SSブログ

海老名市の相模国分寺跡を見学 [ 旅行 神奈川県]

  
 先日 ジャガー E-Type の整備の一部が完了したので気分転換と、これから始まるであろう大整備の腹をくくる為にも少し乗って見ました。

 ドライブの目的地は題記の様に神奈川県海老名市の「相模国分寺跡」です。
 日曜日でしたので、通勤ラッシュもなく約30分で現地着。 しかし駐車場が見つからず、もし駐車場が一杯の時はここにと考えていた「さがみ農協」の有料駐車場に止めて、歩く事約5分強、相模国分寺跡に到着しました。


 相模国分寺跡は広い史跡になっており、中央を細めの一般道が通っています。
着いたのはその中央の道路で史跡の西側十字路。 左手は史跡の北側で下写真の様に「国史跡 相模国分寺跡」との表示があり、「僧房跡」との事。
右手の南側はただの広場の様でしたが「金堂や七重の塔跡」でした。

北側
bloggDSCN4288.jpg

南側
bloggDSCN4286.jpg



 奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇は仏教の力で国家の安寧を図る為に、当時の各国に国分寺と国分尼寺の建立を命じました。 相模国はこの海老名に相模国分寺を建立、法隆寺式伽藍配置の珍しい物で、南北約300m,東西約240mと広大な物だった様です。
尚、相模国分尼寺跡は国分寺跡から約500m程北に有ります。


で、南側の跡地の西側「海老名市温故館」の前には国分寺跡全体の説明板が立っていました。
blogDSCN4308.jpg


下が現代の航空写真上に記した国分寺跡です。 下写真の右は国分寺の復元配置図です。 
  (写真をクリックすると大きく表示されます。)
bloggDSCN4311.jpg bloggDSCN4313.jpg



下写真は北側の跡地の僧房跡で、8.9m×6.5mの部屋が9部屋確認されたそうです。
blogDSCN4292.jpg


とにかく広い敷地です。
blogDSCN4294.jpg


大正10年に国指定史跡になった時の記念碑も立っていました。
blogDSCN4295.jpg


南側の跡地の一番南に中門と回廊の基礎が発掘出来たそうです。
bloggDSCN4306.jpg


上写真の右側空色矢印の所に下の様な説明もされていました。
blogDSCN4300.jpg


そして、南側跡地に一段と高く土台を作ってある所は七重塔の跡です。
bloggDSCN4316.jpg



 で、最後に七重塔のほぼ西側の「海老名市温故館」にも寄って見ました。
 温故館は相模国分寺跡が国指定史跡となった大正10年に国分寺跡保存整備事業の一環として、考古資料等を保存・展示する為、尋常高等海老名小学校(現在の海老名市立海老名小学校)の校庭に設置された「遺物陳列館」が始まりとの事。 尚、関東大震災で倒壊し、海老名市役所の敷地内に再建されその後何度かの移転を経て、平成11年現在地で再オープンとなった様です。

blogDSCN4318.jpg

 館内には弥生時代の壺や国分寺の模型などが展示・説明されていました。
blogDSCN4321.jpg



 帰宅の途についたのですが、帰路の途中以前から気になっていた遺跡を一つ紹介します。

 県道40号線「伊勢山公園前」の交差点(神奈川県海老名市国分南1丁目28付近)にある史跡で、「史蹟逆川(さかさがわ)」です。

 ここは、大化の改新の頃に掘られた運河とされており、近くの目久尻川から運河を掘り国分寺、国分尼寺付近を通って海老名の耕地の灌漑を行い、平安時代中期まで利用されていたと言います。
 相模国分寺を建立する為の資材を運ぶ為に、目久尻川を堰き止め水を引いた運河であったとも考えられており、船着き場とみられる場所からは階段跡が見つかっています。

blogDSCN4326.jpg


===================================================================

何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ           にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ          にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ





nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

nice! 7

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。