SSブログ

東海道五十三次, 興津宿から江尻宿 [ 東海道五十三次]

 
 先日、東海道五十三次を歩いてきました。

 本来ならば今回は由比宿から興津宿なのですが、この間にはあの広重の薩埵峠(さったとうげ)があり、ここは最高に空気の澄んだ晴れの状態で、峠から是非綺麗な富士山を見てみたかった。
従って、薩埵峠越えは11月~2月の間に後回しして、興津宿からの歩きとしました。

広重の薩埵峠からの富士山   今もこの浮世絵の雰囲気を残している様です。
1Tokaido53_Yui[1]_edited-1.jpg



 自宅を早めに出て、JR東海道線の興津駅に10時頃に到着。 歩き始めました。

 歩き始めると早速、歴史のありそうなお茶屋さんを発見。 やっぱり茶処静岡でした。
これから当分の間、コーヒー大好き,全くお茶を飲まない kotobuki1946 がお茶屋さんや茶畑とお付き合いするのかなと思いつつ先を急ぎました。

blogDSCN4437.jpg

 東海道五十三次の現代の道路 国道1号線に出て、 少し歩くと興津宿の休息所がありました。
休息所の立て看板によると江尻宿迄2里2町(約 8km)との事。 また、興津宿には東本陣と西本陣があり、脇本陣は3軒もあった様です。
blogDSCN4438.jpg

 興津駅周辺には下の様な灯篭風 (下は東本陣跡) の目印があり、興津宿の主な史跡の目印となっていました。 しかし、駅から離れた所では目印が見つからず、多くの史跡を見逃してしまいました。

blogDSCN4441_edited-1.jpg

 東本陣跡を後にして少し歩くと脇本陣であった 「一碧楼水口屋(いっぺきろうみずぐちや)」 がありました。
水口屋は約400年前迄は武田信玄の家臣であったが、その後この地に移り住み塩や魚を買い付け甲斐に送る商人になったとの事。 そして1582年夏に初めて旅人を泊め、江戸時代に興津宿の脇本陣になった様です。 その後明治以降は多くの皇室関係,政財界人がお泊りになられたとの事です。

blogDSCN4444.jpg

 更に少し歩くと、写真写りのいい清見寺がありました。

blogDSCN4448.jpg

 清水寺から約1ブロック程歩くと興津坐漁荘(おきつざぎょうそう)が見えて来た。
坐漁荘は、政治家で第2次伊藤博文内閣の文部大臣だった西園寺公望が、「のんびりと釣りでもして過ごしたい」と1920年に立て移り住んだ別邸で、その後高松宮さまに譲渡され、多少の紆余曲折があった様ですが、有形文化財となり、2012年5月から保存の為の工事が行われています。

blogDSCN4450.jpg

 更に歩き、静清バイパスをくぐり、約40分歩くとやっと国道1号線 辻町交差点に着き、「細井の松原」に到着した。 今回の興津から江尻間では是非来てみたかった所です。

blogDSCN4463_edited-1.jpg


 細井の松原は2代将軍徳川秀忠の命により主要街道の大改修を行い、1612年に完成。 この時松が植えられたのでしょう。 1703年の検地では360m,206本あったとの事。
 その後、第2次大戦時に飛行機の燃料として松根油をとる為に昭和19年に伐採されてしまい、今は上写真の記念碑となっています。 昭和19年に伐採をした時、多くの人骨が出てきました。 東海道を歩き生き倒れになった方々の物と思われ、町内の方々が寺に葬ったそうです。
目的は異なっても同じ五十三次を歩く者として、手を合わせてしまいました。

上写真の左側の四角い石碑の文章です。 
blogDSCN4466.jpg

 細井の松原の様な東海道五十三次には多くの場所で多量に人骨が出土されている場所があり、五十三次を歩かれて体調を崩した方々の物と思われ、発掘された時に無縁仏としてまつられている所も多々あります。

例えば戸塚の権田坂近くにある 「投込み塚」(下記の記事参照)があります。 
http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2010-04-22

 更に清水駅前の江尻東交差点を通り過ぎ巴川の手前の商店街を右折した所で江尻宿の道標がありました。 細井の松原から30分位だったと思います。
blogDSCN4472.jpg

 商店街を少し歩くと河童橋が左手に見え、河童橋を渡るのが五十三次のルートです。
 しかし、今回は携帯電話が壊れ電話機屋さんによる為五十三次のルートから外れ、国道1号線に出て電話機屋を修理して頂きました。
従って江尻宿の本陣跡等があったかどうかは全く分りません。

 河童橋には4体の違った河童の像がありました。
blogDSCN4480.jpgblogDSCN4479.jpg


 国道1号線の大曲の交差点を左折して旧東海道に戻り、追分で昼食代わりにおでんを食べました。 静岡地方独特の物は「黒はんぺん」と「白焼き」だそうで私にはジャガイモのおでんも珍しかった。 ここのお店はみそだれを付けて食べるのだそうです。
blogDSCN4489.jpg

 で、ほんの少し歩くと 「都鳥一家」と「清水の次郎長一家」との抗争の碑がありました。 次郎長は森の石松の恨みを晴らす為、遠州都田の吉兵衛(通称都鳥)とこの地で対峙、都鳥一家は全滅したとの事。 
blogDSCN4492.jpg
 
 
 更に少し歩くと「追分」の碑がありました。 昔、ここは東海道と清水湊との分かれ道だったそうです。 追分は、街道の分かれ道をさしていた様で、例えば新宿追分は甲州街道と青梅街道の分かれ道でした。 
blogDSCN4493.jpg



 で、橋を渡って、静鉄清水線の狐ヶ崎駅に到着。 今回はここで終了です。

 約10km(約17000歩)でしたが、新調した靴だった事もあり、ちょっと疲れました。
で、その夜はクラシックカーを通じて知り合った熱海の友人の家で夜中迄話しこんでしまいました。


何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ                               にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ

車のレストアのランキングへ                                   にほんブログ村 車ブログ 車 レストアへ


にほんブログ村の 旧車・絶版車ブログへ
にほんブログ村

nice!(17)  コメント(2) 
共通テーマ:自動車

nice! 17

コメント 2

馬爺

興津から先は次にとして京都まで行かれるんでしょうか?
清見寺は見られなかったんでしょうかね、こちらは素敵なお寺ですよ。
by 馬爺 (2014-10-15 19:47) 

kotobuki1946

馬爺さん
 京都迄必ず行くと決めているわけではなく、東海道を歩く事で自分の体力バロメーターにすると共に、東海道を歩く事で毎回違った景色をゆっくり見て楽しみたいと思っています。
 今回は熱海で人に会う約束もあり、先を急いでいましたので清見寺の中はみませんでした。

by kotobuki1946 (2014-10-17 08:09) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。