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東海道五十三次 関宿から坂下宿 その2  [ 東海道五十三次]

 先日、東海道五十三次の内「関宿」から「坂下宿」を歩いて来ました。

 前回のブログで、関宿の地蔵院から坂下郵便局迄をレポートしました。
 今回は「鈴鹿馬子唄会館」や「鈴鹿峠自然の家」等のある公園地区から坂下宿本陣や法安寺迄をレポートします。


 坂下郵便局から400m程歩くと、小さ目ではあるが本格的な形をした「天文台」が見えてきた。 ここは亀山市の「市立の天文台 童夢(ドーム)」で「鈴鹿峠自然の家」や「鈴鹿馬子唄会館」等のある公園です。
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天文台の下がY字路になっており、右側の道路には下写真の様に木柱が立っており東海道五十三次の宿場名が京都まで書かれていました。 
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 で、Y字路の右側に入って行くとドーム型の「鈴鹿馬子唄会館」が有り、立ち寄り内部を見学させて頂くと共にお水を頂きました。
「私の記憶では、「関の地蔵院」から「坂下宿終点の前田商店」迄飲み物の売店や自動販売機が有りません!!! これから歩く方は関の地蔵院付近で飲み物の点検を!!!

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 馬子唄会館の向いには「鈴鹿峠自然の家」がありました。
ここは昭和13年に建てられた「坂下尋常高等小学校」で昭和54年3月に廃校となり、坂下公民館等に活用され、現在は青少年の研修施設「鈴鹿峠自然の家」として活用されています。
平成11年国の登録有形文化財(建造物)に登録されています。
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 馬子唄会館から下写真の様な静かな山間部を600m強歩くと「坂下宿」の集落に着きます。

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 坂下宿は、
 古くは1340年頃からお伊勢参りの書物等に記されており、又、東海道の西の難所「鈴鹿峠越え」の登り口だった為、室町時代には既に宿場として機能していた様です。
 しかし、慶安3年(1650年)の大洪水で現在の片山神社下にあった宿は壊滅、翌年1km程下った現在の位置に移転復興されたとの事。 江戸時代後半には下記3軒の本陣と下記の脇本陣1軒、そして48軒の旅籠が有る等東海道でも有数の宿場だった様です。
 明治23年(1890年)関西鉄道が開通し旅人の往来は激減し、今は過疎化が激しい地区となってしまいました。


 下写真のお茶畑には、その昔大変栄えた本陣が3軒並んでいました。
(橙色の矢印が本陣跡の石碑)
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 上写真橙色矢印の本陣は、奥から「松屋本陣」「大竹屋本陣」「梅屋本陣」です。
尚、松屋本陣は「坂下集会所」の所で、コミニティバスの終点「伊勢坂下」バス停です。

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 で、右側の法安寺の先には「小竹屋脇本陣跡」の石碑があり、更に350m程進むと右側に祠があり中にはお地蔵さん。  鈴鹿峠を安全に通れる様にと願い古人が祀られたのだろう。
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 朝6時20分頃に家を出て、11時半頃関西本線の関駅に到着し、歩き始めて約7km、寄り道の多い私でしたが15時頃に坂下宿に到着。 関駅に戻るコミニティバスの最終は午後16時5分発だった為ゆっくりと法安寺さんを見学させて頂きました。

 坂下宿の「法安寺」は永正2年(1505年)に釈迦牟尼を本尊をとして開創されました。
法安寺の山門は細工瓦が見事です。
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正面が本殿、右が庫裡(クリ)
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下写真の庫裡の玄関は旧松屋本陣の玄関を移築したもの との事。
 明治15年4月坂下小学校改築の際に松屋本陣の玄関を小学校校舎の玄関に移築、その後昭和13年4月小学校が沓掛地区に移転しましたが、保全されてきた。 文化財として希少価値があるとの事で法安寺の庫裡の玄関にと昭和35年10月移築されました。
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 法安寺から歩く事550m、岩屋十一面観世音菩薩に着きます。
岩屋観音は、法安寺の境外地にあり、元禄時代に阿弥陀如来・十一面観音・延命地蔵の石像を祀られたとの事。 写真右側の黒い扉がお堂への入り口です。
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 お堂は閉じられ、石像は拝観できなかった。
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 15時50分頃に坂下集会所のバス停に戻り、コミニティバスの最終16時5分に乗って関駅に戻り、亀山駅近くの宿に入りました。


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東海道五十三次,関宿から坂下宿 (その1:鈴鹿川の橋は丸太橋だった) [ 東海道五十三次]

  
 先日、東海道五十三次の内「関宿」から「坂下宿」を歩いて来ました。

 関宿は下記ULRで今年5月末と6月初めにレポートした様に静かで江戸時代を思わせる歴史的な景観地区です。 古い街並みに興味のある方は必見です。
 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-05-29
 https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2019-06-04


 で、今回も早朝6時20分に家を出て名古屋経由で亀山市の関駅には11時20分に到着。
途中新幹線を使っても5時間もかった。 ずいぶん(♬思えば)遠くへ来たもんだ !

 で、前回の終点「関地蔵院」から旧東海道を歩き始めます。
 (関地蔵院は、国内最古の地蔵菩薩で 741年、奈良東大寺の僧行基が、流行していた天然痘から人々を救うため、この関の地に地蔵菩薩を安置したと伝えられています。)
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 地蔵院を過ぎても 格子の古い建物は続き、地蔵院から約100mで田中家の前に出ます。
田中家は代々「醤油醸造業」を行っており、建物は大正時代初期の物です。
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 格子の家並みを見ながら550m程歩いた所に観音院がありました。
 観音院は古くは福聚寺(ふくじゅうじ)と言われ嵯峨天皇の時代(820年)の開創だそうで、中世(12~16世紀)にはこの地の豪族関氏の祈願時として栄えたそうです。
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 そして、更に100m強歩いた所に「関宿西の追分 休息施設」に到着しました。
ここが実質的な関宿の西のはずれであり、「亀山市関宿重要伝統的建造物群保存地区」の終点です。 休息施設の内部には畳の休息室や関宿の説明掲示物がありました。
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 休息施設からなだらかに左カーブを下って行くと「西の追分」に出ます。
追分とは分かれ道の事で、ここは左に行くと「大和道」真っすぐは「東海道」となります。
今風に言うと、ここは国道1号線の「新所町交差点」で左に曲がると「国道25号線,奈良方面」真っすぐは「国道1号線,京都方面」となるのでしょう。
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新所町交差点からは国道1号線を歩きます。
 で、新所町交差点から500m弱、市瀬の交差点を過ぎた所の左側駐車場内に「転び石」と言う直径2m程の大きな石がありました。
 この石は、「東海道名所図会」等にも描かれており、「弁慶ころがし」とも言われ、言い伝えによると「付近の山から転がり落ちてきたもので、夜な夜な山に戻りたいと唸り声を出して人々を恐れさせたが、通りかかった弘法大師様がこの石を供養したところ、石は静かになったと伝えられている」との事。 (なんでも弘法大師が出てくる様な気が?)
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 更に歩き、新所町交差点から700mの所で1号線から右に曲がり、鈴鹿川沿いを歩き160mで鈴鹿川を渡ります。 下写真は橋から上流方向を見た所で、ここから時々鈴鹿川の渓谷を見ながら鈴鹿峠に向かって、上り坂と感じない程ゆっくり登って行きます。
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 更に旧道を50m程行くとT字路にぶつかり右に曲がって行き、道なりに少し進むと国道1号線にぶつかります。 1号線を斜めに横切り下写真濃い矢印の方向に歩きます。
写真左の灯篭は誓願寺さんの前の物で、その向かいには小さな祠と中にお地蔵さんが。
(関の地蔵院さんの様な大きな施設もこの小さなお地蔵さんも同じ様に旅人を見守ってくれているのでしょうね!!!)
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 国道1号線を横切って旧道を道なりに歩くと約250mで再び1号線にぶつかり、今度は1号線を歩きます。 1号線を歩き続け750m、右側に入る2つ目の路地の所で少し入った所に筆捨山の掲示板がありました。
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 更に歩くと国道1号線が左急カーブになっており、小さな集落がありました。 歌川広重の「坂下宿」はこの辺から筆捨山を描いたのではないかと思います。
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 国道1号線を歩き始めて1.2km、1号線の左側に一里塚がありました。 ここの塚は江戸から107番目「一ノ瀬の一里塚」と言われ、旧東海道を歩いた先人達のレポートでは笹やぶの中に塚が立っていましたが、今回は綺麗に刈り取られていました。
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 一里塚から100m弱で再び国道1号線と別れ、右の旧道に入って行くと約100mでコミニティバスのバス停「楢の木」に、更に進み約800mで「超泉寺」の山門を右に見てその先にはコミニティバスのバス停「沓掛」が有りました。 そして1号線を別れて約1100mで「坂下郵便局」に出ます。

一里塚から100m、国道1号線からの別れ道,黄緑丸内は旧東海道の案内板
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「超泉寺」の山門
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坂下郵便局のある沓掛の集落の入り口には、鈴鹿川に丸太橋が掛かっていました。
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坂下郵便局前
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 長くなりますので、取り合えずここでレポートを中断し、次回続けてレポートします。

 尚、郵便局の先は坂下宿の集落となります。


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ジャガーEタイプ, ワイパーブレードのゴム交換 [ Eタイプ 内・外装,電装の修理]

 
 私のジャガーEタイプはレストアが完了してもうまる8年。

 先日レポートをした「ボールジョイントのダストカバー」もそうですが、樹脂部品やゴム部品等の経年劣化が進んでおり、ワイパーのゴムも同様に劣化して切れてしまいました。

黄緑矢印の先の隙間が切れてしまった部分
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 ワイパーブレードのゴム部分のみを交換出来ればと思い、東京のジャガーの部品屋さんに確認した所ブレードアッセンブリーの販売となり、ゴムのみの販売はしていないとの事。

 近くの自動車用品店を確認した所、ゴム部品のみ,ゴムに裏板をセットした部品 及びブレードアッセンブリーの3段階の組み立て状態で販売されていました。 

 で、ワイパーブレードの端末についているストッパーを外して、分解・組み立て手順や形状を確認してみた。
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 私のジャガーに付いていたブレードのゴムは下写真の様な断面形状で、近くの自動車用品店の販売しているゴムとは若干違っていました。

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 で、自動車用品店の部品を購入し、下写真の様に一部をカットして使用する事にしました。

 一部分のカットはゴム部品にワイパーブレードの裏板を組み付け、下写真の様に万力に軽くセットし、カッターナイフでカット、

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ジャガーのブレードに組み付けました。

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3本のワイパーが完成です。
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ジャガーEタイプ シートの左右入れ替え [ Eタイプ 内・外装,電装の修理]

  
 ジャガー Eタイプも車検を取って8年。 ドライバー側(左側)のシートの本革表皮は使用感が出て、新品の感覚が無くなってきた。
 そこで、使用頻度の少ない右側アシスタント用のシートをドライバー側に移して片側だけが劣化していくのを防ごうと考えた。


 この車は左右共用設計のはず? 日本製だったら外して左右を入れ替えてねじを締めるだけだろう。 が、現実にはこの車はイギリス製、多少の追加工は覚悟していた。

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 左の椅子を右のシートレール上においてみると5~20mmも穴位置が違っている様にみえた。 右の椅子も左に置くと同じように違っていた。
 で、ハンドドリルとヤスリで取付け穴を加工した所予想よりはるかに大変で、全ての穴を
20~25mmの長孔に加工してやっと左右とも入れ替える事が出来た。

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 やれやれと思いドライバー席に座って運転操作をしてみると、椅子を一番前に出しても
クラッチペダルを一番奥まで踏み切れない。
いくら私が胴長短足とは言えクラッチを踏み切れないのでは安全な運転が出来ない。
尚、従来左についていたシートは一番前の位置でクラッチもブレーキも十分に踏み切れた。

 見た感じでは椅子の何処の寸法が違っているのか分からないが、結果としてシートバックの位置が15mm位違っている様でした。
(シートフレームの穴位置やフレームと車の床との位置関係も大きな差はないのでシートバックの角度違いだろうか? それとも各部の小さな寸法違いの積み上げだろうか?)


 で、シートバックのセンターにクッションを追加して、椅子に座布団をあてる様な効果を持たせようと計画した。

 で、シートバックのセンターを外し、下写真左の黄色いテープより上に10mmの硬めのウレタンシートを追加する事としました。 シートバック センターを分解しウレタンを追加しようとした所表皮の寸法が足らなくなり、結局新たに表皮を縫製しウレタンを挿入しました。
シートバックセンターは下右写真シート本体の矢印位置に取り付きます。

シートバックセンター           シート本体      
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 上記で、シートバックセンターに10mm追加した結果を写真を撮ってみたが若干盛りあがっている様に見えますが一見しただけでは分かりません。
座った感じは、着座位置が約10mm前に出た事により何となくお尻部分が盛り上がった感じで"落ち着き感"が劣る様です。
で、目的のクラッチペダル迄の距離は予想通り10mm程度変化した様で、クラッチを踏み切る事が出来ました。


左側に移したシート
(シートバックセンターに10mmのウレタンを追加した椅子)
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右側シート(従来左のドライバーシートだった椅子)
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 やっとの事左右共用風の椅子になりました!! 
当初左右共用と考え改造に取り掛かったが、本当に共用だったのだろうか???!!!
穴位置を見ると右によっているとか左によっているとか規則性はなかった。

 まァ~改造は終わったので、これからは数年に一回左右のシートを入れ替え、片側だけが劣化するのを防ごうと思います。 




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