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中国地方にツアー旅行 その1 倉敷美観地区と姫路城  [ 旅行 関西以西]

 
 9月16日からJTBのツアーで中国地方の旅行に行ってきました。
 ツアーの添乗員さんもおっしゃっていましたがまさに"弾丸ツアー"でした。

 旅行日程は 岡山まで新幹線で行き、倉敷美観地区、そして姫路城を見学、大山地区に宿泊。 翌日は足立美術館,出雲大社そして萩に移動し多くの偉人宅跡や松陰神社(松下村塾)を見学,萩に宿泊。 3日目は津和野を見学し、宮島で厳島神社を見学し岡山に戻り新幹線で帰路に!!!

 下地図に行程を書いてみましたが、とにかくすごい弾丸で、中国地方で行ってみたい所ほとんどに行った様な気分になりました。
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 で、今回のブログでは倉敷と姫路城をレポートします。


 ツアーの出発は東海道新幹線東京6時50分発の列車で、私は朝5時過ぎに家を出て新横浜に。 友人の中にはローカル線始発で新幹線駅に来た者も。 私も友人達も乗り遅れないかとひやひやしながら移動、何とか無事全員ツアーに合流。


 岡山に着き、直ぐにバスに乗り倉敷美観地区に!
 美観地区の入り口「今橋」は、大正15年摂政宮殿下(のちの昭和天皇)が訪れるのを記念して菊の御門(矢印先)を描き作られました。
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美観地区の景観
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大原美術館
 もう昔の事ですが、お客様の都合で自動車の点検・調査を深夜に行い、空き時間の昼間にここに来て入館、展示品を拝見した事がありました。 今回は外観のみの見学です。
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大原美術館の新館
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この他、高砂橋近くのデニムストリートには「児島ジーンズ」さんもありました。
児島ジーンズさんのホームページ http://eshop.kojima-genes.com/



 倉敷美観地区を一回りした所で、バスに乗り「姫路城」に移動。


 姫路城の始まりは、1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)赤松貞範による築城とする説が有力で、『姫路城史』や姫路市ではこの説を採っています。
 戦国時代後期から安土桃山時代にかけて黒田重隆や羽柴秀吉が城代となったのち、関ヶ原の戦い後に城主となった池田輝政によって更に大きな城郭へ拡張されました。
 姫路城の天守は、江戸時代又はそれ以前に建設された現存12天守(弘前城,松本城等々)の1つでもあります。 12城の紹介記事;https://ja.wikipedia.org/wiki/現存天守
昭和に入ると2度の空爆被害もありましたが、焼失を免れ、4年前には漆喰の修理を終えて真っ白な「しろすぎ城」が公開されました。


観光バスで約2時間、西の丸側の駐車場に到着し、桜門橋から城内に入って行きます。
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そして、ひろ~い三の丸広場の脇を歩いて行くと、入場券売り場と入場ゲートです。
入場し直ぐに左に曲がると「菱の門」でした。
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案内板に従って進み「ろの門」の手前で天守方向を見ると石垣がそびえたっています。
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 更に進み、天守に近ずくに従い門や通路の幅も狭くなり「にの門」,『水の二門」でも下写真の様に狭くなっています。
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天守の最初に入った所は地階で、各階には下写真の様な解説図面が掲示されていました。
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江戸時代以前そのままの内部は、薄暗く階段は急ですが、太い柱や梁は重厚そのものでした。
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壁一面に槍が並んでいたであろう武器の棚もありました。
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で、天守からの風景は、姫路の街を一望する物でした。
姫路駅方向
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西の丸から男山方向
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天守からの帰路は「備前丸」から「お菊井戸」を通って、三の丸跡方向に出てバスの駐車場に!
姫路城の駆け足見学は時間的にここ迄でした。 もう少し見たかったなァ~~~


で、すぐに山陰の「ロイヤルホテル大山」に直行。
このホテル、食事が美味しかったですよ。
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