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東田子の浦~富士駅  その1, 50年以上前の写真の場所を訪ねて [ 東海道五十三次]

 
 先日東海道五十三次の 東田子の浦から吉原宿を経由し富士駅近く迄歩いてきました。
と言っても前半は、友人の五十年以上前の写真の場所を尋ねる旅でした。


 前回の東海道五十三次の記事を見ていた友人からメールで、
「もうじき吉原ですね。 昔の写真を送ります。」 と幾つもの古い白黒写真が送られてきた。
彼は吉原出身で、今回送って来た写真は彼が高校時代に撮られた物だそうです。
前回の五十三次の記事  http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2013-10-29

 私は調子に乗り、「写真の場所を今の地図に書きこんで欲しい」と要請。
彼は快くその日の内に返信してくれました。

 で、彼から送られて来た地図を東海道五十三次で歩く為の地図に転記した物が下記。
地図上の赤線が東海道五十三次のルートで、途中の青線が50年以上前の写真現場を訪ねて歩いたルートです。 赤丸の番号は彼が写真を撮った位置です。

blog田子の浦港_edited-1.jpg

 9時半頃に前回の終点 ”JR東田子の浦” 駅に到着。
前回は天気が良かったにもかかわらず富士山だけが雲に覆われ見る事が出来ず悔しかったので、東田子の浦駅でリベンジの写真を一枚。

blogDSCN2654.jpg


 で、歩き始めて直ぐに ”立圓寺” が右手にあり、富士山が綺麗に見えるとの事で立寄ってみました。
確かに綺麗だった。
 1979年に台風で座礁したゲラテック号の慰霊碑(富士山の下の朱色の部分)も立っていました。
遭難された2名の方の名前も刻まれており、親御さんがこれを見たら悲しみながらも 「異国の地で大事にされている」 と喜ぶだろう等と感慨にふけってしまいました。

blogDSCN2659.jpg


 少し歩くと広沼橋。 もう少し空気が澄んでいたら逆さ富士が見えたのかも?

blogDSCN2667.jpg


 更に歩き、元吉原小学校の所で右に折れ、東海道線の踏切を過ぎて、昔の 写真① の所に到着。
50年位前は工場もほとんど無く、懐かしい田園風景でした。
blog①吉原283原からの富士s33のコピー.jpg

今は、 写真左の樹木に阻まれて、昔の写真より15m位右の所から撮影してみました。
ヨシ(アシ)が茂っていますが、ヨシの向こうは工場と沼川です。
blogDSCN2677.jpg



 で、沼川沿いに歩き、写真④ の所に、

50年位前は工場が出来始めた頃で、川の向こうには水田や畑も。 この位の景色が良い!
blog④288.jpg

今は、河原の草木が茂っていて工場や住宅が隠れていますが、その向こうに富士山と言った所。
blogDSCN2698.jpg



更に沼川沿いに歩き、JR東海道線の陸橋を超え、田子の浦港のふ頭に到着。
が、ふ頭の④ の所迄は入れず、陸橋の下で撮影。

50年以上前の写真(多分55年位前,港の工事前)はこんな素敵な所が、
blog②若いころの写真073吉原沼川からの富士山.jpg

今はコンクリートには阻まれ
blogDSCN2712.jpg

かなりがっかり!!!。 55年前の面影は全くない。

JRの陸橋の上からも撮影。 景色は良いい物の 「昔はもっと良かっただろうなァ~」等と。
手前の茶色いヨシの所あたりに松の木が植わっていて、昔の幻想的な写真になったのかも。
blogDSCN2706.jpg



 で、 ③の所を通って吉原迄行くか、旧東海道に戻るか迷いましたが、左富士神社や平家越(平家軍が水鳥の羽音で逃げ帰った)に行きたかったので、 結局は旧東海道に戻りました。

 と言う事で、 ③は 昔の写真のみ掲載させて頂きます。
富士山の手前はジャトコ(旧日産の吉原工場)、右端の陸橋の様な物は岳南鉄道だそうです。

blog③若いころの写真090吉原日産吉原工場と富士山.jpg


 読んでくださっておられる皆さんは、昔の写真と今を比較してどう感じられましたでしょうか?

 私は、写真④のふ頭周辺を初めとしてこの50年で自然豊かな景色がコンクリートに囲われた世界に変わってしまった様に思います。 それと同時に私達の生活も、1年かけてじっくりと変化する自然のサイクルから、自然をコンクリートで覆いかぶせせわしなく落ち着きの無いサイクルに変えてしまった様にも思います。
(リタイヤしたひまな老人の考える事だったかな。)

長くなるので今回はここ迄。 次回は左富士神社からをレポートします。


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コメント 2

sora

50年前の富士山の写真は、これぞ富士山!!。たなびく工場の煙も、まだのどかに感じますね。
貴重な風景が損なわれてしまったのはとても残念です。
でもその事に気づき、川べりのコンクリートを引き剥がし自然の状態にもどしたり、小川のある風景を残そうと市の公園に指定したり。以前よりは自然の風景を大切しようと日本人も行動し始めています。幼い子供たちに今ある自然の美しさ、大切さを伝えていく事が大人である私たちがすべきことなのでしょうね。
なんだか偉そうな事を言ってしまいました。(汗っ)
貴重なお写真を見せて頂き、ありがとうございました。
by sora (2013-12-25 23:22) 

kotobuki1946

soraさん
 コメント有難うございます。
 実は私の千葉の田舎も激変し、約50年前に神奈川に出てきた年に村から町に、そして今は市になっています。
 時々田舎に帰り、中学校時代の通学路(たんぼのあぜ道)に行きますが、たんぼは草ぼうぼう,雑木だらけで、昔の面影は全くありません。 減反政策や農家の高齢化による結果です。
 私は色々な公園も必要ですが、農家は里山を守り、田園風景を維持している大事な仕事と思っています。 経済面だけでなく、国の風景も守っている事に注目してほしいと思っています。


by kotobuki1946 (2013-12-26 09:04) 

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