小田急多摩センター駅横の東京都埋蔵文化財センター見学 [お散歩]
先日と言っても9月下旬でしたが小田急多摩センター駅近くに所用があり、 「東京都埋蔵文化財センター」 によってみました。
小田急多摩センター駅は京王相模原線の京王多摩センター駅と併設されており、共に多摩センター駅と同じ名前になっています。
家を出る時には東京都埋蔵文化財センターがあるとは知らなかったのですが、駅のすぐ横にあり、駅を降りた所で直ぐに見つけてしまいました。
所用を済ました後に見学させて頂きました。
埋蔵文化財センターには多摩地区で発掘された多くの土器や埴輪そして石器時代の矢じり等が展示されていました。 特に埴輪は本当に色々な形をした物がありました。
(館内の写真は撮影不可と自分勝手に判断し、私の写真はありません。)
東京都埋蔵文化財センターのホームページ http://www.tef.or.jp/maibun/
また、埋蔵文化財センターの脇には 「遺跡庭園「縄文の村」」 と言う公園があり、見学は自由の様で、入ってみました。
まず入口には下の様な掲示板があり、縄文時代の住居跡が発掘され、当時の住居が復元されているとの事。 下記の掲示板によると縄文時代前期前半から中期後半迄の長い間数軒の家で暮らすコミティが続いていた様です。
縄文時代の復元住居
内部では、いろりの様な雰囲気で火を焚いていました。
で、見学していた時は ”へェ~ こんな古い土器が見つかったんだ” とか ”縄文時代の住居は意外と住みやすかったのでは” 等と思っていましたが、帰宅し 「ウィキぺディア」 で発掘経過等を確認していて驚いた事は 「日本の歴史ってすっごく長いんだァ~!!!」 と改めて感動してしまいました。
ウィキペディアによると、
多摩ニュータウン周辺から5万年前の石器が13点発掘され、3万~1万年前の後期石器時代の物も多数発見されている。 ヨーロッパは現代人とは異なる種類の人間 クロマニヨン人が住んでいた頃の事です。
定住を始めたのは縄文時代早期の1万年前からで、4000年前の縄文時代中期までで、多摩川の支流大栗川・乞田川周辺の広い範囲におおよそ7000年間複数の村が存在していた。
この頃はエジプト文明の時代です。
しかし、縄文時代後期の4000~3000年前に遺跡は減少し、縄文時代晩期の3000年から2300年前には村はほぼ消滅したとの事。
消滅の原因としては、人口の急増,気候の寒冷化や食料の枯渇,箱根や富士山のたび重なる噴火、又稲作が始まり平地への移住等が考えられています。
日本には、5万年以上前から私達の祖先が住んでいた事になり、「有史以来」と言う言葉をたまに耳にしますが、日本の有史とはたかだか1500年か2000年前頃だろう。
5万年からするとついこないだの事でした!!!
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(館内の写真は撮影不可と自分勝手に判断し、私の写真はありません。)
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また、埋蔵文化財センターの脇には 「遺跡庭園「縄文の村」」 と言う公園があり、見学は自由の様で、入ってみました。
まず入口には下の様な掲示板があり、縄文時代の住居跡が発掘され、当時の住居が復元されているとの事。 下記の掲示板によると縄文時代前期前半から中期後半迄の長い間数軒の家で暮らすコミティが続いていた様です。
縄文時代の復元住居
内部では、いろりの様な雰囲気で火を焚いていました。
で、見学していた時は ”へェ~ こんな古い土器が見つかったんだ” とか ”縄文時代の住居は意外と住みやすかったのでは” 等と思っていましたが、帰宅し 「ウィキぺディア」 で発掘経過等を確認していて驚いた事は 「日本の歴史ってすっごく長いんだァ~!!!」 と改めて感動してしまいました。
ウィキペディアによると、
多摩ニュータウン周辺から5万年前の石器が13点発掘され、3万~1万年前の後期石器時代の物も多数発見されている。 ヨーロッパは現代人とは異なる種類の人間 クロマニヨン人が住んでいた頃の事です。
定住を始めたのは縄文時代早期の1万年前からで、4000年前の縄文時代中期までで、多摩川の支流大栗川・乞田川周辺の広い範囲におおよそ7000年間複数の村が存在していた。
この頃はエジプト文明の時代です。
しかし、縄文時代後期の4000~3000年前に遺跡は減少し、縄文時代晩期の3000年から2300年前には村はほぼ消滅したとの事。
消滅の原因としては、人口の急増,気候の寒冷化や食料の枯渇,箱根や富士山のたび重なる噴火、又稲作が始まり平地への移住等が考えられています。
日本には、5万年以上前から私達の祖先が住んでいた事になり、「有史以来」と言う言葉をたまに耳にしますが、日本の有史とはたかだか1500年か2000年前頃だろう。
5万年からするとついこないだの事でした!!!
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