ジャガーEタイプ,トランスミッションの「ローギアーから抜けない」の処置 [ Eタイプパワートレイン修理]
昨年11月、横浜のクラシックカーショーに行く途中渋滞にあい5分程ローギアーで走行した後、速度が上がりセカンドギアーに入れ様とした所ローギアーが抜けなかった。 で、何度も何度もシフトレバーが曲がるかと思う程強くレバーを動かしていた所やっとローギアーから抜けセカンドに入れる事が出来た。 その後先日迄ローギアーを使用せず走行していました。
で今回、ローギアーの抜けなかったトランスミッションの修理・改善をする事に。
「ローギアーから抜けない」トラブルはレストアが完了する直前にも発生しており、その時はジャガーの整備に詳しい横浜の修理屋さん(故人)に修理をお願いしました。
その時のブログ記事 : https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2011-08-09
今回も上記横浜の方にならってローギアーのシフトフォークのストロークを規制する為、更にシムを0.5mm追加する事に。 その為ミッション上部のカバーを外し、横浜の方が追加していた0.5mmのシムを 1.0mmのシムに変更、当面の処置としました。
コンソールボックス等トランスミッションの上に組み付いている部品を全て外し、
シフトレバー等が組み付いているトランスミッションの上部カバーを外し、
上部カバーのシフトチエンジフォークを固定しているダウエルスクリュー(2ヶ所)を外し、
下写真のストライキングロッドを黄色矢印の方に抜き、
新たに作成した1.0mmシムをストライキングロッドのローギアー部分に挿入、
ダウエルスクリューでシフトチエンジフォークをストライキングロッドに固定する。
尚、ストライキングロッドを抜く為には、ダウエルスクリューを締めた状態でシフトフォークの固定部分を軽くたたき、ストライキングロッド先端でウエルチプラグを押し、プラグを外す必要があります。
シムを0.5mm増やした結果試乗ではローギアーの入りも抜けもスムース(カキッ カキッと入り,カチット抜ける)で、作業自体はうまくいったと思います。
と言う事で当面の処置は行ったが、色々考えると、又、東京でジャガーのレストアを行っている方や神奈川で旧車の整備を行っているプロの方々と相談した結果、「まれに発生する不具合で原因にたどり着いておらず、上記の処置では直らない」様な気がします。
トランスミッションは機械による切削加工の精度でその性能が決まる様な所があり、1.0mmものシムを追加しなければならない様な切削加工精度には納得できないし、この面からも「何か他に原因があるのでは」との思いがより強くなった!
一方、このEタイプは、かなり走行をしているにもかかわらず各ギアーやシフトホーク等の摩耗が少ない事から「アメリカでオーバーホールしているのでは!?」とも思う。
アメリカでのこの車の修理はプロペラシャフトやリアーサスペンションの状況から信頼性は低い。 ミッションもオーバーホールしローギアー部分の組付けに失敗したのかも?
例えば下写真の丸で囲んだローギアー用のチェックボールがカジってしまい動きが悪く極たまに引っかかりローギアーを動かす事が出来なくなるとか!?
プロペラシャフトのブログ記事 https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2010-10-12
ミッションに疎い私は次にどこかでギアーが抜けなくなったら、ミッションを降ろし「専門家にオーバーホールを依頼する」か「市販の5速ミッションを組込むか」かなァ~!?
レストアをしていた時にミッションだけを降ろしたと思うが、なにぶん14年前の事、あまり記憶に自信が持てない。 「ミッションを降ろすにはエンジンごと降ろさなければ」との話もある。
いずれにしても大変な作業が待っている様な気がします。
ジャガーEタイプ, スピード メーター ワイヤーを交換 [ Eタイプ 内・外装,電装の修理]
昨年末、熱海のクラシックカーショーに参加した帰り、7・80km/hで走行している時にスピードメーターの針が ±5km 位振れていました。 今までに数えきれない位 7・80km/hで走行しているが初めての現象です。
スピードメーター関係は、
レストアをしていた時、メーター専門のメンテナンス屋さんにメーターの表示を「Mile/h」から「Km/h」に変更すると共にオーバーホールをお願い致しました。
又、スピードメーターワイヤーはレストアの時、新品を購入していましたが、従来使用されていた物と新品を真っ直ぐに並べ、片側からワイヤーを回し反対側のワイヤー先端の振れを確認し、振れの少なかった従来品を使用する事にしました。(この方法が正しい選択方法かは分かりません。)
今組付いている従来品 はどの位使われていたか分からず、「メーターの針振れはワイヤーが切れる前兆かも?」との不安もあり新品ワイヤーに交換する事にしました。
とは言ってもスピード メーター ワイヤーを外すのは大変!
トランスミッション側のスピード メーター ワイヤー取り付け部分を外す為、インスト中央部メーター下のラジオの入ったボックスを外し、左右の椅子とシートベルトを外し、ハンドブレーキのワイヤーをゆるめ、コンソールボックスを外し、カーペット類をめくってボディのトランスミッションカバーを外し、やっとスピードメーターワイヤーをトランスミッションから外す事が出来ます。
又、メーター側はインストパットを外してメーター側のケーブルを外します。
下写真の黄色矢印部がトランスミッション,黄緑矢印の先がスピード メーター ワイヤー取り付け部分
従来から使われていたスピード メーター ワイヤー
トランスミッション側
黄緑矢印がスピードメーターワイヤー,黄色矢印はワイヤードライブ
エンジンルーム側
黄緑がトランスミッションからのワイヤーで、黄色の所から室内のスピードメータに行く。
で、車に付いている従来品を外し、新・旧のワイヤーを指で回してスムースに回るかを確認、新の方は微妙に引っかかる様な感じがしたが、「まァ~良いか」と言う事で新ワイヤーを車に取り付けました。 (この「まァ~良いか」がよく致命傷になるんだけどねェ~~)
又、スピードメーターワイヤーのワイヤードライブも従来から車に付いていた物を使ってきたが、今回ワイヤーと共に新品に交換する事に。
新旧のワイヤードライブ
で、新ワイヤー及び新ワイヤードライブを取り付けました。
トランスミッション側
エンジンルーム側
スピードメーター部分
交換後の試乗結果、40km/h/位で微振動の様な針振れが発生するが「まァ~良い」かのレベルです。(多分、この微振動はワイヤー単体を指で回した時の微妙な引っかかりかも。)
(1月20日の試乗では40km/h付近のメーターの針の微振動は無くなっており、初期なじみで解消した様です。)
7・80km/hでの針振れは、速度を出せる所がなくまだ確認できていません。
今回他の整備も計画しており、それらが終わった時点で再度試乗点検したいと思います。
ジャガー Eタイプ,ブレーキランプ スイッチ交換 [ Eタイプ シャシー修理]
昨年11月、横浜赤レンガ倉庫のクラシックカーショーに行く途中で、「ブレーキランプが点灯しているのかなァ~?」と疑問を持つ様な電圧計の針ふれがあった。
相当強くブレーキペダルを踏まないとブレーキランプが点灯したと思われる電圧計の針振れが起こらないのだ。 (ブレーキランプ スイッチはペダルを踏んだ時のブレーキ液の液圧でスイッチが作動する形式です。)
で、昨年末友人が来た時、ブレーキペダルの踏込み強さとランプ点灯の関係を見てみた。
始めは強く踏むと点灯したが、その内かなり強く踏んでも点灯しなくなってしまった。
で、原因はブレーキランプ スイッチ(黄緑矢印)だろうと推測し、ブレーキランプ スイッチを購入。 先日息子にてつだってもらい、点検・修理をする事に。
まずは点検、
ブレーキペダルを徐々に強く踏み点灯確認 : まったく点灯せず。
ブレーキランプ スイッチのハーネスを外しテスターの抵抗計で通電を確認
:ブレーキペダルを軽く踏むだけでも通電する。(写真はペダルを踏んでいない時の物)
ブレーキランプ スイッチのハーネスを直結して点灯確認 : 全く問題なく点灯。
(ワイヤリングハーネス上での問題はなさそう)
で、再度通常の結線をしてブレーキペダルを踏むも、ランプは点灯せず!!!!!!
関係部品はみんないい様に見えるが、組み合わせるとダメ!!! なんでェ~!!
何が何だか分からない。 ブレーキランプ スイッチは通電するも例えば「接点の接触面積が極わずかで、ランプを点灯するだけの電力を流す能力がないのだろうか」 ・・・・・等と理屈にたがわぬ様な事を色々推測しながらもブレーキランプ スイッチを交換する事に。
で、新しいブレーキランプ スイッチに交換した結果、軽くブレーキを踏むだけでランプは点灯した!!!
私のジャガー Eタイプは色々な所で不思議な事が起きる。
「多分スイッチの接点の具合が良くなかったのだろう!」 と言う事で納得しておこう!
ただ、
私の車に「いたずらな神様」が住み着いているのかなァ~~~
少なくとも「意地悪な神様」が住み着いているとは思いたくない!!!
東海道五十三次, 桑名宿から四日市宿 その3(富田から四日市宿陣屋) [ 東海道五十三次]
昨年12月、桑名宿から四日市宿を経て石薬師宿を目指し早朝出発し、10時頃にJR桑名駅に着きました。 桑名城址等の見学に時間をかけてしまい、1日目は四日市富田迄しか行く事が出来なかった。 せめて予約したホテルのルートイン四日市迄行きたかったのですが!!
1日目のホテル到着は夕方ほぼ暗くなっており外の景色を見る事が出来なかったが、2日目の朝鈴鹿山脈方向を見ると山は雪に覆われていました。
2日目は近鉄名古屋線の「川原町駅」から電車に乗り、「近鉄富田駅」に!
前日タクシーに出会い「歩く気力がプッツン」した"Y字路"迄戻って歩き始めます。
歩き始めて100m。 左側に八幡神社があり、境内には「力石」もありました。
ここの力石は、鎌倉時代頃から主に力比べとして、又、力比べの体力を養う事で健康長寿への信仰を深める為の道具としていた様です。 写真の石はおよそ100kgとの事。
力石の八幡神社から260mで右折して更に道なりに歩き650m、桜並木の十四川に到着。
左を見るとひときわ大きなお寺「善教寺」さんがありちょっと寄って見た。 このお寺さんには鎌倉時代 仁治2年(1241年)の作と言われる国の重要文化財「木造阿弥陀如来立像」があるとの事。
十四川を渡り次の右路地角に常夜灯があり裏には天保10年(1839)、150年前の作でした。
十四川(善教寺)から400m、T字路の突き当りには「新設用水道碑」という石碑と2つの「力石」がありました。
ここの力石は、明治の中頃村の2ヵ寺の御堂再建の為各所より土台石の奉納があった。 この土台石の中から下写真の石を選び、持ち上げ競い合ったとの事です。 掲示板には「1つは「三十二メ」(32貫,約120kg)、もう1つ(青矢印)は 5貫(約19kg)で子供用だろう」と書かれていた。
上の2つの力石から70m程で右折して道なり800m強で「中部陸運局 三重運輸支局 四日市自動車検査場」(何でこんなに長い名前なの,要は四日市車検場)を右に見て歩くと大きな常夜灯(羽津の常夜灯)がありました。
四日市の車検場から米洗川を渡り約300mの右側に「八幡延命地蔵尊」がありました。 しっかりした地蔵堂でありながら細かな説明が見つからず帰宅後調べた所、
ここの地蔵尊は、下の金場延命地蔵尊と同じ石から作られた兄弟地蔵で、もとは羽津村の北の入口(羽津の常夜灯(上写真)の向かい辺り)にこの八幡延命地蔵尊があった様です。 昭和4年(1929年)に八幡地区の住民に依って現在地に移設されたという。
昔は、村内に疫病が入らない様にする結界地蔵と言われていたが、江戸時代には旅人の安全祈願や延命祈願が強くなり、延命地蔵尊と呼ばれる様になった。 この地蔵尊の頭巾の下に螺髪があるという珍しいもので、よだれかけの下には阿弥陀如来来迎図が隠れている。
下写真は、上記の八幡延命地蔵尊から1.3km先の左側、八幡延命地蔵尊と兄弟地蔵尊の「金場延命地蔵尊」です。 もとは羽津村の南入口(羽津の東海道の南端で二重川にかかる堺橋、今の金場町交差点付近)の結界地蔵であった。 昭和48年(1973年)市道拡幅工事で二重川が埋め立てられた時に、住民の手で現在地に移設された。
「八幡延命地蔵尊」から「金場延命地蔵尊」の間1.3kmも飛んでしまったが、この間で「八幡延命地蔵尊」から300mの所に「かわらずの松」がありました。 樹齢200年だそうで、この地区は昔「かわらず(川原須)」と呼ばれており、「かわらずの松」と命名したとの事。 四日市の東海道では日永地区の松とこの松の2本だけになってしまった様です。
その他この地区の旧東海道の道路沿いには下写真の様な物が置かれていました。 陶器で出来ているもので、中には明かりも入れられる様になっており、現代の常夜灯です。 この地区が「万古焼」発祥の地の為、陶器で案内板を作られたのだろうか?
「八幡延命地蔵尊」から 1.1kmで国道1号線に出て、国道一号線を650m程進み、斜め左の路地に入り約100m、「海蔵川」手前の「三ツ谷一里塚」跡に着きました。
三ツ谷一里塚の元の位置は今の川の中ほどで、昭和20年代の拡幅工事で川の中に取込まれ、平成13年東海道宿場・伝馬制度制定四百周年を記念して現在地に石碑を立てたとの事。
で、右側の国道1号線に戻り海蔵川を渡り直ぐに左折し、上記の一里塚の延長線上の旧東海道に戻ります。 そして約1kmで、歌川広重の東海道五十三次の内の四日市宿として描かれている三滝川です。
現在の三滝川の橋
三滝川を渡り約100mで笹井屋さんに到着します。
笹井屋さんは元は日永の追分近くで操業。 「なが餅」は1550年頃には評判の銘菓となり現在まで続いています。 笹井屋さんののぼりも随所に立っており1包購入してみました。
又、下記の記事によると四日市宿の本陣は「・・・札の辻の北角に清水本陣があった」との事で笹井屋さん付近だった様です。 その事をなが餅を購入した時に店員さんに伺ったが全く知らなかった様です。
四日市の本陣に関する記事:http://youjirouwalk.arrow.jp/wordpress/?p=121
所で帰宅後なが餅を食べたが現代では多くの美味しい物があり"それほどでも"といった所。
笹井屋さんを出て、2ブロック進み左折して80m、四日市市立中部西小学校校門の脇に「四日市宿陣屋跡」の記念碑があります。
四日市町は下説明板の様に、慶長8年(1603)から一時期(享保9年(1724)~享和元年(1801)迄の期間のみ大和郡山藩領)を除き、江戸時代を通して天領(幕府領)だった。
その天領を治める為にここに陣屋を設置していました。 明治維新以降は三重県庁舎等に使われたが、明治9年の伊勢暴動ですべて焼失しました。
(写真をクリックすると大きな写真になります。)
陣屋跡から旧東海道に戻り100m、四日市宿の第二本陣だった「黒川本陣」を受け継ぐ「黒川農薬商会」の前を通って進みます。
で、黒川農薬さんから150m、「すぐ江戸道,すぐ京いせ道」で有名な道標がありました。
この「すぐ」と言うのは「まっすぐ」の意味だそうです。
国道1号線を渡り、諏訪神社の表参道入口でありスワマエ商店街入り口に到着しました。 今回の四日市宿迄の五十三次はここで終点とします。
クラシックカー好きの私としては当然の事ながら、街道沿いの右を見たり左を見たり、臆面もなく他人のガレージを除いてきました。
で、見つけた極めつけのクラシックカーはオースチンA50 ケンブリッチ です。
もう1つ、クラシックカーではありませんが、下写真には何が写っているか皆さんで考えて見ませんか?