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アメリカでのレストア物語 要約 [フェアレディ(SRL311)]

 私の旧車のレストアは、米国で1996年6月にSPL311,1969型のレストアベース車を1200ドルで購入した事に始まります。
 この車はひどい状態で、ボディの修理の為1500ドルで錆取り完のボディを手配しました。 しかし友人のアドバイスで、ジョージア州のアトランタ近郊からSRL311,1967型 ローウインドー車を購入し、SPL311を部品取り車にしました。

 SRL311は、ケンタッキーを1996年12月7日にジョージア州アトランタのオーナー宅を訪問し契約を結び、12月8日に車を引取りました。 太平洋戦争の開戦記念日に購入した事になります。

 レストアは同じ会社で働く米国人に依頼。 彼曰く、4ヶ月ぐらいで完了するとの事で、12月10日頃より始まりました。 が!!なんと、ボディのレストアだけで約3年かかり、1999年2月にやっとほぼ今の外観で、走る車を引取る事が出来ました。 
結局、この間に私が、サスペンション周り,デフ,室内の内装をレストアしました。

 ナンバーの取得も又、米国ならではの事態に遭遇し、なんと5ヶ月もかかりました。
 私の住んでいた町の役所(コートハウス)に申請した所、前所有者の登録控えが必要との事。
前所有者に問合せると”そんな物はない”との事。 再度私の町の役所で調査の結果、ジョージア州は、州法で10年以上経過した車の所有者登録は行っていない事が判明。
 州による法律の違いを実感。
 しかしケンタッキーでは前所有者の登録書類が必要で、役人と長時間議論の末、前所有者の役所から所有者登録をしていない旨の書類を入手し、代用する事で決着。
ジョージア州ものんびりした物で、役所を再三あおって2ヵ月後に入手。 やっとの事で、登録完了。
 苦労のかいあって役所の担当と仲良くなり、ナンバープレートの保管庫から ”310” の数字を探し出しナンバーを決定。 私の誕生日は3月10日,私の住所のハウスナンバーも ”310B” と数字をそろえる事が出来ました。 アメリカの良い所は仲良くなるとものすごく融通が利くこと。

 その後、同年夏にエンジンのレストアを開始、2000年元旦の深夜11時45分にエンジンは爆音を発し、レストア後の初始動。 当然ながら棟続きの隣家の主人が飛んできました。 
 彼曰く ”コングラチュレーション” (おめでとう)。 普通元旦の夜中に爆音を鳴らしたら ”ウルサイ” と怒鳴り込んで来るはず。 でも ”コングラチュレーション” (おめでとう)
その晩は彼と朝まで片言の英語と彼が持参したシャンペンで飲み明かしました。

 2001年冬は、エンジンルーム後部から室内のコンソールボックスまわりをレストア。
 2002年夏にSUキャブレターからソレックスのキャブレターに変更。 ソレックスを取付ける際に
お世話になった現地修理工場の親父さんはそのうち紹介します。--不思議なレーサーでコレクターです。
 2002年冬は、デフのファイナルギアーを37対10から日本仕様の35対9に、スピードメーターピニオンと共に変更しレストア。
 
 そして2004年3月に帰国。 車は7月に到着し、面倒みたかいがありメーターのキロ表示を追加するのみで車検をパス。 晴れて37年ぶりに マイ フェアレディは帰国を果しました。

写真は当時はデジタルが無く、完成の後の写真等を近日公開します。


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