタネーターを購入・組付けた時の物。 で、従来の75AMP オルタネーターの経過を確認していたら「2019年11月書きかけた以下の様なブログの下書き記事」を見つけたのでほぼそのまま掲載してみました。==================================== 2011年にレストアを完了して以来、長年にわたりエンジンのオーバーヒートの改善に悩んできた。 エンジンの電動クーリングファンの強化や、異常に高温になった時に自動的に起動する電動サブクーリング ファンの追加、ラジエーターのグレードアップ等も行ってきた。 その結果、真夏以外はオーバーヒートもなくなり、万一エンジンの水温が上がっても電動のサブクーリングファンが追加して回る事でエンジンの冷却を行う事が出来る様になった。 しかし、電動クーリングファンの消費電力は増え、夜間の渋滞時にヘッドライトをつけ、クーリングファンが回ると車全体の電力が不足し、電圧が12Vを切る様になってしまった。 現在のオルタネーターは、2012年にオリジナルのダイナモが故障した事で、2012年12月にマイナスアース化と共に導入した 75 AMPのオルタネーターを使っています。下写真、空色矢印がプラスアースのの時のEタイプ オリジナルのダイナモです。下がダイナモが壊れ、交換したマイナスアースの75AMP オルタネーターです。 しかし、上記の様に外気温が高く、夜間の渋滞時には電力不足となる為、2019年10月、イギリスのDemonと言う会社から 120 AMPのオルタネーターをプーリー付きで購入しました。プーリ―の大きさは従来の75AMP用に比べ 2割ほど小さく、その分新しいオルタネーターは高回転で回る。 で、早速配線を確認して、120AMPを組付けて見ました。 そして走行テストをした所、電圧がほぼ常時14.3ボルト強でラジエーターの電動ファンが回っても14.2ボルト強でした。 で、電気関係に疎い私は、チョット強力すぎるかもと思い、従来の 75AMPのオルタネータに付いていた外径..
Eタイプ エンジン関係修理
kotobuki1946
2023-09-24T07:55:17+09:00
先日、2012年から使ってきたジャガーEタイプのオルタネーターが発電したり、しなかったりと不安定になってしまった。
そして1ヶ月程前、ついにIGNのモニターランプが点灯したままとなり、電圧計もちょうど12ボルト。 エンジンをふかしても変わらず、12ボルトはバッテリーの電圧のみなのだろう。
下写真は2012年オルタネーターを購入・組付けた時の物。
で、従来の75AMP オルタネーターの経過を確認していたら「2019年11月書きかけた以下の様なブログの下書き記事」を見つけたのでほぼそのまま掲載してみました。
====================================
2011年にレストアを完了して以来、長年にわたりエンジンのオーバーヒートの改善に悩んできた。 エンジンの電動クーリングファンの強化や、異常に高温になった時に自動的に起動する電動サブクーリング ファンの追加、ラジエーターのグレードアップ等も行ってきた。
その結果、真夏以外はオーバーヒートもなくなり、万一エンジンの水温が上がっても電動のサブクーリングファンが追加して回る事でエンジンの冷却を行う事が出来る様になった。
しかし、電動クーリングファンの消費電力は増え、夜間の渋滞時にヘッドライトをつけ、クーリングファンが回ると車全体の電力が不足し、電圧が12Vを切る様になってしまった。
現在のオルタネーターは、2012年にオリジナルのダイナモが故障した事で、2012年12月にマイナスアース化と共に導入した 75 AMPのオルタネーターを使っています。
下写真、空色矢印がプラスアースのの時のEタイプ オリジナルのダイナモです。
下がダイナモが壊れ、交換したマイナスアースの75AMP オルタネーターです。
しかし、上記の様に外気温が高く、夜間の渋滞時には電力不足となる為、2019年10月、イギリスのDemonと言う会社から 120 AMPのオルタネーターをプーリー付きで購入しました。
プーリ―の大きさは従来の75AMP用に比べ 2割ほど小さく、その分新しいオルタネーターは高回転で回る。
で、早速配線を確認して、120AMPを組付けて見ました。
そして走行テストをした所、電圧がほぼ常時14.3ボルト強でラジエーターの電動ファンが回っても14.2ボルト強でした。
で、電気関係に疎い私は、チョット強力すぎるかもと思い、従来の 75AMPのオルタネータに付いていた外径の大きいプーリーを120AMP オルタネーターに取付けて見た。
(従来の75AMPの方はプーリー外径がΦ73mm,新規購入の120AMPの方はΦ61mmで、オルタネーターの回転数は20%弱差が出る。 エンジンが低速回転の時の発電力はプーリーの大きさにも左右される。)
走行テストの結果、ちょっとエンジンを吹かすだけですぐに14ボルト強になってしまう。「ちょっと電圧が高くないか?? これで良いのかなァ~~??」
所が、アイドリングの時には12.3‣4ボルトになってしまう。「これではヘッドライトを点けた夜間の渋滞時には心もとない」
で、次に従来の75AMPのオルタネーターに今回購入した小径のプーリーを組み付け、走行テストをしました。 結果、従来13.8ボルトだったものが14ボルト位で、しかもクーリングファンが回っている時でも13.2ボルトと13ボルトを越えていました。
ヘッドライト等全てのライトを付け、クーリングファンが回った時は12.5ボルトを切る物の何となくこの仕様が一番安定している様に思われます。⇐⇐⇐ 全く根拠なし! だだの勘!
走行中の電圧はバッテリーの充電状況にもよりますが、当面従来の75AMPのオルタネーターに新しい小径プーリーを取り付けて行く事にします。
尚、この時購入した120AMP用Φ61mmのプーリーは下写真の様に殆ど有効なスプリングワッシャーの座面がありません。 そこで近所の機械加工やさんに下写真の様に追加工して頂き、75AMP用にも120AMP用にも安定して使えるよう修正加工をしました。
プリ―締付け座面の追加工部ポンチェ絵
======================================
と言うのが2019年12月頃のブログの下書きで、それから早4年。
ついに75AMP オルタネーターが壊れたかも?!
再度、2019年に購入した120AMP オルタネーターに従来の75AMPに付いていた大きい方のプーリー(Φ73mm)を付けて走行テストをしてみた。
結果、走行中は14ボルト強で全く問題がないが、アイドリングの時は12ボルト後半で、なんとなく渋滞時の不安がともなった。
で、強力になりすぎるかもと思いながらも、120AMPのオルタネーターに小さい方のプーリー(Φ61mm) を付けて走行テスト。 結果アイドリングでも13ボルト位で、もちろん走行中は14ボルト位。
で、この仕様で当面使ってみよう!
強力すぎて何か問題が起るのかなァ~ ??? ちょっと不安。
120AMPのオルタネーター
オルタネーター、買っておいて良かったァ~~~
クラシックカーショー シーズンの故障でも慌てることなく間に合った!
]]>
-
ジャガー E-タイプのミッション修理 と クラッチの交換
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-09-19
久しぶりに ジャガー E-タイプ のメンテナンス記事です。 しかも4ヵ月も前の出来事。 実は私のE-タイプ、大変な持病を抱えていて最近はセカンド発進で乗り切ってきた。 と言うのは「ローギアーで発進した時にた~~~まにローギアーが食い付いて(スタックして)抜けなくなってしまう。」 しかもその発生頻度が憎らしい! 確か12年間で4回! こんな発生頻度では原因を探るのも非常に難しいだろうと、 対処療法的な事をするだけで、本格的な修理は先送りしてきた。 2018年11月に発生た時の修理状況 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-01-24 しかし昨年4月、湘南平でのモーニングクルーズの会場で再発し、旧車仲間に助けられやっとの事でスタックから抜け出し、以後今年の5月までローギアーは使わず、セカンド発進!!! 当然の事ながら、半クラッチの多用に伴いクラッチのレリーズベアリングが摩耗し、クラッチペダルハイト(クラッチの繋がる位置)が納得出来る位置に調整できなくなってきた。 そこで、平塚のジャガー専門店で確認して頂いた所、もうレリーズベアリングが限界でカーボンが1mm以下だろうとの事。 で、修理を依頼すると「今は立て込んでいて出来ない。 予約されても来年になってしまう」との事。 さァーどうしよう!!! 1年も乗れないのか??? 近くの修理屋さん等色々考えたが、クラッチのレリーズベアリング交換と共にトランスミッションの根本的な修理も含めて考えると、ジャガーの専門家かミッションの専門家がいいだろうとの思いで練馬の「ビックキャット」さんに相談してみました。ビックキャットさんは私が日本に帰って来て最初に知り合った「ジャガーの専門家」です。(私はミッションが一番苦手でミッションを全分解した事がない。 ましてMG如きに振り回されている様な私がEタイプのエンジン&ミッションを降し、ミッションを分解・修理等 無理 無理!!! ッと思ってしまい、自分で修理する事等全く考えられなかった。 E-タイプのレストア中は夢中になってミッションのメンテもしていたはずなのにね!!!) で、ビックキャットさんは快く引き受けてくれて、5月に「エンジンを降し、ミッションを分解、ローギアーの抜けなくなった原因を突き止め修理、そしてクラッチカバー,クラッチプレート,レリーズベアリングを新品に交換し、エンジンを乗せて下..
Eタイプパワートレイン修理
kotobuki1946
2023-09-19T06:30:25+09:00
久しぶりに ジャガー E-タイプ のメンテナンス記事です。
しかも4ヵ月も前の出来事。
実は私のE-タイプ、大変な持病を抱えていて最近はセカンド発進で乗り切ってきた。
と言うのは「ローギアーで発進した時にた~~~まにローギアーが食い付いて(スタックして)抜けなくなってしまう。」
しかもその発生頻度が憎らしい! 確か12年間で4回!
こんな発生頻度では原因を探るのも非常に難しいだろうと、
対処療法的な事をするだけで、本格的な修理は先送りしてきた。
2018年11月に発生た時の修理状況 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-01-24
しかし昨年4月、湘南平でのモーニングクルーズの会場で再発し、旧車仲間に助けられやっとの事でスタックから抜け出し、以後今年の5月までローギアーは使わず、セカンド発進!!!
当然の事ながら、半クラッチの多用に伴いクラッチのレリーズベアリングが摩耗し、クラッチペダルハイト(クラッチの繋がる位置)が納得出来る位置に調整できなくなってきた。
そこで、平塚のジャガー専門店で確認して頂いた所、もうレリーズベアリングが限界でカーボンが1mm以下だろうとの事。 で、修理を依頼すると「今は立て込んでいて出来ない。 予約されても来年になってしまう」との事。
さァーどうしよう!!! 1年も乗れないのか???
近くの修理屋さん等色々考えたが、クラッチのレリーズベアリング交換と共にトランスミッションの根本的な修理も含めて考えると、ジャガーの専門家かミッションの専門家がいいだろうとの思いで練馬の「ビックキャット」さんに相談してみました。
ビックキャットさんは私が日本に帰って来て最初に知り合った「ジャガーの専門家」です。
(私はミッションが一番苦手でミッションを全分解した事がない。 ましてMG如きに振り回されている様な私がEタイプのエンジン&ミッションを降し、ミッションを分解・修理等 無理 無理!!! ッと思ってしまい、自分で修理する事等全く考えられなかった。 E-タイプのレストア中は夢中になってミッションのメンテもしていたはずなのにね!!!)
で、ビックキャットさんは快く引き受けてくれて、5月に「エンジンを降し、ミッションを分解、ローギアーの抜けなくなった原因を突き止め修理、そしてクラッチカバー,クラッチプレート,レリーズベアリングを新品に交換し、エンジンを乗せて下さいました。
私がビックキャットさんに伺った時には、E-タイプはリフトアップされ、エンジン&ミッションは降ろされ、しかもミッションは全分解されていました。
青矢印の所がエンジン&ミッションのあった所、伺った時は空っぽ!
ミッションは全分解されスタックの原因追求中だった。
後日、下写真の黄色矢印のピンの異常摩耗が原因であったとの連絡を受けました。
(12年もの長い間にたった4回の故障でも原因が見つかるとは! もっと早く修理を依頼しておくべきだった。)
で、ミッション組み立て時はフロントシールも変えて頂き、半クラッチ多用で摩耗したレリーズベアリングも交換して頂きました。 また、クラッチカバーやクラッチプレートも交換して頂きました。
(エンジン&ミッションを降す作業は大変な為、一般的にエンジン&ミッションを降した時はクラッチの三点(カバー,プレート,ベアリング)も交換するのだそうです。 これを怠ると前回と前々回のMGのレポートの様に大変な2重手間になってしまいます。)
エンジン&ミッションを乗せ修理を完了し、
5月半ば 下写真の様な感じで、E-タイプは積載車にのせられ戻ってきました。
(下写真は2011年の物)
これからはローギアー発進で安心して乗れるかな 私の EーType !!!
]]>
-
MG ミゼット その2(クラッチ交換)
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-09-05
7月の半ば、MG ミゼットのレストアがほぼ終了したと思い、 仮ナンバーを取って少し走ったうえで車検屋さんに持って行こうと。 前回ブログ「その1」の様に、仮ナンバーを付けた1日目は、7・8㎞を 順調に走りました。 が、2日目1・2㎞走った後、ローギアー発進で激しいクラッチ ジャダーがおき、今にもエンジンが飛び出すのではと思うほどの振動でした。尚、2nd,3rd,top のギアーでは問題なくスムースに半クラッチで発進できました。 前回「その1」のブログ https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-08-31 なんでジャダー! と思いながらも前回レポートした様にクラッチとブレーキの一体型マスターシリンダーに伴う不具合もあったので、クラッチカバー関係を新しい部品に交換して様子を見ようと、クラッチカバー等の3点キットをイギリスから購入 23,000円と輸送費9000円だった。 で、クラッチカバーとディスク(クラッチプレート)を新しい部品に変える為、エンジンとミッションを車から下し、エンジンからミッションを分離、クラッチ部分を点検しました。 目視の点検では異常は見当たらず、心配していたエンジン後端やミッションフロントカバー部の油漏れも殆ど無く良好でした。 で、クラッチ ジャダーの原因を探る為、今回購入のクラッチカバーと取り外したクラッチカバーを比較しましたが大きな差は見つからなかった。(ジャダーの推定原因は、長い間の使用や、前回のブログ記事の様にクラッチフォークの接続点がずれた状態からのエアー抜き等でクラッチカバー内のスプリングに無理がかってしまったのでは? その結果スプリングの力が弱り(へたり)、ローギア―発進の半クラッチ時クラッチプレートを押さえきれなかったのではないかと思う様になってきた。)クラッチカバーのプレッシャープレートの高さは新・従来品とも全く同じだった。(クラッチカバー内のスプリンがへたっていてもスプリングに設定してあるプレロードで吸収されてしまい高さの変化には至らないのでは?) 下写真で、従来品(旧)のクラッチカバーのレリーズベアリング接触面ハイトが71.7mmと新より0.5mm低いのは使用による摩耗の為と推定されます。 クラッチプレートも比較してみました。新旧では、0.1㎜の違いで、従来品でもまだまだ十分に使用可能と思われます。 と言う事で、ジャダ..
MG ミジェット パワートレイン
kotobuki1946
2023-09-05T07:18:21+09:00
7月の半ば、MG ミゼットのレストアがほぼ終了したと思い、
仮ナンバーを取って少し走ったうえで車検屋さんに持って行こうと。
前回ブログ「その1」の様に、仮ナンバーを付けた1日目は、7・8㎞を 順調に走りました。
が、2日目1・2㎞走った後、ローギアー発進で激しいクラッチ ジャダーがおき、今にもエンジンが飛び出すのではと思うほどの振動でした。
尚、2nd,3rd,top のギアーでは問題なくスムースに半クラッチで発進できました。
前回「その1」のブログ https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-08-31
なんでジャダー! と思いながらも前回レポートした様にクラッチとブレーキの一体型マスターシリンダーに伴う不具合もあったので、クラッチカバー関係を新しい部品に交換して様子を見ようと、クラッチカバー等の3点キットをイギリスから購入 23,000円と輸送費9000円だった。
で、クラッチカバーとディスク(クラッチプレート)を新しい部品に変える為、エンジンとミッションを車から下し、エンジンからミッションを分離、クラッチ部分を点検しました。
目視の点検では異常は見当たらず、心配していたエンジン後端やミッションフロントカバー部の油漏れも殆ど無く良好でした。
で、クラッチ ジャダーの原因を探る為、今回購入のクラッチカバーと取り外したクラッチカバーを比較しましたが大きな差は見つからなかった。
(ジャダーの推定原因は、長い間の使用や、前回のブログ記事の様にクラッチフォークの接続点がずれた状態からのエアー抜き等でクラッチカバー内のスプリングに無理がかってしまったのでは? その結果スプリングの力が弱り(へたり)、ローギア―発進の半クラッチ時クラッチプレートを押さえきれなかったのではないかと思う様になってきた。)
クラッチカバーのプレッシャープレートの高さは新・従来品とも全く同じだった。
(クラッチカバー内のスプリンがへたっていてもスプリングに設定してあるプレロードで吸収されてしまい高さの変化には至らないのでは?)
下写真で、従来品(旧)のクラッチカバーのレリーズベアリング接触面ハイトが71.7mmと新より0.5mm低いのは使用による摩耗の為と推定されます。
クラッチプレートも比較してみました。
新旧では、0.1㎜の違いで、従来品でもまだまだ十分に使用可能と思われます。
と言う事で、ジャダーの決定的な原因は見つからず、新しいクラッチ関係部品を組み込む事で解決する事を願って、エンジンとミッションを組み付け、車にのせました。
(以下の写真は最初のレストア時に撮った組み付け時の写真で、全てピンボケ・シャッターブレ写真で済みません。 今回は写真を撮る心の余裕がなかったし。)
まず、クラッチプレート(ディスク)を位置決めするロケーターを、
(ロケーターは、クランクシャフトやクラッチプレートの寸法を測定作図し、近所の機械加工屋さんに作って頂きました。)
クランクシャフト後端にセットして、
ロケータに合わせてクラッチプレート(ディスク)をはめ込みます。
で、フライホイール上のロケーターにきちんと嵌る様注意しながら、クラッチディスクを組付けます。 (黄色矢印はクラッチプレートのロケータです)
最後にトランスミッション側に新しいレリーズベアリングを組み込みました。
(写真無し、最初の写真参照)
で、息子に手伝ってもらいながら、エンジンとミッションを車に乗せ、
3・4日かけてキャブやら電装品,ラジエーター等クーリング部品等を組付け、エンジンがかかる様にし、エンジンを載せた翌週にはクラッチのエアー抜きを息子と共に行いました。
下写真はラジエーター取付前ですが、写真の様にほぼ組付け完了。
(尚、クーリングファンは黒のカチオン塗装のままでしたが、今回本来の橙色に塗装しました。)
で、先日仮ナンバーを再度取得、一回目の走行テストをしてみました。
ローギアー発進時のジャダーもなく、全く問題なく走る事が出来ました!
少しずつ何度か走り玉成していきたいと思います。
]]>
-
MG ミゼット,クラッチ関係の不具合経過 その2
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-08-31
7月の半ば、MG ミゼットのレストアがほぼ終了したと思い、 仮ナンバーを付けて少し走った上で、車検屋さんへ行こうと、 仮ナンバーを付けた1日目は、7・8kmを 順調に走りました。 が、2日目1・2km走った後、道の曲がり角でローギアー発進しようとした時、激しいクラッチジャダーがおき、今にもエンジンが飛び出すのではと思うほどの振動でした。 その日はその後もローギアー接続時のジャダーが続きました。尚、2nd,3rd,top のギアーでは問題なくスムースに半クラッチ発進できました。 なんで! なんで! と数日頭を抱えていましたが、クラッチを交換してみようと言う事に。 なぜエンジンとミッションを下して迄クラッチ交換に踏み切ったかと言うと、なが~いストーリーになり、なんとなく「隠しておきたい様な!」 でも「大変だったよ!と聞いてほしい様な?!」 「でもやっぱり隠しておきたい様な!」 一応下書きを書いてみて、納得できる様ならブログに掲載しようと。 以前のブログでもレポートしたと思いますが、この車のフロントブレーキはディスクブレーキです。 所がブレーキとクラッチの一体型マスターシリンダーはドラムブレーキ用が組付いていました。 取り敢えずは組付いていたマスターシリンダーをメンテしてブレーキとクラッチを完成させ、走行テストでも問題がなかった! ・・・・・ と思っていた!!! ちなみにディスクブレーキ用とドラムブレーキ用の違いはシリンダー径のみで、ディスクブレーキ用は3/4インチ,ドラム用は7/8インチです。マスターシリンダーのメンテ記事は https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2021-03-25マスターシリンダーの組付け記事 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2021-12-23クラッチとブレーキのマスターシリンダー ブレーキとクラッチのペダル 車のレストアが終了した所で欲が出て、ディスクブレーキ用の正規と思われるマスターシリンダーを購入し(イギリスでの部品代約2万円,輸送費約8000円)先月交換してみました。 所が、クラッチのエアー抜きはなかなか上手くいかなかった物のやっとの事エアーを抜く事が出来ました。 尚、ブレーキの方は簡単にエアー抜きが出来ました。 で、エンジンをかけ、ミッションのギアーシフトのトライをした所..
MG ミジェット パワートレイン
kotobuki1946
2023-08-31T18:21:57+09:00
7月の半ば、MG ミゼットのレストアがほぼ終了したと思い、
仮ナンバーを付けて少し走った上で、車検屋さんへ行こうと、
仮ナンバーを付けた1日目は、7・8kmを 順調に走りました。
が、2日目1・2km走った後、道の曲がり角でローギアー発進しようとした時、激しいクラッチジャダーがおき、今にもエンジンが飛び出すのではと思うほどの振動でした。 その日はその後もローギアー接続時のジャダーが続きました。
尚、2nd,3rd,top のギアーでは問題なくスムースに半クラッチ発進できました。
なんで! なんで! と数日頭を抱えていましたが、クラッチを交換してみようと言う事に。
なぜエンジンとミッションを下して迄クラッチ交換に踏み切ったかと言うと、
なが~いストーリーになり、なんとなく「隠しておきたい様な!」 でも「大変だったよ!と聞いてほしい様な?!」 「でもやっぱり隠しておきたい様な!」
一応下書きを書いてみて、納得できる様ならブログに掲載しようと。
以前のブログでもレポートしたと思いますが、この車のフロントブレーキはディスクブレーキです。 所がブレーキとクラッチの一体型マスターシリンダーはドラムブレーキ用が組付いていました。
取り敢えずは組付いていたマスターシリンダーをメンテしてブレーキとクラッチを完成させ、走行テストでも問題がなかった! ・・・・・ と思っていた!!!
ちなみにディスクブレーキ用とドラムブレーキ用の違いはシリンダー径のみで、ディスクブレーキ用は3/4インチ,ドラム用は7/8インチです。
マスターシリンダーのメンテ記事は https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2021-03-25
マスターシリンダーの組付け記事 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2021-12-23
クラッチとブレーキのマスターシリンダー ブレーキとクラッチのペダル
車のレストアが終了した所で欲が出て、ディスクブレーキ用の正規と思われるマスターシリンダーを購入し(イギリスでの部品代約2万円,輸送費約8000円)先月交換してみました。
所が、クラッチのエアー抜きはなかなか上手くいかなかった物のやっとの事エアーを抜く事が出来ました。 尚、ブレーキの方は簡単にエアー抜きが出来ました。
で、エンジンをかけ、ミッションのギアーシフトのトライをした所、ローギアーも2ndギアーも「ただ タダ がり ガリ 言うだけ」 で全くギアーが入らない。 更に細かく点検してみるとクラッチ フォークの位置が今までと比べ少し後ろ側によっている様な???
下写真はエンジンを車に乗せる前の物で実際の時とは異なるが、紫丸内の接続点が矢印方向に5mm位ずれてしまっている様な???
この部分はマスターシリンダー交換の時は全くいじっておらず、スリーブシリンダーからエアー抜きをしただけなのに! 普通、正しく加工されたマスターシリンダーならエアー抜きだけでこの接続点が動く事はないと思うのだが!!!???
頭を抱えながらもブレーキとクラッチのマスターシリンダーを元のドラムブレーキ用に戻した所、エアー抜きは問題なく完了し、クラッチ フォークの接続点も従来位置に戻り、ミッションのギアーシフトは問題なく、下写真の様に仮ナンバーを取得し、少し走ってみました。 一日目は全く問題なし!
更に翌日、車検屋さんに行く前に走行テストと思い走らせた所、ローギアーで発進する時に 「エンジンとミッションが ガタ ガタ ガタ !!! とクラッチのジャダーがすごく今にもエンジンが飛び出してきそうな勢い」になってしまいました。
このままではとても走れません。 尚、2nd,3rd,Topギアーではジャダーを起こさず発進も走行中のシフトもできます。
仮ナンバーを付けて、
近くの神社まで走行テスト
で、クラッチカバーとディスク(クラッチプレート)を変えてみようと下写真の様にエンジンとミッションを車から降ろしました。
新しいクラッチカバー等の3点キットは 23,000円と輸送費9000円。 あ~ァ また出費!
しかもクラッチジャダーの原因が分かっておらず、変えたからと言って良くなるかどうか全く分かりません。 でもここで放り投げるわけにもいかず!!! 頑張るしかない!!!
で、まず、エンジンとミッションを分解し、クラッチ部分等の外観を点検。
所で、ミッションのフロントカバーからの油漏れを防ぐ為にと「オイルシール付きのミッション フロントカバー」を購入し組付けましたが、今回の分解時効果を確認した所全く漏れもなく、効果絶大でした。
「オイルシール付きのミッション フロントカバーはアメリカのMOSSから284.99ドル ( 33,300円+送料)で購入」
オイルシール付きミッション フロントカバーの組付け時ブログは下記。
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2021-12-04
次回、新しく購入したクラッチ関係部品と従来品の比較点検と組付けをレポートします。
]]>
-
MG ミゼット サンバイザーの組付け
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-08-28
少し前にフロントウインドーにサンバイザーを清掃し、組み付けてみました。 作業は特別難しい事もなく、下写真の緑色アクリル板を ただただ キュッ キュッ と磨き、後はステーの細い鉄棒やビス等の構成部品を清掃し、ビス止めするだけ。 磨きに使ったポリッシュ剤は下の様な「Wenol」のキットで、アメリカで購入したドイツ製のポリッシュキット。 アクリル板はピンク色の塗装面等を磨くものを使用、他の構成部品は赤で磨いた後仕上げに空色で磨きました。 サンバイザーの取り付け部分は下写真の青矢印の所で、下の様にⅯ3位の小さなビスでした。 インストがバラされているのはエンジンとミッションを下した為。右側取り付け点 左も同じ方法です。中央の取り付け部分。 MGのレストアもこれでほぼ終わりかと思ったが、まだまだの様で!!! どうなる事やら???
MG ミジェット ボディ & トリム
kotobuki1946
2023-08-28T07:14:59+09:00
少し前にフロントウインドーにサンバイザーを清掃し、組み付けてみました。
作業は特別難しい事もなく、下写真の緑色アクリル板を ただただ キュッ キュッ と磨き、後はステーの細い鉄棒やビス等の構成部品を清掃し、ビス止めするだけ。
磨きに使ったポリッシュ剤は下の様な「Wenol」のキットで、アメリカで購入したドイツ製のポリッシュキット。 アクリル板はピンク色の塗装面等を磨くものを使用、他の構成部品は赤で磨いた後仕上げに空色で磨きました。
サンバイザーの取り付け部分は下写真の青矢印の所で、下の様にⅯ3位の小さなビスでした。
インストがバラされているのはエンジンとミッションを下した為。
右側取り付け点 左も同じ方法です。
中央の取り付け部分。
MGのレストアもこれでほぼ終わりかと思ったが、まだまだの様で!!!
どうなる事やら???
]]>
-
MG ミゼット アウトサイドミラーを組付け
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-08-20
だいぶ前になりますが、MGのフロントフェンダーにバックミラーを組付けました。 私のMG ミゼットは1964年型です。 この頃のバックミラーはフロントフェンダーに取りけており、ドアーミラーはなかった。(法規的にもゆるされなかった様に記憶しています。)又、ミラー自体の形状も平面的で砲弾型(バレット形)のミラーは数少なく憧れの的でした。 そこで、ミゼットには砲弾型のミラーをフェンダーに取付ける事とし、お手頃価格の砲弾型がイギリスで販売されている事を知り、昨年初め飛びついて買ってしまった。2個で約 9500円! 先日組み付け様と、前後方向の取付位置を検討している時 うゥ??!! なんとなく後ろの見える範囲が狭いのでは?! で、ジャガーE-Typeの「タルボットの ミラー」を確認すると曲面ガラスの鏡でした。 購入した砲弾型ミラーの鏡自体は平面ガラスでした。 で、購入した物を曲面ガラスに変え様と、県内で曲面ガラスの鏡を一品物で製作している所に2度ほど伺い相談。 結果、ジャガーE-Typeのタルボット ミラーは曲率が半径1100mmで、同等の物が良いと言う事になったが、残念ながら価格面で折り合いがつかなかった。E-Typeのミラー取付け時のブログ記事 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2011-08-19 又、小田原のクラシックカーショーで知り合ったミゼットのオーナーも平面ガラスのミラーで、全く支障がないとの事(私も乗車して確認)。 しかも私のミラーはその方の物より直径が25mmも大きく、その分視界も広い。 で、購入した平面ガラスの鏡で行く事に! 取り付けはフェンダーに2個のビス穴をあけ、ミラー取付けのステーを組付け、後はミラーをセットし組み付けるだけ。 しかし、ミゼットのフェンダーには平面の部分がなく、やむなく2mm厚のクロロプレンゴムでシートを製作2枚重ねでフェンダーの曲率を吸収しました。(ゴムシートの厚みが厚くなった事でミラー取り付け時のしっかり感がなく左右方向にたわむ感じが残ってしまいました。-----後々時間を掛けてジャガーの時の様にフェンダーの内側に補強板を組付け、ビスとナットでしっかりと締め付け様と思います。)ミラーの位置はフェンダー後端からミラー迄を340mmの位置としました。(イギリスではミラーなしで車が販売されており、写真で国内外の車を色々確認したが各車まちま..
MG ミジェット ボディ & トリム
kotobuki1946
2023-08-20T08:45:56+09:00
だいぶ前になりますが、MGのフロントフェンダーにバックミラーを組付けました。
私のMG ミゼットは1964年型です。
この頃のバックミラーはフロントフェンダーに取りけており、ドアーミラーはなかった。
(法規的にもゆるされなかった様に記憶しています。)
又、ミラー自体の形状も平面的で砲弾型(バレット形)のミラーは数少なく憧れの的でした。
そこで、ミゼットには砲弾型のミラーをフェンダーに取付ける事とし、お手頃価格の砲弾型がイギリスで販売されている事を知り、昨年初め飛びついて買ってしまった。2個で約 9500円!
先日組み付け様と、前後方向の取付位置を検討している時 うゥ??!! なんとなく後ろの見える範囲が狭いのでは?! で、ジャガーE-Typeの「タルボットの ミラー」を確認すると曲面ガラスの鏡でした。 購入した砲弾型ミラーの鏡自体は平面ガラスでした。
で、購入した物を曲面ガラスに変え様と、県内で曲面ガラスの鏡を一品物で製作している所に2度ほど伺い相談。 結果、ジャガーE-Typeのタルボット ミラーは曲率が半径1100mmで、同等の物が良いと言う事になったが、残念ながら価格面で折り合いがつかなかった。
E-Typeのミラー取付け時のブログ記事 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2011-08-19
又、小田原のクラシックカーショーで知り合ったミゼットのオーナーも平面ガラスのミラーで、全く支障がないとの事(私も乗車して確認)。 しかも私のミラーはその方の物より直径が25mmも大きく、その分視界も広い。 で、購入した平面ガラスの鏡で行く事に!
取り付けはフェンダーに2個のビス穴をあけ、ミラー取付けのステーを組付け、後はミラーをセットし組み付けるだけ。
しかし、ミゼットのフェンダーには平面の部分がなく、やむなく2mm厚のクロロプレンゴムでシートを製作2枚重ねでフェンダーの曲率を吸収しました。
(ゴムシートの厚みが厚くなった事でミラー取り付け時のしっかり感がなく左右方向にたわむ感じが残ってしまいました。-----後々時間を掛けてジャガーの時の様にフェンダーの内側に補強板を組付け、ビスとナットでしっかりと締め付け様と思います。)
ミラーの位置はフェンダー後端からミラー迄を340mmの位置としました。
(イギリスではミラーなしで車が販売されており、写真で国内外の車を色々確認したが各車まちまちで何処が正規かわからなかった。(正規と言うものが無いのかも))
ミラー無と比べてどうだろうか? ミラーが無い方がすっきりはしている。
板金作業で補強版を作り、もう少ししっかりとした取り付けにしたいなァ~。
]]>
-
木曽駒ケ岳の千畳敷カールと伊吹山に行ってきました。 その2、伊吹山
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-08-08
前回の「木曽駒ケ岳の千畳敷カールと伊吹山に行ってきました。 その1、千畳敷カール」の続きです。(写真をクリックするとクリアーな拡大写真を見る事が出来ます。) 木曽駒ケ岳の千畳敷カールからロープウエーと路線バスで下り、「菅の台バスセンター」でJTBのバスに乗り、高速道を約3時間走り滋賀県長浜のホテルに宿泊。 ホテルは琵琶湖の湖畔で、5月の「東海道五十三次歩き」以来の琵琶湖です。 ホテルへは午後7時過ぎに到着、夕食はビュッフェ形式で午後8時半で終了との事で慌てて 夕食タイム。 ビュッフェ形式とは言え各料理は美味しかったですよ。 2日目の伊吹山へは、涼しいうちに山頂めざしハイキングをするとの事で、急いでビュッフェ形式の朝食を取り、朝7時45分の出発となりました。途中、存在感のある伊吹山を見る事が出来、そして朝9時頃に伊吹山の9合目の駐車場に到着。 添乗員さんによる、山頂までのハイキングルート等の説明を聞いた後、登りやすく景色の良いと言われる西登山道コースで登山開始です。 下写真の様に野生動物から高山植物を保護する為のフェンスが何か所にも設置されていました。 途中、ガスったり晴れたりとなんともすっきりしない天気ではありましたが「素晴らしい景色に恵まれた」と言っていいでしょう!!! 本当に良かった!!!で、山頂到着です。 山頂のポールの前の青シャツが私です。そして、東登山ルートを下ろうと思っていたのですが下り口を見つける事が出来ず、急こう配の中央ルートで駐車場まで一挙に下りました。振り返ってみてもやっぱりすごい急こう配です。 多くの高山植物も見る事が出来、伊吹山も木曽駒の千畳敷カールに負けず劣らずの、本当に楽しく満足のいく景色でした。 JTBさんはじめ多くの関係者の皆さんありがとうございました。
旅行 東海
kotobuki1946
2023-08-08T07:36:27+09:00
前回の「木曽駒ケ岳の千畳敷カールと伊吹山に行ってきました。 その1、千畳敷カール」の続きです。
(写真をクリックするとクリアーな拡大写真を見る事が出来ます。)
木曽駒ケ岳の千畳敷カールからロープウエーと路線バスで下り、「菅の台バスセンター」でJTBのバスに乗り、高速道を約3時間走り滋賀県長浜のホテルに宿泊。 ホテルは琵琶湖の湖畔で、5月の「東海道五十三次歩き」以来の琵琶湖です。
ホテルへは午後7時過ぎに到着、夕食はビュッフェ形式で午後8時半で終了との事で慌てて 夕食タイム。 ビュッフェ形式とは言え各料理は美味しかったですよ。
2日目の伊吹山へは、涼しいうちに山頂めざしハイキングをするとの事で、急いでビュッフェ形式の朝食を取り、朝7時45分の出発となりました。
途中、存在感のある伊吹山を見る事が出来、そして朝9時頃に伊吹山の9合目の駐車場に到着。
添乗員さんによる、山頂までのハイキングルート等の説明を聞いた後、登りやすく景色の良いと言われる西登山道コースで登山開始です。 下写真の様に野生動物から高山植物を保護する為のフェンスが何か所にも設置されていました。
途中、ガスったり晴れたりとなんともすっきりしない天気ではありましたが「素晴らしい景色に恵まれた」と言っていいでしょう!!! 本当に良かった!!!
で、山頂到着です。 山頂のポールの前の青シャツが私です。
そして、東登山ルートを下ろうと思っていたのですが下り口を見つける事が出来ず、急こう配の中央ルートで駐車場まで一挙に下りました。
振り返ってみてもやっぱりすごい急こう配です。
多くの高山植物も見る事が出来、伊吹山も木曽駒の千畳敷カールに負けず劣らずの、本当に楽しく満足のいく景色でした。
JTBさんはじめ多くの関係者の皆さんありがとうございました。
]]>