栃木県宇都宮市の大谷地区を観光 その3 大谷資料館 と 宇都宮グランドホテル [ 旅行 関東(除く東京・神奈川)]
少し前のJRの雑誌「大人の休日倶楽部」で「宇都宮市の大谷地区や大谷石」について取り上げられており、見学に行って来ました。
最初に「カトリック松が峰教会」を見学し、「宇都宮聖ヨハネ教会」横を通り、「株式会社 屛風岩」の前を通って「大谷寺」に行き、その後「大谷資料館」を回ってきました。
で、前回のブログで 「㈱屏風岩」や「大谷寺」をレポート、前々回は「カトリック松が峰教会」と「宇都宮聖ヨハネ教会」をレポートしました。
今回は「大谷資料館」と宿泊した「宇都宮グランドホテル」さんをレポートします。
大谷寺を出て、約500mの「大谷資料館」に向かいました。
(日曜日だったこともあり、「大谷資料館」の駐車場は広かった物の私達が帰る頃には満車状態でした。)
駐車場から資料館迄は綺麗に整備された木立の下を約200m歩き、資料館前の広場に到着。


「地下坑内入口」に入ると直ぐに資料室があり、そこを見学後に大谷石採石場の坑道に入ります。 で、目にした採石場は本当に大きな地下空間でした。

地下坑内はいくつもの横に広がった採石場があり、モニュメントが置かれていたり、ライブ等が行われた写真も飾ってありました。



又、何か所か外の光が入ってきている所もありました。

で、何か所もの横に広がった採石場広場を見ているうちに「あれ、出口(入り口)は??」と心配になり、出口の確認(黄緑矢印:上の最初の坑内写真を撮った所)をしました。

大谷資料館の採石場を見学後、2日目の宿泊地「宇都宮グランドホテル」に到着。

宇都宮グランドホテルは、
中世鎌倉時代、宇都宮城主ゆかりの地に建てられた、庭園等が有名なホテルです。
江戸時代には藩主戸田忠真(たださね)が別邸御山屋敷(おやまやしき)を作り、立派な庭園として有名であったと言われています。
又、明治時代、陸軍大将・鮫島重雄男爵が別邸として庭園内に住まわれました。 グランドホテルは昭和20年秩父宮妃殿下の為に建てられた数寄屋作りの離れ(現 陽南荘) にて開業し、二万坪の大庭園を含め現在に至っています。
部屋から見た庭園

庭園の散策もしました。


「左の陽南荘」と「大谷石の蔵」

昭和20年秩父宮妃殿下の宿として建てられた数寄屋作りの離れ「陽南荘」

で、今回の夕食はグランドダイニングでの中華コース料理で、前菜やメイン等食べ終わる毎に次の料理が運ばれて来て、2時間かけてゆっくりと食事をとらせて頂きました。
・チャイニーズオードブル ・気仙沼産フカヒレの ・オマール海老と
鮑入り六種冷菜盛り合わせ 上海風姿煮 アスパラガスのXО醤炒め



・北京ダック ・金目鯛の薬味蒸し ・牛フィレ肉のグリル
香り醤油ソース 黒胡椒オイスターエシャロットソース



・タラバ蟹入り蓮の葉包みご飯 ・チャイニーズデザート三種盛り合せ


美味しかった。 おなか一杯!!!
御馳走様でした。
栃木県宇都宮市の大谷地区を観光 その1 [ 旅行 関東(除く東京・神奈川)]
最近の塀等はコンクリートブロックが殆どで、大谷石の需要は少なくなり、石切り場跡はコンサートが行われたりと観光地化している事は承知していました。 が、改めて雑誌に取り上げられた事で「ちょっと遠いよなァ~」と思うネガティブより、今回見て見たいと言う好奇心が上回った様です。
で、見学の前日昼過ぎに車で出発し、宇都宮駅近くに宿泊。
翌日、まず「カトリック松が峰教会」を見学し、「宇都宮聖ヨハネ教会」横を通り、「株式会社 屛風岩」の前を通って「大谷寺」に行き、その後「大谷石資料館」を見学してきました。
「カトリック松が峰教会」

「カトリック松が峰教会」は、現存する日本一大きな大谷石の建物で、
明治21年 パリ外国宣教会のカジャック神父によって宇都宮市の川向町に建てられ、「宇都宮天主公教会」として創立され、明治28年には現在の松が峰に移りました。
聖堂は、上智大学1号館を設計したスイス人の建築家マックス・ヒンデルにって設計され、昭和7年11月20日竣工。 近代ロマネスク様式を基調にした日本では数少ない双塔を持った教会建築であり、外壁は宇都宮特産の大谷石を大部分に使っています。


2階にある聖堂の内外壁の大谷石は、旧帝国ホテルに用いられた大谷石と同じ大谷の採石場から切り出されたものに、石工職人によりさまざまな意匠が施されています。
又、バロック様式のパイプオルガンの音色も美しく響きます。
国の登録有形文化財にも指定されており、教会内部や敷地内の見学も可能です。
「カトリック松が峰教会」のホームページ ; http://www2.ucatv.ne.jp/~matumine.sea/


次いで「宇都宮聖ヨハネ教会」の見学は時間の都合上近くを車で通るだけとなりました。
「宇都宮聖ヨハネ教会」はイギリス聖公会の教会で、
1891年、T・S・チング司祭によって宣教が開始され、1911年「宇都宮聖ヨハネ教会」として認可された。 大谷石造りの荘厳な現礼拝堂は、1933年聖別されたものです。 国の登録有形文化財に指定され、コンサートが催される事もあるそうです。
「宇都宮聖ヨハネ教会」のホームページ
; http://nskk-kitakanto.org/facilities/utsunomiya-christ.html

次回のブログ記事は「株式会社 屛風岩」と「大谷寺」です。
千葉県佐倉市の 佐倉順天堂記念館 と 佐倉藩武家屋敷 [ 旅行 関東(除く東京・神奈川)]
オートヒストリーフォーラムが午後3時過ぎに終わりましたので、荷物を纏め直ぐにナビを「佐倉順天堂記念館」にセット!
で、約15分成田街道との交差点「本町」に到着。
しかし、めだった看板が無く「佐倉順天堂記念館」は何処! どこ! この交差点の近くにあるはずなのに! ナビでは到着の表示ながら記念館が見つからず迷子状態!
本町交差点付近を一周。 やっと見つかりました。
(本町交差点の右斜め前にあったのですが、看板を見落としました。)

「佐倉順天堂」は、長崎に遊学後江戸に蘭医学塾「和田塾」を開いていた蘭医「佐藤泰然」が佐倉藩主「堀田正睦」の招きを受け、佐倉に移り住み天保14年(1843年)にオランダ医学塾「順天堂」を開きました。 当時としては最高水準の外科手術を中心に実践的な医学教育と治療が行われていたとの事。
(その後東京等に病院を開院し、昭和21年順天堂医科大学を開校、昭和26年には順天堂大学を開学し、現在の順天同病院や大学にと発展しています。)

現在の「記念館」は下模型の内黄緑矢印の建物のみが現存、開放されています。


館内には創始者についての説明や歴史的な書物等が展示され、

当時の手術道具や顕微鏡も展示されています。


私が見学中、近くの中学校の歴史クラブの生徒10名位や順天堂大学の学生さん等が見学に来られていました。
学校法人 順天堂のホームページ;https://www.juntendo.ac.jp/corp/history/
佐倉順天堂記念館の佐倉市のページ;http://www.city.sakura.lg.jp/0000001196.html
「順天堂記念館」見学後、新町地区に移動し、
「佐倉一里塚 町並み情報館」に向かいましたが、到着した時には既に閉館。
(昔、ここに一里塚があったわけではなく、街の情報を提供する為に情報館の人達が付けた名前だそうです。 又、この情報館の建物は下右の様に呉服屋さんだったそうです。)


「佐倉新町おはやし館」にも寄って見ました。 ここは開館しており、「山車が火災で燃えてしまった地区の復活」等色々なお話を聞く事が出来ました。
(下写真左に江戸時代の「立場」の様な物がありますが、街の情報を伝える為に「立場」を模したとの事。)

佐倉市の「佐倉新町おはやし館」のホームページ;http://www.city.sakura.lg.jp/0000011805.html
で、午後5時を大きく回ってしまったので、JR佐倉駅近くのホテルに宿泊。
翌日早めに出発し「佐倉市武家屋敷」を見学しに。 佐倉には昭和57年当時24棟の武家屋敷が確認されており全国一の数だそうです。
私が見学に行った武家屋敷は佐倉市の宮小路町の3棟でした。
尚、3棟の隣には「侍の杜」もあり、更にその向かいには外観は改造されている物の内部は武家屋敷の原型をとどめている堀江家住宅(非公開)もありました。
佐倉市の武家屋敷に関するページ ; http://www.city.sakura.lg.jp/0000000617.html
3棟が並ぶ通り

3棟の見学には旧川原家を入って左の事務所で入館料(210円)を払って入ります。
旧河原家住宅
旧河原家のみ建物内に上がる事は不可でした。

茅葺屋根の一部がふき替えられていました。


家具や化粧道具等が展示されていました。

旧但馬家住宅


旧武居家住宅


この住宅は近くから移築されたものだそうです。 写真をクリックすると拡大します。

武家屋敷から約100m先に進むと竹林の中を歩く「ひよどり坂」がありました。

竹林の小道は素敵でした。

早朝9時に武家屋敷の見学に行きましたが次々と見学客が来られていました。 で、清掃されていた方に伺った所、最近ここの武家屋敷がTV報道(詳細は不明)され、お客さんが増えたとの事。
駐車場ではこんな写真も撮らせて頂きました。

佐倉惣五郎と東勝寺 (宗五霊堂) , 佐倉宗吾旧宅 [ 旅行 関東(除く東京・神奈川)]
5月11日に サクラ オートヒストリー フォーラム に参加して来ました。
下総の国印旛郡生まれの私にとって 佐倉と言えば ”佐倉惣五郎」 でしょう!”
と言う事で、5月11日は雨だった事もあり フォーラム に参加後一泊し、佐倉宗吾霊堂の 「東勝寺」 等を見学してきました。
佐倉惣五郎は 「木内宗吾様」 や 「宗吾様」 と言ったりしますが同じ人の事。 惣五郎はりつけの200年後に歌舞伎 「東山桜荘子(ひがしやまさくらのそうし)」 で 「惣五郎物語」 がほぼ確立。
最近では 「佐倉義民傳」 として松本幸四郎さんや中村勘三郎さんが演じています。



東勝寺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8B%9D%E5%AF%BA_(%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B8%82)
佐倉惣五郎伝説 http://www.rekihaku.ac.jp/about/books/1.html
宗吾霊堂サイト http://www17.ocn.ne.jp/~sougorei/
佐倉惣五郎は四代将軍 徳川家綱公(1641~1680年)の時代の人で、歌舞伎や言い伝えでは、
下総の国印旛郡公津村(現在の千葉県成田市)の生まれで、当時の佐倉藩主 堀田正信公は江戸詰となり、実質藩を治めていた家老の悪政・重税に領民は苦しんでいた。
(惣五郎家の現当主の話では田畑の税は勿論 農具のくわ等にも税が課せられ 結婚時は婚姻税迄あったそうです。)
その為百姓領民は一揆にはやったが、佐倉藩の名主衆が協議しまず佐倉藩重役に減税を願い出たが聞き入れられず、江戸の堀田正信公の上屋敷に願い出るも門前払い。 ついに将軍家側用人久世大和守広之公に駕籠訴したが却下された。
そこで最後の手段として 1652年12月、惣五郎は妻を離縁し、船の渡し守甚兵衛の手を借り印旛沼を渡り、江戸上野の寛永寺を参拝中の四代将軍徳川家綱公に直訴。 直訴は取り上げられ佐倉藩の重税は軽減、領民の暮らしは改善された。
しかし当時直訴は重罪で惣五郎は佐倉藩に引き渡され、1653年8月惣五郎の子供4人は惣五郎の目の前で打ち首、惣五郎ははりつけとなった。
その100年後、佐倉藩主堀田正亮公が 当時の悪政の反省に立ち惣五郎に「宗吾道閑居士」の法号を送り惣五郎は 「宗吾様」 と呼ばれるようになった。
140回忌には堀田正順公が「徳満院」 の院号を送り石塔を立てたそうです。 更に1806年堀田正時公からは宗吾様の子孫に田高(でんたか)5石を与えたそうです。
私の記憶していた「惣五郎物語」は、多分親から教わったり地方回りの役者の演劇等でいつの間にか覚えた物で、年号等は別にほぼ今回東勝寺等で見聞きした物と同じであった。
とは言え、史実で確認されている事は当時の名寄せ帳に 「惣五郎がいた」と言う事だけ。
下総の国印旛郡生まれの私としては上記が全て史実として確認裏付けられて欲しいと願っています。
東勝寺 仁王門

佐倉惣五郎とその子供4人のお墓

東勝寺、仁王門を入って本堂をのぞむ

東勝寺内、宗吾霊宝殿

宗吾霊宝殿内には蝋人形66体 13話で惣五郎がはりつけられる迄の物語を再現している。
写真はその第1話 家老の贅沢三昧 (館内は撮影禁止で、1話のみ外から撮影)

次に惣五郎旧宅へ
旧宅の現当主によると、惣五郎は6人のお子さんを持ち、はりつけ時長女と次女は嫁いでいた。
惣五郎とその子供4人が処刑された事で後継ぎが無くなり、長女は嫁ぎ先でご主人を亡くしていた為、惣五郎宅に戻り家を継ぎ、婿養子をとり現在迄続いているとの事。
惣五郎旧宅



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栃木県足利市の ”あしかがフラワーパーク” [ 旅行 関東(除く東京・神奈川)]
カテゴリーの国内旅行と言う程の事でもないのですが、4月27日足利市にある ”あしかがフラワーパーク” に行ってきました。
あしかがフラワーパークのホームページ http://www.ashikaga.co.jp/index2.html
目的は 「大藤」 を見る事。 そして花房のながァ~い藤の苗木を買う事。
5月2日追記
5月2日のテレビ朝日で この園の下記 「大藤」 の移植状況が放映されました。
移植のリーダーは女性樹木医の塚本先生。
塚本先生のプロフィールは下記
http://www.nhk.or.jp/professional/2006/0525/
http://www.koyoerc.or.jp/interview/64.htm
4年前に購入した藤は極一般的な藤で、花を一杯付ける様になり綺麗ですが、なんとなく一般的すぎて植替えたいなァ~と思っていました。 そんな事もあって藤で有名なフラワーパークまで見に行ってきました。
我が家の藤

連休初日とあって早朝家を出た物の自然渋滞と3件の事故渋滞に合い、何度も帰ってしまおうかと思いながらも浦和の料金所を過ぎた頃からすき始め4時間半、やっとの事フラワーパークに着きました。 帰りは渋滞が全くなく2時間半。
フラワーパークと言うだけあって藤を初め、つつじや草花で園内は 花! 花! 花!。


で、お目当ての 「大藤」 ちょっと早かった様で、花は充分に開いていません。
今日5月1日頃の方が良かったかな?

大藤は何と藤でありながら幹回り4m,直径に直すと1.3mも! 栃木県の重要文化財天然記念樹です。

他にも藤の古木が沢山あり、下写真は 「八重黒龍」 と言う品種です。
この木も栃木県の重要文化財天然記念樹

花の形は下写真の様

と言う事で、紫・ピンク・白の藤をゆっくりと見て歩き、藤の苗木を2本も買ってしまいました。
1本は9尺藤と言う看板のあった 「柴長」 と言う品種で、来年あたり庭の藤と植え替え様と思います。 今の庭木は元々鉢植えだった事もあり鉢植えにしようと、昨日太い根を切っておく根回しを行いました。
もう一本は「八重黒龍」。
上写真の様に花房は短い物の八重で色が濃く、鉢植えに良いかなと思って。

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河口湖 オルゴールの森美術館 [ 旅行 関東(除く東京・神奈川)]
先日、孫の誕生日祝いにと家族全員で河口湖の 「オルゴールの森美術館」 に行ってきました。
目当ては美術館の中にあるレストランでの食事でしたが、美術館の中に展示してあった ”古いオルゴール”, ”自動演奏のオルガンやバイオリン” 等に目を見張るものがありました。
美術館内の展示品の紹介や展示品の演奏スケジュールは下記のページを参照願います。
http://www.kawaguchikomusicforest.jp/forms/menutop/menutop.aspx?menu_id=1639
まずはエントランス
館内に入るエントランスロードだけでも落ち着いた気分にさせてくれます。
そして館内

自動演奏に合わせ中央の人形が動き池の噴水の強弱等も変化します。

で、お目当てのメインディッシュ
私はローストビーフでしたが、荒塩を少し付けて食べると美味しかった物の、”味と対価”では対価が勝ちすぎている様な。

で、何時もヤンチャでじっとしていない主賓の孫は、第一ホールのパイプオルガンやメインホールのバイオリンの自動演奏をじっと聞き入っており、意外な一面を見せてくれました。
とは言え、やっぱりじっとしていられない孫、自分だけ早々に食事を済ませ、食事中の家族全員を1人ずつ順番に引張り出し「館内を散歩」し、はしゃいでおりました。
最後は近くの 「もみじのトンネル」 で紅葉を堪能して来ました。


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平家の里 湯西川温泉で、約20年前の職場のOB会 [ 旅行 関東(除く東京・神奈川)]
23年前迄在籍した職場のOB会に行ってきました。
このOB会は毎年1回行われており、昨年は奥日光の湯の湖でしたが、今回は栃木県日光市の北部 ”平家の落人” の里と言われる 湯西川温泉です。
昨年は土曜日と言う事もあり、横浜駅西口のホテル行きバス乗り場はごった返しし、乗るべきバスが見つからずあわや乗り遅れる所でした。 今回は金曜日と言う事、昨年の経験を生かし30分早く集合場所に着いた事もあり、スムースに参加メンバーとおちあい、バスに乗る事が出来ました。
で、バスに乗る事約3時間半、鬼怒川温泉の手前のバス停で、湯西川温泉のホテル 「平家本陣」 行きのバスに乗り換え1時間半、ホテルに到着。
ホテルは結構大きく、部屋は次の間付きで一枚ガラスの窓からは雪景色のパノラマ。


湯西川温泉は10センチ強の雪が積っており、気温もマイナスとさすがに ”関東北部の山あいに来た” 事を実感。 やっぱり冬は雪景色がいい。
ホテル内の食堂で簡単に昼食を取り、「かまくら祭り」 の会場とその付近を観光。
この 「かまくら祭り」は先週初め、テレビで、ラッシャー板前が ”かまくら作り” の応援に行った事を放映していました。
「平家の里」の駐車場がメイン会場で約10個のかまくらがあり、メイン会場わきの道を奥に行くと林の中にもかまくらが作られています。

更に奥に行くとつり橋もあり、つり橋からは寒々とした雪景色。


昔の平家の落人の集落を再現した 「平家の里」

夕食はいろりを囲む形で趣があり味や品数も程々、贅沢は言わない。 なんたって超激安料金です。

夕食後は部屋に戻り歓談。
そして一年ぶりに先輩との囲碁対決。 今年は沖縄帰りのKさんも加わり三つ巴の対決。
で、2勝0敗。 昨年の仇を取りました。 来年は先輩方が仇取りに来るだろう。
返討ちできるかちょっと心配。
で、大雪のニュースが放映される中、湯西川温泉の雪はと言うと、前日の 「平家の里」を観光していた頃から降り始め、一晩中降った様で、翌朝起きてみると2・30センチの積雪になっていました。 ホテルの方の話では今冬2度目の大雪だったそうです。
前日到着した車は雪に覆われ、ホテルのかまくらは一段と背が高くなりました。


帰り道は鬼怒川迄雪に覆われ、途中ではブルトーザーが雪かきをする程でした。
私達は無事横浜に帰着。
今年も満足できる、楽しいOB会でした。
で、帰宅途中 アッ! ここだったんだァー!!!
近所に開館した画廊をやっと見つけました。 次回報告します。

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真冬の日光で、20年前の職場のOB会 [ 旅行 関東(除く東京・神奈川)]
実は先月、昔の寮仲間と南房総に行きましたが、この時私は ”冬は冬らしく寒い雪の多い所に” と提案したのですが、あえなく否決されがっかり。 それが全く別の仲間と実現しました。
今回のOB会もホテル手配のバスで横浜駅西口からホテルに直行です。
朝7時40分頃にバス乗り場行った所、路上駐車のツアーバス数十台と客でごった返し ”唖然!!! 早くも迷子状態” 自分の乗るバスと仲間を探し走り回る事10分間。
やっとの事でバスに乗り込む事ができました。 あせったァーーーーーーー
バスの中ではOB仲間のその後を話しながら一路ホテルへ。
途中、戦場ヶ原では地吹雪に合いバスが最徐行するなど内心 ”やったァ~ 冬だァ~” と。
(豪雪地帯や北の方に申し訳ございません。 不謹慎で。 )
ホテルに到着し、チェックイン。 奥日光も雪がありました。 と言っても暖冬のせいで例年に比べ雪も氷も非常に少ない様です。
そして、ホテルのオプショナルツアーに参加。 駆け足で、龍頭の滝・立木観音・華厳の滝を見てホテルに帰着です。
ホテル
![L1JCbazEqrCq0cac1o03ks3kskXL00[1].jpg](https://hisashi1946.c.blog.ss-blog.jp/_images/blog/_6a2/hisashi1946/L1JCbazEqrCq0cac1o03ks3kskXL005B15D.jpg)
龍頭の滝 立木観音と男体山
華厳の滝
(所で、私が出会った最も寒かった体験はナイヤガラです。 凄い体験でした。 ちなみにこの時、一組の日本人の新婚旅行の方もおられました。 極寒の中での新婚旅行一生忘れないでしょうね。
極寒のナイヤガラの記事 : http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2008-01-01)
夜は夕食後、ビデオ好きの仲間が撮った以前のOB会の様子を鑑賞し、昔話や今回参加できなかった人達の消息等を話し合い。

そして、私はこの職場の前の職場時代から一緒だった先輩と囲碁を5番勝負。 結果は2勝3敗。
いまだ先輩を追い越せず。 ここで負け惜しみを1つ。 3敗の内の2敗は大勝ちしている中で、最後の一手を誤り逆転の投げ勝負でした。 ジャガーのレストア同様、もう少しの所で気を抜く癖がある様で。 来年は絶対勝ち越します。
翌朝は、NHKの ”おはよう日本” で1月30日に放送された かまくらの中の氷の彫刻を見て帰宅の途に着きました。

暖冬のせいで既にかまくらが溶けて崩れている所も
この職場は私の職場遍歴の中では最も長く在籍した職場。 やっぱり旧友とのひと時はよかった。
今回も元同僚の布*さんがプランニング。 有難う。 ”布*ツアーズ” 来年もよろしく。

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旧友と千葉県南房総 白浜へ [ 旅行 関東(除く東京・神奈川)]
今製作中のリアー ホイール ハウスの前の内装部品です。
と言う事で、
先日、新年会を兼ねて45年来の友人 5人と千葉県の白浜に行ってきたレポートです。
ホテル手配のバスで上野公園から出発し、ホテルに直行。
ホテル手配のバスなので、観光地を回るでもなく、ホテルに着いたらチェックインし、後は自由行動。
夕食に間に合えばそれでいい。
こんな旅もいいもんだ。 通り一遍の観光地巡りは、この歳ではもういい。
と言う事で、チェックイン後約3時間の散歩。 行先は特に当てもなく、とりあえず野島崎灯台へ向う。
野島崎は気象情報等でよく聞く、 ”台風は野島崎沖 南南東50kmに有り” 等の野島崎です。
歩いた歩数は14,000歩。
この仲間はよく歩く。 体力を維持しないと仲間外れになっちゃう~~~!!!!!
野島崎の灯台

野島崎では、今にも夕立が来そうな空模様の中で伊豆七島の内、5島がはっきりと見えました。 千葉県から伊豆七島がこんなにはっきり見えるとは想像だにしていませんでした。
写真は大島と利島
灯台下の厳島神社には武田石翁 の七福神の石像も有りました。
この石造、趣のある素敵な石像ですので、次回以降一体ずつ写真掲載します。
ここの七福神は男神6体が神社の外で雨ざらし。 弁財天は神社の中で見る事が出来ませんでした。
男は雨ざらし、女性は建物の中で、なんとなく男女差別を感じますが、皆さんはいかが思いますか?
今回の旅行でのハイライトはこれ。 西の海が燃えています。
今にも夕立が来そうな空模様の下、伊豆大島に沈む太陽でした。いい歳の男6人が ”すごい” ”すごい” の連発。 まるで海の向うが燃えている様。
下手な写真ですが見て下さい。

夕飯はホテル用意の極スタンダード。
最近、この仲間での旅行には特別料理の発注はしない。 我々には宿の料理が多すぎる。
千葉県が漁獲量日本一を誇る伊勢海老も付きました。 ちょっと小さかったけど。

で、満腹のおなかを抱え、紹興酒やブランディを飲みながら雑談に次ぐ雑談を真剣に夜中迄。
勿論、紹興酒は空に。 下戸の私を除き、5人で、しかも、心臓にペースメーカーを入れたり、血管にパイプを入れたりと内2人はサイボーグなのによく飲む仲間だ。
日付が変わる頃 ”オッ 空か、寝ようか” ッと 酔った風情もなくいいおった。 強い、でも体が心配。
翌日は道の駅に行き、お土産を買い、お昼御飯を食べ、、ホテル迄 1時間 7000歩の散歩でした。 満腹のおなかを抱えながらの7000歩はきつかった。
私の家族へのみやげは勿論外房名物の 鯨の肉です。
そうそう、銚子電鉄の ”濡れせんべい” もしっかり食べました。 千葉県出身の男としては、銚子電鉄にはなんとか頑張ってほしい。



茨城県の ”つくば道” を完全制覇 [ 旅行 関東(除く東京・神奈川)]
11月25・26日に、例の社会人1年生の時、一部は入社試験の時からの友人6人で筑波山に行って来ました。
全員横須賀市の寮で社会人をスタートしましたが、会社が発展するに従い、一人転勤、又1人転勤と全員が転勤を経験し、今では神奈川県内、東京都、茨城県と住まいが散らばってしまいましたので、つくばエックスプレスの終点 ”つくば駅” で待ち合わせをし、筑波山に向いました。
今回のブログのセールスポイントはタイトルの様に ”筑波山頂” から ”つくば道入り口” 迄の全工程を下りでは有りますが、歩ききった事です。
当日11月25日は ”つくばマラソン”があり、バスは大幅に遅れ、筑波山神社の大鳥居に着いたのは12時でした。 昼食を取り、筑波山への登山開始は午後1時となってしまいました。
筑波山神社に展示されている菊を横目に、登山口に向います。 ここで私は重大決断をする事になりました。
悲しいかな親に貰った足のメンテナンスを疎かにした為、自足登山に自身が持てず、ペースメーカーを付けた友人と2人ケーブルカーで山頂駅迄。 他の4人はなんと60を過ぎているのに1時間半で上りきってきました。 他の4人は胸をはり、私はうつむき 内心 ”悔しい” 。
ケーブルカーの山頂駅から女体山へは全員で。 女体山山頂はラッシュアワーでした。 山頂からの見晴らしは霞がかかっており完全とは行きませんでしたが、満足出来る見晴らしでした。
下山は女体山から全員自足歩行で、大鳥居近くの宿迄下山。 登山開始が遅かった事もあり、途中で日が暮れ、懐中電灯での下山でした。
翌日は特に計画が無かった為、つくば市北条迄歩く事にしました。 北条に到着して初めて、結果として ”つくば道” 完全下山となった事を知ったしだいです。
下の写真がほぼ最下地点で、海抜30m程度のようです。 バックに見える山が筑波山で、右の山頂が女体山 海抜876mです。 従って840m位下った事になります。 ともかく歩きに歩きました。
御酒好きの読者さんへのお土産はこれ。 つくば道の途中で立ち寄った酒造元です。
つくば市沼田の”稲葉酒造場” で、写真の様に小さな地酒やさんです。 写真左が自宅(?) 右が酒造場です。 試飲をしましたが、下戸の私が味の論評する事は避けます。
稲葉酒造場のカタログ
ホームページは右記 http://www.minanogawa.jp/
車好きの方へのお土産はこれ。
筑波山神社の前の御土産屋さんにおいてあった三輪バイク。 お会いしたお店の方は車名も生産国も分りませんでしたが、国内には5台だけと言っていました。 三輪バイクで、三人乗りです。 知っている方がおられたらコメントください。
と言う事で、約44年来の友達とのだべりにだべったハイキングでした。 楽しかった。