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小田原城でお花見 [ 旅行 神奈川県]

 
 4月3日の日曜日小田原城で、骨董市を見て、おでんサミットを見て、買って、食べて、お花見もして。 欲張りな一日でした。 ただ、小田原城のさくらはまだ少し早かった。

 早朝小田原ついて、「学橋」 から会場の 「二の丸広場」 に。 早朝の為骨董店やおでんのお店は準備中でした。 

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 この時期の小田原城は行事が目白押しで、桜の咲いている内にと思っていた所、一番混む日曜日、しかも駐車場確保の為雨の早朝になってしまいました。

小田原城天守閣
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 小田原城は、
 平安時代末期には相模国の土肥一族の小早川遠平の居館だった。
 1416年、関東地方で起きた上杉禅秀の乱で禅秀方についた土肥氏が失脚し、駿河国に根拠をおいていた大森氏が奪い取り相模国・伊豆国方面まで勢力を広げた。

 1495年頃、伊豆国を支配していた伊勢平氏流伊勢盛時(北条早雲)が大森藤頼から奪い取ったとされている。 実際の奪取は1501年と考えられ、早雲の息子の伊勢氏綱(後の北条氏綱)が小田原城を拠点としたのは1518,19年とみられている。
 以来北条氏は、5代にわたり小田原城を居城とし、南関東における政治的中心地となり、1560年代3代当主北条氏康の時代には上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐えた。

 小田原城は、北条氏の時代に2回大きな改築を行っている。
 最初は南海トラフ巨大地震の1つと言われている明応地震(1498年)の直後で、地震の被害と大森氏との戦いで傷んだ部分を改築。 2度目は、1566年から1569年頃で、上杉や武田の侵攻に備えた物と言われている。  又、豊臣秀吉軍に対抗する為、城の外郭は小田原の町全体を土塁と空掘りで囲んだ総構えとし、後の大阪城をもしのぐものだった様です。

 1590年、秀吉は数十万の大軍で小田原を攻撃。 北条は3ヶ月の篭城戦の末城を明け渡した。
 戦の後、北条氏の領土は家康配下の大久保忠世が小田原城に入り、17世紀の一時時期を除き明治迄大久保氏が藩主を務めた。 尚、大久保氏が入城後、城の規模縮小をおこなっている。
又、城を開け渡した北条氏は、河内国狭山1万余石を治める外様大名として明治にいたっている。

小田原城自体は明治に入り大半が取り壊された。

昭和に入り石垣の積み直しや小田原城址公園として天守の外観復元等がなされ、その後にも数多くの改修復元が行われ、今も天守の木造化等が進められている。



現在の小田原城址公園の主要部分の配置図
(写真をクリックすると大きく表示します。)
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で、配置図の 「正面入口」 の 「馬出門」 から入り、
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銅門(あかもん)に向かい、
(銅門は二の丸の表門で、当時銅を使っていた事から「あかもん」と言われ、当時の工法で平成9年復元。)
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銅門の内部が特別公開中だった。 木造の内部は真新しく綺麗でした。
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銅門の広場から階段を上がって常盤木門に向います。
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常盤木門を通って、
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 天守閣のある広場に出て。 本来天守閣を見学できるのですが、改修工事の為5月6日迄は入る事が出来ません。 その代わり汚れのない真っ白な天守閣を見る事が出来ました。

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