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東海道五十三次,坂下宿から土山宿 その1:鈴鹿峠越え [ 東海道五十三次]

 
 連日雨が降ったり止んだりの中、先日、東海道五十三次の内の西の難所と言われていた
「鈴鹿峠越え」の亀山市の坂下宿から滋賀県甲賀市の土山宿迄を歩いて来ました。

 鈴鹿峠がどの位きついのか、峠越えの後次の集落迄どの位時間がかかるのか分からない為、
峠超えには十分な時間を確保しようと、前日関駅近くのホテルに宿泊し翌日早めに出発。
 今回は天候の具合から出発日を変更し日曜日になってしまった為、タクシーで前回の終点「坂下宿の岩屋十一面観世音菩薩」前に9時頃到着。
(坂下迄行く公共交通はコミニティバスのみで、日曜日はバスがお休みなのです。)


 鈴鹿峠は、
伊勢の国(三重県)と近江の国(滋賀県)の国境で、標高378mの峠です。
都が奈良盆地に有った頃は伊勢から加太峠を通り伊賀へ抜けるのが東海道だった。 仁和2年(886)伊勢から鈴鹿峠を通って近江に入る「阿須波道(あすはどう)」と称する新道が開かれ、この鈴鹿峠越えが東海道の本筋となった。
 昌泰元年(898)伊勢神宮に下った勅使が山賊に襲われ、又、建久5年(1194)には源頼朝が近江国山中の地頭山中氏に山賊退治を命ずる等、山賊が横行していた峠でもあった。


前回の終点の「坂下宿の岩屋十一面観世音菩薩」前です。 地面を見ると鈴鹿峠を越えた土山宿の「蟹が坂」から出迎えに来てくれたのか「沢蟹」が待っていてくれました。
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十一面観音菩薩前から歩くこと550m、国道1号線と別れ峠への山道を登ります。
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 国道と別れ、5分位奥に入った下写真左側の杉林が「古町」と言われる旧坂下宿です。
 慶安3年(1650)9月の大洪水で旧坂下宿は壊滅、1年後に1km程くだった現在の坂下に宿場を再建しました。 
 前方を歩いている方々はボランティアの方々で、市職員の方々と共に「片山神社」とその周辺の遊歩道をメンテナンスしに行かれるのだそうです。 ご苦労様です。
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上写真の古町から2・3分進むと左に可愛い滝がありました。 
後で分かったのですが、この滝の水は片山神社脇から流れてきていました。
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 小さな滝から4分ほどで片山神社に出ました。

 片山神社は、古くは「鈴鹿明神」「鈴鹿権現」等と呼ばれ延喜式内社に列せられている神社で古代から信仰を集めてきました。 元は二子山に祭祀されていたが、火災により永仁2年(1294)現在地に移された。 尚、今は2002年の放火で昔の社は無くなってしまった。
 旧東海道はこの辺りから「鈴鹿坂八丁二十七曲がり」の急坂が始まり「東の箱根峠、西の鈴鹿峠」と言われた難所であったとの事。
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下写真左が以前本殿があった所(今回のボランティアのメンテで草刈りをされるのでは?)
下写真右が神社内石垣の中段に祀られた本殿の社に相当する祠
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 で、旧東海道は片山神社前の右手からつづら折れの急坂が始まります。
つづら折れの最初の坂道には「鈴鹿流薙刀術発生之地」や1700年から1800年初めの延享,文化,享保年間の灯篭が立っていました。 灯篭坂とも言われている様です。
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つづら折れの急坂には石畳の坂や階段もありました。 下右写真のコンクリート造りの部分は国道1号線の為の施設で、旧東海道は国道下の階段を上ります。
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 片山神社から10分程度で国道1号線の下をくぐり階段を上ると国道と同じ高さの広場に出ます。 
更に下写真の黄色い矢印の所から峠の頂上に向かいます。
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上写真の所から登り始めて2・3分で「馬の水のみ鉢」というものがありました。
昔街道を上り下りする馬の為の鉢で、コンクリート製でなく時代考証して欲しかった。
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 馬の水のみ鉢から3・4分歩いた所に、片山神社からつづら折れが始まって初めて遠くの山々が見える所に出ました。 絶景でした。
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馬の水のみ鉢から10分弱歩いた所で、「鈴鹿峠の頂上」で「鏡岩」との分岐点に出ました。

 一昨年「腰の脊柱管狭窄症」が再発し、その後「強度な狭窄症による痛み」は回復したものの腰や股関節の痛みが発生しており、体力の低下と併せ考えると鈴鹿峠を越えられるか心配でならなかった。 それが、それほど頑張らずに峠の頂上に着いてしまった様です!!!

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 で、余力があった事も有り、田村神社跡の石碑の前を通って鏡岩を見に行きました。

 鏡岩は、三重県の指定天然記念物となっており、岩石の種類は珪岩。
断層が生じる際に強大な摩擦力で研磨され、岩面の一部が青黒色の光沢を帯びた平らな鏡肌(スリッケンサイド)となったとの事。 鏡岩の平らな鏡肌面は縦2.3m、横2m。

 下左写真奥の岩が鏡岩です。 下右写真の岩の中央部分が磨かれた様に平らになっており、これが鏡岩の由来だと思います。
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鏡岩からは国道1号線や向いの山々が見え、絶景でした。 
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 鈴鹿峠の頂上で鏡岩との分岐点迄戻り、猪の豚コレラ菌が拡散しない様にと置かれていた石灰の箱を開け、靴に付け消毒しました。 
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 で、峠の頂上で鏡岩との分岐点から1・2分程歩くと三重県(伊勢の国)と滋賀県(近江の国)の県境でした。
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 三重県との県境から3・4分歩くと小さな公園にひときわ大きな常夜灯が有りました。
「万人講常夜燈」で、江戸時代に金毘羅参りの講中が道中の安全を祈願して建立したものだそうです。 高さが5.44mの自然石で、地元の山中村をはじめ、坂下宿や甲賀谷の人々の奉仕によって出来上がったと伝えられています。
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鈴鹿峠を越え滋賀県に入りましたし、レポートが長くなりましたので中断し、続きは近日中にアップします。


 三重県では、
 愛知県の宮宿から三重県の桑名宿への「七里の渡しの船」が台風で通常10月の予定が翌年3月に延期されたのを始め、石薬師宿では大雪にあう等、毎回天候不順により予定を変更した。
 実は今回も天候を見ながら計画の延期に延期を繰り返し、ようやく10月22日出発の予定でホテルを確保しましたが大雨の予報で23日の出発となり、ホテルは割高で、しかも24日は坂下宿迄タクシーで行く羽目になりました。

 三重県の方々には大変お世話になりましたが、私にとっては大変相性の悪い県の様で、今回無事に滋賀県入り出来てほっとしています。


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