SSブログ

東海道五十三次,滋賀県の水口宿から石部宿 (その1) [ 東海道五十三次]

  
 東海道五十三次を歩くのは、コロナ過で2020年2月から約2年半中断しています。

 しかも、石部・草津・大津の3宿場と、大津宿から京都三条大橋迄歩けば完歩です。
後ほんのちょっとの所で足止めなんです!!!
何とか再開したいとはやるを気持ちを押さえて来来ましたが、近々再開したいと思っています。


 実は前回歩いた2020年2月5日には水口宿から石部宿に向かって、JR三雲駅迄歩いていました。 東海道歩きを再開するにあたって、前回歩いた分をレポートしておこうと当時を思い出しながら記事を書きました。


 2020年2月4日の夜は「HOTEL NEW MIFUKU」に宿泊。
 2月5日朝は、ホテルを出て2・300m歩き綾野天満宮で一日の安全を祈願して、水口城に寄り道しましたが、

blogDSCN0044.jpg


 お城の内部は10時から開館との事で見学は諦めました。

 水口には水口岡山城があったが、関ヶ原の戦いで城主の長束正家(ナツカ マサイエ)は西軍につき自害、お城は廃城となった。 江戸時代に入り水口は、徳川の直轄地となり東海道の宿場町に指定された。
 3代将軍徳川家光が寛永11年(1634年)京都への上洛の際の宿として水口城を築き、城内には京都二条城の御殿を模した豪華な御殿が築かれた。 その後天和2年(1682年)に加藤明友が2万石で入城し、水口藩が成立した。
水口藩は、歴代、同城を幕府から借りている城として管理し、本丸御殿は家光上洛以後使われる事はなく正徳年間に解体され空き地のまま明治を迎え廃城となった。

blogDSCN0053.jpg



 東海道歩きに戻って、お城近くに「小坂の水口石」と言う力石がありました。

blogDSCN0061.jpg


 水口石から百軒長屋跡(下写真)の前を通り、400m歩き五十鈴神社に出ました。 この五十鈴神社前角には江戸から113里(452km)の一里塚「林口一里塚」がありました。
 百軒長屋は水口藩の下級武士の居宅だったものです。 五十鈴神社には「林口の勧進縄」がしめ縄の様に張ってあり、その説明板もありました。

百軒長屋跡                  
blogDSCN0064.jpg
 
五十鈴神社
blogDSCN0067.jpg blogDSCN0065.jpg


 五十鈴神社を出て左に曲がり最初の信号を右に曲がって270m進むと「酒蔵の美冨久」に到着。 甲賀地域は滋賀県の酒造の約1/3が集まっているそうです。 ちなみに私は下戸。
 酒屋さんの隣は「柏木神社」の鳥居で、約300m奥の方に神社が有る様ですが体力や時間を考慮し先を急ぐことに。

blogDSCN2543.jpg blogDSCN2545.jpg



 所で、この道は北脇縄手と言われていた所で、以前のレポート「東海道五十三次,滋賀県の土山宿から水口宿 (その2)」で書きましたからくり時計から泉川の河原屋敷橋Y字路交差点を左に曲がる迄の 4.0km真直ぐな道が続きます。
「東海道五十三次,滋賀県の土山宿から水口宿 (その2)」
   https://hisashi1946.blog.ss-blog.jp/2020-02-23

blogDSCN2546.jpg


 で、柏木神社の鳥居から歩く事約250m、「北脇縄手と松並木」の石碑がありました。
歌川広重の水口宿の「干瓢を干している絵」はこの付近の風景との事です。

blogDSCN2547.jpg blogDSCN2548.jpg


 「林口一里塚」から約30分1.2kmで甲賀市柏木小学校や柏木公民館前に出ました。

 この北脇縄手には下右の様なお地蔵さんが屋根付きだったり屋根無しだったりするが、何ヶ所にも祀られていました。

下写真は公民館前の半鐘と北脇縄手のお地蔵さん
 火の見櫓には半鐘を撞く為に櫓を登っている人が! (人形でした。)
blogDSCN2556.jpg blogDSCN2551.jpg



 柏木小学校から1.5km 休みやすみで約30分、泉福寺と言うか日吉神社に出ました。
このお寺さんと神社さんは一見一つの敷地に建っている様でした。
(明治時代に神教分離で今は寺と神社は別々になっていますが、江戸時代までは一体の所が多く、ここは下の説明にもある様に「寺の守護の為の神社」が多かった様で、無理に分離しなくともよかった様に思います。)

blogDSCN2564.jpg blogDSCN2567.jpg

blogDSCN2568.jpg blogDSCN2565.jpg


 泉福寺でゆっくり見学や休息を取り、その後歩く事約5分,300mで「泉川の河原屋敷橋Y字路交差点」に出ました。 多分ここ迄が「北脇縄手」でしょうね?
そしてY字路の橋を渡り、約100mで114個目の一里塚「泉の一里塚」に出ました。 

blogDSCN2571.jpg blogDSCN2572.jpg


 一里塚から道なりに歩く事100mちょっと 数分で「横田渡跡」に出ました。
横田渡しは、昔はこの辺りの野須川を横田川と言われていた為に「横田渡」となった様で、江戸時代に整備された東海道では東海道十三渡しの1つとして重要な渡しでした。

blogDSCN2574.jpg

 ここの大な常夜燈は地元や京都・大阪の万人講の方々による寄進で1822年に建てられましたが明治以降の水害等で一部形状が変わっているとの事。 横田渡しは明治24年に板橋がかけられたとの事。

blogDSCN2577.jpg bloggDSCN2579.jpg



 横田の渡しで右に曲がり約500mで和泉西交差点で国道1号線と合流。 
 私は、交差点を横切り、1号線の右側歩道の様な道路を400m進み、国道の下をくぐると朝国交差点に出ました。 ここで交差手を横切り、横田橋を渡ります。

横田橋で野須川の南方向をのぞむ。       横田橋で三雲側から振り返って見た。
blogDSCN2584.jpg blogDSCN2585.jpg


 横田橋の三雲側で歩道の階段をおり、左に曲がった所でこの時の東海道歩きは終了とし、三雲駅にむかいました。 
blogDSCN2588.jpg




そして 2年半!!!!!!!!!!!   長かった中断!!!
今月予定の東海道歩きは三雲駅側の「横田渡の常夜灯」の見学から歩こうと思っています。


===================================================================

何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ           にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ          にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ


nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 7

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。