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アメリカでのレストア物語 その2 [フェアレディ(SRL311)]

 11月3日の日記にフェアレディ 2000 (SRL311) 1967型 ローウインドー型車 を購入迄を記しました。
 この車は1967年に日本からアメリカに輸出され、多分まもなく販売されたと思われるが、1973年3月まで誰が何処で所有していたかは不明です。
 1973年にはジョージア州のWarner Robinsと言う町の方が所有し、75年10月同州のAthensに転売、85年9月迄の10年間は同一所有者との記録あり。 94年には同州のCovingtonで私の前所有者が所有の記録あり。 私の前所有者の説明では、Athensの方が1990年頃迄使用し、前所有者は4・5年前から保管、94年に販売の為、ナンバープレートを取得したとの事です。
 10月30日の日記に記した様にジョージア州は10年以上の車は所有者登録が不要だった事からするとマーマーの履歴判明と思います。

 アメリカでは、所有者登録とナンバープレート取得は別々に管理されており、州により若干異なると思いますが、ケンタッキーではおおよそ次の通りでした。
 所有者登録は字の通り”この車は私の物”として登録する物で、コートハウス(役場)に売買契約書と前所有者の所有登録書を持参し、申請します。 約一週間後に町の警察官が申請者の住所に来て車両確認をし、その後約一週間でコートハウスから所有者登録書が発行されます。
 この所有者登録だけではナンバープレートはもらえず、町を走る事が出来ません。
しかしこれがないと、転売は出来ず、勿論日本に持ち帰る時の輸出入が出来ません。

 ナンバープレートの申請は、日本の強制保険の様に保険に加入した証明書(証書)と所有者登録書を持参し、申請するとその場で、ナンバープレートがもらえます。 
 普通、車は乗る為に購入するので、所有者登録とナンバープレートの申請を同時にします。

 この保険の補償額は特に決められていません。 ただ保険料は非常に高く、事故の少ない日本人特約や団体割引の様な物を入れても、1人死亡1億円で年間約10万円強ぐらいでした。

 後日ジャガーについて記したいと思いますが、私のジャガーは、帰国が決まっていた事や町で走る気が無かった事から、所有者登録のみとして、高額の保険費用を節約しました。

続きは後日 


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アメリカでのレストア物語 その1 [フェアレディ(SRL311)]

 1996年4月にアメリカに単身赴任し、7月にはSPL311をレストア目的で購入しました。

 アメリカで長期に単身赴任で滞在する場合、休日をどう過すかが非常に重要で、毎週毎週、土曜日・日曜日の2日間をアパートで何もせず悶々と過していると気がめいり、アメリカでの生活が出来なくなり、帰国を余儀なくされている方が多く見かけました。
 私はレストアを通してアメリカ人との私生活での交流や土・日を楽しむ事にしました。 ---今考えてもこれは大正解だと思っています。 お金はかかったけど!!!

  このSPLは大変な車で、点検の結果、ボディ下部が錆でぼろぼろ。 厚い塗装でボディ形状を保っていました。  カリホルニアで錆取りをしたボディを、なんと1500ドル(当時15万円ぐらい)で譲ってくれる方がおり、ボディ交換が一番早く安い事が判明しました。
  このボディは若干のでこへこがある程度との事で、非常に安いと思うし、なにより錆取りをしたボディを保管しておける環境(湿気)にもおどろきです。

 アメリカでのクラシックカーや部品探しはヘミングと言う雑誌が有効です。 日本でもこの様な雑誌が欲しい。---誰か作ってくれませんかネーーー

  しかしボディ交換ではいかにも大改造しすぎると思っていた所に、友人から現在のSRL311 1967年型 ローウイドー車の話があり、レストアはこの車に変更する事に致しました。
 この車はアトランタ周辺で新車から1990年頃まで使用されていた物で、最後のオーナーは自宅に5台程フェアレディを保管し、内一台は黄色に塗装し、レストア中でした。
 後にこの黄色いフェアレディはケンタッキーの自宅の隣町に来ていました。 知ったきっかけはフェアレディで隣町に買い物に出かけた所、新オーナから”私もダットサン(フェアレディ)を持っている”と声をかけられ、付合いが始まり、判明。 又1つ友達の輪が広がり、土曜・日曜が楽しく過せました。

続きは後日。


ヘミングの表紙

DATSUNのページ 細かいがフォー セール車や部品の販売がびっしり乗っている。
1930年型Duesenberd(デュセンバーグ)も$385000で売られていました。
この様な形での本の紹介は著作権法に触れますか? ご存知の方がいたらコメント欄で教えてください。


私の旧オーナーがレストアした黄色いフェアレディ(隣町の新オーナーのガレージにて)


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アメリカでのレストア物語 要約 [フェアレディ(SRL311)]

 私の旧車のレストアは、米国で1996年6月にSPL311,1969型のレストアベース車を1200ドルで購入した事に始まります。
 この車はひどい状態で、ボディの修理の為1500ドルで錆取り完のボディを手配しました。 しかし友人のアドバイスで、ジョージア州のアトランタ近郊からSRL311,1967型 ローウインドー車を購入し、SPL311を部品取り車にしました。

 SRL311は、ケンタッキーを1996年12月7日にジョージア州アトランタのオーナー宅を訪問し契約を結び、12月8日に車を引取りました。 太平洋戦争の開戦記念日に購入した事になります。

 レストアは同じ会社で働く米国人に依頼。 彼曰く、4ヶ月ぐらいで完了するとの事で、12月10日頃より始まりました。 が!!なんと、ボディのレストアだけで約3年かかり、1999年2月にやっとほぼ今の外観で、走る車を引取る事が出来ました。 
結局、この間に私が、サスペンション周り,デフ,室内の内装をレストアしました。

 ナンバーの取得も又、米国ならではの事態に遭遇し、なんと5ヶ月もかかりました。
 私の住んでいた町の役所(コートハウス)に申請した所、前所有者の登録控えが必要との事。
前所有者に問合せると”そんな物はない”との事。 再度私の町の役所で調査の結果、ジョージア州は、州法で10年以上経過した車の所有者登録は行っていない事が判明。
 州による法律の違いを実感。
 しかしケンタッキーでは前所有者の登録書類が必要で、役人と長時間議論の末、前所有者の役所から所有者登録をしていない旨の書類を入手し、代用する事で決着。
ジョージア州ものんびりした物で、役所を再三あおって2ヵ月後に入手。 やっとの事で、登録完了。
 苦労のかいあって役所の担当と仲良くなり、ナンバープレートの保管庫から ”310” の数字を探し出しナンバーを決定。 私の誕生日は3月10日,私の住所のハウスナンバーも ”310B” と数字をそろえる事が出来ました。 アメリカの良い所は仲良くなるとものすごく融通が利くこと。

 その後、同年夏にエンジンのレストアを開始、2000年元旦の深夜11時45分にエンジンは爆音を発し、レストア後の初始動。 当然ながら棟続きの隣家の主人が飛んできました。 
 彼曰く ”コングラチュレーション” (おめでとう)。 普通元旦の夜中に爆音を鳴らしたら ”ウルサイ” と怒鳴り込んで来るはず。 でも ”コングラチュレーション” (おめでとう)
その晩は彼と朝まで片言の英語と彼が持参したシャンペンで飲み明かしました。

 2001年冬は、エンジンルーム後部から室内のコンソールボックスまわりをレストア。
 2002年夏にSUキャブレターからソレックスのキャブレターに変更。 ソレックスを取付ける際に
お世話になった現地修理工場の親父さんはそのうち紹介します。--不思議なレーサーでコレクターです。
 2002年冬は、デフのファイナルギアーを37対10から日本仕様の35対9に、スピードメーターピニオンと共に変更しレストア。
 
 そして2004年3月に帰国。 車は7月に到着し、面倒みたかいがありメーターのキロ表示を追加するのみで車検をパス。 晴れて37年ぶりに マイ フェアレディは帰国を果しました。

写真は当時はデジタルが無く、完成の後の写真等を近日公開します。


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