日産の初代フェアレデーはアメリカ向け1960年型 SPL212 だった [フェアレディ(SRL311)]
先日、日産自動車の座間工場にある 「日産の歴史的な車」 の展示場を見る事が出来ました。
私はその時まで初代 フェアレディ (FAIRLADY) はSP310・SR311シリーズ とばかり思っていた。 下写真がSP310
所が、初代フェアレデー (FAIRLADY) は、SP210シリーズの 下写真の様な 左ハンドル スポーツカー SPL212, SPL213 だった。
元々は右ハンドル車のダットサンスポーツ 1000(SP211) として1957年11月に試作車が発表され、1958年10月のモーターショーに出品。 20台製作されたと言われている。
このダットサンスポーツのボディはFRP製,4座シートでした。 エンジンは 988ccだった。
1960年1月に上記ダットサンスポーツをマイナーチエンジして、北米向けに左ハンドル車を発売した。 しかも名前を フェアレデー1200 (FAIRLADY 1200 ) と改名していた。 私は、この左ハンドル車もダットサンスポーツとばかり思っていた。
(フェアレデーの名は ミュージカル 「マイ・フェアレディ」 から頂いた名。)
この北米向けフェアレデーのボディはFRP製からスチール製に変更され、エンジンも1189ccにした事で45馬力、最高速度は132km/hとなった。
SPL213のリアービュー
SPL213の室内 フォーシーターの為リアーシートもあった。
で、お気づきでしょうか?
SPL212,SPL213はフェアレデー,SP310シリーズはフェアレディと書いたのが。
日産は ”FAIRLADY” を SPL212・213 の時はフェアレデーと表記し、SP310シリーズからはフェアレディと表記する様になりました。
ちなみにSP310シリーズの国内向け車はフェアレディと言いましたが、輸出用 左ハンドル車 SPL310,SPL311,SRL311は、DATSUN SPORTS (ダットサンスポーツ) と言う名前でした。
なんかややこしい。 この頃日産は、北米で知名度を上げるにはどんな名前がいいか悩んでいたのでしょうかね。
私がアメリカで乗っていたSRL311車のエンブレムや修理マニュアルにも DATSUN SPORTS と書かれていました。
修理マニュアルは下記ページを参照願います。
http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2006-11-16
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