東海道五十三次, 静岡市の江尻宿~府中宿 [ 東海道五十三次]
先日、雨の中を静岡市の 江尻宿(静岡鉄道の狐ヶ崎駅)から府中宿(JR静岡駅)を歩きました。
(ここの所、所用が多く雨の中でも歩ける時に歩いておこうと決断したしだい。)
自宅を早めに出て、JR草薙駅に着いたのが写真の様に9時40分頃。 JR草薙駅前広場のモニュメントが可愛いかったのでパチリと撮ってみました。
で、JR草薙駅から静岡鉄道の草薙駅に乗り換え、狐ヶ崎駅に到着。
少し歩くと 「上原延命子安地蔵尊」 と言う立派な地蔵尊がありました。
この地蔵尊は鎌倉時代以前、奈良時代に創建されたのではとも言われており、1568年には武田信玄が今川氏真を攻める時、本隊の武将山県昌景がこの地蔵尊を中心に布陣したと記録されているとの事。
そして更に5分程歩くと「上原鎮守十七夜宮」がありました。
ここは不動尊を祀ったお宮で、最古の記録は1651年との事。
言い伝えでは、「信仰心のあつい村人の夢の中に浅畑(現在の静岡市葵区麻機(アサハタ))の不動尊が出て来て、「上原はさぞいい所だろう上原に連れて行く様に」とのお告げで、十七夜千手寺の裏手に祀ったとこ事。
更に10分程歩くと、たぬきに見守られた、江戸から43番目(170km)の「草薙の一里塚」ありました。 何でたぬき? と思ったら下の様な看板がありました。
狐ヶ崎から歩き始めて小一時間、草薙神社の鳥居が見えて来た。
神社はこの交差点から1200m入った所の様で、奥には小高い丘があり、多分丘の上だろう。
雨足も強くなって来たし、時間も考えて参拝は諦め先に進む事に。
鳥居から約30分歩くと、紅葉の綺麗な草薙球場がありました。
静岡県の野球場として設備が整っており、プロ野球の試合にも使われていた様に記憶しています。
球場の交差点を右に曲がって、数100m歩き更に左に曲がって少し歩くとJR操車場のトンネルの様なガードをくぐります。 このガード入口の左側には写真の様な記念碑が立っていました。
そして約30分歩いた所で静岡鉄道の長沼駅前を通過。
ちょっと疲れて来た所で、小さな魚屋さんと魚屋さんとつながった小さな食堂を発見。
昼食を兼ねて、休むかどうか決めかねながらも結局やり過ごし歩いてしまった。
で、少し歩くと「静岡県護国神社」見えて来た。 ここも入りたいと思いながらも結局時間を考えパス。
静岡県護国神社をすぎ国道1号に戻った頃から疲れと共にお腹がすいてきたが、長沼駅前の小さな食堂の魅力に勝るお店が見つからず、この頃からは休息できる食堂探しに夢中になってしまい、旧東海道の史跡探しは忘れがちとなってしまった。
(読者の皆さんは、この様な経験(食事処を懸命に探し、本来の目的を忘れる)はございませんか?)
とは言え更に歩き、静岡鉄道の柚木駅前で左折、JRのガードをくぐり、旧道に戻り、更に再度JRと国道1号のガードをくぐり、護国神社から30分程度歩いた所で静岡市の商店街風の通りに出た。
でやっと、下写真の旧道史跡を発見。
やっと発見したのに石碑の上には煙草の空き箱が放置されておりガッカリ。
お腹がすいている物の魚屋さんの食堂に勝る食事処は見つからないまま、更に20分程歩きやっと府中宿に到着。 江戸,日本橋から44里、176kmの所迄きました。 京都迄の1/3強。
で、このあたり(静岡市葵区伝馬町)を昔は「鋳物師町」と言われていた様です。
直ぐ近くに駿府城があり、小田原でもそうでしたが、大きなお城付近には金属を加工する匠達の街があります。
そして、更に歩くと「久能山・東照宮道」 の石碑があり、この石碑の所から徳川家康の東照宮に行く旧道があります。
そして更に少し歩くと脇本陣石碑が。
で、旧東海道と静岡駅前通りの交差点を今日の終点としました。
さすがに疲れと何よりお腹がすいて飢えていた私は、上写真交差点近くの居酒屋風レストランでゆっくりと刺身定食で昼食。
ゆっくり休んでいる内に体が冷えてきました。
初冬の雨と言う事で、厚着をしてきた結果、逆に汗びっしょりとなってしまい、その結果汗で体を冷やしてしまいました。 今回の寒さ対策は「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」だった様です。
で、早めに駅前のホテルにチェックイン。 それでも冷えてしまった体は微熱に変わり、翌日はホテルに滞在時間を延長して頂きチェックアウト。 帰宅の途に着きました。
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