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東海道五十三次,滋賀県の土山宿から水口宿 (その1) [ 東海道五十三次]

  
 先日、東海道五十三次の内の土山宿から水口宿を歩いて来ました。

 土山宿には昨年の11月に到着していた物の、天候不順が続き12月も中止、1月も中止となり、やっと冬らしくなった今月、天候に恵まれ歩く事が出来ました。

 何時もの様に、早朝家を出て、小田原では何時もの新幹線に乗り、米原駅で東海道本線に乗り継ぎ、更に草津駅で草津線に乗り貴生川駅(きぶかわえき)で下車。
私の記憶では米原付近は吹雪の日が多く、新幹線の遅れの原因なる地区だったと思いますが、今年は全く雪はありませんでした。

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 貴生川駅からは甲賀市のコミュニティバスで甲賀市の「近江土山」で下車。 前回訪問の最後となった「東海道伝馬館」に行きましたが、残念ながら伝馬館は休刊日でした。
(伝馬館は月・火・年末年始が休館で、開館日は9時~午後5時)
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 で、旧東海道の土山家本陣から歩き始め、土山家本陣から約200m大き目の交差点を過ぎると右側が大黒屋本陣で、問屋場や高札場もあった様です。
 大黒屋本陣は、三代将軍家光が参勤交代制を施行し以来諸大名の宿泊が増加し、土山家本陣だけでは収容しきれず、豪商の大黒屋立岡氏に控本陣が指定された。 古地図によると、門,玄関,大広間,上段間をはじめ多数の間を備え壮観だった様です。
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 大黒屋本陣から 5・60m歩いた左側に土山陣屋跡がありました。
陣屋は、江戸時代勘定奉行の配下である代官が在住した屋敷です。土山宿の陣屋は天和3年(1683年)当時の代官猪飼次郎兵衛の時に瀬古川の東崖に建造され、寛政12年(1800年)の大火で焼失する迄120年間続いた。 焼失以後陣屋は再建されなかった。
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 陣屋の先の「大黒橋」を渡って先に進みます。
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 大黒橋から400mで国道1号線に出ました。 ここが土山宿の西の出口当たる様です。
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 国道を約100m進むと2基の古い石柱がありました。
石柱の所には「道標 御代参街道起点」の説明板が立っていました。
 説明板の冒頭「この道標の左に進む小路が旧御代参街道で、右斜めに進む道が旧東海道である。」とありました。
 が、旧東海道は、今は先に「野須川」があり、川を渡る橋は無く、左斜めに行っても戻って来るしかないのですが、取り合えず左斜めに行き昔の人が通った道から川を見て見る事にしました。 尚、この石柱は1788年と1807年建立の古い物です。
(説明板の詳細は写真をクリックして大きく表示し読んでください。)
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 国道から右斜めに曲がって約300m小さな十字路に出ます。 ここには真直ぐは「通行不可」を示す道案内の地図が立っていました。 で、私はあえて真直ぐに行き、「野須川」に出ました。 途中には「馬頭観音の小さな祠」もありました。

 右手前が祠、遠くに見える車の所が道の終点であり「野須川の堤防」です。
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 堤防に立って「昔の人はどの辺を通って川を渡ったのかなァ~」と想像してみました。 私の推定では黄緑矢印位置に上陸したのだろう。
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 野須川から約250mで先程の「通行不可」の看板に戻り、右折し約250mで国道に戻ります。 国道を更に250m歩き今度は左折して歩行者と自転車専用の橋「歌声橋」を渡ります。
(旧東海道歩きの私からすると、こんな立派な歌声橋よりも沈下橋でもいいから旧東海道の位置に橋をかけて欲しかった。)
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 歌声橋からの野須川です。 大きな橋は国道1号線です。
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 歌声橋を渡りすぐに国道1号線に戻り、野須川の西側の堤防には行かず国道を歩く事に。
約200で国道の左側に「伊勢大路(別名 阿須汲道)」と書かれた石碑が(下写真左)あり、ここが昔の旧東海道だろう。 
 国道から左斜めに入り100m強歩くと歌声橋からの茶色にカラー舗装された道に合流します。 で、ここの看板では「野須川」は「松野尾川」(下写真右)となっていました。
野須川はこの地区では昔から松野尾川等と言われ、地区によっては松尾川,松野川,内白川とも言われていた(いる)様です。
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 松野尾川との案内板から茶色く舗装された道を200m程歩いた右手に「牛頭天皇(ごずてんのう)」と書かれた灯篭のある社がありました。
(野須川の堤防近くには馬頭観音がありました。)
(牛頭天皇は右ウイキペディアを参照願います。https://ja.wikipedia.org/wiki/牛頭天王)

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 で、この辺りは近江茶の産地でもあり、地安禅寺には「林丘寺宮御植栽の茶(下右写真)」の石碑もありました。
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 地安禅寺から450mで垂水頓宮御殿跡の石柱を左手に見なて、更に進むと地安禅寺から約1.0kmで「市場の一里塚」に到着しました。
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 一里塚から100m弱歩くと小さな川の手前に「大日川掘割」の石柱があり、川を渡った先の左の説明板によると、掘割は洪水対策の為に元禄16年(1703年)に完成したとの事。 下右写真の黄緑矢印が野須川です。
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 旧街道が野須川にかなり近づいたので個人宅の駐車場からパチリと取らせて頂きました。
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 そして、一里塚から1.5kmの所に「旅籠 舛屋」さんの石柱があり、上を見ると「旅館 ますや」の看板が! で、近所の酒蔵場さんに伺った所江戸時代から続くお宅だそうです。
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 ますやさんから 300m弱で国道1号線に出ます。 国道の手前の角には「みよし赤甫亭」と俳諧の「三好赤甫」さんの石碑、そして立派な鬼瓦の道祖神だろうか小さな祠がありました。
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 で、国道を横切り、旧街道を 1.7km歩くと再び国道との交差点「大野西」に出ます。 ここには大きな灯篭と今宿の石碑がありました。
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 この国道1号線交差点「大野西」では国道を左側に横切り、斜め左に続く「県道549号線」を歩く事になります。 国道を横切った左には下の様な看板と石庭の様な場所がありました。
 日影が非常に長くなり今にも日が沈みそうですが、柱状の看板の文字は、やっと出会った「水口宿」です。 
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 何とか明るい内に「近江鉄道」の線路わきの「水口,三筋の辻 からくり時計」に着きたいと頑張って歩きましたが、レポートは長くなりますので、今回はここ迄にします。

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