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東海道53次,四日市宿から石薬師宿 その3 [ 東海道五十三次]

  
 ちょっと遅れてしまいましたが、昨年12月と先月の1月26日に東海道五十三次の内「四日市宿」から「石薬師宿」迄を歩いて来ました。
その結果を下記前2回と今回の計三回でブログに掲載します。
    https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-02
    https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-09
 
 前回迄のブログで「四日市宿」から「石薬師宿」のほぼ中間点である「日永の追分(東海道と伊伊勢神宮等の伊勢街道の分岐点)」迄をレポートしましたので、今回は「日永の追分」からをレポートします。


 追分から約200m歩くと「あすなろう鉄道」の踏切があり、左側は「追分駅」です。
旧東海道は、踏切を渡り小さな駅前広場の先で左側の路地を進みます。
 路地を真直ぐ進み日永の追分から1.1km、交差点正面の電柱には「東海道 ↱」の案内板があり右折し、更に100m程歩き「願誓寺」前を左折します。

 左折後約400mで「小古曽(おごそ)」の交差点に出ます。 左側には「あすなろう鉄道」の終点駅(始発駅?)「内部(うつべ)駅」があり寄って見ました。
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で、只今快晴!  快晴ですよ!! 

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「内部駅」のある交差点「小古曽」から更に400mで内部川の堤防に出ます。
現在は旧東海道の橋は無く、堤防を左に歩き国道1号線の橋を渡ります。
 小古曽の交差点から7・8分で堤防は薄暗い曇りに!
で、空模様は写真の様に左の四日市方向は青空! 右の亀山方向は雪雲だろうか!
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 橋を渡って100mの所で国道から斜め左に入るのですが、疲れていたので更に国道を100m程歩き和菓子屋さんの「菊屋本店」で昼食を兼ね和菓子を食べながら大休止です。
菊屋本店は東海地方のスイーツ本に「伊勢の赤福と並べ取上げられる」程の名店でした。
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 左上の最中の名前は「釆女の杖衝(うねめのつえつき)」、この地区の地名と史跡名がつけられていました。 丸い和菓子は「味くり」だったかな? 両方とも美味しかったですよ。
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 菊屋本店でゆっくり休んだ結果、足は軽く生き返った様な気分。
で、お店の右側の道を歩き最初の交差点を右に曲がり200m程歩き右折、更に100m強で左折し、約100m進むと「金刀比羅宮」の正面に出ます。
「金刀比羅宮」の前を左折した所から「杖衝坂」の始まりです。
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 杖衝坂は、東海道の中でも急坂な所で、
その昔、倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の帰途、大変疲れておられ「そこより、やや少しいでますにいたく疲れませるによりて、御杖をつきて、稍歩みたまひき。故、そこをなずけて杖衝坂といふ」(『古事記』)とあり、杖衝坂と称される様になった。

 坂の途中に下写真の様に石碑があり、一番手前は「史蹟 杖衝坂」の石碑、その次は常夜灯、その先の屋根の付いた石碑は芭蕉の句とその説明板です。

 芭蕉の句は「歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな」との句で、馬に乗ったままこの坂にさしかかったが、急な坂のため馬の鞍とともに落馬したという事を詠んだ句で、季語の無い有名な句だそうです。
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 坂の途中の石碑等を見ていると雪が舞い始め、又すぐに止むだろうと思いながらゆっくりしていると雪は横殴りになり増々強くなり、慌ててと言うか必死で坂を上り石碑郡の所にあった2つの井戸の事を忘れ先を急ぎ、「日本武尊御血塚」も見逃してしまいました。
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 杖衝坂の石碑から約400m,6分の所では雪は止み、あァ~アッ!今の雪は何だったんだ! と思っている間に晴れてしまいました。

 雪が上がり晴れると、杖衝坂の上の綺麗な紅梅を見る余裕も!
と、予想外の位置(杖衝坂から国道に出る前の所)に101番目の「釆女(うねめ)の一里塚」の説明板(黄緑矢印)が立っていました。
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 多くの先人達が「「釆女の一里塚」は下写真の様にガソリンスタンドの所」と言われていたので何故説明板だけが杖衝坂の上、下写真の石碑から350mも離れた所にあるのだろう?
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 上記一里塚の石碑から650m、「釆女(うねめ)南」の交差点に到着。
私はここで左折し旧東海道から外れ約850m、天平13年(741年)頃に創建された「伊勢国分寺跡」を見学する事に。


「伊勢国分寺跡」については別途レポートします。


で、伊勢国分寺跡を見学後国道1号線の国分町の交差点に戻り、旧東海道に復帰しました。

 国分の交差点で斜め左の旧道に入り約100m程行くと「屋根裏迄雑巾がけされている」のではと思う程良く手入れされた「単直庵と延命地蔵さん」がありお参りしました。
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 国道の裏道と言える様な静かな細い道を850m程行くと再び国道に出ます。 国道を横断する地下道をくぐって国道の右側歩道に出た頃から今迄とは違うボタン雪が舞い始めました。
この頃から名所旧跡以外はただタダ黙々と先に進む様になりました。


 で、地下道から250mの所で斜め右側の旧道に入ると直ぐの所に石薬師宿の「北の地蔵尊」がありました。 ここが石薬師宿の入り口だそうです。
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 地蔵尊では雪は本格的に降り始め、やっとたどり着いた石薬師宿なのに、本気モードでただタダ黙々と先に進みます。

北の地蔵尊から550mで、小澤本陣に到着、直ぐに写真を撮影、説明板を斜め読み!
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小澤本陣跡には今も小澤さんがお住まいになっています。
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 で、約100m、佐々木信綱さんの生家に到着。 隣には記念館も。
「佐佐木信綱」は国文学者であり、童謡「夏は来ぬ」の作詞者としても有名方です。

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 雪はますます激しくなり、佐佐木信綱記念館のロビーで雨宿りならぬ雪宿りをしていた所、記念館に来られたおばさんが「最寄りの駅迄乗せて行きますよ」との事でしたが、雪道の運転は危険と考え丁重にお断り、三重交通のバスで「JR加佐登駅」近く迄行く事に!

 所がバスは定刻になっても来ず、更に30分弱待ったがバスは来ず諦めました。 この時雪は1時間位で3~5Cm位の積雪。 タクシーを手配する為信綱記念館に戻って見ると記念館は閉館。 携帯電話でタクシー会社2社に電話するも「石薬師宿」方面に回せる車はない等でタクシーは断られてしまいました。


 しかし、予約した亀山のホテルに行く事はあきらめるわけにはいかず、かといって降りしきる雪の「回り道の多い旧東海道を庄野宿方面に歩く」のは辛すぎる。
 と言う事で、地図やカメラ等の手持ち品は全てバックに入れ、雪除けの為防寒コートのフードを立て傘を差し、国道一号線に出て1号線を真直ぐ黙々と歩き「加佐登の交差点」で斜め右の道に入り「JR加佐登駅」に到着しました。

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 信綱記念館から「JR加佐登駅」迄は国道1号線で約3km 4000歩強でしたが、既にこの日は28000歩強歩いておりへとへとでしたが、夕方4時頃になってホテルでゆっくりするには自分の足しかないと言う状況におかれ、意地でもと歩きました。

 17時57分の電車に乗り亀山駅に到着し、もう歩く気力は全くなく、ホテルは駅からすぐでしたがタクシーに乗り、16時20分位にホテルにチェックインしました。

ホテルからの雪の状況は下の様でした。
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