静岡県の掛川宿から袋井宿を歩いてきました [ 東海道五十三次]
先日、東海道五十三次の掛川宿から袋井宿を経て見附宿(磐田市)迄を歩いてきました。
神奈川県在住の私にとっては朝早く家を出ても、現地着は10時を過ぎてしまうと共に交通費もかさむ様になり、最近では宿泊し2・3日連続で歩く様にしています。
で、実は前回、掛川宿から袋井宿に向かって 「天竜浜名湖線の西掛川駅」 迄は歩いていたのですが、今回まとめて掛川宿から袋井宿迄をレポートします。
歌川広重の掛川宿 (ウィキぺディアより,「倉真川の大池橋」)
前回は朝ホテルを出て掛川城をゆっくり見学した後、袋井宿方向に歩き始めました。
掛川城の記事 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2015-10-21
お城から旧東海道に出た所(中町交差点)に純和風の「清水銀行」があり、銀行には 「両替」 との表示がありました。 今は銀行と言っていますが 「江戸時代風に言えば両替商」でしょうね。
清水銀行から5分位歩いた所で円満時があり、寺の入口に 「掛川城の蕗(ふき)の門」が設置されていました。 この門は廃城の後、明治5年に円満時が買い受けたのだそうです。
掛川城の 「蕗(ふき)の門」 降り棟の亀の瓦が素敵です。
更に10分弱歩くと 門柱に成田山と書かれた「東光寺」があり、ここの奥に 「平将門の19首塚」 があります。
平将門は935年関東一円を占拠したが、朝廷からの将門討伐の指示で940年藤原秀郷らが滅ぼし、秀郷は将門と家臣の首19首を京に向けて持参、京から来た検視の勅使と掛川で会い、秀郷は首を洗い橋にかけ検視を受けた。 検視後、秀郷は十九の首を別々に埋葬し、懇ろに供養しました。
ここの地名は、この19首塚があった事で 「十九首町」となり、首塚を町の守り神として春秋の彼岸と命日の8月15日に供養祭を続けているとの事。
平将門は、私の生れ故郷 下総の出身で、有史以来 「下総の人が天下取りを目指したたった一度の出来事」 で、もう少し勉強しないとと思いながら先に進む事に。
十九首塚から15分程歩くと 「倉真川の大池橋」 に到着しました。
この橋は冒頭の広重の浮世絵 「掛川」 の場所との事。 又、秋葉街道との分かれ道でもあります。
で、この時は足にマメが出来疲れもたまっていたので、天竜浜名湖線の 西掛川駅から電車に乗り、掛川駅でJRに乗り換え帰宅。
西掛川駅が何処か分りますか?
掛川駅は黒で統一され趣がありました。
先日3ヶ月ぶりに東海道を歩く事が出来、西掛川駅に。 ここで下写真を取る為に30分強道草を。
青の矢印がホームの待合所、緑矢印が1両編成の電車、黄色矢印は電車から降りた乗客です。
(12月の今回はこの写真を取る事が目標の1つでした。 あまりいい写真が取れなかったけどね。)
9月に青々としていた駅の木も12月には葉がほとんど落ちて!
西掛川駅から約15分歩くと 「連祐寺」 前の「大池一里塚跡」 に到着。
更に15分程歩くと閉鎖された様な工場(?)に到着。 近くの方に伺った所 「㈱蘇我鶴」 と言う酒造会社で、酒造場は閉鎖し今は在庫のお酒を販売している様です???
蘇我鶴のホームページ http://www.shizuoka-sake.jp/report/west/haginokura_1.html
その後約15分程歩き、仲道寺に到着しました。
このお寺さん、東京と京都の真中に当たるそうです。 だだ、お寺さんの名前の由来は東海道の真中だからではなく、善光寺の境内(中に)に創建した事による様です。
仲道寺から約30分程歩くと富士浅間宮の鳥居です。 社はここから1km弱の所だそうです。
袋井市は随所に広重等の浮世絵を掲示していましたが、この赤鳥居の脇(上写真の右黄緑矢印)には下の様なユーモラスな絵が掲示されていました。
ミノを纏い弓を構えた案山子を 弓を構えた人と間違え、旅人が腰を抜かして「助けて!」と頼んでいます。
赤の鳥居から少し歩いた所で袋井東小学校に到着です。
この小学校は、東海道五十三次の27番目の宿場で真中にある事から 「東海道五十三次どまんなか東小学校」 と称しています。 で、この小学校の中に 「久津部一里塚」 もありました。
久津部一里塚
更に歩くと 「新屋の秋葉山常夜燈」 があり、良く見ると建物の彫り物が素晴しく、しかも屋根の瓦には魚に乗った人らしき物や亀に乗った人等がありました。
東小学校から40分位歩き、市役所前に到着。
市役所前の通りから右に曲がると 「これより袋井宿」 と書かれた石碑が立っていました。
そして斜め向かいには 「どまんなか茶屋」 が見え、
更に5分程歩くと 「袋井宿の東本陣跡」 に到着しました。
そして、更にちょっと歩くと 「袋井宿公園」、
更に5分弱歩くと 「高札場」 です。
で、宇刈川の御幸橋(中川土橋)に到着し、袋井宿を完歩です。
袋井宿は、東海道五十三次の内の二十七番目の宿場で、宿場の数で真中の宿場になります。
又、距離においては、仲道寺によると仲道寺が距離的にちょうど真中(??)に当たるそうですが、何人かの方の宿場毎の距離を計算すると距離の真中は天竜川付近ではないかと思います。
と言う事で、顎下癌の手術,治療による体力減退、その後の体力回復を確認するバロメーターとして始めた私の東海道五十三次、腰のヘルニアによる中断等もありましたが、6年かけてほぼ半分完歩となりました。
最近は顎下癌の影響はほとんどありませんが、年齢による体力の減退は否めず、今は 「是が非でも京都迄」 とは思っていません。 毎回、「前回の旅行の続きをするだけ」 との思いで楽しんでおります。
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神奈川県在住の私にとっては朝早く家を出ても、現地着は10時を過ぎてしまうと共に交通費もかさむ様になり、最近では宿泊し2・3日連続で歩く様にしています。
で、実は前回、掛川宿から袋井宿に向かって 「天竜浜名湖線の西掛川駅」 迄は歩いていたのですが、今回まとめて掛川宿から袋井宿迄をレポートします。
歌川広重の掛川宿 (ウィキぺディアより,「倉真川の大池橋」)
前回は朝ホテルを出て掛川城をゆっくり見学した後、袋井宿方向に歩き始めました。
掛川城の記事 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2015-10-21
お城から旧東海道に出た所(中町交差点)に純和風の「清水銀行」があり、銀行には 「両替」 との表示がありました。 今は銀行と言っていますが 「江戸時代風に言えば両替商」でしょうね。
清水銀行から5分位歩いた所で円満時があり、寺の入口に 「掛川城の蕗(ふき)の門」が設置されていました。 この門は廃城の後、明治5年に円満時が買い受けたのだそうです。
掛川城の 「蕗(ふき)の門」 降り棟の亀の瓦が素敵です。
更に10分弱歩くと 門柱に成田山と書かれた「東光寺」があり、ここの奥に 「平将門の19首塚」 があります。
平将門は935年関東一円を占拠したが、朝廷からの将門討伐の指示で940年藤原秀郷らが滅ぼし、秀郷は将門と家臣の首19首を京に向けて持参、京から来た検視の勅使と掛川で会い、秀郷は首を洗い橋にかけ検視を受けた。 検視後、秀郷は十九の首を別々に埋葬し、懇ろに供養しました。
ここの地名は、この19首塚があった事で 「十九首町」となり、首塚を町の守り神として春秋の彼岸と命日の8月15日に供養祭を続けているとの事。
平将門は、私の生れ故郷 下総の出身で、有史以来 「下総の人が天下取りを目指したたった一度の出来事」 で、もう少し勉強しないとと思いながら先に進む事に。
十九首塚から15分程歩くと 「倉真川の大池橋」 に到着しました。
この橋は冒頭の広重の浮世絵 「掛川」 の場所との事。 又、秋葉街道との分かれ道でもあります。
で、この時は足にマメが出来疲れもたまっていたので、天竜浜名湖線の 西掛川駅から電車に乗り、掛川駅でJRに乗り換え帰宅。
西掛川駅が何処か分りますか?
掛川駅は黒で統一され趣がありました。
先日3ヶ月ぶりに東海道を歩く事が出来、西掛川駅に。 ここで下写真を取る為に30分強道草を。
青の矢印がホームの待合所、緑矢印が1両編成の電車、黄色矢印は電車から降りた乗客です。
(12月の今回はこの写真を取る事が目標の1つでした。 あまりいい写真が取れなかったけどね。)
9月に青々としていた駅の木も12月には葉がほとんど落ちて!
西掛川駅から約15分歩くと 「連祐寺」 前の「大池一里塚跡」 に到着。
更に15分程歩くと閉鎖された様な工場(?)に到着。 近くの方に伺った所 「㈱蘇我鶴」 と言う酒造会社で、酒造場は閉鎖し今は在庫のお酒を販売している様です???
蘇我鶴のホームページ http://www.shizuoka-sake.jp/report/west/haginokura_1.html
その後約15分程歩き、仲道寺に到着しました。
このお寺さん、東京と京都の真中に当たるそうです。 だだ、お寺さんの名前の由来は東海道の真中だからではなく、善光寺の境内(中に)に創建した事による様です。
仲道寺から約30分程歩くと富士浅間宮の鳥居です。 社はここから1km弱の所だそうです。
袋井市は随所に広重等の浮世絵を掲示していましたが、この赤鳥居の脇(上写真の右黄緑矢印)には下の様なユーモラスな絵が掲示されていました。
ミノを纏い弓を構えた案山子を 弓を構えた人と間違え、旅人が腰を抜かして「助けて!」と頼んでいます。
赤の鳥居から少し歩いた所で袋井東小学校に到着です。
この小学校は、東海道五十三次の27番目の宿場で真中にある事から 「東海道五十三次どまんなか東小学校」 と称しています。 で、この小学校の中に 「久津部一里塚」 もありました。
久津部一里塚
更に歩くと 「新屋の秋葉山常夜燈」 があり、良く見ると建物の彫り物が素晴しく、しかも屋根の瓦には魚に乗った人らしき物や亀に乗った人等がありました。
東小学校から40分位歩き、市役所前に到着。
市役所前の通りから右に曲がると 「これより袋井宿」 と書かれた石碑が立っていました。
そして斜め向かいには 「どまんなか茶屋」 が見え、
更に5分程歩くと 「袋井宿の東本陣跡」 に到着しました。
そして、更にちょっと歩くと 「袋井宿公園」、
更に5分弱歩くと 「高札場」 です。
で、宇刈川の御幸橋(中川土橋)に到着し、袋井宿を完歩です。
袋井宿は、東海道五十三次の内の二十七番目の宿場で、宿場の数で真中の宿場になります。
又、距離においては、仲道寺によると仲道寺が距離的にちょうど真中(??)に当たるそうですが、何人かの方の宿場毎の距離を計算すると距離の真中は天竜川付近ではないかと思います。
と言う事で、顎下癌の手術,治療による体力減退、その後の体力回復を確認するバロメーターとして始めた私の東海道五十三次、腰のヘルニアによる中断等もありましたが、6年かけてほぼ半分完歩となりました。
最近は顎下癌の影響はほとんどありませんが、年齢による体力の減退は否めず、今は 「是が非でも京都迄」 とは思っていません。 毎回、「前回の旅行の続きをするだけ」 との思いで楽しんでおります。
何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
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東海道五十三次を実践しているのですか!
浜松までもう少しですね。
頑張ってください。
by JR浜松 (2015-12-30 08:40)
おはようございます。
今年一年ありがとうございました、新年もよろしくお願いいたします。
by 馬爺 (2015-12-30 10:16)
JR浜松さん
1月か2月位に浜松市入りです。 又4月か5月には天竜浜名湖鉄道全区間乗ろうと思っています。
馬爺さん
こちらこそ有難うございます。 来年のよろしくお願い致します。
尚、昨年義理の母が亡くなり年末年始の挨拶は控えております。
すみません。
by kotobuki1946 (2015-12-31 10:18)
おはようございます。
新年あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いいたします。
by YUTAじい (2016-01-02 08:09)
YUTAじいさん
こちらこそよろしくお願い致します。
尚、昨年義母が亡くなり年末年始の挨拶は控えております。
すみません。
by kotobuki1946 (2016-01-02 09:24)
よろしければ本校のHP、Twitterもご覧ください。
http://bansyu-school.jp/fukuroi-higashi-e/
https://twitter.com/fukuroihigashi
by 袋井東小学校 (2018-02-01 22:35)
袋井東小学校さん
コメント有難う御座います。 袋井東小学校のページ及びツイッターを拝見させていただきました。 お子さんたちが元気に活動されている様子が伝わってきます。これは先生方の努力のたまものと思います。又、下記ページにはど真ん中西小学校をちょっとだけ記事にしてあります。
http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2015-12-28
by kotobuki1946 (2018-02-02 18:04)