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東海道五十三次,滋賀県の石部宿から草津宿 (その1) [ 東海道五十三次]

 
 2022年9月25日にJR三雲駅から石部宿迄を歩き、翌9月26日には石部宿から草津宿迄を歩きました。

 26日朝早めに起きホテルから外を見ると雲は殆どなく、今日も暑くなりそうな感じ。
 ホテルで朝食を取り、8時頃ホテルを出てJR甲西駅から石部駅に向かいました。
                      下はJR甲西駅
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 石部駅を出て200m、東海道に出ると「石部宿 西縄手」の表示板(黄矢印)がありました。

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 上記の石部宿 西縄手から草津宿迄の道中には下左写真の様な旧家と思われる家が点在し「旧街道を歩いているんだなァ~」と実感させられます。 
 下右写真のお地蔵様は石部宿 西縄手から2.4kmの所の地蔵尊です。 この街道には本当に多くのお地蔵様があり、途中の栗東市には「六地蔵」と言う地名までありました。

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又、所々のお宅の玄関には昔からの屋号が表示されていました。

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 で、石部宿 西縄手の表示から3.2kmの所で、街道は左に大きく曲がっており、曲がって直ぐの所に「金剛山 法界寺 地蔵院」と言うお寺さんがあり、下右写真の様な「木造地蔵菩薩立像」の説明がありました。 私はお参りをして、トイレをお借りしてお寺さんを後にしました。

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 地蔵院から約150mで「旧和中散本舗」に着きました。
 ここは大角弥右衛門家の邸宅で、昔のままだそうで、庭は小堀遠州作と言われ贅を尽くした江戸時代の豪商のお宅です。 事前の予約で内部が見学出来るとの表示がありました。

 江戸時代の六地蔵には旅人に道中薬を売る店が数軒あり、大角家は、その中で和中散という薬を売る「ぜさいや」の本舗として栄えました。 また草津宿と石部宿の「間の宿」として、公家・大名等の休憩所も務めたとの事。 和中散という名は、徳川家康が腹痛を起こした時、この薬を献じたところ、たちまち治ったので、家康から直々付けられた名前といいます。
 
(「間の宿」とは、宿場と宿場の間の距離が長かったり、峠越え等の負担の大きい街道では自然に休憩の為の施設が発展しました。これが間の宿で江戸時代には宿泊は禁止されていました。)

旧和中散本舗                吊下げ看板に「本家 ぜさい」との赤い表示が。
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 和中散本舗の前の坂を上って、約200m行くと「六地蔵一里塚跡」がありました。
六地蔵の一里塚は日本橋からで117里です。

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 で、更にテクテクと歩き約1km行くと西厳寺さんの前に「肩かえの松」がありました。
 松の下の石碑には「旅人はこの松の下で休息を取り、荷物を担う肩を変えた所である」の様な事が書かれていました。 その奥には小さな「二代目 肩かえの松」があり、傷つき少し弱っている様だった初代松の代替が用意されていました。 
(何となく"うゥ??"と思ったのは私だけ?! 今植わっている松は何時の時代に植えられた松なんだろうか? しかも初代が弱っているとはいえ二代目が準備されているとは。)

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 西厳時の肩かえの松から600m程歩いた所に「里内呉服店(下左写真)」、その隣は「塩屋藤五郎(下右写真)」さんと言う醤油屋さんの古い家がありました。 里内呉服店の中央には「登録有形文化財 文化庁」の表示(黄矢印の先)があり、明治5年操業の様です。 

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 里内呉服店から約300m、「東経136度 子午線」の石碑がひっそりと立っていました。
(地球上で日本の位置を示す石碑なのでもう少し堂々と大きい物を立てたらどうだろうか?)

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 136度の子午線から230mの所で左カーブを道なりに曲がり170m「第9代将軍 足利義尚公 鈎の陣所ゆかりの地」の石碑がありました。 実際の本陣はここから300m永正寺一帯だった様。
 ここは、応仁の乱の後、近江守護・六角高頼が寺社や奉行衆の所領を横領し始めた事で、室町幕府9代足利義尚が自ら軍を率い、この地に陣を敷いた。
六角氏は甲賀に逃れた。足利義尚公は病にむしばまれ25歳の若さで、この地で亡くなりました。

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 足利義尚の鈎の陣から道なりに1.1km歩くと「東海道・中郡街道」の石碑のある下左写真のT字路に突き当たり、更に右に曲がって進みます。 T字路を右に曲がった後200m程で又道なり左カーブを曲がって進みます。
 「東海道・中郡街道」の石碑のあるT字路から400mの所には下右写真の様な「目川村一里塚」の石碑と説明板がありました。 目川の一里塚は日本橋からで118里です。

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 更に歩き、一里塚から350m、目川の「田楽発祥の地」との石碑があり、下右の様な説明板が掲示されていました。 そして更に進むと田楽の「古志まや」さんの石碑、更に田楽の「京いせや」さんの石碑もありました。

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 下は目川田楽の京いせ屋さん跡で、歌川広重の「石部宿」の絵になった所だそうです。

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 次回のブログは「石部宿から草津宿迄 (その2)」を掲載すべく準備中です。

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