東京都庁の展望室で行われた さつき盆栽展 [日記]
「さつき盆栽展」 の招待券を頂きました。
展示会の名は 「第11回 錦秋展」 主催は日本皐月協会
都庁に行った事は無く、身近な方からの招待券でもあり出かけてみました。
新宿を散歩しながら
都議会と都庁につきました
さつき展示会 会場
立派なさつき盆栽が沢山並んでいました。
いずれも大木で素敵な盆栽ですが、特に良いなァ~と思ったさつきは、
下右のさつきは直径25cm位の大木でした。
下左のさつきは確樹高20cmの盆栽で、下右は10cm以下、全く小ささを感じさせません。
で、会場は都庁の45階。 外の景色はまさに ”下界” でした。
私のさつき盆栽はと言うと、
全くの自己流ですが、アメリカに赴任する前は1つの趣味として3・40鉢持っていました。
所が、8年ものアメリカ赴任中全く植え変えが出来ず、1鉢枯れ,2鉢枯れと枯れていくのを地球の裏側で聞いているしかなかった。 その為、帰国時は10鉢弱になってしまいました。
特に形のいい木や花の綺麗な木は木の力が弱いらしく先に枯れていき、帰国時にはそれほど大事にしていなかった物だけが残り、 「さつき盆栽」への興味は薄れて来ています。
所で、ブログを読んでくださっている方の中には「盆栽は年寄りの趣味」 と思っている方が多いのでは? (最近は 「盆栽は外国人の趣味」 と言うのでしょうか?)
盆栽を苗木や荒木(盆栽の素材となる木)から仕立てるには早くて数年、盆栽らしく貫禄が出る迄には5年・10年かかり、リタイヤ後に始めるのでは遅い様に思います。
盆栽をリタイヤ後の趣味にと考えておられるのであれば、リタイア前から少しの苗木や荒木を購入して盆栽の育て方について少しずつ トライ アンド エラー をしてみてはいかがでしょうか。
最も上写真の様な立派な盆栽を購入できる方は別ですが。
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11月17日朝のトラブルは ヒューズの不良でした [ Eタイプ 内・外装,電装の修理]
11月17日、八王子のクラシックパレードに参加しようと朝早く起き、最後の点検にと妻に各ランプの点灯を確認してもらった。 結果、ブレーキランプが点灯しなかった。
ブレーキランプが点灯しないと追突される危険性があり、ともかく直そうと出発時間の迫る中点検。
で、まずヒューズは大丈夫か?
ヒューズはサブメーターのパネル裏にある。
サブメーターのリッドを止めている2本のビスを外し、リッドを倒しヒューズを点検。
ガラス管タイプのヒューズは、外観上異常は見つからなかった。
ヒューズの行き先を記したプレートには、ブレーキランプ用のヒューズは ”クーリングファン” と共用になっている。 で、エンジンのオーバーヒート対策にと追加配線した手動のクーリングファンスイッチをONにしてみた。 ファンも回らない。 このまま走ったら直ぐにオーバーヒートする所だった。
次に、ブレーキ関係とファン関係の各部の配線を点検したが、ハーネスの外れやアース不良等の異常は見当たらなかった。
で、ブレーキランプのヒューズの接触を確認する為ガラス管を回し、同時に他のヒューズも回してランプの点灯を確認。 今度はテールランプやナンバープレートのランプも点灯しなくなってしまった。
パレード会場へは 「10分の遅刻も1時間の遅刻も遅刻にはかわりない」 と腹をくくり、レストアをしていた頃の事を思い出してみた。
思い当たるふしがあった!
イギリスから買ったヒューズを取付けていた時、ガラス管ヒューズの両端に付いている端子キャップが外れた事があった。 その時は 「またイギリスの部品の不良か」 とあまり気にせず、ヒューズの端子の外れを確認しながら問題ない物を付けたつもりだった。
下写真は国内で購入した物
この不具合が関係していると思い、ヒューズを外した所、片側のヒューズ端子が外れてしまった。
レストア時端子の外れを確認しながら付けたつもりだったが、きちんとハンダ付けされていない為、車を使っている間に振動等で外れ、接触不良を起こしランプがつかなかったのだろう!
で、レストア前に使われていたヒューズを取付け、ブレーキランプやクーリングファンを回して見た。
次にテールランプ等のヒューズもレストア前の物に変えてみた。
共にちゃんと作動する!!!!!
と言う事で、全てのヒューズをレストア前の物や日本で買った物に変えて、ランプ類とクーリングファンやホーン等の作動を確認、あせりに焦った修理は暫定処置を完了。 1時間遅れで出発。
で先日、イギリスから購入した全てのヒューズの端子をハンダごてで熱し、分解。
ヒューズのキャップに充分にハンダを流し込み、下写真の様にハンダごてで充分に熱してハンダ付けをやり直しました。
ア~アッ 又イギリスから買った部品で振り回された。
皆さんはこんなヒューズの不良考えた事ありますか??? 私は初めてだった!!!
ほめて燃費を伸ばした車があるそうですが、私の車は想定外の事が起きる。
神様 仏様 「出先でこんな事が起きない様にお願いします!!!!!」
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ジャガー Eタイプで八王子のクラシックカーパレードに参加 その2 [ カーショー 神奈川以外]
前回に続き11月17日に行われた八王子のクラシックカーショー & パレードです。
11時半位にドライバーズミーティングを行い、12時位からパレード開始。
前回の2011年は息子を乗せてのスタートですが、今回は40年来の友人を乗せてのスタートです。
パレードのコースは市役所を出て、国道20号線 追分交差点からJR高尾駅迄の約5kmです。
市役所の駐車場を出る時から見物人は溢れんばかり、
前の車は トライアンフ TR4 85歳位の御高齢で静岡県から運転して来られたとの事。
私もこの方の様に80過ぎても好きなクラシックカーで長距離ドライブしていたい。
80過ぎと言うと、今回も見に来てくれた孫の運転でショーに参加するのもいいかも。
スタート地点となる追分の交差点に到着
低い車から見ると色付き始めた銀杏が本当に綺麗でした。 毎回ここに来ると感動します。
で、パレードのコースは何時もの様に渋滞。
信号で停車した時には見物人の方に写真を取って頂く程のゆっくり運転。
多摩御陵の入口付近では溢れんばかりの人・人・人
知人の話では、昨年は人出が多すぎ見物人にちょっとしたトラブルがあったとの事。 と言う事で今迄はここで右折して市役所に戻るのですが、今回は高尾駅の先迄。
所がコースアウトされる方もいて私達は帰路のルートが分らなくなり、JR高尾駅前を右折して市役所駐車場迄戻ってきました。 本当は高尾駅前第2交差点を左折して帰るルートだった様です。
で、朝の出発前のトラブルは何処へやら、何事も無かった様に帰宅出来ました。
パレード中の渋滞にも耐え、エンジンのオーバーヒートも無く!!!!!
次回はその ”朝のトラブル” を報告します。
多分、 「えェ~~そんな事あるの」 と言う事になるかも。
次回のクラシックカーショー参加は ”谷保天満宮 旧車祭 2013” 12月8日です。
見かけたら声を掛けてくださいね!
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ジャガー Eタイプで八王子のクラシックカーパレードに参加 その1 [ カーショー 神奈川以外]
11月17日、八王子のクラシックカーショーとパレードに参加して来ました。
八王子は何と言ってもイチョウ並木の国道20号線を約3Kmわたってパレードする事で、見物人が多い事でも知られています。
一昨年は多くの見物人の前で、Eタイプのエンジンがオーバーヒートすると言う失態を演じ、恥ずかしい事この上なかった。 この時からEタイの熱との戦いが始まり、未だ継続中。
http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2011-11-24
http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2013-03-02
今回も朝早く起き出発の準備をし、最後の点検にと妻と各ランプの点灯確認。
で、ブレーキランプが点灯しない! 点検をしている間にスモールランプやナンバープレートランプも点灯しなくなり、更にはエンジンのクーリングファン迄もが作動しなくなりましたが、何とか原因をつきとめ暫定処置をし、約1時間遅れで出発。 八王子と Eタイプとは相性が悪いのかも。
(この顛末は次々回に記事に致します。)
会場の八王子市役所 駐車場には遅刻寸前の8時20分に到着し、展示の準備を完了。
少し落ち着いた所で、会場を一回り。
一昨年背中合わせだったコルベットの方々も参加しておられました。
2005年に初参加し、知り合いとなったフェアレディの方々も
そして今回の発見は綺麗にレストアされた ボルボ P1800 1971年型
約40年前頃近所のお医者さんがワゴンタイプの P1800ESを持っておられ、懐かしく拝見させて頂きました。
発売当時しっかりした造りだなァー と思いながら見ていた ミツビシ コルト1500 1966年型
何時もの様にスカイラインやブルーバードも多数参加しておられました。
ざっと見た所、日産車は参加車の1/4位を占めていたかも。 これはトヨタ車等に比べ比較的部品の入手が容易な為だろう。 私がアメリカでフェアレディ SRL311をレストアしていた2000年頃は部品で困った事は無かった。
で、こんなダットサンも参加しておられました。 1937年型 860ccエンジン
日産と言えどもさすがにこの位古いと部品は全く無いでしょう。
ダットサンの室内
少しした所でパレードで同乗する友人も到着。 11時頃から開会式の後ドライバーズミーティング。
開会式やパレードにはこんな ゆるキャラ や 花町のお姉さん方もお見えになっておりました。
で、パレードの様子は次回
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八王子は何と言ってもイチョウ並木の国道20号線を約3Kmわたってパレードする事で、見物人が多い事でも知られています。
一昨年は多くの見物人の前で、Eタイプのエンジンがオーバーヒートすると言う失態を演じ、恥ずかしい事この上なかった。 この時からEタイの熱との戦いが始まり、未だ継続中。
http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2011-11-24
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今回も朝早く起き出発の準備をし、最後の点検にと妻と各ランプの点灯確認。
で、ブレーキランプが点灯しない! 点検をしている間にスモールランプやナンバープレートランプも点灯しなくなり、更にはエンジンのクーリングファン迄もが作動しなくなりましたが、何とか原因をつきとめ暫定処置をし、約1時間遅れで出発。 八王子と Eタイプとは相性が悪いのかも。
(この顛末は次々回に記事に致します。)
会場の八王子市役所 駐車場には遅刻寸前の8時20分に到着し、展示の準備を完了。
少し落ち着いた所で、会場を一回り。
一昨年背中合わせだったコルベットの方々も参加しておられました。
2005年に初参加し、知り合いとなったフェアレディの方々も
そして今回の発見は綺麗にレストアされた ボルボ P1800 1971年型
約40年前頃近所のお医者さんがワゴンタイプの P1800ESを持っておられ、懐かしく拝見させて頂きました。
発売当時しっかりした造りだなァー と思いながら見ていた ミツビシ コルト1500 1966年型
何時もの様にスカイラインやブルーバードも多数参加しておられました。
ざっと見た所、日産車は参加車の1/4位を占めていたかも。 これはトヨタ車等に比べ比較的部品の入手が容易な為だろう。 私がアメリカでフェアレディ SRL311をレストアしていた2000年頃は部品で困った事は無かった。
で、こんなダットサンも参加しておられました。 1937年型 860ccエンジン
日産と言えどもさすがにこの位古いと部品は全く無いでしょう。
ダットサンの室内
少しした所でパレードで同乗する友人も到着。 11時頃から開会式の後ドライバーズミーティング。
開会式やパレードにはこんな ゆるキャラ や 花町のお姉さん方もお見えになっておりました。
で、パレードの様子は次回
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横浜ヒストリックカーディ その2 (ジャガーXK120とベンツ190SL) [クラシックカーショー 神奈川県]
11月9日に横浜赤レンガ倉庫で行われた 「横浜ヒストリックカーディ」 に ジャガーEタイプで参加。
隣に ジャガーXK120、展示場の奥の方に ベンツの190SLが参加しておりました。
共に興味深々の車でしたので、ちょっと比較してみようと思い立ちました。
XK120 と 190SL をデーターで比較してみると
XK120 190SL
販売時期 1948 ~1954年 1955 ~ 1963年
(ジャガーにはほぼ同型でXK140とXK150があり、これらを含めると1961年迄販売)
寸法 4270×1550×1270 4290×1740×1320
エンジン 6気筒 3442cc 160HP/5000rpm 4気筒 1897cc 120BHP/5700rpm
最高速度 192Km/h 約 168km/h
で、ジャガーXK120 ってこんな車。
ジャガーが初めて本格的にスポーツカー ”SS ジャガー90(後にSS100)” を発売し、その後継として 1948年に ”XK120” を発売。
XK120の120は最高速度120マイル(192キロ)の意味で、スピードレースを意識した車でした。
一方、ベンツ190SLはこんな。
ベンツは1954年にレース用車として ”300SL” を発売したが、あまりにも高価になった為、廉価版として300SLのイメージそのままに1955年 ”190SL” を発売。
190は1900ccの排気量。 SLの意味はSpeedのSとLeicht(英語でLight)のLですが、ベンツは発売当時 「190SLはツーリングカーでラリーやスポーツユースの車ではない」 と言っていました。
と言う事で、
XK120はジャガーの2世代目スポーツカーで、1940年代後半のスピードレースを意識して大きなエンジンを積んだスポーツカーで、後にルマン等スピードレースで活躍、スポーツカーの会社として認識される様になった。
一方、ベンツの190SLは1950年代中頃のツーリングカーですが、ボディスタイルは60年代70年代にも通じる斬新なスタイルでした。 1955年に300SLで参戦したルマンにおいて200人を超える死傷者を出す大事故を起こし、その後長い間レース活動から遠ざかっていた為スポーツカーのメーカーとしては認識されなかった。
尚、ジャガー XK120やEタイプの生い立ちは下記ページを参照願います。
http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2007-07-02
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ジャガー Eタイプで 横浜 ヒストリックカーディに参加 その1 [クラシックカーショー 神奈川県]
11月9日、横浜赤レンガ倉庫で行われた 「横浜ヒストリックカーディ」 にジャガー Eタイプで参加して来ました。
当日は寒く、曇り。
早朝家を出て、順調に走り会場に8時20分位に到着。
スタッフの案内で所定位置に。 あれ? 赤いのは??
既に隣にはこれぞクラシックスポーツカーと言える ジャガーXK120 が駐車しておりました。
XK120と私の車の間に赤いEタイプが入るはずだったのですが、昼頃本人が見えられ、車の調子は良いのですが、本人が故障で電車で来られたとの事。 残念! お大事に。
展示の準備が出来た所で会場を一回り。 早朝はまだ到着していない車もありますが、人も少なく写真は撮り易い。 又、準備完・開場待ちのオーナーも多く気軽にお話もできます。
で、私は何時もの様に開場の回りの風景を カシャ カシャ っと。
大桟橋には 「飛鳥 Ⅱ」が停泊していました。 午後のには出港してしまいましたが。
大桟橋や山下公園方向
そういえばサンフランシスコの桟橋の埠頭ビルも四角く全く同じ様な形だった。
で、主な参加車
少し前にオーストラリアのラリーの記事を書きましたが、その車と同型のダットサン211です。
http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2013-10-05
マツダのコスモ 1969年型
ニッサンのチェリーⅩⅠR 1974年型
ニッサンのシルビア 1965~1967年型
ダイハツのコンパーノスパイダー 1970年型
MG TC 1947年型 奥のグリーンはMG TD 1950年型
フィアット500 多分1971年型 トランクが良い!!
オースチンヒーレー 左が1964年型 右2台が1956年型
そのリアービュー 約10年間ボディスタイルはほとんど変更されていない。
次回は ベンツ190SLとジャガーXK120です。
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ブルーバード と 石原裕次郎の映画 「栄光への5000キロ」 [ カーショー 神奈川以外]
少し前にダットサン210がオーストラリアのラリーで日本車初優勝を書きましたが、その後も日産は主としてダットサンブルーバードを使って国際ラリーに挑戦して来ました。
ダットサン210の記事 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2013-10-05
中でも 「東アフリカ サファリラリー」 には ブルーバード 410でクラス優勝を果たす等の好成績を残しました。 そして開発されたのが1967年に発売された ブルーバード 510でした。
ブルーバード 510はそれまでのラリー経験から、エンジンの出力をあげるべく OHC(オーバーヘッドカムシャフト)エンジンを採用し、リアーサスペンションには独立懸架装置を採用 悪路走破性を格段に向上しました。 これ等の機構は国産量産車としては初めての物でした。
ブルーバード 510はこの他にもフロントドアーの三角窓廃止等国産量産車初の多くの新機構を採用していました。
その結果、「東アフリカ サファリラリー」 で好成績を残し、特に、
1969年には ブルーバード510で、 総合3位 クラス優勝
1970年には ブルーバード510で、 総合優勝と2位・4位・7位 で総合,クラス,チーム優勝
を果たしました。
写真は http://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=51 から
このサファリラリーに挑戦された日産の監督 笠原剛三さんが 「栄光への5000キロ 東アフリカサファリラリー 優勝記録」 と言う本にまとめました。
この本をもとに製作された映画が 石原裕次郎主演の 「栄光への5000キロ」 でした。
以下の写真は 「栄光への5000キロ」 のDVDカバーシートから頂きました。
車好きの方・裕次郎ファンの方には是非お勧めしたい映画です。 DVDを買って見て下さい。
3000円代でした。 (レシート無くしちゃった)
映画の概要はこんな
詳しくは下記のページを参照願います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%B8%E3%81%AE5000%E3%82%AD%E3%83%AD
裕次郎も他の人も皆カッコイイよねェ~~~
ハゲでチビで足があるのか分らない程の胴長短足の私にとっては羨ましいどころか妬ましい。
で、サファリラリーのその後は、
1971に欧米人による日産つぶしの為にコースを大きく変更高速コースとなりましたが、日産はフェアレディZ (S30)に変更し参戦。
フェアレディZは 総合優勝と2位・7位となり日産つぶしにも負けず、圧勝となりました。
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日産が国際ラリーに初参戦 1000cc以下のクラスで初優勝 [ カーショー 神奈川以外]
1958年の事です。
オールトラリアで行われた国際ラリー 「モービルガス・トライアル」 に日産が2台のダットサン210で初めて挑戦しました。
「モービルガス・トライアル」はオーストラリアを19日間かけて一周するもので、距離は16,000km。 当時世界で最も過酷くなラリーと言われ、1958年は65台がエントリーし、35台しか完走していません。
結果は後にニスモを率いた難波さんの富士号は総合25位クラス1位、大家さんの桜号は総合34位クラス4位の好成績でした。
多分、これが日本車としての国際ラリー初優勝だと思います。
尚、トヨタも1957年と58年にクラウンで参加しましたが、いずれも完走出来ずに終わっています。
富士号 ラジエーターグリルと右フェンダーの変形はカンガルーと衝突と聞いた様な(うろ覚え)。
桜号
写真は日産の下記のページから頂きました。
http://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=17
http://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=18
今や世界を席巻している日本車。
このラリーが日本車の性能を世界にアッピールし、輸出開始の足がかりになった物と思います。
で、この頃ジャガーはと言うと、Eタイプの前身 ”Dタイプ” でルマンに参戦大活躍し、スポーツカーメーカーとしての地位を築きつつありました。
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オールトラリアで行われた国際ラリー 「モービルガス・トライアル」 に日産が2台のダットサン210で初めて挑戦しました。
「モービルガス・トライアル」はオーストラリアを19日間かけて一周するもので、距離は16,000km。 当時世界で最も過酷くなラリーと言われ、1958年は65台がエントリーし、35台しか完走していません。
結果は後にニスモを率いた難波さんの富士号は総合25位クラス1位、大家さんの桜号は総合34位クラス4位の好成績でした。
多分、これが日本車としての国際ラリー初優勝だと思います。
尚、トヨタも1957年と58年にクラウンで参加しましたが、いずれも完走出来ずに終わっています。
富士号 ラジエーターグリルと右フェンダーの変形はカンガルーと衝突と聞いた様な(うろ覚え)。
桜号
写真は日産の下記のページから頂きました。
http://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=17
http://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=18
今や世界を席巻している日本車。
このラリーが日本車の性能を世界にアッピールし、輸出開始の足がかりになった物と思います。
で、この頃ジャガーはと言うと、Eタイプの前身 ”Dタイプ” でルマンに参戦大活躍し、スポーツカーメーカーとしての地位を築きつつありました。
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鎌倉ミニ散策と昔の職場のOB会 [ 旅行 神奈川県]
先日、鎌倉で行われた はるか昔の職場のOB会に参加した後、長谷寺に寄ってみました。
長谷寺は奈良時代の創建と言われていますが、正確な時期は解明されていません。
721年に楠の大木で2体の十一面観音像を作り、一体は奈良の長谷寺の本尊としてまつられ、もう一体は海に流したところ15年後に三浦半島に流れ着き、鎌倉に安置したのが鎌倉の長谷寺と言われているとの事。
山門
水かけ地蔵
本堂 中には巨大な観音像(9.18m)が祭られています。
鐘楼と大きな槇の木
弁天窟 洞窟内には蚕養童子や船車童子,金財童子等十六童子が彫られており、機会があればもう一度ゆっくり見てみたい所です。
で、OB会はと言うと、私が社会人となった最初の職場で、約40年前迄在籍した職場のOB会。
40年前頃は会社の発展期だった事もあり、参加者全員が最初の職場に定年まで在籍した方はおらず、見事に四方八方に散らばっておりました。
そんな事もあり、1回目の昨年はほぼ全員がお互いに数十年ぶりの再会で、夜中どころか翌日までと言った方が良い程話しこんでしまいました。
今回は昨年に続いて2回目であり、2人が初参加となったとは言えかなり落ち着いた感がありました。
又、参加者のほとんどが先輩。 本当に皆さん元気で 「年を取られているので出来る限り近場でゆっくりと」 等と考えていた私が間違っていた様です。
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