東海道五十三次 (三重県)桑名宿~坂下宿 [東海道53次 目次]
私の「東海道五十三次」は 2009年12月15日に東京 日本橋を出発し、2018年3月に三重県入りしました。 東海道五十三次のブログ記事は 2019年11月現在79件になり、後々分り易い様に各県毎の目次を作りました。
「東京都・神奈川県 目次」http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-11-11
「静岡県 目次]」 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-12-11
「愛知県 目次」 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-28
私は2009年5月に顎下腺癌の手術と放射線治療を行った事で体力の低下が著しかった。 運動によるリハビリもあるが三日坊主の私には続く見込みがなく、1回/月程度「東海道五十三次を歩く」事でその時々の体力の状況を知ろうと初めて見ました。
尚、2011年2月に箱根の山を登った後に椎間板ヘルニアになり2年半も中断、更に2017年2月にも池鯉鮒宿(知立宿)に到着後腰椎脊柱管狭窄症になり約1年間中断しました。
最近は自宅から遠くなり、若干の腰痛や年齢による体力低下もあり、歩く回数や距離が伸び悩んでいます。
又、2020年初めには新型コロナの広がりに伴い、2020年2月水口宿を最後に2年4ヶ月中断中で、2022年夏には何とか再開したいと思っています。
画像はクリックすると大きく表示されます。
赤字のULRは私が歩いた時のブログ記事です。
浮世絵は全て歌川広重の「東海道五十三次」からです。
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1.宮宿 ~ 桑名宿(7里の渡し) 2018年3月11日
https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-03-15
https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-12-23
慶長6年(1601年)、東海道に伝馬制が実施され53次の宿駅が設置されたが、
愛知県の熱田(宮)宿と三重県の桑名宿の間は「七里の渡し」と言い唯一の海路
でした。
歌川広重の桑名宿 現在の桑名宿船着き場と蟠龍櫓
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2.桑名宿 ~ 四日市宿 2018年12月 9・10日
https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-12-23
https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-12-29-1
https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-01-04
三滝川の橋のたもとには戦国時代から続く老舗の和菓子店「笹井屋」
があり、名物の「なが餅」を今も売っています。
歌川広重の四日市宿(三滝川の橋) 現在の三滝川の三滝橋
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3.四日市宿 ~ 石薬師宿 2018年12月10日, 2019年1月26日 2019年4月16日
https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-02
https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-09
https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-14
https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-04-23
石薬師宿は石薬師寺の寺の名前が宿駅名になっており、奈良時代の僧の泰澄が
開いた(726年)寺で、本尊は,弘法大師が自ら刻んだとされている薬師如来像です。
童謡「 夏は来ぬ」等の作詞をした国文学者・歌人の佐佐木信綱の生まれ故郷です。
歌川広重の石薬師宿(石薬師寺) 現在の石薬師寺山門 雪の石薬師宿東入り口(北の地蔵尊)
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4.石薬師宿 ~ 庄野宿 2019年4月16・17日
https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-04-23
庄野宿の広重の絵の場所は庄野宿内にある庄野宿資料館の裏辺りと言われており、
絵は「五十三次」の中でも傑作の一つで、「白雨(にわかあめ)」と題された風景画。
歌川広重の庄野宿 庄野宿内の竹林を望む場所
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5. 庄野宿 ~ 亀山宿 2019年4月16・17日
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-04-28
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-05-05
雪の亀山城周辺の記事
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-02-19
亀山宿は亀山城の城下町、歌川広重の絵は亀山宿の京口坂橋付近です。
亀山城は文永2年(1265年)に関実忠によって若山(現在の亀山市若山町)に築城。
その後現在の位置に移された。 江戸時代には東海道の要衝としてたびたび城主が
変わり、石川氏の時代に幕末を迎えた。
歌川広重の亀山宿京口坂橋 現在の京口坂橋から京口方向を見る 雪の亀山城多聞櫓
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6.亀山宿 ~ 関宿 2019年4月17・18日
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-05-29
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-06-04
歌川広重の関宿の絵は伊藤本陣から大名行列が早立ちする様子と言われている。
下右写真の矢印先が伊東本陣跡です。
関は古代から交通の要衝で、壬申の乱 (672年)の頃に古代3関の 1つ「伊勢鈴鹿関」が
置かれた事から関の地名になった様です。(他の2関は近江の相坂関、美濃の不破関)
江戸時代の東海道関宿内には東の追分は伊勢別街道と分岐、西の追分では大和街道と
分岐する宿場町であった。 江戸時代の街道風景が今も続いている宿場町、必見です!
歌川広重の関宿 伊東本陣跡付近の古民家
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7.関宿 ~ 坂下関宿 2019年10月1日
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-10-15
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-10-22
歌川広重の坂下宿は、鈴鹿峠の筆捨山付近で現在の国道1号線から見た所だろうか。
坂下宿は鈴鹿峠の登り口で、室町時代には既に宿場として機能していた様です。
しかし、慶安3年(1650年)の大洪水で現在の片山神社下にあった宿場は壊滅、翌年
には1km程下った現在の坂下地区に移転復興された。
江戸時代後半には3軒の本陣と1軒の脇本陣、48軒の旅籠が有り東海道でも有数の
宿場だった。
歌川広重の坂下宿 現在の筆捨山を望む
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8.坂下宿からの鈴鹿峠越え 2019年10月27日
https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-11-02
歌川広重の保永堂版 坂下宿から土山宿では土山宿の田村川を描いています。
しかし、行書版では鈴鹿峠越えを描いていました。
(三重県(伊勢国)から鈴鹿峠を越えると滋賀県(近江国)に入ります。)
行書版による鈴鹿峠越え 鈴鹿峠の登坂路(片山神社横) 現在の鈴鹿峠(鏡岩から)