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愛知県知立市の知立祭り その1,世界遺産の文楽 [ 旅行 東海]

   
 5月3日から5日にかけて知立祭りや名古屋市緑区の有松に行ってきました。

 神奈川県から新幹線で豊橋へ、豊橋から名鉄名古屋本線で知立駅に着いたのが12時近く。
 (5月3日は連休の帰省ラッシュの真っただ中。 出発の10日前に自由席で座る事は無理だろうと考え、指定席を申し込んだところ第4希望でやっと確保できました。)

 ホテルに荷物を預け、知立祭りの中心となる知立神社に。
 知立神社についての記事は右記 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-02-18

 神社の境内は屋台も出て大変な人出でした。
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 昨年12月、日本の無形文化遺産として「山・鉾・屋台行事 33件」の内の1つとして、知立祭りで行われている「山車の上で行われる文楽やからくり人形芝居」がユネスコの世界遺産に登録されました。
登録された無形文化遺産について
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E3%83%BB%E9%89%BE%E3%83%BB%E5%B1%8B%E5%8F%B0%E8%A1%8C%E4%BA%8B
知立祭りについて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E7%AB%8B%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%82%8A


 知立祭りは1年おきに山車の出る「本祭り」の年と花車の出る「間祭り」の年があり、今年(2017年)は間祭りの年ですが、世界遺産に登録された後の最初の祭りであり、山車の上での文楽とからくり人形劇画が特別記念上演となりました。

 本祭りでは5地区全ての地区の山車が出て各々の山車の上で文楽を上演するのだそうですが、今年は間祭りの為西町の山車で各地区の文楽を上演する事になったそうです。

西町の山車が知立神社の南側の広場に準備されていました。
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生まれて初めて見る本物の山車は豪華で立派なものでした。 
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 で、最初の演目は宝町の「傾城阿波の鳴戸(けいせいあわのなると),順礼歌の段」です。
 この演目のあらすじは、
徳島藩のお家騒動で、阿波の十郎兵衛・お弓の夫婦は主君の盗まれた刀を詮議する為、大阪玉造に盗賊銀十郎と名を変え住んでいた。そこへ巡礼姿の娘お鶴が徳島から父母を尋ねて来る。お弓は我が子と分かるが、親子の名乗りをあげては我が子にどんな災いが来るとも限らない。お弓は涙を飲んで別れる。名残惜しげに見送るのだが、ここまでが順礼歌の段。
 尚、この後の十郎兵衛住家の段では、十郎兵衛はお鶴と出会うが、我が娘とは知ず金欲しさに手をかけ殺してしまうという物語です。

 上演が開始されました。
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 お弓がお鶴との別れを惜しむ
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 2番目の演目は山町の「艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ),酒屋の段」です。
あらすじは、
半七は染め物問屋で働いており妻お園もいたが、一方で三勝と付き合っており二人の間には娘お通もいました。 お園は今日も帰ってこない半七の事を考え、半七と結婚した事が間違いであった。自分が身を引いた方がいいのでは と悩みます。
その悩みを独白する部分
「今頃は半七様どこにどうしてござらうぞ。今更返らぬ事ながら、私 といふ者ないならば、舅御様もお通に免じ、子までなしたる三勝殿を、 とくにも呼び入れさしやんしたら、半七様の身持も直り御勘当もある まいに。。。。」のところは、この劇の見せ所になっています。

『○○様はどこにどうしてござろうぞ』のセリフはその後多くの小説・演芸等でも使用される様になりました。

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「今頃は半七様どこにどうしてござらうぞ・・・」っと!
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3番目の演目は中新町の「二人三番叟(ににんさんばそう)」です。

この曲は、「寿式三番叟」という演目の内の一つで、「翁の舞」,「千歳の舞」、その次に「三番叟」が登場します。「二人三番叟」では「翁」「千歳」の舞を省き「三番叟」の所のみを演じるのだそうです。
 この曲は、御祝儀舞で、おめでたい席に踊られます。 特徴ある足拍子で稲穂をもみ出し米をとり、土の中から出る悪霊を大地に踏み鎮める振りをし、稲穂をかたちどった鈴をふり、農作物の豊作を祈願する振りが入っています。

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 4番目の演目は「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ),火の見櫓の段」
あらすじは、
近江国高島家の若殿左門之助が禁裏へ献上する天国の剣を紛失し、お守役の安森源次兵衛は切腹、その子吉三郎は寺の小姓となって剣を探すが、火事で焼け出されたお七と恋仲となった。 お七は店の再建の為にお金を借りた万屋武平衛を婿に迎えなければなりませんでした。
剣詮議の期限の日、お七は剣を盗んだのが武兵衛と知ったが、火事の後は九つの鐘(午前0時)を合図に江戸の町々の木戸が締まり通行が禁じられていた。剣が手に入っても今夜中に届ける事ができなければ、吉三郎は切腹する事になります。 思いつめたお七は、火の見櫓の半鐘を打てば出火と思って木戸は開かれるのではと考え、火刑を覚悟で、雪の凍りついた梯子を滑り落ちながらも、櫓に上ったお七は撞木を夢中で振るのでした。

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火の見やぐらに上る
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 4つの文楽は本当に上手で、初めて見る文楽に引き込まれてしまいました!!!
この後西町による「からくり人形劇」でしたが、長くなりますので次回にレポートします。

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