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東海道五十三次 鳴海宿(名鉄の桜駅)から宮宿 その2 [ 東海道五十三次]

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 昨年3月頃に再発した腰痛も大分回復し、先日名古屋市緑区の有松から鳴海宿を経て宮宿迄を歩きました。 前回のブログでは鳴海宿から名鉄の桜駅迄をレポートしました。
で、今回は名鉄の桜駅から宮宿迄をレポートします。
有松から鳴海宿迄のページ   https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-10
鳴海宿から名鉄桜駅迄のページ https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-19


 熱田区伝馬町のホテルを出て名鉄の神宮前駅から桜駅に戻り9時頃から歩き始めました。

 桜駅から350m位の所の「地蔵院(湯浴地蔵)」の前に東海道と書いた石碑があり、その石碑には「鎌倉街道」とも書いてありました。
(神奈川県には「鎌倉街道」は多数ありますが、名古屋にまであるとはちょっとびっくり。)

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地蔵院から約250m歩くと右側に「熊野三社」の鳥居と「東海道の石碑」が。

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 更に100m程歩くと左側の料理屋「いずたま」さんの前の「東海道」の石碑には「山崎の長坂」とあり反対の面には「山崎城跡・安泰寺」と記されていました。

 この付近に住んでおられるお年寄りの方に教えて頂いたのですが、この道路の下には昔の「鉄道の線路」が埋まっているのとの事。 この鉄道は、当時小高い丘になっていた山崎城址を切り崩して鉄道を通す為の合意が出来ず、仮設した鉄道との事でした。
(帰宅後色々とネット検索してみましたが仮設鉄道の確証は見つからなかった。 ただ、教えてくれた方は道路工事の時に線路を見たそうで、線路がある事は間違いないと思います。)

この道路の雰囲気からはとても鉄道が埋まっている様には見えません。

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 「いずたま」さんから約300mで山崎川(下段に写真あり)を渡り、山崎川から更に600mで名古屋高速3号大高線との交差点「松田橋」に出ました。 高速の陸橋下に小さな公園がり「昔の松田橋の親柱を使い松田橋を復元した」とありました。
 尚、私には下右写真の下側の古地図を今の地図に当てはめて見る事が出来ず残念で今も気になっています。(写真をクリックすると大きく表示されます。)

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 松田橋の交差点で国道1号線と合流し、約350m歩き「内浜交差点」で国道1号線の左側側道に入り更に約350m、JRの東海道本線の踏切を渡り、踏切と隣接した交差点を斜め左に入って行きます。 踏切から約200m、新堀川の「熱田橋」に到達。

 熱田橋ではボランティアで水質検査をされている方々(下左写真歩道中央の方々,緑矢印の先)に出会いました。
 少し前に渡った山崎川もこの新堀川も濁っており、川底は真っ黒(ヘドロとの事)。
今回で日本橋から愛知県迄を完歩しましたが、この二つの川が最も汚い様に感じた。
私が歩いた季節や天候,潮の満ち引き等の巡り合わせが悪かったせいなのか??? 

熱田橋                          水質検査をしている方々
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熱田橋の手前1.4km,呼続の近くの山崎川。 白く濁り、川底は真っ黒!
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 新堀川の熱田橋から約200m、名鉄常滑線のガードをくぐると「伝馬街園」と言う小さな公園があり、宮地区を説明した掲示板(下写真黄色矢印)がありました。
青矢印の所は下記の「姥堂」,緑矢印が今回宿泊したエクセルイン名古屋熱田ホテル

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 伝馬街園から約50m、姥堂に裁断橋址と都々逸発祥之地の石碑がありました。
下写真の2階には姥像の複製(戦災で焼失後、1/2の大きさで複製)が安置されています。

「裁断橋」は、ここのすぐ東に流れていた精進川に架かっており、「裁断橋」を渡ると「宮宿」だったそうです。
 「裁断橋」の由来は、天正18年(1590年)、18歳になる我が子堀尾金助を小田原の陣で亡くし、その菩提を弔う為に母は橋の架け替えを行った。 33回忌に再び架け替えを志したが母はそれを果たせず亡くなり、養子が遺志を継ぎ元和8年(1622年)に完成した。
 大正15年には川は埋立られ橋の擬宝珠(ぎぼし)は道路わきに保管されていたが、今は市指定の文化財として市の博物館で保管。 下写真黄緑矢印の先が複製の擬宝珠。

ウイキペディアによると、
 裁断橋の擬宝珠に彫られた仮名書きの銘文は、日本女性三名文のひとつに数えられている。
「てんしやう十八ねん二月十八日おだはらへの御ぢん、ほりをきん助と申す十八になりたる子をたゝせてより、又ふためとも見ざるかなしさのあまりに、いま此はしをかける事、はゝの身にはらくるいともなり、そくしんじやうぶつ給へ、いつがんせいしゆんと、後のよの又のちまで、此かきつけを見る人、念仏申給へや、卅三年のくやう也 」
ウイキペディアのページ https://ja.wikipedia.org/wiki/裁断橋
下記のページに複製擬宝珠の写真がありました。
   www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/saidanbashi-photopage01.html

 都々逸発祥の石碑は下写真黄色矢印の先で、宮前の飯盛り女の中から後に「どどいつ節」が生まれたとの事で江戸でも評判になるほど広く愛唱されたと言われる。
都々逸についてのウイキペディアのページ https://ja.wikipedia.org/wiki/都々逸

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姥堂と裁断橋の説明板 写真をクリックすると大きく表示します。
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 実は、姥堂の前が宿泊したエクセルイン名古屋熱田ホテルでしたので、ホテルに再び入りクーラーのしっかり効いたロビーでゆっくり休息させて頂きました。


 ホテルで英気を養って、再スタートです。

 姥堂前の道を真っ直ぐに姥堂から400m、突き当りにほうろく地蔵がありました。
(ほうろく(焙烙)とは:茶葉・豆・ごま・塩等をいるための素焼きの浅く丸い皿形の土鍋。)
右写真がここのほうろく地蔵の由来です。
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 ほうろく地蔵の前には、熱田伝馬町の西端に当たるそうで、東海道と美濃路(又は佐屋路)の分岐点を示す石碑(黄緑矢印)がありました。 詳細は下右の説明板を参照願います。

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 ほうろく地蔵の前を左折して直ぐに国道247に到着。 歩道橋を渡って、

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(うな丼の様な)ひつまぶしで有名な「あつた蓬莱軒本店」を横目に見ながら歩く事200m、
今回の終点であり、愛知県最後の旧東海道 宮宿の「7里の渡し」に到着です。

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 熱田神宮の西門から神宮を横切る様に歩き、名鉄名古屋本線の神宮前駅から帰宅の途に!
熱田神宮西門
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 今回で愛知県内の旧東海道を完歩!!!

 秋からは三重県だ!!!

 たまの旅行の様にその地域毎の名所旧跡を見学し、その地方の美味しいものを食べて!!!


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