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静岡県伊豆の国市の韮山反射炉と江川邸, その2 江川邸 [ 旅行 東海]

 
 先日伊豆の国市の韮山反射炉を見学した後、約3km北に行った所に「江川邸」があり、ここも見学してきました。

 江川邸は反射炉を作った江川英龍・英敏親子の邸宅であり、現在も40代当主とその家族がお住まいになっておられます。
現在の邸宅はNHK大河ドラマ「西郷どん」や「篤姫」の撮影にも使われました。

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 江川家は現在の当主が40代と言う様に歴史のある旧家で、その概略は下記の様です。
  江川家のホームページ  http://www.egawatei.com/
ウィキペディアの江川太郎左衛門のページ https://ja.wikipedia.org/wiki/江川太郎左衛門


 初代は大和源氏の祖とされる源頼親(みなもとのよりちか,1000年頃)で、初代は大和守となり、大和国(奈良県)に勢力を築き以後「宇野」を姓として8代迄は大和国に居りました。
 9代宇野親信(うのちかのぶ)が、従者と共に伊豆のヤマキと呼ばれた現在地に移住。
 16代英親(ひでちか)が1261年日蓮に出会って改宗し、以後今日に至る迄熱心な日蓮宗の家となりました。 日蓮が滞在した時に家屋の改築中で「この旧家がなお繁栄する様に」と棟札を送られたとの事。

 「江川」姓への改姓も21代英信(ひでのぶ)のあたりらしいのですが、それ以前にも人が江川殿と呼んだ様ですし、なぜ江川という名になったのかも、説が分かれています。
 23代英住(ひでずみ)が北条早雲の家来となり(1493年頃)、以後、後北条氏に約100年仕えたました。
 しかし、豊臣秀吉の小田原攻めの時に、28代の江川英長(ひでなが)が、徳川家康に仕える事になり、代官に任ぜられ、以後明治に至るまで、代々“お代官さま”となりました。

で、江戸末期の韮山反射炉を作った江川英龍・英敏は36代・37代に当たります。


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 江川家の家系図です。   画像をクリックすると拡大します。
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 また、江川家の邸宅も古く、重要文化財となっています。
現在の家屋の主屋は室町時代(1336~1573)頃に建てられた部分と、江戸時代初期頃(1600年前後)に修築された部分とが含まれています。
 江戸時代後期には、有名な江川英龍の父江川英毅により、玄関部分の改築や書院の整備が行われ、旗本家の威容が整えられました。
 尚、昭和35年から文化庁・静岡県及び韮山町の協力を得て解体修理され、文化14年(1817)の大修理以前の古い形に復元された。又茅葺きだった主屋の屋根は現在の銅板葺きとなった。 


裏側に回って土間への入り口
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50坪の土間
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土間から見た屋根の木組み
木の交差部分は全てくさびを入れて固定され、非常に大きな屋根を支えています。
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主屋の中には多くの展示品があり、下の人2人が描かれた掛け軸は重要文化財です。
blogDSCN4336.jpg

主屋の平面図です。
blogDSCN4334.jpg


又、主屋の奥には蔵が3棟ありました。
手前の茅葺の蔵は西蔵、奥の2棟は米蔵との事で、今は古い用具等が展示されていました。
尚、西蔵の柱は上に行くに従って建物中央に向かって傾けてあり耐震構造になっています。
blogDSCN4333.jpg


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