東海道五十三次 石薬師宿 から 庄野宿 [ 東海道五十三次]
先日、東海道五十三次の内石薬師宿から関宿迄を歩いて来ました。
今回はその内の石薬師宿から庄野宿迄をレポートします。
今回は、朝8時過ぎに家を出て新幹線で名古屋駅へ、そして桑名駅迄行き、近鉄名古屋線に乗り換え伊勢若松で近鉄鈴鹿線に乗り換え終点の平田町駅に13時過ぎに到着。
(石薬師宿に近いJR線は関西本線の加佐登駅や河曲(かわの)駅ですが共に無人駅で、近鉄平田町駅は三重交通のバス路線やタクシーもあり割合便利な駅です。)
近鉄鈴鹿線 平田町駅 バスもタクシーもあります。
食事をとった後、タクシーで石薬師宿の佐々木信綱記念館前に行きました。
前回1月26日は亀山宿迄歩く予定が「大雪」でここで東海道歩きを断念。 ちょっとした決断の遅れでバスにも乗れず、雪の中、国道1号線を黙々と歩き加佐登駅迄行き亀山のホテルに着きました。
前回の佐々木信綱記念館 すごいボタン雪でした。
(前回のブログ記事 https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-14)
そして今回の記念館 今回はこれ以上ない快晴!!!
そして歩き始めました。
今回は何となく股関節がスムースでない様な! 腰痛持ちなので何が起きても不思議はない。
記念館から県道115号線との交差点を過ぎ道なりに行くと「高富山瑠璃光院石薬師寺」の名前からとった国道をまたぐ「瑠璃光橋」に出ました。 「瑠璃光橋」の先に宿場の名前となった「石薬師寺」の看板も見えます。
看板の脇を入り(実はここは裏門でした)奥に進むと本殿が。 お参りして、住職さんに御朱印を書いて頂きました。
本殿の前をまっすぐ進み左に出ると、正門です。
正門を出た所に「石薬師寺」の由来と広重の石薬師宿の絵が掲示されていました。
(クリックすると大きく表示されます。)
石薬師寺から道なりに400m程歩き、才石川を渡ると「石薬師の一里塚」に出ます。
ここの掲示板によると、「天文9年(1540年)足利将軍が40町(1町は109m)を1里として一里塚を築かせたとの事。 しかし、慶長9年(1604年)2月徳川秀忠が東海道・東山道・北陸道に一里を36町(約3927m)に改め、一里塚を築かせたとの事。」
背景の電車はJR関西本線 亀山行です。
一里塚の前を左に曲がり、JR線下のトンネルをくぐり出た所で、すぐに右に曲がり線路下を歩きます。 この辺りはのどかな田園地帯、田植えのこの季節になると私の田舎と同じような風景に懐かしさを覚えます。
そして350m程歩き国道1号線の下をくぐり「椎山川」沿いに100m程歩き左側の橋を渡り、田んぼの中の農道の様な道を行き、350m程で国道1号線に出ます。
国道を500m強歩くと「最も [恨めしい] と言うか [悔しい] と言うか [もう少しと安どした所] と言うか」 何とも言葉にならない場所「加佐登の交差点」に出ました。
(1月26日四日市から歩き、石薬師で大雪に会い、バスにも乗り遅れ、ただただ近い駅にと黙々と国道を歩き加佐登駅に向かった時の交差点です。)
加佐登の交差点を超え約国道を750m、庄野町北の交差点で右折して国道とわかれます。
少し行くと、左角に庄野宿入り口の石碑がありました。
庄野宿についての説明掲示板もありました。 (クリックすると大きく表示されます。)
庄野宿は江戸から102里との事。 日本橋から400kmとちょっと歩いた事になります。
庄野宿入り口から約350m、旧小林住宅跡の庄野宿資料館に出ました。
残念ながらこの日は休館日でした。 (休館日 月・火曜日,第3水曜日,年末年始)
7・80m歩くと右側の民家の壁に「問屋場跡」の表示があり、更に100m程歩くと沢田本陣跡です。
本陣跡脇の道路を挟んで隣には「高札場跡」の表示が、そして「脇本陣跡」や「郷会所跡」等の説明掲示板が次々と見つかりました。
で、本陣跡から約200m、川俣神社のスダジイを見学。
三重県の天然記念物で、樹齢300年,樹高11m,幹回り5mとの事。
そして、本陣跡から400m、庄野宿の出口の石柱がありました。
で、歌川広重の庄野宿(下絵)に相当する所は何処か考えながら歩いて来ましたが見つからず、街道を歩きながらの私には下右写真がせい一杯でした。
石薬師宿の佐々木信綱記念館から約4km。 今回は股関節の具合も手伝ってかとにかく疲れました。 しかし、ここでリタイアするわけにはいかず、亀山宿を目指し歩きつ続ける事にしました。
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