2024年 新年の挨拶 [日記]
滋賀県の琵琶湖疏水と三井寺見学 その1(琵琶湖疏水) [ 旅行 関西以西]
2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、次回で終了です。
で、東海道五十三次が終わってしまうとなかなか琵琶湖周辺には来られないかもと思い、東海道歩きはそこそこにして、今回彦根城の他題記琵琶湖疏水と三井寺を見てきました。
前日、彦根城を見学し、東海道五十三次を大津宿本陣跡からJR 山科駅迄歩き、約26000歩。
結構疲れたもののホテルでしっかり休む事が出来、元気に2日目の観光に入りました。
(まさに東海道五十三次ではなく、観光旅行の様相を呈して来ました。)
朝8時半頃にホテルを出て、京阪電車の「びわこ浜大津駅」から1つ先の駅「三井寺駅」に向かいます。(ホテルから琵琶湖疏水迄は充分に歩ける距離だったのかも!)
びわこ浜大津駅手前では路面電車の様な京阪電車に遭遇。
びわこ浜大津駅は橋上駅で、2階に上がると改札口の北東側に県道18号線をまたぐ様に歩道橋が伸びていました。 で、歩道橋の最先端迄行き、琵琶湖とその奥の山々を観光。
夏に観光した「伊吹山」は琵琶湖のズ~~ッと奥の方との事。琵琶湖の大きさを改めて実感。
伊吹山観光のページは右記; https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-08-08
京阪電車で三井寺駅に向いましたが、途中迄は路面電車の様に道路中央を走り、途中からは道路から離れ走行。 写真の先の方が三井寺駅。
三井寺駅は無人駅で、駅を出てまっすぐに琵琶湖疏水の最も琵琶湖側の取水場所に向かいました。 写真の奥は琵琶湖です。
琵琶湖疏水は、琵琶湖の水を滋賀県大津市から京都市へ流す為、明治時代に作られた水路(疏水,運河)です。 第1疏水は1890年に完成し、第2疏水は1912年に完成。
第1疏水は全長約20kmで、第二疏水は第1疏水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4kmで、両疏水を合わせ23.65m3/s(昭和61年値)を滋賀県大津市で取水しています。
着工当時多くの大規模工事は外国人技術者が関与していましたが、この琵琶湖疏水は設計から施工まですべての工程を日本人の手で担った、最初の事例となりました。
詳細は右記のページを参照願います; https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/story/
又、ウィキペディアのページは;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E7%96%8F%E6%B0%B4
下写真が琵琶湖疏水の「琵琶湖第一疏水揚水機場」です。 ここから京都に水を送ります。
所で最近、琵琶湖の水位が通常より約70㎝程下がっているとの事。 黄色矢印の水の跡がその証拠でしょうかね。
揚水機場を通った水は疏水の水道を流れていきます。
ちょうど紅葉(こうよう)の終盤で、紅葉(もみじ)の紅葉(こうよう)がすごかった。
青矢印先は京阪電車です。
ここ琵琶湖第一疏水の両岸は桜並木となっており、開花時期はさぞ賑わうのでしょう。
更に上流には琵琶湖第一疏水の遊覧船も停泊していました。
(遊覧船の運行はすでに終了し、来春運航再開との事でホームページを見て欲しいとの事。)
乗船予約のページは右記; https://biwakososui.jp/biwakososui/
で、第一疏水揚水機場からまっすぐに500mで「琵琶湖疏水第1トンネル東口」に到着。
ここからの琵琶湖第一疏水は山科迄(厳密には大津市と京都の境界付近)トンネルとなります。
琵琶湖疏水第1トンネル東口のすぐ上は変形のT字路になっており、三井寺の観音堂は琵琶湖疏水第1トンネルの真上の様で、T字路を右に行っても左に行っても観音堂に行ける様です。
私は右側に行き、三尾神社の鳥居を迂回して三井寺の総門から観音堂に向かいました。
大分長くなりますので、三井寺は「その2」とします。
とッ 書きつつもう一言だけ、
日本最古の水道は1545年以前に北条氏康が作った物の様で、小田原の早川から取水し小田原城下に送水した水道だそうです。 取水口付近は今でも見る事が出来ます。
「小田原早川上水」のウイキペディアのページは下記;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%8E%9F%E6%97%A9%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%B0%B4
私も東海道五十三次歩きの時に見てきました。
その時の東海道歩きのページは右記;https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2010-10-17
滋賀県彦根市の彦根城 [ 旅行 関西以西]
2009年12月15日に歩き始めた東海道五十三次は、限りなく終盤に近く「もう終わってしまうのか! なんか寂しい様な!」と思い滋賀や京都の観光地を観光し、東海道はちょとしか歩かずに「東海道五十三次の終了」を先延ばしにしている様な!
そんな心理の中、今回は3か所もの名所旧跡を観光、その1つが「彦根城」の見学です。
彦根城は、井伊直継によって現在の滋賀県彦根市金亀町の彦根山に、井伊氏の拠点として元和8年(1622年)に築かれた平山城(標高50m)で、多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城です。
明治時代に入り廃城令で多くのお城が壊されたが彦根城は破却を免れ、天守と附櫓(つけやぐら)、多聞櫓(たもんやぐら)が国宝に指定されている他、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に指定されている。
彦根城はJR彦根駅西側からも望め、西口広場には井伊直政の銅像もあります。
彦根駅西口から約600m、10分程でお堀ぞいの松並木「彦根城のいろは松」が右に見えます。 更に松並木を進み、「 彦根城 二の丸佐和口多聞櫓」わきを回り込むように進み、「彦根城 馬屋」の前をお堀ぞいに左に進むと「彦根城 表門橋」に出ます。
JR彦根駅から
彦根城のいろは松 二の丸佐和口多聞櫓
左写真の左側の橋が彦根城 表門橋。
彦根城にはお堀巡りの屋形船遊覧もある様です。 お堀の背後の建物は彦根城博物館と思う。
屋形船のホームページ https://www.yakatabune.info/
表門橋を渡り、発券所で入場券(800円)を購入し、城内に入って行きます。
確か120段と言われていたと思う緩めの階段を昇って行くと、次第にきつくなり立派な石垣が見え、「彦根城 廊下橋(落とし橋)」も見えて来ました。
「彦根城 廊下橋(落とし橋)」の下をくぐり、石垣を回り込むようにして廊下橋を渡り、「彦根城 天秤櫓」を通ります。
天秤櫓を通ってさらに上ると曲がり角左に「彦根城 時報鐘」があります。
この鐘は12代藩主井伊直亮が弘化元年(1844年)に鋳造した物で、当初城下北隅にあった為鐘の音がとどかず、現在地に移したとの事。 鐘は午前6時、9時、正午、3時、9時に付かれたとの事。
鐘の所を右に曲がって行き「彦根城 太鼓門櫓」を通って進むと天守閣の前庭に出ます。
天守前広場で、通り掛かりの方にひこにゃんを背後に記念写真を撮って頂きました。
次に天守閣内に入ります。
何処のお城もそうですが、階段は非常に急です。 金網越しに城下も見る事が出来ます。
で、天守閣内の職員の方に伺った所、何度もメンテをを行っているので、本当に建築当初の部材は3割位だろうとの事。
天守内の写真はひどいピンボケ・シャッターブレでした。 ごめん!
天守閣を出て名残惜しく振り返り、カシャ!
確か天秤櫓の下で天守閣に登った時の道と別れ、「彦根城 大手門橋」方向に下り、彦根城見学は終了です。
彦根城見学は、彦根駅を出発し、駅に戻る迄で約三時間でした。 その内約30分ほど昼食を取りましたので実質2時間半かも。
彦根駅に戻り改めて井伊直弼の銅像を見学、今回の東海道五十三次の出発地大津に向かいます。
で、ここで、彦根駅からの最初の写真に戻って頂きます。
空模様が大きく違います。 最初駅を降りた時は快晴に近い晴れ!
彦根城見学が終え駅に戻った時は今にも大雨になりそうな空模様。 風も冷たく!
でも大丈夫、kotobuki は心がけがいいから。 お天道様を信じます。
ブログの https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-12-11-1 を見てください!
MG ミゼットのレストア経過を一冊のファイルにしました。 [MG ミジェット 購入手続き・その他]
MGミゼット(Midget)をニュージーランドから輸入し、3年かけてレストアして来ました。
そのレストアの状況を出来る限り細かくと心がけてブログに掲載して来ました。
その結果、ミゼットのブログ記事は2023年11月末で 121回になりました。
しかも、この車が私の手から離れると言う事で、私の記念にもと思いブログをエクセルに落とし込み、印刷し1冊のファイルにしてみました。
A4のファイルは、440ページ、裏表印刷で約 5cm(0.2mm厚の紙)の厚みになりました。
で、出来上がったファイルは下写真の様です。
ファイルの表紙を開けると約 5cm厚の印刷物が始まります。
最初の記載は全体の目次や各カテゴリーの目次となっています。
(隙間があれば写真を添付してみたが、ゴテゴテしすぎの様です。)
今回の MG Midget は、現地での現車確認や購入、船積み、輸入通関等の経過もブログで記事にしてありましたので、印刷してファイリングしました。
下写真の時に初めて MG Midget の実車を見ました。
ジャガーとは同じ年式のクラシックカーですが、全くイメージの異なる車です。
エンジンのページは下記の様で、
サスペンション、
ボディ&トリム、
他にパワートレインやエレクトリック等2023年11月迄の MG Midget に関するブログは全て印刷し、ファイリングしました。
まだ MG Midget に関しての記事を書くと思いますが、
ここ迄のブログ内容をでよければ、ご希望の方にはUSBメモリー(メモリーは実費)で
お譲りできます。
印刷してのファイルは工数や費用が掛かりすぎますのでUSBメモリーのみとします。
MG ミゼットにオートゲージ(Autogeuge) の電圧計と時計を組付けました。 [ MG ミジェット エレクトリカル]
既に国内未登録車として販売する事を決めている「MG Midget」(ミゼット)ではありますが、自分で乗る為に約1年半前に購入しておいた「電圧計」と「時計」を組付けてみました。
(国内未登録車の場合は新車と同じ扱いで国内登録できます。)
「MG Midget」(ミゼット)を手放す事にした経過等は下記ページを参照願います。
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2023-10-05
下写真が購入した電圧計と時計です。
で、ダッシュボードに組み付ける為にアルミ材と鉄板でブラケット製作しました。
ダッシュボードに使用した黒の本皮をブラケットに貼り、電圧計と時計を組み付けた結果は下写真の様です。
ダッシュボードに組み付けた感じは下の様です。
下写真はイグニッション OFFの状態で、メーターのライトが消えている。
イグニッション ONにするとメーターのライトが点灯し、メーターも作動し始めます。
マイナスアース化した配線を基に、電圧計と時計の配線は下記の様に行いました。
(今回の様にメーター等の他ETCやナビ等市販のアクセサリーを組み付けるには、電気関係をマイナスアース化する事が必須ではないかと思います。)
配線図をクリックすると拡大表示され鮮明化します。
で、走行してみるとミッションのシフトレバーとメーターが近く、問題なくシフトは出来るものの、ローギアーのシフト時メーターに手がこする程度になってしまいました。
そこで、ブラケットの皮を剥し、ブラケットの裏表を反対にし、再度皮を貼りメーターを組み付けて見ました。
車への組み付けもブラケットを裏表反対にした事で、メーターの表示面が約20mm強奥に移動しており、走行テストではローギアーシフト時もサードシフト時も手がメーターにあたる事はありませんでした。
メーターは下の様に見えます。
(もし、この車を購入した方が不要と言うのであればすぐに取り外し可能です!)
この「MG Midget」(ミゼット)に興味ある方はこのページにコメントか、エンスーの杜にお問い合わせを。 現車は何時でも見る事げ出来ます。