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お城や芭蕉の生家等々, 伊賀市上野のサイクリングツアー その2 [ 旅行 関西以西]

  
 10月初め、東海道五十三次の関宿から坂下宿まで歩き、翌日は鈴鹿峠越えをと思っていましたが、天気予報では鈴鹿峠付近は雨との事。 やむおえず東海道歩きを断念!

 鈴鹿峠が雨の場合にはと事前に準備しておいた伊賀市の上野地区を観光する事にし、前回のブログの様に伊賀上野城や松尾芭蕉の生家等を見学しました。 今回は自転車で回った「伊賀国分寺跡」や「仇討の鍵屋辻」・「旧小田小学校本館」等を見学、レポートします。


 松尾芭蕉の生家から南東方向に自転車をこぎ約3km、「伊賀国分寺」入り口に到着。

 国分寺は、8世紀の奈良時代に国家安泰や疫病の退散を願って、律令体制下の各国に建てられた寺院で、国分僧寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)の2寺を指します。
 伊賀国分寺は伊賀国に建てられた寺で、東西220m,南北240mの土塁状遺構に囲まれ、中心伽藍である中門・金堂・講堂は南北に一直線に並んで建てられていました。
又、伊賀国分寺跡の東方数百メートルには国分尼寺跡と推定される長楽山廃寺跡も有ります。

伊賀国分寺跡入り口
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内部は雑草生い茂る原っぱの様でしたが、寺院跡の周囲には舗装された周回路があり、主な建物跡には建物の名称が表示されていました。
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 寺院の中心部だけは入る事が出来る様に草が刈られ、大正時代に建てられたと思われる「内務省」と書かれた石碑,そのわきには「講堂跡」の立札が有りました。
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 磐田市の遠江国分寺跡や鈴鹿市の伊勢国分寺跡は雑草を刈り、きちんと手入れされていた事からも、がっかりしながら次の「鍵屋辻」に向かいました。 
鍵屋辻は伊賀上野地区の西の端小田町にあり、南東端の国分寺跡からは街を横断し約4km。

 「鍵屋辻」は、曾我兄弟の仇討ち、赤穂浪士の討ち入りと並んで、日本三大仇討ちに数えられ、荒木又右衛門と渡辺数馬が仇である河合又五郎を討ち取った所で、「荒木又右衛門 鍵屋辻の決闘」として小説や映画,ドラマの舞台となりました。
伊賀越資料館では、鍵屋辻の決闘に関する様々な資料が保管されている様ですが、休館となっていました。

黄緑矢印の先には「数馬茶屋」、黄色矢印の先には「伊賀越資料館(休館中)」が有りました。
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 で、最後の目的地は「旧小田小学校本館」です。

 旧小田小学校本館は、明治14年(1881年)に建てられ、現存する小学校校舎としては三重県で最も古い建物です。
 木造洋風二階建てで、寄棟造り、屋根は桟瓦葺、延べ274m²あり、昭和50年に三重県の有形文化財に指定され、平成2年から5ヶ年の解体調査及び復元保存工事も行われた。
 正面ポーチはエンタシス風の柱(下部又は中央部から上が細くなった柱)を用い、玄関入り口上部には龍の彫刻がはめ込まれています。 見学は大人100円です。

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 伊賀市上野地区には多くの名所旧跡があり、今回はレンタル自転車を借りその幾つかを見学をさせて頂きました。
1つの街や地域内の複数の観光地を回るには自転車は便利グッツナンバーワンでした。

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