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東海道五十三次, 見附宿(磐田市)から浜松宿 [ 東海道五十三次]

 
 先月、見附宿から浜松宿まで歩いてきました。
 (少し前に書きました浜松城は東海道を歩いた後の観光でした。)

 実は1月に袋井宿から見附宿を歩いた時に、見附宿から天竜川手前まで歩いていました。 で、今回は天竜川の手前、遠州鉄道のバスで 「長森」 迄行きそこから歩き始めました。

 とは言え今回の記事は、前回歩いた分を含めて見附宿から浜松宿迄を書こうと思います。


 歌川広重の見附宿
 (見附の宿場はJR磐田駅の北ですが、広重の見附宿の絵は4km程浜松宿よりの天竜川です。)
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広大な敷地の遠江国分寺の再現に期待しながら、磐田駅から天竜川に向かって歩き始めました。
国分寺跡
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駅から30分強歩くと、日産自動車の販売店の所に綺麗に整備された宮之一色一里塚に到着です。

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 でさらに歩き、県道261号線森下南の交差点で真西方向の細い道に入り長森に向かい、県道262号線との交差を過ぎ2ブロック先を右に向かい更に2ブロック行った所に「天竜川の橋の記念碑」がありました。
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 前日袋井宿からの歩きで頑張ったこともあり、足に豆が出来たらしく痛く、疲れを感じ遠州鉄道のバス停 「長森」 からバスに乗り磐田駅から帰宅の途に。



 で、先月天竜川の東岸から浜松に向けて東海道五十三次を再開。

 遠州鉄道の「長森」のバス停を下り、天竜川の旧1号線の橋(写真の左)・バイパスの橋(写真の右)のたもとに到着。
 約10年前までは歩行者も歩道の無い狭い旧1号線を歩かなければならなかったそうですが、今は広々とした歩道のあるバイパスの新しい橋を渡る事が出来ます。
(旧東海道を歩いた先人達の多くが 「古い橋は京都迄で最も危険な道」 と言っておられました。)

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 天竜川の川の流れです。 写真の流れは穏やかですが急流の所もありました。
(江戸時代の大井川は川の深さが比較的浅く人足によって担がれて渡りましたが、天竜川は深く急流の為舟の渡しでした。)
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 橋を渡り100m位下流に歩き、六所神社に。
 神社は天竜川の堤防工事の為、現在の様に小さくなってしまいましたが、多くの記念碑が立っておりました。 その一つが、天竜川を渡る舟橋・木橋です。 
六所神社は三柱の海神と三柱の航海の守り神の六柱の神様が祭神として祭られています。

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昭和の初めまで使われた木橋です。 このきゃしゃな橋でも自動車が通っていたんですね!
写真をクリックすると大きく表示します。

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 この地区 (現浜松市東区中野町)は、江戸・明治・大正の頃、天竜川の上流で切り出した木材,上流で採掘した鉱物等の荷揚げで非常に栄ていた様で、ローカル鉄道や銀行もあった様です。
写真をクリックすると大きく表示します。

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 六所神社から10分位歩くと 金原明善翁の生家、向いには記念館がありました。
金原明善はここ浜松市東区安間町に生まれ、1850年、明善19歳の時に天竜川が氾濫し、現在の浜松市・磐田市が大洪水にみまわれました。 その時の経験等から天竜川の堤防工事や上流の植林事業に尽力しました。
 詳細は下記のウィキぺディアを参照願います。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%8E%9F%E6%98%8E%E5%96%84

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 金原明善翁の生家から約30分歩きやっと 浜松宿の 「馬込一里塚」ニ到着。

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 更に10分弱歩いた所で、浜松城の看板のある 「木戸町」に。  一里塚の名前と同じ 「馬込橋」 に到着。 多分木戸町の町名は浜松宿の東木戸(宿場の東の入口)の木戸から来ているのでは。
 浜松市に入った実感がわいてきました。 写真のアクトタワーは、昨年10月、金谷宿と日坂宿の間の「夜泣き石の中山峠」で遠くに見て以来半年かけての到着です。
 夜泣き石の中山峠の記事 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2015-10-01

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 もう少し頑張ろうと、アクトタワーの向いのイタリアレストラン 「SAN FELICE (サン フェリーチェ)」 でピザをゆっくり食べさせて頂きました。 美味しかったので充分にエネルギーを充電。



 ほんの少し歩くと 「夢告地蔵」 がありました。
この地蔵尊はもともとは安政5年(1,858年)のコレラの犠牲者を供養する為の延命地蔵でした。 が、明治になって廃仏毀釈の波を受け土中に埋められた。 しかし、小柳丈之助の夢に 「世上に出たい」 と現れ、大正8年町民の手で掘りだされ、お堂に安置され、参拝客でにぎわった。
(明治維新は多くの良い事もあったが、西洋化の波で 「古い物はいらない」 と箱根の関所や多くのお城等貴重な物も沢山壊されてしまいました。)

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 地蔵尊から約10分、大手門通りと交差する連尺交差点に到着。 この日の東海道は終了とし、ホテルで少し休んだ後、夕食を食べようとは市内散策。

 大手門通りの連尺交差点には大手門があった所との事。 立て看板と石碑がありました。

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 又、大手門通りの大手門跡の南側には佐藤本陣,川口本陣,梅屋本陣跡の看板が立っておりましたが、杉浦本陣は見付ける事が出来なかった。 浜松宿は大きく、本陣六ヶ所,旅籠は90軒以上あったそうです。
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 町を散策中に五社神社・諏訪神社を見つけ見学して来ました。
朱塗りの山門,本殿等新しそうで立派でした。
詳細は左記のホームページ参照  http://www.gosyajinjya-suwajinjya.or.jp/

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 で、この日の夕食は歴史ある柳川なべを食べましたが、残念ながら・・・・。
浜松と言えばうなぎですが、少しへそを曲げて見ようと思ったのがマズかった。




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