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東海道五十三次, 舞阪宿から新居宿 [ 東海道五十三次]

 先日非常に暑い中、東海道五十三次の内舞阪から新居宿を歩いてきました。
 4月末以来の東海道でした。
非常に暑いとはいえ舞阪駅から約2km程歩き浜名湖に出ると、浜風が涼しく、ある程度は暑さをしのぐ事が出来ました。

 今回は旧友達との旅行も兼ねており、早朝家を出て旧友達と同じ新幹線に乗り合わせました。
静岡県のJR舞阪駅に10半頃に到着し、松並木のある旧東海道(県道49号線)を歩きます。
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 約1kmの松並木の下には歌川広重の東海道五十三次の絵を、日本橋から京都迄銅版に彫込んで石碑にしてありました。

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江戸日本橋                         京都三条大橋
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御当地舞阪は特別大きな石碑でした。
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 で、松並木の終点、国道一号線との交差点には 「波小僧」 と言う可愛い石像がありました。

 「波小僧」 の由来は、
昔、遠州灘の浜で地曳網漁が行われており、不漁が続いたある日真っ黒に日焼けした「小僧」が網にかかりました。 漁師たちは気味悪がり小僧を殺そうとすると 「私は海の底にすむ波小僧です。命だけはお助け下さい。その代わり御恩返しに、海が荒れたり、風が強くなったりする時は海の底で太鼓をたたいてお知らせします。」 と言う事で海に戻してやりました。 以来天候が変わる時には波の音がする様になったと伝えられています。
しかし、可愛い波小僧ですね。

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 波小僧から5分位歩くと 「舞阪宿の入口」 とも言える 「見付けの石垣」 がありました。
見附の石垣は宝永6年(1709年)の古地図には既に記載されていたそうです。

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 見附の石垣から 1分程で 「舞阪の一里塚がありました。 下写真は道路の南側の1里塚です。

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 で、道路の北側には小さな公園風になっていて、黒御影石の一里塚の石碑が立っており、他に下写真の様な文久2年(1862年)の宿場の 「東海道舞坂宿 宿内軒別書絵図面」 という石碑が設置されていました。
非常に長い街並みで、当時港町としてにぎわっていただろうと推察します。

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 一里塚から少し歩くと街道の北側に宮崎伝左衛門の 「本陣跡」 の石碑が、

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 そして、本陣のはす向かいには舞阪宿自慢の 「脇本陣」 が復元されていました。
この脇本陣は、「茗荷屋」との屋号で堀江清兵衛の脇本陣でした。
 建物は主屋・繋ぎ棟・書院棟で構成され、現構で間口五間・奥行十五間です。
書院棟一棟は天保9年(1833年)の建築で、旧東海道の中では唯一江戸時代の脇本陣として現存する貴重な建物です。
下記は浜松市の舞阪宿 脇本陣の解説ページです。
上写真 「文久2年の宿内軒別書絵図」 の例も含まれています。
   http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/w-machi/culture_art/maisaka_wakisakahonjin/index.html

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 この立派な「脇本陣」、内部を無料で見学できました。
下写真は、上写真の正面から見て左側の入り口から入った所で、立派で頑丈な建物でした。
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書院棟で、一番奥に 「上段の間(座布団の敷いてある所が大名が座った所)」 があります。
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 脇本陣をゆっくり見学した後、街道に出て西を見ると直ぐ先が浜名湖です。
 街道の突き当りは渡船場の本雁木(ほんがんげ)があった所で、旧東海道を行き来する人が一番多く利用した場所です。 今は昔の船着場の跡は全く見当たりませんでした。
雁木とは階段状になっている船着場の事を言い地元では昔から「がんげ」と言っていました。

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 本雁木の交差点から南側に150m位行くと水神宮がありました。 この水神宮はもともとは30m位東にあったそうですが、昭和25年からの港の工事でここに移されたそうです。
 で、ここは南雁木(渡荷場跡)のあった場所でもあります。 南雁木は主に荷物の揚げ降ろしに利用されましたが、一般庶民の乗り降りにも利用されました。

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 本雁木の交差点に戻り、更に北に100m位行くと北雁木跡がありました。
この北雁木は明暦3年(1657年)から貫文元年(1661年)に構築されたそうです。 この北雁木は主に大名や幕府の公用役人が利用したそうです。

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 江戸時代の東海道は、上記の雁木から新居宿関所の船着場迄 1.5里程の船旅となります。
下写真は4月末に訪れた時の新居宿の関所です。
東海道で唯一江戸時代の建物が現存する関所でもあります。
新居関所の記事は右記 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-05-16

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新居関所に復元された船着場跡
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 で、今は船旅が出来ないので弁天島を歩いて新居迄行きます。

 北雁木から150m程歩き弁天島に渡る弁天橋に出た所で、浜名湖の広々とした景色に暑さも忘れ、浜風に吹かれながらゆっくり湖を見てしまいました。

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 下写真は浜名大橋で、水色矢印辺りが浜名湖と外海を結ぶ 「今切口」 です。
この浜名湖は、室町時代迄は砂洲で外海と隔てられていましたが、室町時代 明応7年(1498年)の大地震やそれに伴う津波で砂洲の一部が崩壊し外海と繫がった。 で、当時 「今切れた」 と言われ海と繋がっている場所を 「今切(いまきれ)」 と呼ぶ様になった様です。 又、この大地震に伴う大災害では舞阪と繋がっていた弁天島付近も切り離され弁天島が出来ました。

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 弁天島に渡ったら直ぐ南側に弁天神社がありました。
この弁天神社は宝永6年(1709年)、舞阪宿と新居宿の間の 「今切渡海の安全」 の為に建てられました。

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 弁天島を横断し、JR新居町駅に到着し、今回の東海道五十三次は終了です。

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silvercopen

ようこそ静岡西部へ
私の自伝車の散歩コースです。

by silvercopen (2016-07-23 12:58) 

kotobuki1946

silvercopenさん
silvercopenさんの本拠地でしたか。
舞阪宿は松並木や脇本陣等素晴しかったのですが、今回は東海道だけでなく他にも行きました。 3・4回に分け記事にしようと思いますので是非見て頂ければと思います。 出来ればブログランキングのクリックもお願いします。

by kotobuki1946 (2016-07-24 06:14) 

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