絶対お勧め、 横浜の 「眞葛焼ミュージアム」 [ 旅行 神奈川県]
先日の日曜日、友人を誘って横浜の 「眞葛焼ミュージアム」 に行ってきました。
「眞葛焼」 と言うのは、京都の陶磁器の焼きもの屋さん出身の 「宮川香山(天保13年(1842)~大正5年(1916))」 が、明治4年 横浜の大田村(現在の横浜市南区庚台(かのえだい))に窯を設け、主に輸出用の陶磁器製作を始めました。 これが横浜の 「眞葛焼」 の始まりです。
横浜は「焼き物」を作ると言う伝統になく、材料の土や釉薬(ゆうやく)の入手には相当の苦労があった様で、関東一円を歩き伊豆天城の梨本と神奈川の秦野で陶土に適した土を発見。
香山の確かな技術で製作された焼き物は、世界各地の博覧会で次々と賞を受ける等好評を博し、各博覧会出品時は価格のいかんにかかわらず売り切れ続出だったそうです。
又、眞葛焼ミュージアム開設に当っては、アメリカやヨーロッパで好評をはくしたとはいえ、香山の作品は 「輸出用」 だった為国内には資料も作品も少なく、ミュージアムの館長もまた、2010年10月10日の開館までには相当の苦労もあった様です。
眞葛ミュージアムのホームページ http://kozan-makuzu.com/
眞葛焼ミュージアムは土・日曜日のみの開館。
年末年始は休みがありますので上記ホームページで確認するか電話で確認を要す。
眞葛ミュージアム館長のブログ http://kozan.blog.so-net.ne.jp/
12月20・21日の眞葛焼ツアー募集の詳細が書かれています。
で、私は朝早めに家を出て、横浜駅から横浜ベイクオーター迄歩き、小さなカフェでモーニングサービスを頂き、開発が進み日々変化していく横浜駅の海側を見ながら、
下地図のヨコハマポートサイド ロア参番館の 「眞葛ミュージアム」 を目指しました。
到着です。 当日はガードマンが立っていましたが、普通の商店の様で見逃してしまいそう。
で、 横浜ヒストリックカーディに参加した時に頂いた入館チケットで中に入ると、右側に 「宮川香山の主な作品とその変遷」 を4点の作品と説明板で説明されていました。
更に進むと左側には 「仁清・乾山写し」 と言う小物が展示されていた。
この写しと言うのは、眞葛窯に代々引き継がれた 「先人に学ぶ手法」 の1つで、単に野々村仁清(1647年頃)や尾形乾山(1699年頃)の形を真似るのではなく、その精神までをも習得しようとの目的です。
そしてメインの展示室に入ると目を見張る 立体的,写実的な大型の作品群が中央に展示されており、圧倒されました。 展示方法も真っ暗な中に作品が輝き浮かぶ様な素晴しい物でした。
で、右の壁側には横浜 眞葛焼の比較的初期の物が、そして奥には写実的な作品の最盛期の物が展示されていました。
壁面の展示には裏面も見える様にと鏡が設置されており、壁際でも裏側が鏡越しに見える様になっていました。 だだ、素人写真では表裏が映ってしまい、結果煩雑に映り上手く撮れませんでした。 素人写真では無理かも。
そして更に左の壁面と入口の壁面には、香山の後期作品と言える清楚で透明感のある作品が展示されていました。
宮川香山の作品は明治4年頃から15年の ”写実的で彫刻的な技法” による作品と、それ以降の ”清楚で淡白な透明感” のある作品に分れます。
この前期と後期の作品が全く異なっており、本当に1人の人の作品だろうかと疑いたくなる程の大きな変化です。
海外に輸出するにあったては、強いインパクトを持って打って出る必要があり、宮川香山の繊細な技を持って大胆に立体的で彫刻的な技法の下写真の様な作品は有効だったのでしょう。
写実的,彫刻的な1例で、写真の様に鷹は羽毛一枚一枚彫り込まれており、鷹足元には捕まえた雀が、 そして熊の親子も彫り込まれています。
とは言え、私はどちらかと言うと後期の作品群の方が好みで、下写真の花瓶などは 「尾形光琳の橘」 を想像しましたが、本当に清楚で何より写真では充分に伝わらないと思いますが、透明感が素晴しく、この展示ブースを見いってしまいました。
で、眞葛ミュージアムを出る時に下写真の素晴しい写真集を入手致しました。
ミュージアムでは素人の私には上手く写真が撮れませんでしたので、次回は下の写真集から主に 「横浜の眞葛焼変遷」を紹介したいと思います。
( 素人の私が考える変遷ですので公正さを欠き、私好みになってしまうだろうけど。)
私としては絶対お勧めのミュージアムです。
横浜 、いや 神奈川県にお住まいの方は 「地元の名品」 として是非見て頂きたいと思います。
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