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東海道五十三次, 箱根峠を下り三島へ [ 東海道五十三次]

 先日、今年初めての東海道を歩いてきました。

 2009年12月に東海道を歩き始めて、丸一年後の2010年11月には箱根を一日で登り切り、「私の体力も捨てた物ではない!」等と思っていました。

箱根を登った時の記事
   http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2010-11-18
   http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2010-11-22


 しかし、その3ヶ月後の2011年2月、椎間板ヘルニアを発症し、「東海道五十三次の再開は無理かなァ~」 との思いもありましたが、二年半後に再開する迄に回復。

 とは言っても、ヘルニアの状況や体力の減退も考え、「箱根の下りはきついだろう!」 と、負担の少ない平地の三島宿から歩き始め、体力的に自信が出来た時に箱根をくだろうと考えていた。
 東海道を再開時の記事   http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2013-07-08

その結果延び延びになってしまい、今回になったしだい。
下地図は今回歩いたルートと主な名所旧跡で、クリックすると拡大します。

箱根Image1_edited-2.jpg




 で、小田原からバスで、前回箱根を登りきった時の終点 「箱根関所跡」に戻って、

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 箱根関所から、芦ノ湖沿いのメイン通りを歩き始め、二つ目の信号を右に曲がり、

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更に五分弱歩いた所で、石仏群のある石畳入口に到着。 ここから箱根峠に出る迄が今回唯一の登りです。
blogDSCN8634のコピー.jpg


 そして、先日降った雪が所々に残る中、滑らない様にゆっくりと上って行きます。
 ここの坂は添付の地図の様に4つもの名前が付いており、私は3個の建て看板を見つけました。

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 箱根関所から歩き始めて約40分、舗装路に出ました。 
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 で、本来左に向かって1号線に出るのですが、右に曲がって、50m位のところの駐車場で「箱根峠からの写真」をパチリ。
そして、駐車場で外国人が野菜等と共に焼き芋を販売しており、購入。 かじりながら歩きだしましたが、何とも美味しい焼き芋でした。 

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 ここから国道一号に向かってほんのちょっと歩き、1号線に出たら直ぐに1号線を横断、「箱根くらかけゴルフ場」に向う道を少し歩き、最初の道の分伎を右に入り、再度1号線に出る。 この辺も箱根峠と言う様です。 1号線を横断すると写真の様な門があり、なんとなく 「これから箱根旧道をくだるぞ!」 と言う様な気分になってきた。

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 無料駐車場から芦ノ湖カントリー倶楽部に行く道を歩き始めました。 10分近く歩くもゴルフ場への道から左に入る旧道が見つからなかった。 で、戻ってみると何とこんなに分り易い旧道入口でした。 多分ここを見てはいたが頭の中は旧道入口と認識していなかったのだろう。

 で、ここには 江戸へ二十五里,京に百里 との石碑が立っていました。

blogDSCN8662.jpg blogDSCN8665.jpg


 で、旧道を歩き始めると何と笹のトンネルがかなり長い距離続いていました。  ここは昔から笹の生い茂っていた所だった様で、江戸時代には 「笹を敷き滑り止めにした」 事もあった様です。
  笹のトンネルもある意味絶景でした。
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 旧道を歩き始めて、兜石跡等を通過し約20分、国道1号線に面した 「接待茶屋跡」 で、江戸から26番目の 「一里塚」 に到着しました。

 接待茶屋は、江戸時代中期に「箱根山金剛院別当」が 「箱根山を往来する者の苦難を救う為人や馬に粥や飼葉・焚火等を無料で施していた」 のが始まりの様です。 しかし一時期途絶えてしまったが1824年江戸の豪商 「加勢屋与兵衛」 が再興した物の明治維新で中断、明治12年(1879年)八石性理教会が再スタートした物の教会の衰退で、鈴木家に引き継がれ鈴木家3代にわたり継続されましたが昭和45年(1970年)茶釜を下し接待茶屋の歴史は閉じられました。
 ここの 「接待」 は長~~~い歴史と何人も何世代もの善意で続いていた茶屋跡でした。 しかも、私が箱根をドライブした頃にはまだ茶屋があったんです。 寄って見れば良かった!!! 残念!!!

 接待茶屋の記念碑は、国道1号線の三島に向って右側にありましたが、実際の接待茶屋は国道の左側だった様で、下写真の様に国道の向こう側に井戸の様な物が見えました。
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26番目の一里塚
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 その後、兜石,念仏石を通過,民家の庭先をも通り、国道1号線を横切り、三島に向って国道の左側に出て杉木立の中を20分程歩くと、
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 再度国道1号線に出ました。 国道の向いには諏訪神社の小さな鳥居があり、ここが 「山中城祉公園」の入口です。

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 山中城は、小田原の北条氏が西の備えのひとつとして、1558~1570年に築城した中世最末期の山城で、標高580mに位置し、自然の要害に囲まれた城でした。 しかし、1590年全国統一を目指す豊臣秀吉の圧倒的な軍勢に1日で落城したと伝えられています。

 山中城は三島市により発掘調査され、本丸や岱崎出丸や架橋等が見つかり、障子掘(しょうじぼり)や畝掘(うねぼり)等北条流独特の築城術も発掘され、保存されています。

 広大な城跡
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「畝掘」の様子 (掘りの底に凹凸を付けて、掘りに入った敵兵の動きを止める。)
blogDSCN8711.jpg 



 山中城跡をゆっくり見学後、芝切地蔵尊の前を通り、国道を再度横切り15分位歩いた所で再度国道に出て国道を横切る所でしたが、道路工事の方に 「旧道は工事中で入れない」 と言われやむなく国道を延々と遠回りをしながら歩き、三島の新たな名所となった 「三島の大吊り橋」 迄歩きました。


 三島の吊り橋は観光用に作られた物で、歩行者専用釣り橋としては日本一だそうです。
つり橋のホームページ  http://mishima-skywalk.jp/

blogDSCN8726.jpg


 家を出た時は電車から富士山がくっきり見え、快晴!快晴! と。
 更に芦ノ湖でも富士山が良く見えたのですが、 三島の大吊り橋に着いた時には 「ひょっとしたら雨が降るかも?」 と思う程に天候は悪くなり、駿河湾は見えるものの富士山までは見る事が出来ませんでした。
 と言う事で、吊り橋を渡らず、旧東海道も工事中で歩く事が出来ず歩く気力を失い、バスに乗って三島のホテルへ!

 今度又、天気のいい時に、吊り橋を渡り、続きの東海道を三島宿まで歩こうと思います。

 それでもこの日の万歩計は 23000歩を越えていました。



今回も明治の初めに横浜に創設された 宮川香山の 「眞葛焼」 を紹介します。
尚、宮川香山 没後100年を記念してのベストセレクションの特別展示は2月28日迄です。

眞葛焼を紹介した私のブログ記事 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2015-12-11
横浜駅近くの眞葛ミュージアム  http://kozan-makuzu.com/
眞葛ミュ-ジアム館長のブログ   http://kozan.blog.so-net.ne.jp/

左は初代香山の横浜眞葛焼 最晩年の作品です。
カニが生きている様で私の大好きなく品です。
gallery_kani2[1].jpg



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コメント 2

kinkin

自分にとっては結構近い場所、歩いてみますかね。
旧街道の畑宿から元箱根までは歩いているのですが^^;
by kinkin (2016-02-20 15:50) 

kotobuki1946

kinkinさん
是非歩いてみてください。箱根峠までと箱根峠から山中城跡迄が良いですよ。 今は箱根峠から新名所の三島の大吊り橋迄歩く方も多い様です。

by kotobuki1946 (2016-02-23 22:21) 

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